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紅煉のラインベルク  作者: 椋鳥
第1章 初陣
7/179

7話

***



東から要塞を目指した聖アカシャ帝国第10軍第3独立大隊五百の前に、ドルバドス率いる紅煉騎士団第4軍が躍り出た。


遠目にも昂った様子が窺え、その士気の高さは脅威に映る。


「あれは何ですかね?」


長い金髪を頭の後ろでひと括りにした士官が言った。


碧眼は澄んでいて、敵軍を認めても落ち着き払っている。


「敵の特攻かと。推定二百」


傍らの副官、フュハ=シュリンフェア少尉が簡潔に答えた。


「ふむ。先頭の大男が指揮官のようです。強そうですね…。パターンHの十三でいきましょう」


「了解です。大隊長」


フュハは青い髪を揺らして頭を下げ、馬を操って士官の指示を伝達しに向かった。


士官、ロイド=アトモスフィ大佐は自軍が動き出すのをつぶさに見つめながら、ゆっくりと魔術の詠唱を始めた。



異変に勘づいたのはドルバドス中将であった。


「全騎、進路を右にとれ!」


叫んだ途端に、正面から水平に火球や氷柱やらが飛来してくる。


ドルバドスや側近の騎士たちはからくも逃れたが、後続に小さくはない被害が出ていた。


「怯むな!これで当面魔術は撃てまい。全速前進!」


半数ほどが脱落した第4軍の進むに合わせて帝国軍が前列から左右に割れていき、ドルバドスらは剣を交わすことなく敵陣奧深くまで侵入していく。


(誘いか…上等だ。ワシの剣は甘くはないぞ!王国騎士の最後の輝き、見せつけてくれる!)


敢えて空けられたスペースを駆け、敵陣の中央奧、指揮官がいるであろう先を目指す。


ドルバドスは猛将で、長い軍歴の下幾多の強敵を一騎打ちで破ってきた。


武力には自負があり、どんな相手であろうと力勝負で譲る気は微塵もない。


さすがにこの敗色濃厚な情勢を個の勇で挽回できるとまでは思っていなかったが、指揮官の一人や二人道連れにする腹積もりはあった。


Vの字に再編された帝国軍の両翼から一斉に矢が放たれる。


それらをものともせずに突き進むドルバドスの前に、単騎立ちはだかる者がいた。


「どけぇえい!」


馬ごとぶち当たると、二人の騎士は揃って地に投げ出される。


すぐに起き上がり、剣を構え直したドルバドスの目に映ったのは、自分の身長ほどに長い超長剣を振りかぶった女性騎士の姿であった。


(なんだ…この剣は?)


太刀筋は目に止まらず、剣を前に出すことで辛うじて初手は防いだ。


が、続く一振りがドルバドスの剣を右腕ごと切り飛ばした。


(速いッ!無念…)


三振り目で止めを刺し、女性騎士が長剣についた血を払う。


長く美しい碧の髪は風ではためき、その美麗な顔を衆目へと晒した。


「大隊長。敵の指揮官を倒しました」


「ええ。遠視の術で見てましたよ。セイレーン中尉は本当に強いですね。あれは紅煉騎士団のドルバドス中将に間違いありません。剛毅の代名詞のような騎士を、ああも簡単に切り伏せるとは…。帝国筆頭騎士のサイアム卿が彼女との手合わせを避けているという噂も理解できます」


ロイドは感心し、フュハに残存の敵を討ち取りながら前進するよう命じた。


(スタイン先輩やレーン先輩が無事だといいのだけれど)



***



要塞を放棄し帝国軍の包囲を突破した蓮は、要塞から南に数キロ離れた平地に陣を敷いた。


バラバラに散っていた部隊が続々と集結し、その日の夜半には第6、第8の両軍併せて一千超にまで戦力は回復した。


しかしそれは参戦した全戦力の三割程度でしかなく、第4軍は全滅しているわけで、大敗と言ってよい結果であった。


騎士たちの士気は衰えを見せ始めており、陣中の雰囲気は暗く澱んでいる。


中隊長以上が天幕に集められ、蓮とフィリップの両将に状況を報告した。


アラガンとゲルトマーを含めて、残った中隊長級は六人。


概況を聞き終えて、まずフィリップは弟のゲルトマーを叱責した。


何故に無謀な突撃命令を出して悪戯に損害を大きくせしめたのかと。


ゲルトマーは自尊心の高い男であったが、同じギュスト一族にして将官たる兄を崇拝しており、素直に苦言を受け入れていた。


しかし、ことがアラガン小隊の称賛に移ると露骨に気分を害していると見て分かる。


(分かりやすい男だ…)


アラガンはゲルトマーからの視線を無視し、眼前の二将の賛辞に答えた。


「先だっての輸送経由地の拿捕は、ロイルフォーク少尉の指揮と久遠少尉の武勇によります。日中の挟撃作戦は第4中隊の七星少尉の発案と、ロイルフォーク少尉が見事に召喚魔術を決めてくれたことが第一。第二に久遠少尉の武勇と、ラインベルク少尉の敵陣撹乱の妙が挙げられます」


聞いていた蓮の眉がピクリと動いた。


フィリップは「…猪武者だけかと思ったが、ロイルフォーク一族にも機転を利かせる者がいるのだな」と感想を述べる。


「はっ。リーシャ=ロイルフォーク少尉の観察眼や戦術考察、実行力の高さなどは稀有な才能かと存じます」


フィリップが「ふむ」と頷きを返し、ゲルトマーが憎々しげにアラガンを威嚇する。


「…アラガン少佐はちと贔屓が過ぎるのではないかな?貴公の指揮下には、久遠アリシアがいるだろう。あの者の戦果までロイルフォーク家の者に転嫁しているようにも聞こえるが」


「ギュスト少佐。私は無能ですが、差別主義者ではありません。部下に対しては常に公平でありたいと思っています」


「なにっ!では我が差別主義者だとでも言うのか?」


「少なくとも、私はロイルフォーク少尉の家に対して含むところはございませんし、部下の家柄にも頓着しません」


「…ふん。平民らしい考え方よな。王国の藩兵たる紅煉騎士団が平民上がりを重用するなぞ、全く嘆かわしいことだ」


「能力と門地の間に相関はありませんので」


「黙れ!一少佐の分際で…」


アラガンとギュストが言い争いを始め、同僚の中隊長たちが「止せ。将軍方の前だぞ」とか、「アラガン、落ち着け」と仲裁に入った。


取り敢えず収まりを見せて恐縮する二人に、蓮がつまらなそうな態度で問い掛けた。


「私は帝国軍と一戦交えて要塞を奪還するつもりだ。それに関して二人の意見を聞かせて貰いたい」



***



「…というわけで、一応ロイルフォーク少尉の言う通りに進言はした」


第5中隊に戻ったアラガンは小隊士官を集めて将軍らとのやり取りを説明していた。


士官の一人がリーシャを見ながら言う。


「ロイルフォーク少尉は慧眼でしたな。まさか現況において首脳部が継戦を考えていたとは…」


「まさに。聞けば戦力比は三倍超だとか。あの堅牢な要塞を取られたいま、現有戦力での反抗は無理だ」


口々に愚痴が上がる。


作戦会議に出る前にアラガンから助言を求められたリーシャは、速やかな撤退とサーベイ駐屯地の放棄を理屈立てて説いていた。


「…が、ギュスト少佐の主戦論が通っちまった。すまん…俺の力不足だ」


アラガンが一同に謝る。


ずいと前に出たのはアリシアで、衰えぬ闘志を前面に出して宣言した。


「感謝してください。無敵の私がいる以上、第5中隊は無事に勝ち続けます。要塞攻撃の際には、また先陣を務めてあげますから」


士官たちの間から「おお!」と歓声が上がり、ゼノアも顔を紅潮させて興奮を隠さないでいた。


「すまんな…久遠少尉。君に頼る他ないかもしれん」


アラガンは申し訳なさそうに礼を言った。


「いいえ。活躍すればするほど出世するんでしょうから、礼には及びません」


そんなアリシアを、疲れた様子のリーシャが思案顔で見つめていた。



夜襲の警戒にと陣外に出た第5中隊第1小隊のメンバーは、散り散りになって東部要塞の方角を監視し始めた。


自分が敵の指揮官なら、要塞を失陥して将軍が一人戦死したこのタイミングで夜襲を仕掛けるだろう、とリーシャは思う。


泣き面に蜂、とばかりに攻め立てられたならば、紅煉騎士団の残兵は堪えきれないとも推測していた。


しかし、隣に立つ騎士は夜襲論を一笑に付した。


「向こうも被害は大きい。おまけに土地勘はないし、何より今度の侵攻軍の編成は貴族が主体のようだ。奴等は怠惰だから、急戦論を封じ込めて休息を選ぶでしょう。つまるところ、<帝国の竜虎>さえ蚊帳の外に置けたならば、付け入る隙はいくらでもあるかと」


<帝国の竜虎>が参戦していることは、アラガンから聞かされていた。


ラインベルクはレーン=オルブライトらしき人物と剣を交えており、その実力の片鱗を実感している。


「ラインベルク少尉」


「小隊長。ラインと呼び捨てていただいて結構ですよ」


「いえ。そのままで。ラインベルク少尉は久遠少尉の実力を高く評価しているそうだけれど、彼女、どう思う?」


「危ないですな」


「…それは?」


ラインベルクがふむふむと頷く。


「あなたも大きな魔術を行使したことでだいぶお疲れのようだ。当たり前ですが、どんな達人でも剣を振るう度に疲労は蓄積するし、大魔術師も魔法を使うだけ等価交換で体力を失います。久遠アリシアが強いのは百も承知していますが、あの細腕の、しかも女の子が無限のスタミナを誇るわけがありません」


「同感よ。彼女、日中の戦いで一人で三十以上の首級を挙げたそう。相当疲労感があるはず」


「ええ。せめて今夜はゆっくりと休ませてあげたいものです…ん?」


「どうしたの?…あっ」


二人の視線の先に、艶やかな色気を帯びた美女の姿が浮かび上がる。


それは蓮で、甲冑から解放されたことで魅惑的な曲線を描く身体のシルエットがはっきりと分かった。


唾を飲み込んでその肢体を凝視するラインベルクに、リーシャは心中を苛立たせる。


(…そこまで食い付くもの?)


「その方、アラガン中隊のラインベルク少尉で間違いないか?」


「…ええ、まあ」


「私は蓮。紅煉騎士団第6軍の将だ」


「えっ?」


リーシャも初見で、二人は慌てて敬礼する。


ラインベルクは当然蓮の名は聞いていたが、傾国と謡われる程の美貌に圧倒されて想像が及んでいなかった。


(なんだ…この化け物みたいな美女は…。ジリアンよりも器量が上だぞ)


ラインベルクが心中で不敬な感想を抱く。


蓮は黒髪を手ですいて香気を振り撒いた。


「王妃様の肝煎りで騎士に取り立てられ、早速働きを見せたそうだな」


蓮がにじり寄る。


ラインベルクは呆けて蓮の全身を眺めていたが、ある距離を割り込んだところで目付きを鋭くした。


蓮も足を止め、蠱惑的な微笑を浮かべる。


「成る程。間合いか…。どうやらお前は曰く付きのようだな。先に言っておく。王族のコネで入団した騎士など身中の癌だ。私はお前など紅煉騎士団の一員として認めない」


蓮とラインベルクが視線を戦わせた。


「少将閣下!」


横からリーシャが呼び掛けると、蓮は「ロイルフォーク少尉だな。申せ」と受け入れた。


「はっ。有り難うございます。先の戦闘において、彼は私の敵陣潜入をよくサポートしてくれました。脱出の際に敵に阻まれたのですが、それも請け負ってくれたのです。あれはレーン=オルブライトだと記憶してます。かの虎と相対してこうして無事でいる以上、ラインベルク少尉は類い稀なる剛の者でもあります」


「それで?」


「紅煉騎士団の一員として、ラインベルク少尉に期待する余地は小さくはないものと小官は考えます」


リーシャは言い切った。


「勘違いをするな」


蓮はリーシャの方を向き、幾分か眉根をひそめて口にした。


「この者の実力云々を言っているのではない。入団の経緯が気に食わないだけだ。…団長の決定に今更口は挟まぬが、いち騎士として、私は受け入れられん。それだけだ」


そしてまたもやラインベルクに目を向ける。


(美人に一方的に嫌われるのは辛いもんだな…。それもほとんど濡れ衣なわけで)


自分が頼んだわけではない、とラインベルクは言いたいところではあったが、ジリアンとの約束の手前そうもいかない。


蓮がラインベルクから目線を外す。


「…気に入らない、という感じの目だな?ロイルフォーク少尉」


蓮に問われ、リーシャは唇を結んで押し黙る。


相手は将官で、おまけに紅煉騎士団の筆頭騎士という雲上の身分だ。


「…まあ、生きて戻れたのならば、二人とも働き分の昇進は間違いあるまい。私に意見したくば、対等の立場にまで昇ってくることだな。そう難しくはあるまい?」


闇夜の風が流麗な漆黒の髪を揺らす。


蓮は東部要塞の方角へ顔を向けて、遠い目をして「生きて戻れたのならば」と繰り返した。



***



スタインとレーンが代わる代わるロイドの金色の頭を小突く。


「先輩、やめてください。いい歳して全く…痛っ!」


レーンの止めの拳骨にロイドは顔をしかめて痛がる。


「お前さん、到着するのが遅いんだよ」


「レーン先輩、これでも予定より一日早く配置につきましたよ」


「レーンは君なら一日半は縮めるだろうと期待していたのさ、ロイド。…さあ、レーン。払うものを払ってもらおうか」


「くっ…」


レーンは仕方なしに懐をまさぐり、銀貨を取り出してスタインへと手渡した。


それを見て、ロイドが呆れた素振りで言う。


「他人の行軍で賭けをしないでください」


三人は士官学校時代の先輩後輩で、今年三十一になるロイド=アトモスフィはスタインやレーンの二年次下にあたる。


第10軍団第3独立大隊の長であるロイドは階級上は二人と同格の大佐で、竜虎の陰に隠れがちではあったが用兵に優れた手腕を有していた。


スタインに言わせれば、「貧乏貴族の出だから貴族にも平民にも憎まれず蝙蝠の如く世渡りが上手い」となるし、レーンは「マシな魔術師がいない帝国ではマシな部類の魔術師」とロイドを評した。


三人が雑談に興じているのはグラ=マリ王国から奪った東部要塞の一室で、敵追撃の意見が上層部に容れられずに不貞腐れていたところ、自然と集まってきた。


部屋の扉の外はフュハ=シュリンフェア少尉に見張らせていて、三人は思いの限り貴族の将軍たちを罵倒していた。


「なんでわざわざ敗走中の敵に再編の時間を与えるかね?貴族様は成長の過程で想像力を放棄でもしたんだろうか…」


スタインが悔しそうに言う。


レーンは分かりきったことを言うなとばかりに黙していた。


「でもスタイン先輩。下手に藪をつつかなくて正解だった部分もありますよ。…来ていたそうじゃないですか?」


「ん?レーンが闘りあってた、蓮ちゃんのことかい?」


「いえ。あの筆頭騎士も厄介と言えば厄介ですが。先輩たちなら互角にやれるでしょう?」


ロイドの問いに、スタインは肩をすくめてレーンに答えを促す。


「…数合斬りあっただけだが。お前さんたちは挑まない方が良い。俺で互角だ」


「…なら俺もいけるはずだろうが」


「自称帝国ナンバー・ツーのお前には止めておけと言っている」


「まあまあ。…私は剣はからきしですから、ご心配には及びませんね」


「ロイド、ずるいぞ…」


スタインが恨めしい口調でロイドを責める。


「何がです?」


「…で、何が正解だって?」


レーンが話を戻した。


「<堕天>です。あれが戦場にいる以上、相手をする部隊だけが圧倒的にリスクを負うことになります」


ロイドの口から<堕天>の名が上がると、二人の目の色に微妙な成分が混じった。


「西部最強の<堕天>か…」


スタインが呟く。


(確かに、西部最強と名高い奴が相手では、俺やレーンが前に出ても分が悪いのは否めないな…)


「はい。まともに闘り合えるのは、うちのセイレーン中尉くらいのものでしょう」


「聖剣対魔剣、か…」


レーンが目を閉じる。


ロイドの部隊で小隊長を担うセイレーンは、魔剣アスタロトを所持する帝国屈指の剣の使い手であった。


その実力は、聖アカシャ帝国筆頭騎士たるサイアム卿を確実に上回る、と彼らは見ている。


大陸東部一の剣士と名高い九郎丸に師事していたセイレーンを、メルビル法王国から帝国にスカウトしてきたのは、実にロイドであった。


「ですので本音を言えば、敵がまだ挑んでくるつもりであれば、迎撃の先鋒は私の部隊が引き受けたいところです」


二人が頷きを見せる。


(だが…上層部が我々三人全てを前面に配置することは、決してあるまい。特にスタイン先輩やレーン先輩にこれ以上の功を立たせたくはないと考えるのが筋だ。要塞の守備に残されるのが関の山か…)


三人は要塞の防備と補給に関して二、三打合せてそれぞれの持ち場へと戻った。


***



蓮の率いる紅煉騎士団第6軍とフィリップの第8軍は並走して、要塞の前面に横陣に展開した帝国軍へと攻撃を仕掛けた。


力押しでしかなかったが、竜虎の二将を要塞内に温存した帝国軍の応戦は精度といい連携といいチグハグで、特に蓮とアリシアの突撃を阻む術は存在しなかった。


「我が名は蓮!この名を耳にしてなお戦意を失うことなくば、遠慮なくかかってこい!速やかに冥土へと葬送してやろう」


紅いマントを翻し、蓮が前後左右に剣を振るう度に帝国騎士がバタバタと倒れていく。


「西部最強のこの私と闘えたということ、あの世で誇りなさいッッ!」


ほとんど防御を無視した軽装で少女然としたアリシアの手には、まるで不釣り合いな大剣が収まって輝きを放っている。


その大剣の一閃ごとに空間に銀光が煌めき、帝国騎士の命を確実に奪っていった。


アリシアの後ろにピタリとついて小隊を統率しているゼノアは、彼女の勢いを借りてよく戦果を挙げていた。


向かってきた帝国騎士の剣を真っ向から受け止め、つばぜり合いから袈裟斬りに繋げて一撃で倒す。


(俺にだって、このくらいは出来る!)


一方リーシャは、自身が最前線に立って小隊を鼓舞していた。


蓮やアリシアほどに派手さはないが、戦いを一対一に持っていき、着実に一人ずつ斬り伏せている。


そのリーシャを遠目からじっと窺う騎士が一人。


(いい腕ね。ここで摘んでおく方が帝国、ひいてはロイドさんのためになるかも)


騎士は傍らの下士官に「単騎威力偵察に出ます。アトモスフィ大佐にはパターンZの九と伝達を」と伝えて、馬を走らせた。


リーシャは対峙していた騎士を渾身の突きで絶命させ、荒くなった息を整えながら戦況を確認する。


他の小隊から離れすぎていないか、隣の中隊との連携は維持できているか。


(久遠少尉と第2小隊が突出してスペースが出来てしまっている…。早く進軍して埋めないと)


そこへ雷迅の一撃が襲いかかった。


馬の突進速度をそのままのせた超長剣の斬撃は、常人には反応し得ない高速をもって炸裂する。


「…!」


驚くべき反射神経と操剣技術で、リーシャは長剣が己の首に到達する寸前に剣を差し挟んだ。


剣が交わされて硬質な音が響き、その威力でリーシャは落馬する。


襲撃の主、帝国騎士のセイレーンは兜から流れ出る長い髪を払い、無表情に追撃のひと振りを見舞った。


「隊長!」


今度は第1小隊の騎士がリーシャを庇って割り込み、セイレーンの剣にばっさりと背を斬られた。


血を噴出し、悲鳴もなく倒れる騎士。


「隊長を助けろッ!」


「おう!」


続けざまに二人の騎士がセイレーンへと向かっていく。


「…やめなさい!」


落馬の際に腰を痛打して悶絶しながらも、リーシャは部下たちの献身を止めようと声をあげた。


セイレーンの剣の二振りで騎士たちは馬から崩れ落ちた。


一手ごとに相手を致死に追い込む高度な剣術であった。


「あなたの部下?あなたを庇って三人死んだわね。まだ来るようなら全員を討ち取ってもいいのだけれど」


「…許さないわ」


「あなたを討ち取れば私は引き上げる。観念なさい。そうすれば犠牲は少なくて済むわ」


言って、セイレーンはノーモーションで超長剣、魔剣アスタロトを突き出した。


リーシャは身体を捻って避けるが、脇腹をかすめて鮮血が散る。


「…ッ!」


苦悶の表情を浮かべるリーシャ。


馬蹄が響き、そこにアラガンまでもが参戦してきた。


「ロイルフォーク少尉!無事か?」


三騎を伴って駆け付けたアラガンは、部下たちをセイレーンにけしかける。


「駄目です!少佐、逃げてください!」


セイレーンは力強い横薙ぎの一撃で二人の騎士の胴を断ち、そのまま返す刀で三人目の首をはねた。


(なんなの!彼女は一体…このままでは中隊長が…誰かッ!…ラインベルク!)


アラガンは辛うじてセイレーンの初太刀を受けたが、次の斬撃で剣を弾き飛ばされ無防備な全身を晒した。


セイレーンは止めのひと振りを思い止まった。


そうしたのはただの勘であったのだが、この時はそれが彼女の命を救った。


背後からの馬の突進を視界の端に収める余裕が生まれ、その衝撃に備えることができたのだ。


馬と馬が衝突し、そこから飛び上がったセイレーンはくるりと回転して無事に大地へと降り立つ。


突進した馬の主であるラインベルクも着地し、前傾姿勢で素早く斬りかかった。


初撃は魔剣のつば元で受けたが、ラインベルクに前蹴りを腹に浴びせられ、セイレーンが後ずさる。


追撃の剣が迫るも、セイレーンの高速の剣はそれよりも早くラインベルクへと達し、逆にラインベルクが防戦へと追い込まれてゆく。


三合、四合と撃ち合って、魔剣の広い攻撃範囲に危険を覚えたラインベルクが間合いを外して一旦距離をとった。


「…あなた、誰?」


「さあな」


ラインベルクは俊敏な動作で懐から短剣を放った。


セイレーンは瞬時に動きを見切り、ラインベルクの狙いが短剣投擲からの近距離斬撃だと判断する。


最小の動きで致命傷となる身体の中央線を避けて、短剣を肩で受ける。


そうして飛び込んできたラインベルクに万全のカウンターを見舞った。


タイミングは完璧であったが、ラインベルクは地に身を投げるようにしてセイレーンの斬撃のさらに下へと潜り、紙一重でその剣から逃れた。


起き上がったラインベルクに鋭い連続攻撃が浴びせられ、受け切れなくなった剣が手足をかすめて切り裂いていく。


随所から出血はしていたが、ラインベルクはどうにか致命傷だけは避けられていた。


リーシャとアラガンは手に汗を握って二人の対決を目で追いかけていた。


割り込む隙はどこにも見出だせなかった。


ラインベルクは舌打ちし、見破られたフェイントからの攻撃を中断して防御に意識を集中する。


(こんな化け物と斬り合うのは無理だ!奇襲が失敗した時点で引き払うべきだったな…)


明らかに押されているラインベルクは、自らの策の失敗を理解していた。


暗殺は相手の意表をついてこそ、という鉄則が頭に思い浮かぶ。


「…そろそろ潮時ね。いいわ。今回は諦める。久遠アリシアか蓮の首を狙えと言われていたのだけれど。とんだ伏兵にしてやられたものだわ。私は帝国軍第10軍団第3独立大隊所属のセイレーン中尉よ。以後お見知りおきを」


セイレーンは興奮が収まりつつある馬に飛び乗って、華麗に手綱をさばいてその場から去っていった。


(セイレーンだと?確か大陸東部の魔剣士の名じゃないか!メルビルの筆頭騎士だったはずだが…)


短時間で猛威を奮ったセイレーンがいなくなり、周囲がただの戦場へと立ち返る。


少しの間立ち尽くしていたアラガンらであったが、すぐに意識を戦闘へと引き戻し、各々持ち場へと散っていった。


それから一時間の後、蓮は紅煉騎士団全軍に撤退の命令を出した。


<帝国の竜虎>こそ出陣してこなかったものの、ロイド=アトモスフィによく守られ、セイレーンには紅煉騎士団の隊長級の騎士を幾人か討たれていた。


この日、グラ=マリ王国は完全に東部要塞近隣の領土を失った。



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