54話
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アビスワールド郊外の駐屯地に到着したディタリアの伝達によって、ミリエラ=オービットやゼノアは第9軍の出撃準備に取りかかり始めていた。
折しも、王宮の入口では天から複数条の光柱が突き刺さる異常事態にあった。
転移先の魔方陣の放つ光であり、王宮内でそのような魔術が行使されることは抗魔設備のレベルを考えれば有り得ない事だと言える。
「侵入者だ!出会え…ぐあッ?」
「何奴?うおおおッ!」
大理石の床を近衛の騎士たちの血が汚していく。
転移はなされてしまったものの、侵入者があったこと自体は魔術感知で知れわたっており、王宮がにわかに騒がしくなる。
先だっての騎士団全軍会議から幾日も経っておらず、紅煉騎士団の上層部は王宮から程近い騎士団本部庁舎に今なお集結していた。
しかし、竜の来襲に敵勢力の意図を感じた各人が、それぞれ自軍の配備にと動き始めたばかりで騎士たちの統制がとれているとは言い難い。
王宮に入り込んだ賊の排除は、非効率にも各個バラバラの指揮系統に頼っていた。
レウ=レウルからいち早く危険を知らされたジリアンは、彼の助言を受けて自身の居室に待機することを選んだ。
「賊が近付きましたら僕が迎撃致しますれば、ジリアン様はこの場にお留まりください。下手に動くと御身を狙う賊の思う壺です。僕は扉の外におりますので」
レウは言って、王宮西棟の最上階に位置するジリアンの私室前に陣取った。
爆発の余波が震動として王宮の階下遠方から伝わってくる。
「まだ遠いかな?」
微笑みを崩さず、レウはそっと瞑想へと入り透視の魔術で階下の状況確認を始めた。
侵入者はただの五名であった。
わらわらと集まってくる王宮詰めの騎士や魔術師たちは、敵の人数が少ないことにこれ幸いと突っ込んで、例外なく返り討ちにあっている。
敵がただ者ではないと気付いたときにはすでに騎士の屍が累累と積み重なっていた。
「そろそろバラけますか。石ころ以外に特に標的はないんですよね?…当然、前法王暗殺容疑者のラインベルクの奴は見つけ次第殺るとして」
ルキウス=シェーカーがさらりと言ってのける。
両手大剣を杖がわりにその隣に立つゲルハルト=ライネルが筋肉質な身体を震わせて笑った。
「シェーカー卿は剛胆よな。俺など噂に聞くアビスワールドの王宮に乗り込んで、心の臓が張り裂けそうだわ」
「それにしちゃあ、剣の走りは悪くないように見えましたけどね」
「そうか?調子がいい時は剣筋が目に見えぬと評判なのだが」
「どこの娼館で評判なんだか」
笑い合う二人を、フェルミが水色の瞳を怒りに燃やして一喝する。
「無駄口を叩くな!各人一旦散開の上紅煉石の捜索にあたるように。…猶予はあまりない。合図を聞いたらここに参集せよ。遅れた者は捨ておく。それと、ルキウスが言うようにラインベルクは処分対象とする。シンクレイン様、何かございますか?」
教導騎士団では一士官に過ぎないフェルミが上から目線でものを言うも、<七翊守護>のルキウスやゲルハルト、宮廷魔術師のラティアラ=ベルら上位者たちは不満気な様子もない。
それは彼女がニーザ=シンクレインの第一の臣下であり、彼らが敬意を払うに値する実力を備えていたからだ。
「ジリアン=グラ=マリも処分対象とする」
ニーザは厳かに言い、フェルミがそれを受けて目を光らせた。
「聞いたな?では散れ!」
ダッシュをしかけたルキウスの前に、騎士が一人立ち塞がる。
「賊め、成敗してくれる!」
「誰あんた?」
「紅煉騎士団第2軍のバリヤルド大尉だ!覚悟ッ!」
バリヤルドの太刀筋はなかなかの鋭さを持っていたが、ルキウスは撃ち合うことなく剣を下から差し出してあっさりと喉笛を刺し貫く。
「邪魔」
絶命したバリヤルドが後ろ向きに倒れる。
既に他の面子はその場から消え、ルキウスだけが紅煉騎士団の死体の山に陣取っていた。
「貴様、侵入者だな?」
(またか…おっ?二人とも割と強そうに見えるぞ。名のある騎士かな?)
抜剣してルキウスに挑んだのは第5軍のアッチソン=ロイルフォーク中将その人と、第6軍のグリプス=カレンティナ大尉の二者である。
先に仕掛けたのはルキウスで、下段からの伸びのある剣撃がアッチソンを襲った。
剛剣の使い手として知られたアッチソンはその一撃を正面から受けるが、ルキウスは直ぐ様身体を反転させて流れるような動作と高速の一振りで連撃とする。
二撃目までは受けきったアッチソンであったが、止まらぬ三撃目で剣を持つ手首を深く抉られ、四撃目は背後から腰に剣を突き立てられた。
「将軍ッ!」
「えっ?これ将軍なの?やった」
アッチソンが崩れるのと同時に、グリプスの上段からの斬撃がルキウスと斬り結んだ。
右に左に巧みに繋がる連続攻撃は、それでもルキウスに的確に返される。
剣での力負けを意識したグリプスの不意を狙った蹴りが腰部に命中し、ルキウスを一歩下がらせた。
「ほ〜う。なかなかやるね。将軍とやらよりは合格点だ。でも次はない」
「くっ…!」
グリプスは中段に身構えるが、飛び込んできたルキウスの高速の剣さばきに五合と持たず右の太股をざっくりと裂かれた。
膝を着いたそこに無慈悲な突きが繰り出され、身体を捻ってかわそうとしたグリプスの肩を貫通する。
「がはッ…!」
「はい、お疲れさん」
そうは言ったがルキウスの止めの一振りは実行に移されず、息急き切って駆け付けたラインベルクと激しく視線を戦わせていた。
ルキウスの碧眼が爛々と輝きを見せ、表情は禍々しい笑みを形作る。
両者は何も言わずにぶつかった。
***
(ラティアラの奴、派手に暴れてやがる)
間断のない爆発音を背にゲルハルト=ライネルは王宮の東棟を捜索していた。
その剛腕で目に映る端から紅煉騎士を撃破しており、中には勇猛で鳴るライド=ビサイド中尉やエディンバラ少佐などもいたのだが、ものともせずに突破したあたり<七翊守護>の面目躍如である。
(何とかの間、みたいなところに安置されているのだろうがな。さっきからどこの扉を開けてももぬけの殻だ。王族連中が石を持って逃げ出してなけりゃあいいんだが…)
後ろから追ってきたのは第8軍のデイトナ准将で、二人は戦場で互いの顔を目視していた。
「お前は…教導騎士団にその姿を見た気がするな」
「気にするな。どうせ死に行く身だ」
言うや放たれたゲルハルトの荒々しい初撃を、デイトナは気合いで凌いだ。
「ほう?やるな。では、これでどうだ!」
叩き付けるように繰り出されるゲルハルトの両手大剣には威力があり、必死に受け続けるデイトナの身体が徐々に重くなる。
壁際にまで追い込まれ肩で息をする有り様のデイトナであったが、その目から闘気は失われていなかった。
「何か言い残すことはあるか?」
「…俺は紅煉騎士団第8軍副将のデイトナ准将だ。お前も名乗れ」
「はっはっは。面白い奴だな!では冥土の土産とせい。教導騎士団は<七翊守護>のゲルハルト=ライネルが俺の名だ!」
縦に振り抜かれた強撃は、受けたデイトナの剣を破砕してさらに胸甲をも真っ二つに叩き割った。
斬り裂かれた額や鼻の頭から大量に出血し、デイトナが弱々しく壁に寄りかかった。
「浅かったか…ん?」
止めを刺さんとしたゲルハルトの視界の隅に、抜き身の剣を手にした美女がゆらりと入り込んできた。
急ぐこともなくゆっくりと歩を進めてくる。
「誰だ?」
「…蓮」
儚げな表情や剣を構える全身からは一切気概が感じられず、それでもゲルハルトは蓮から一瞬たりとも目を離すことが出来なかった。
(ルキウスが獲りかけた大将首か!…何だ?こいつは何かの境地に達している気がするぞ。何にせよ、ここで闘り合うのはまずい)
蓮から恐怖に近い何かを感じ取ったゲルハルトは、固唾を飲んで蓮の動きを見守る。
「ゲルハルト=ライネル。ここは私が受け持ちます。あなたは捜索を優先なさい」
「おっ?フェルミ!助かるぜ」
長剣を引っ提げて乱入したのはフェルミで、肩までの焦げ茶色の髪を手ですいて、水色の瞳を蓮へと向けた。
「前筆頭騎士の蓮ね?出てくるのが遅いじゃない。紅煉騎士団の主だった騎士はもう全滅したのではなくて?」
蓮は何ら反応を見せず、相変わらずの遅々とした足取りでフェルミとゲルハルトに近付いてくる。
「何を戯言を言う。主だった騎士ならここにもいるぞ!やたら強力な賊の侵入を許したと聞いて駆け付けてみれば、まさか<七翊守護>が入り込んでいるとはな」
蓮の後ろに闘気をみなぎらせた騎士が現れ、それは第7軍の勇将アレン=アレクシー中将だと容易に知れた。
アレンは鞘から剣を引き抜くと、「蓮将軍。ゲルハルト=ライネルは私が面倒を見よう。異存はないな?」と意気を見せる。
「…俺の名を知っているか、紅煉騎士団のアレン=アレクシー。願ってもない相手よな。闘るならさっさとかかって来い!」
「言われるまでもない。…デイトナ准将、すぐに終わらせる故しばし待たれよ」
アレンは今にも崩れ落ちそうな顔面血塗れの同僚を気遣った。
初速から一気に最高速度まで加速したアレンとゲルハルトが激突する。
その横ではフェルミが懐から取り出した短剣を投じ、蓮が払い除ける動作をしたそこに技の走りがけを見舞った。
地面すれすれを這うようにして駆け、最下段から斬り上げられた高速度の剣は蓮の返す刀と噛み合って弾かれる。
奇襲の不成功を嘆くでもなくフェルミは二撃三撃と撃ち込んでいき、受けに回った蓮がそれらに食らい付いて応酬は続いた。
(ルキウスから聞いていたのより掴み所が無い感じね…フェイクにかかる気配が微塵もない。これはフェンリルでないと決着がつかないかもしれない)
フェルミは主に貸し出している魔剣に思いを馳せる。
大振りの剣撃が受けた蓮の身体を僅かに後方へと押し、フェルミは二歩距離を詰めると下段に蹴りを繰り出した。
意表を突いたそれが蓮の左足に命中し、乾いた炸裂音が廊下に響き渡る。
フェルミの連撃は嵐のようであった。
剣だけではなく拳に脚にと、至近距離から無限を疑う組合わせの攻め手を繰り出す。
しかし蓮も超人であることに変わりはなく、足運びと受ける剣のタイミングを外すこととで巧みに自身の間合いを取り戻し始めていた。
今年二十八歳になった蓮と二十七になるフェルミという世代を代表する女騎士同士の苛烈な撃ち合いは延々と続き、終わる兆しすら見えない。
瀕死の体でその光景を眺めているデイトナには、二人の技量の高等さに対する賞賛よりも疑問が先に立っていた。
(…ここに絶世の美女が二人。剣皇国のトリスタンもそうだと言うし、我が騎士団にも器量良しは少しばかりいる。…久遠アリシア、リーシャ=ロイルフォーク、ミリエラ=オービット、ラミア=キス…なんだ…ラインベルク准将の愛人ばかりじゃないか。何を好き好んで騎士などという血生臭いものになって、こうも刃物を振り回しているのやら…)
デイトナの足下には血が溜まり、そこかしこを流れる騎士たちの血と共に王宮の白い廊下に深く染み入っていった。