51話
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王国南西部、ガイラムの地は代々ギュスト一派の名門アルバレスト伯爵家が治めていた。
武門でありながらここ二十年ほどは将官を輩出しておらず、現当主は中佐で退役して領地へ帰っており、二人の息子も騎士として決して一流とは言えない。
それとは逆にアルバレスト伯は領地を富ますことに長けていて、ガイラムの穀高は年々高まり、域内人口もここ数年は高い数字で安定を見せている。
主たる作物である麦と鉱山から採掘される鉄鋼石はグラ=マリ王国の要であり、この地が揺らがない内は王国の継戦能力に心配はいらないと評判であった。
そのガイラムに突如魔物が湧き出した。
それも、凶悪さでは<七災厄>に劣らないと恐れられる<石瞳夫人>が率いる大蛇の群である。
私兵を率いて領地の防衛に乗り出したアルバレスト伯は敢えなく倒れ、ガイラムの抗戦力は一瞬にして失われた。
そうしていよいよ紅煉騎士団の出陣と相成ったのである。
「大蛇の数はガイラム城の周辺を偵察した範囲では三十匹前後。<石瞳夫人>の姿は見つかりません。抗魔術による妨害のせいかと思われます」
偵察に出ていたリーシャが報告する。
ラインベルクは第9軍の戦力のうち一個中隊二百五十を本陣として待機させ、残りの三個中隊をもって正面からの進軍を決めた。
全長が大人十人分はあろう大蛇へは主に遠距離射撃での弱体化と包囲同時攻撃を徹底させ、<石瞳夫人>出現時には指定人員以外の撤収を命じてある。
ミリエラ=オービット中佐率いる第1中隊が先陣をきって大蛇の直中へと切り込み、リーシャ=ロイルフォーク、ゼノア両少佐の第2、第3中隊が後に続いた。
大蛇は持ち前の巨体をうねらせ、体当たりによる衝撃で騎士を軽々と破壊する。
紅煉騎士団が強いと言えど例外ではなく、接近されて狙われれば一般の騎士に対処の術はない。
三個中隊が二十匹程の大蛇に前がかりになると、謀ったように残りの大蛇は集団で迂回行動を取り、予備戦力として後方に控える第4中隊へ向けて殺到した。
「…怖いくらいに予想通りに動く。今度の大将は対魔戦に慣れてるもんだな」
第4中隊長のゾフ少佐が副官に向けて呟いた。
彼はミリエラと共に故人となったダナン=ベクレル准将に仕えていた士官で、同じ平民出という気安さから彼に心酔していた。
ダナンが戦死した東部要塞防衛戦の際にはミリエラのリードに従って兵権をラインベルクに預けはしたが、それは流れでそうしただけであって納得ずくの行動ではない。
(言われた通りに敵が現れたんだ。俺は俺で仕事をするだけさ)
ゾフは弓部隊を前に集め、向かってくる大蛇の迎撃を始めた。
齢四十にして佐官の地位にある彼は紅煉騎士団でもあらゆる戦闘部署を回ってきた熟練の騎士で、指揮官の指示さえしっかりしていれば自身の任務は手堅くまとめた。
大蛇と第4中隊がぶつかったのと時を同じくして、ラインベルク自らが隠していた勢力を引き連れて戦場に到着する。
「将軍の読み通りに蛇を二手に分けてきましたね。今が各個撃破のチャンスです!」
馬を並べたシャッティン=バウアーが高揚を伴ってラインベルクに突撃を促した。
首肯したラインベルクは、第9軍の外郭にあたる<神威>を中核とした傭兵部隊に全速前進を命じる。
「みんな!かかれ!」
ドラッケンが大声で号令をかけ、シャッティンを先頭に全騎が動き出した。
ラインベルクの立案した戦術はこうだ。
魔女にはなまじっか知性があるので、騎士団に穴があれば積極的にそこを突いてくる可能性が高い。
大蛇の戦闘力は騎士に十倍するため、戦力を分散してもそう易々とは崩れないと判断できる。
敢えて弱戦力のポイントを作ればそこにいくらかの大蛇を回して強襲してくるはずで、こちらは伏兵でもって挟撃してそれを撃破する。
最後に総勢でもって、数の力で残りの大蛇を圧倒すればよい。
大蛇の背後を突いた傭兵部隊が早くも結果を出し始め、第4中隊も力戦への移行を匂わせる。
(良し。…後は<石瞳夫人>の出現位置とタイミングだ。ここにはおれとディタリア、シャッティン、ドラッケンがいる。向こうもアリシア、リーシャ、ゼノア、ミリエラと十分な騎士を配置できた。いくら奴の魔術強度が高かろうと、この布陣で討ち漏らす可能性はほとんどない。どこに出てこようが、その時が最期の時だ)
今回の第9軍の出撃には上層部のさまざまな政治的思惑が絡んでいた。
宰相や騎士団長からすれば国土を侵した魔物など早期に駆除したいところであったが、どうせなら自分の息がかかった将軍に手柄を立てさせてやりたい。
しかし敵が<石瞳夫人>ともなると第一線級の騎士たちでも苦戦は必至で、持ち駒を失うなどの不名誉な敗戦のリスクが伴った。
そこへ、フレザントのつてを使ってデイビッド=コールマン元帥との接触を果たしたラインベルクが討伐を買って出たのである。
形としては推挙者はデイビッドとなり、討伐に成功すれば彼の見識が讃えられ、たとえラインベルクが失敗をしても自分の手勢を喪失することもない。
ラインベルクの実力が知れ渡っていたこともあり、また軍事の総責任者という立場であることからデイビッドの案はすんなりと通ったのである。
テオドルやカタリナ、ジュードなどは不審を抱いて、ゲルトマーをはじめとした若手貴族は憤慨をもって、他の将軍たちもそれぞれ複雑な感情を秘めながらその起用を受け入れた。
だが、ジリアンに関して言えば今一つも二つも納得してはいなかった。
彼女はギュストやナノリバースの一党を最終的にはラインベルクの武力によって打倒した上で施政と紅煉石を握る腹積もりのため、目下最大の武力を有するデイビッドに対して融和という手段を用いることなど想定外なのである。
いくらラインベルクから翻意を促されても決して色好い返事をせず、見かねたレウが取りなした程だ。
「<石瞳夫人>の出現を確認!第1中隊からの合図です!」
(いいぞ!第1中隊ならアリシアがいる!聖剣ロストセラフィなら闇の魔術にも対抗し得るはずだ)
ラインベルクは全軍に当初の取り決め通りの動きを指示し、自らはシャッティンらを連れて前線へと急いだ。
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「ラインベルク准将にまた一つ箔が付きましたね」
レウ=レウルが居並ぶ列席者を前にして飄々と語った。
「…<石瞳夫人>を斬ったのは久遠アリシア准将だ。ラインベルク准将ではない」
「でも軍を率いたのは彼です。現に勲章もいただいたようで、迅速な魔物討伐に騎士団長と彼の名声は高まったと言えます」
「…余計なことをしてくれたものだ」
レウの客観的な物言いに、幾人かの貴人がしかめっ面をする。
場に不穏な空気が流れていたが、それを打ち破るかのように乾いた拍手が鳴り響いた。
「いやいや。ラインベルク将軍のやりようは褒められこそすれ、咎め立てするのは筋違いというものですぞ。<石瞳夫人>なんぞがガイラムに留まってごらんなさい。あの豊穣の地が今頃不毛の化石地獄と化していたに違いない」
言って、タレーランは拍手を収める。
その意見は少数派のようで、周囲は冷たい目をして彼を見やった。
ジリアンも表情を変えずに、大きな円卓の一段後ろから真剣な目で一同を眺めている。
「かと言って他にどうする?ラインベルク准将に頼らねば、我らが動ける余地など事実上少ない」
「…左様。戦闘技術や破壊工作に長けた者はあらかたジュード=ケンタウリかルドヴィル=ロクスリーに逮捕されてしまった。武力という意味では、我らは限りなくゼロに近い」
「アイス男爵家から召し上げられたクライファート卿は味方に引き入れられないのか?無理矢理に再登板させられたという話だし、彼が加わってくれれば鬼に金棒だ」
「それにはカタリナ嬢との友好関係が絶対条件となる。だが、かの女人は見たところギュストにべったりであろう?とりつく島などあるまいて」
「では内務省はどうか?そなたは内部の情報に明るい。ジュード=ケンタウリやシバリス=ラウほどの強者でなくとも、武闘派の法務官で誰が目ぼしい者はおらんのか?」
「…その程度の武人が一人二人味方についたとして何になろうか?それよりも王妃陛下の大望を解する同志の数を増やすことこそが急務だ」
「貴公はそう言うがな。ではご自身は一体どれほどの人間を導いたというのだ?せめて爵位を有する一家でもここに引っ張ってきてからものを言いたまえ」
議論は紛糾すれど、タレーランが傍聴している限りでは建設的な意見は少なかった。
(…無理もない。ここに集まるのはギュストやナノリバースに辛酸を嘗めさせられた、言わば敗者の側の人間に過ぎん。中には不当な評価を受けて本流から弾かれた者もいようが、概ねぱっとせん顔触れだ。彼らにとって大事なのはジリアン王妃陛下の掲げる理念や信念ではなく、自身の返り咲きや栄達でしかない。ましてや王妃陛下に対する忠義などどれほど期待してよいやら…)
溜め息をついたタレーランをジリアンの凍てついた視線が刺し貫いた。
即座に居ずまいを正すタレーラン。
「あ…私の職分は外交ですから、非力ながらその方面からのご提案をと思いますが」
「いやいや…タレーラン殿の下にはアメルド殿と平泉ルベル殿という立派な戦士がおられるではないか。あれほどの腕前で信が置ける者を抱えているとは大したものだ」
「いや、まあ…はい」
恐縮してみせるタレーランに、ジリアンが「で?貴方の提案はなに?」と先を促した。
「は、はい。戦力が不足している以上、それは短期的には外に求める他ないかと。そこで他国の騎士団に介入を求めます」
卓を囲む一同がしんとなった。
明らかに貴族と分かる豪奢な仕立ての燕尾服を着た中年男性が、不快そうな表情で卓を指で叩いた。
「君、まさか対魔騎士団やラルメティの騎士を呼び込むと言うんじゃないだろうね?」
男性は同盟国にあたる二か国の騎士団を挙げた。
周囲にもその選択が当然のように思われたが、タレーランは首を横に振る。
「同盟国であるが故に、この二か国は我が国の内情に詳しいものです。それでは駄目なのです。わざわざ最弱の勢力と組むメリットなど少ないでしょうし、既存の座組を崩す可能性をはらみますから。また、確度は低いものの協力関係が成立し得たとして、足元を見られた対価を要求されるのが関の山です」
「…ではどこなんだ?」
「聖アカシャ帝国一択かと」
室内がざわつく。
何人かは立ち上がり、「夢物語だ!」「有り得ない!」などと口々に非難を始めた。
ジリアンですらタレーランの言を突拍子もないものと判断し、興味を失いかけているように見えた。
そんな中、レウだけは瞳を愉しげに輝かせてタレーランのおどおどした態度を眺めている。
(面白い。というか実に現実的な判断だね。残る近隣の大国のうち、剣皇国とイチイバルは北域の習わしにより北伐続行中の対魔騎士団やそれを支援したグラ=マリとは断固敵対する。メルビルも人間自然主義を標榜する樹林王国とは相容れないのだから、そもそもが蒼樹女王と手を切らねば相手は帝国に限定されるというもの。樹林王国と離れる選択肢はもっての他で、これは西に強大な敵国が出現することを意味する)
「しかし、聖アカシャ帝国はラルメティ公国とも険悪です。ここをどう解決します?」
レウが切り込んだ。
「それについては、そもそもが我が国に端を発した問題と言えます。少なくとも二年近く前には、あの二か国が描いた絵図により四か国の侵入に繋がったわけですから。それがために、敢えて我々が仲介して帝国と公国とを和解させれば良いのです。幸い、帝国では騎士団の最高司令官に知将ロイド=アトモスフィが就いております。彼は比較的穏健派として知られ、彼が軍を統轄して以来隣国との国境を巡る紛争のひとつも起きてはいません。我が国と公国とを同時に相手にするデメリットを十分に理解できる人物かと推測します。人聞きの話で恐縮ながら、ラインベルク将軍は彼と縁があるとか。正規の外交ルートではなく、我々主導の騎士団外交に活路を見出だすというのは、博打として有り得ない話ではないでしょう」
「なるほど。ラインベルク准将を交渉役に帝国と公国の和約を仲介して、それをもって帝国に助力を頼むと」
「はい。ラインベルク将軍はラルメティのフレザント首相補佐官とも懇意のようです。やりようはあるはずです」
レウは頷き、ジリアンへと目線を送る。
「…餌は?帝国と公国の問題を首尾よく解決できたとして、ロイド=アトモスフィがそれだけでこちらの思惑に乗るというのは虫のいい話だわ。彼にも帝国貴族を黙らせるだけの手土産がいるでしょうね」
ジリアンの一言で、タレーランの策が実行に移されるものと集まった面々は理解する。
ジリアンのそれは予想していた問いであり、タレーランは淀みなく言い放った。
「東部要塞、周辺地域の割譲あたりでどうかと」