5話
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目の前に飛び出してきた騎士の放つ槍を身を捻ってかわし、懐に飛び込んで剣で首を刺す。
血が噴出し、悲壮な声をあげて騎士が崩れ落ちた。
大量の返り血を浴びつつもゼノアはそれを忘れたようにして、他に襲ってくる敵がいないか左右を見回して確認する。
あちこちで味方の騎士が勝鬨を上げていて、拠点の制圧が成ったことを確信した。
ゼノアは第2小隊の被害状況をチェックし、敵から接収した天幕内の仮設指揮所を目指した。
「おっ、ゼノア少尉。ご苦労さん」
「アラガン少佐。第2小隊の被害状況を報告します。戦死ゼロ、重傷一名、軽傷五名です。捕虜を二名取りました」
「了解だ。捕虜はサーベイに戻す。補給部隊が到着次第引き渡すので、武装解除と拘束を徹底するように」
「重傷者はいかがしましょう?」
「それも連れて帰って貰う。第3、第4小隊から五人ずつを補給部隊の手伝いに回して対応する。我々はすぐにここを離れねばならん。帝国軍が異変に気付いて戦力を差し向けてくる前にな。…とまあ、全てロイルフォーク少尉の受け売りだがね」
アラガンは苦笑し、ゼノアは複雑な心境でそれに応じる。
(…そのくらいの献策は俺にも出来る。問題は、一体いつの間にあいつがそれを中隊長に具申していたのかだ)
天幕を出ると、裏手からアリシアが歩みよって来るのが見え、敬礼した。
「あら。早かったわね。小隊は大丈夫?」
「はい、隊長。戦死はゼロでした。デクスが斬られて重傷ですが…」
「あなたの戦果は?」
珍しく真面目な顔をしてアリシアが訊いた。
「二人ほど」
「そう」
天幕の裏から嗚咽のようなものが聞こえた。
ゼノアが注意を向けると、アリシアが「向こうでロイルフォーク少尉が嘔吐してるわ」と教える。
「え?あいつが…。案外だらしないな」
「…あれで、いいのよ。ゼノア、あなたは平気なの?随分顔面蒼白だけど」
「え…?」
ゼノアは手のひらで自分の頬を撫でる。
「無理しないことね。人を殺したのは初めてでしょ?人間の精神って、それほど強靭には出来ていないんだから」
アリシアが立ち去ると、ゼノアは途端に胃の奧から込み上げてくるものを感じた。
天幕の外でやり取りを一部始終見ていたアラガンは、ゼノアと別れたアリシアを呼び止めて労った。
「さすが勇者だ。戦中率先して敵を切り崩しておいて、戦後はルーキー二人のメンタルケアまでこなすなんてな」
「…では中隊長は何をなさるの?」
「皮肉は止めてくれ。俺には君のように強大な力はないし、ロイルフォーク少尉みたいな頭脳もない。優秀な部下におんぶにだっこで生き延びる道を模索するだけさ。もうすぐ補給部隊が来る。…あそこにも出来る奴がいるしな」
とぼけた感じのアラガンにアリシアは毒気を抜かれたらしく、軽く笑みをこぼした。
そしてアラガンの最後の一節を引き取って続ける。
「これはあくまで私の勘ですけど。補給部隊の彼、駐屯地には留まっていないでしょうね」
「ん?補給部隊を率いて来てるってことか?」
「いえ。補給任務を置いて戦場を目指す気がします」
「…ほう。根拠は?」
「勘と言ったでしょう?」
言って、アリシアが十七歳の少女らしからぬ迫力のある目付きを見せる。
「ラインベルク。彼のね、足運びが気になっていたんです。普通にしてたら絶対気付かれないとは思うけど、私にはわかる。あれは特殊な鍛練を積んだ動き。あとは間ですね」
「間って、間合いのことか?」
「そうです。彼は絶えず何かの間を目測しているように見えました。…おそらく、相手の間と自分の手数の間でしょう。意識してというよりは、それが習慣になっていたように見受けられました」
アラガンは嘆息した。
この少女は短い付き合いの中で、そんなところにまで目がいっていたのかと。
そして、イチイバルで騎士をしていたらしいラインベルクの技量は、存外高いのではないかと。
(やはり、こいつらは異色だ…。俺なんかとは物が違いすぎる)
戻ってきたリーシャを目にとめ、アラガンはすぐに行軍準備にかかるよう指示を出した。
顔色は優れなかったが、リーシャは力強く頷きを返す。
「いよいよ対帝国軍の本番ね。少しは骨のある奴がいると良いのだけれど」
アリシアはそう言って、拳同士を打ち合わせて自らを鼓舞してみせた。
***
東部要塞を巡る攻防は戦況が二転三転していた。
帝国軍はスタインとレーンの部隊が紅煉騎士団を追い込み、ドルバドスとフィリップの軍は籠城を余儀無くされた。
しかし攻城戦に移ると<帝国の竜虎>と詠われる二人の部隊は後方に下げられ、途端に帝国軍の攻勢がちぐはぐなものとなる。
慌てた帝国軍の司令官が二人を前面に押し出すと東部要塞はたちまち逼迫し、陥落の二文字が守備隊の頭に浮かんだ。
紅煉騎士団の劣勢を跳ね返したのは、グラ=マリ王国第二の援軍である。
赤い旗をはためかせて突っ込んできた新手の部隊の練度は、スタインの目から見ても敵要塞に駐留して頑強に抵抗を続けている騎士団第4軍をすら上回って見えた。
「ベルシア大佐。あの旗は紅煉騎士団第6軍の意匠です」
副官の報告にスタインは苦笑を浮かべた。
「東に出てきたか。グラ=マリの筆頭騎士は。…さて、受け止めた友軍は我らが要塞を落とすまで持ちこたえてくれるかな?」
スタインは弓兵と魔術師の攻撃の手を強めさせる。
スタイン率いる第10軍団第1独立大隊の動きに合わせる形で、レーンの第2独立大隊も要塞への猛攻を続けた。
二つの独立大隊がまさに要塞を攻略しかけたその時、紅煉騎士団第6軍の突撃が要塞包囲に加わっていた帝国軍の一角を食い破った。
「…駄目か。隊列を整えて新手を迎え撃つぞ!」
レーンは即断して、攻城を諦めて陣形を凹陣に組み換える。
(あの能無しどもがあと小一時間でも耐えていたなら、な…)
一方のスタインは方円陣に組んで、要塞からの挟撃にも備えていた。
(第6軍が全数揃っているなら数はレーンの手勢の倍だ。俺も後ろを気にしてばかりはいられないか…)
スタインは部隊を少しずつ第2独立大隊へと近付ける命令を下す。
それを見た要塞上のドルバドスが騎士たちを鼓舞する。
「勇敢なる王国騎士たちよ!第6軍が助けに来たぞ!我らが筆頭騎士の来場だ。我々も最後の力を振り絞って出撃する!」
「…ドルバドス中将、もはや騎士たちに攻勢に転じる余力など残されてはいないと思うが」
「ギュスト准将。それでもやらねばならん。さもなくば残るのは敗北の二文字だけぞ。第6軍が敵を刈り取り始めた今だからこそ挟撃が意味を持つのだ。ここでもたつけば各個に<帝国の竜虎>に絡めとられる」
ドルバドスの剣幕にフィリップも表情を引き締めた。
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う帝国軍の中にあり、レーンの部隊はどっしりと構えて紅煉騎士団第6軍を迎え撃った。
強兵同士が真っ向からぶつかり合う。
その中でも、紅い軽装甲に身を包み、紅い生地に金糸で豪奢な刺繍を施したマントを羽織る黒髪の女騎士の活躍は目を見張った。
馬上からの鬼神の如き剣さばきで帝国の騎士を次々と斬り伏せていった。
紅煉騎士団第6軍の将軍にして、グラ=マリ王国筆頭騎士の蓮である。
筆頭騎士とは国家最強の看板を背負う騎士で、各国とも威信を賭けて強力な騎士を招聘し、その座につけていた。
蓮は御年二十七の生粋の王国騎士で、少将にして第6軍のトップに君臨し、次期騎士団長の最右翼と目される女性騎士である。
その強さに加え、傾国とも揶揄されるほどの美貌を保持していた。
「帝国軍の指揮官はいないか?潔く我が前に出でよ!我が名は蓮!指揮官同士、堂々たる一騎打ちを所望する!」
通りの良い声を張り上げ、蓮は進路上の帝国騎士を剣の一振りごとに倒しながら突き進む。
蓮の通る先々で帝国軍は切り裂かれ、陣形に楔を打ち込まれる形となる。
やむ無くレーンが前に出た。
「そこな女人。私がお相手つかまつろう。我が名は聖アカシャ帝国騎士、レーン=オルブライトだ」
「ほう。虎が相手か。不足はないぞ。噂では、貴殿は貴国の筆頭騎士よりも腕が立つそうだな?」
レーンは眼鏡の奧の目を冷たく細める。
「自称だがね」
馬を近付けて、上段から重い一撃を繰り出す。
蓮は剣で打ち返し、馬を操って前に出、高速で突きを見舞った。
上半身を引いてかわしたレーンは、半円を描くように移動し、蓮の左側面から剣を横薙ぎにする。
蓮が左手一本で剣を握り、レーンの一閃を外へと弾く。
(片手で今のを弾くだと?…予想以上に体幹がしっかりしている!)
斬り合いは五合六合と続いた。
激しい剣の応酬は、スタインの闖入によって妨げられた。
「レーン!要塞から残兵が出てきた。退くぞ!」
「…いいところだったんだが、仕方ない」
レーンは蓮の剣を切り払い、距離をとってから馬の首を返した。
このあたりの判断の冷静さが、<帝国の竜虎>と恐れられる所以でもある。
「レーン=オルブライト!逃げるのか?腰抜けめ!」
「…すぐにとって返すさ」
スタインとレーンの二人は、蓮の第6軍の勢いをいなしつつ指揮下の部隊を後方へと下げることに成功した。
***
ゲルトマーとアラガンの率いる紅煉騎士団第8軍の第4、第5の二個中隊は、要塞を完全包囲した帝国軍の南側に接近していた。
ゲルトマー=ギュストの主張する正面突破には、アラガンやリーシャのみならず第4中隊の七星カミュ少尉やラミアも慎重論を展開して断念させた。
激昂したゲルトマーではあったが、旗下のカミュは士官学校を首席で卒業した逸材で、彼の献策にはそれなりに重きを置いていた。
「ありゃ、相当頭にきてたな。七星少尉、キス少尉。後で大変なんじゃないか?」
ゲルトマーと取り巻きの小隊長らが出ていった天幕で、アラガンはカミュとラミアを気遣った。
「僕は大丈夫でしょう。キス少尉にはなるべく中隊長へ近寄らないことを勧めます。ええ」
カミュがさらりと言う。
上品な薄茶色の髪と知性を感じさせる静かな黒瞳が特徴的な爽やかな感じの若者で、アラガンからすると人間的にリーシャに近い印象を受ける。
「…ですよね。七星さんと違って私はだいぶ嫌われてますし」
「まあ、彼が焦る気持ちも分からんわけではない。兄君は要塞内で、第6軍が合流したとはいってもまだ陥落の危機にあることは変わらないのだから」
「アラガン少佐。それと猪突猛進とは別次元の話です」
リーシャがたしなめる。
「そりゃそうだ」
「…とは言え、ではどうする?城塞の戦力では包囲を打ち破ることは出来ないわけだし、こちらはたかだか四百。帝国軍は目減りしていても四千弱は残している」
ゼノアが問題提起するが、さすがのリーシャをして眉をひそめて黙する。
代わってカミュが落ち着いた口調で発言した。
「こちらの有利な点は二つ。久遠アリシア少尉の圧倒的実力と、兵数の差は置いて挟撃態勢を取れていること。セオリーで言うなら、敵軍を撹乱した上で要塞の友軍と同時攻撃を仕掛けるのが望ましい。はい」
「やっぱり私の力に頼ることになったわね」
アリシアが得意気に言う。
アラガンは、カミュに対して撹乱の策を質した。
「魔術の一択、でしょうね。それも広範囲に作用できる大規模なものがいい。うん」
「魔術か…うちの中隊に使い手が四人ほどいたか。第4中隊はどうだったかな…」
「普通程度の力量の魔術師では意味がありません。あれだけの戦力です。敵も当然警戒はしているはずで、抗魔術は対策済みでしょうから。そう、例えば儀式召喚魔術くらいは扱えないと。ええ」
カミュの意図するところを汲み取ったゼノアとラミアがリーシャを盗み見た。
召喚魔術は難度の高い魔術で、士官学校でも制御に長けていたのはリーシャとカミュの二人くらいのものであった。
中でもリーシャが第一人者である。
そのリーシャは反射的にカミュを睨み付けたが、すぐに冷静さを取り戻す。
「…私に何をしろと?七星カミュ」
「なに、簡単なことさ。敵陣の只中で、ドカン。リーシャ=ロイルフォーク、君なら簡単なことだろう?魔術師としての力だけを見れば、君は僕よりも数段上だ。うん」
カミュは黒瞳を愉しそうに輝かせて微笑みを浮かべた。
***
進路上に一人の帝国騎士が認められ、ラインベルクは訝しがる。
あと丘を一つ越えれば要塞を遥かに見渡せる平野にたどり着くという地点だった。
ここはすでに帝国軍の支配領域と言ってもおかしくはなかったが、帝国騎士が単独でうろつく場所とも思えなかった。
(それも徒歩で、か…)
ラインベルクは辺りを窺い、罠の存在を考えるがすぐに打ち切る。
敵が自分の動きに注意することなど有り得ないし、第一たかが一少尉を叩くためにわざわざ労力を割くまいと思った。
(やるか)
足音を消して一気に近付いたラインベルクは、背後から全力で帝国騎士を蹴り倒し、すかさず屈みこんでその首筋に刃を押し当てた。
「動いたら、刃を引く。…ん?」
その騎士の兜の下には見知った顔があり、戸惑いと安堵の入り雑じった複雑な表情を見せてくる。
「ロイルフォーク…少尉?」
「…ラインベルク少尉」
ラインベルクは剣を収めてリーシャを解放し、先程の暴挙を詫びた。
リーシャはそれを受け入れ、自分は敵陣への侵入を目指して一人行軍してきたと涙目で告げた。
(やはり痛かったよな…)
ラインベルクは恐縮のあまり体を縮めて話を聞く。
七星カミュは悪意をもって「士官学校次席卒業で、ロイルフォーク家の直系たる君なら出来るよね?侵入方法は任せるからさ。それとも僕が代わろうか?ん?」と挑発的に話を運び、リーシャが断り辛い状況を演出した。
アラガンが考え直すよう何度も忠告したが、リーシャは七星カミュへの対抗意識からそれを突っぱねて決行とし、今ここにいた。
山中の敵拠点で入手した帝国の軍装は決して大柄ではないリーシャにはぶかぶかで、仮装のような違和感があった。
その着こなしの愛らしさにラインベルクが軽く吹き出す。
「…何か?」
「いや。甲冑と軍服の借り物感がすごいですよ」
「…サイズがなくて」
「まあ、何にせよ無謀でしたね。見るからに怪しいなりだ。疑ってくれと言わんばかりに」
「…そう言うあなたはここで何を?」
「ロイルフォーク少尉と同じです。少しばかり敵を混乱させてやろうかと」
リーシャが目を丸くした。
「どうやって?」
「適当に暴れて、馬でも奪って逃げようと思ってました」
リーシャは溜め息をつき、呆れ顔でラインベルクの無謀を非難した。
そして、同時に自分の短慮も責めた。
「…家や士官学校の席次を揶揄されると頭に血が上っちゃって。あのままあなたに出会わなければ、無策で丘を越えて敵に捕まっていたかもしれない…」
「少尉が捕まったら悲惨ですよ?戦地で飢えた狼たちの前に少尉みたいな美女が放り込まれてごらんなさい。ただでさえそんな際どいコスプレまでしていて…。あ、キス少尉だとしてもマズいかな」
おどけるようにラインベルクが言う。
「…それは、凌辱されるということ?」
「ストレートに言われると見も蓋もありませんがね…下品で申し訳ない」
「男性の生理は理解しているつもりよ」
「面目ない…」
「…ありがとう」
「え?」
リーシャには分かっていた。
ラインベルクが自分を慰めるために、敢えて下らない話で場を和ませてくれたのだということを。
場の空気は和んだものの、状況は何ら改善しておらず、リーシャは思案を重ねた。
そして、不格好な帝国騎士たる自分とラインベルクを交互に見比べ、ひとつのシミュレーションを開始した。