41話
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「ハアッ!」
空を切り裂いて叩き込まれる蓮の連続した斬撃を、ルキウス=シェーカーは的確に弾いていく。
蓮が上段から振り下ろした剛剣にも、下段からの高速の斬り上げで綺麗に対応した。
二十数合に及んだ斬り合いに一拍置く形で、蓮とルキウスは同時に離れる。
すでに二人は下馬しており、戦場の真っ直中で激しく剣を交えていた。
紅煉騎士団第6軍の<十三使徒>強襲はルキウスの部隊に邪魔をされて勢いが挫かれ、蓮がこうして一騎打ちに陥っているのと同様に乱戦といった状況を呈していた。
「さすがは音に聞こえた紅煉騎士団の筆頭騎士よな。これほどの腕とは恐れ入る」
ルキウスが変わらぬ陽気さの中に真剣な眼光をちらつかせて口にした。
「ぬかせ。貴様は<七翊守護>最強だそうだな。貴様を倒せば、今日私が<七翊守護>を全滅させるよい証左となろう」
「うちのキルスティン姫は来てはいないけど?」
「なら…それ以外をだ!」
蓮が一瞬で距離を詰めて強襲する。
ルキウスはその高速の一撃も正面から受け、蓮の剣を払ってから下段を中心に反撃に出た。
執拗に下半身を狙う下法の剣だが、油断をすると鋭い突きが上半身を脅かすため、蓮は相手の剣先と間合いに注意する。
蓮は邪剣に対するのに戸惑うレベルの騎士ではなかったが、それでもルキウスの如き強者が相手となると話は別だった。
僅かな隙が致命傷となりかねないため、気を抜くことは決して許されない。
気が付けば五十合以上も撃ち合いは続き、互いに玉の汗を額に浮かべていた。
蓮の気合の乗った薙ぎ払いをルキウスは剣の根元でしっかりと止め、一歩前に出て力押しに鍔迫り合いへと運ぶ。
蓮が引くに合わせて前に出、徐々に力を強めてにじり寄った。
力比べは分が悪いと蓮は必死にルキウスを引き剥がしにかかるが、剣ごと吸い付いたように離れず、絡み合った二本の剣は徐々に蓮へと接近する。
(…くっ。このままでは…)
筆頭騎士たる自分だけは、何があっても一騎打ちで負けるわけにはいかない。
蓮の気概は少しも損なわれてはいなかったが、微かに自らの勝利を疑った。
そこをルキウスは見逃さず、体重を乗せて一歩を踏み出し、蓮の剣を強引に抑え込む。
蓮の上半身ががら空きとなる。
「さよなら」
言って、ルキウスは蓮の剣を封じている自らの剣を返して斬りつけんとしたが、横合いから邪魔が入った。
力任せの突きがルキウス目掛けて襲い掛かり、三度蓮とルキウスは間合いを外すことになる。
「蓮将軍、無事ですか?」
「…ベクレル将軍」
ダナン=ベクレル准将が眼帯に覆われていない右目でルキウスをじろりと睨む。
「また会ったな。生臭坊主」
「二十六にもなるのに、また坊主呼ばわりされた…」
絶好の機会で横槍を入れられたルキウスであったが、けろっとした態度でダナンに対する。
「ベクレル将軍、第9軍は大丈夫なのか?」
蓮は感謝の意を述べる前に戦況の方を心配した。
(こういうところが、可愛いげがないと言うのだろうな…)
ダナンは「<七翊守護>のファルートの部隊が邪魔に入りまして。丁度突破してきたところで奴の姿が目に留まりましてね」と答え、不敵な笑みを浮かべて剣を構える。
「止めておいたら?前回で分かったと思うけど、君じゃあ僕には勝てない」
ルキウスの銀の全身鎧は太陽の光に包まれると神々しくも輝きを見せる。
そうして挑発的に剣を構えるその姿は様になっていて、敵である蓮やダナンをして思わず感心してしまう。
馬から降りたダナンは蓮の制止を振り切り、ルキウスへと駆け出した。
「うおぅりゃあああッ!」
鍛え上げられた肉体が生み出した剛の剣がルキウスへとぶつかる。
重い一撃を受けつつも流し、ルキウスは円運動を描くようにしてダナンの側面へと立ち位置を移した。
ダナンは慌てて剣を横薙ぎに振るうが、もうツーステップ分回転して避けたルキウスの剣が無情にもダナンの腰部、鎧の継ぎ目部分を深く突き刺した。
「ぐおッ?」
「だから言ったのに」
ルキウスは差し込んだ剣を回して止めとし、引き抜いてからダナンを蹴り倒した。
そして怒りに任せて突進してきた蓮の強烈な剣すらいなし、何度目かの斬り合いに持ち込んだ。
「よくも…ベクレルをッ!」
「助けに来てやられちゃうんだから、世話ない話だね。紅煉騎士団の将軍てのは、あんなのでも務まるのかい?」
「黙れ!」
蓮は迫力通りの強撃を撃ち込むのだが、やはりルキウスはギリギリのところで一撃一撃を防いでいく。
蓮もルキウスも互いに実力の伯仲していることを理解していた。
それでもルキウスにはどこか余裕のようなものが感じられ、蓮にはそれが虚勢なものか分からないでいたが、長く剣を合わせることで段々と掴めてきた。
(…もしかしたら、この男は私よりほんの少しだけ強いのかもしれない)
「将軍!要塞の正門が抉じ開けられそうに見えます…」
第6軍の士官が蓮を見つけ、声を張り上げた。
「ははっ。そちらの援軍も頼りにならないものだね。アレン=アレクシーとか呼んだ方が良かったんじゃないの?」
「…黙れと言ったぞ!」
ルキウスの軽口に過敏に反応し連撃を放つ蓮ではあったが、戦場全体で紅煉騎士団が押され、瓦解しつつある空気を肌で感じていた。
(第3軍と第9軍までもが到着して、教導騎士団を止めることが出来ないとは…こうも私は無力であったのか!)
***
ヨハン=フライハイトは立場上は聖アカシャ帝国内務省の次官であり、外交や軍事へ口を挟む権限を有しているわけではない。
それでも伯爵位を持ち、政府や軍部の重鎮には顔見知りが多かった。
その伝を使って二つの策を巡らせ、今はこうして内務省の次官室で結果の報告を待っている。
ここ帝都においても騎士団がラルメティ公国に完敗を喫した事実は重く受け止められ、国民生活にも沈鬱とした雰囲気が漂っていた。
度重なる戦争で物価は高騰し、税金も跳ね上がって経済はガタガタに揺らいでいる。
人的資源の不足も深刻で、騎士団の補充に若者を取られたがために公的なインフラ機能は低下する一方と言えた。
そんな折、新たな敗戦と<帝国の竜>と謡われたスタイン=ベルシア戦死の悲報が届いたのである。
平民出身で多大な功績を上げたスタインの国民からの人気は絶大であったが故に、彼が喪われたことは国民に深刻な精神的ダメージを与えた。
聖アカシャ帝国は強大なれど、ヨハンはその碧眼に崩壊の兆しを映していた。
(放っておけば、社会不安の増大から国民の不満が国家権力に向き、何れは反貴族主義の闘争へと舵が切られるだろう。それだけは阻止せねばならん)
大貴族たるヨハンには、自分の領土と領民を安んじるだけではなく、帝国という大きな基盤の制御にも負うべき責任があった。
残念なことに騎士団では貴族はお客さんであり、足手まといとして諸国に愚昧な様が伝わっている。
加えて政治的にもここ数代マシな施策が見当たらないことにヨハンなどは強い危機感を覚えていた。
自分の職務範囲からは汚職や怠慢を追放し、出来るだけ公正な社会運営を目指そうと励んでいたつもりのヨハンではあったが、最近の国家情勢の急速な悪化には最早我慢がならなかった。
貴族趣味と揶揄されがちな高級官僚の執務室にあって、ヨハンの次官室は落ち着いた趣である。
絵画や小型のシャンデリアこそあれ、動物の剥製や高級酒、豪奢なだけの武具一式といったインテリアは置かれていない。
床に敷かれた絨毯や執務卓も高級品ではあったが、実用性を重視して吟味の上設置された代物だ。
その執務室に、ノックと共に軍服姿のロイド=アトモスフィが入室してきた。
定型の挨拶を交わした後、ロイドから話を切り出す。
「軍務省でおかしな提案を聞きました。…私に帝国軍の最高司令官を打診する準備があるとか。詳しくは内務省の貴方を訪ねるようにと」
ヨハンは来客用の応接ソファを勧め、自分も向かいに腰掛けた。
それぞれ政治と軍事に通ずる両者だが、今年三十二となる同年輩でもある。
かたやヨハンは名門の出身で、ロイドは貧乏貴族に生まれたがためにこれまで両者に接点は存在しなかった。
ロイドは先輩であるスタインやレーン程には反貴族主義へと傾いていなかったが、決して体制派ということもないのでヨハンとは共通する信条は少ないと言える。
「アトモスフィ将軍。君を最高司令官に推したのは私だ。根回しは充分にしたつもりだよ。嫌いな人間にも頭を下げた。その点を感謝してくれとまで言うつもりはないが、気には留めて欲しいものだ」
「頼んでいません。…それに、私より適任者がいます」
「ほう?それは誰かね。後学のために聞きたい。私も軍部には必要なだけの調査はかけたつもりだが」
ヨハンは一度執務卓を回って書類の束を手にし、ソファへと戻ってそれを硝子製のテーブルの上に置いた。
パフォーマンスに過ぎなかったが、書類のあまりの厚さにロイドが小さく唸る。
「まさか、第2軍のパンデモニウム上級大将とは言わないだろうな。彼には威厳があるし、貴族にしては比較的常識人だ。…だがそれだけだよ。他の将軍たちがより酷いから目立たないだけさ。それにしても、大した戦功もなく重職にある騎士の何と多いことか」
「…レーン=オルブライト将軍がいます。彼は戦歴、実力のどちらをとっても私より上です。人望もあります」
「そうだな。だが彼は平民だ。それでは国民は喝采するかも知れないが、我々は納得しない。そもそもそんな人事が成立すると思うかね?」
「貴族のために、と言って人参をぶら下げられて、私が従うとお思いですか?」
「君が断ったならば、帝国は遠からず滅びるのだろうな。少なくとも私には外敵から力で国を守る術はない。…私は、この危急存亡の時に自分に出来るだけのことをしようと考えて行動する者だ。現状では、貴族も含めての帝国だと私は思っている。そして、もう一つの力たる外交に関しては、打てる手は打った。そちらも結果を待っているところだ」
ヨハンは感情的になることもなく淡々と答える。
ロイドは居心地の悪さを意識しつつも、何故自分を選んだのかと尋ねた。
「客観的に選んだつもりだよ。貴族であったならば確かにオルブライト将軍という芽もあった。だが、彼は攻撃的に過ぎるきらいがある。その点君は感情をよくコントロール出来るタイプの将帥だ。帝国軍の全てを統率する人材には、そういった冷静さや判断力が必要だろう。アトモスフィ将軍、君は魔術も修めているから物事をより深く広く知っているようだ。私は特にそこを評価している。現に君がスカウトしてきたセイレーン少佐は筆頭騎士代理となり、他に我が国に貢献している移民が幾人もいることは分かっている。これには人を見る目、適性を見抜く目が無ければならない。…つまりは、そういった才能の積み重ねで君が候補に選ばれたのだ」
ロイドが黙って考えるのをヨハンはそのままにしておいた。
そうしているうちに急使がやって来て、部屋に入るなりロイドを目にして口をつぐむ。
「彼はいい。早く報告したまえ」
「はっ!イチイバル共和国の国家魔術師名で、講和条約の締結交渉を進める用意があるとの返礼がありました」
「よし。ご苦労だった。下がってよい」
急使を退出させ、ヨハンはロイドに向き直って言った。
「聞いての通りだ。外交面は改善に向けて動き出した。私はこれから副宰相の元に報告に赴かねばならん。戻ってくるまでに色好い返事を期待したいものだな」
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イチイバル共和国の国都グレイプニルでは政治家から一騎士に至るまで皆が繁忙で、あらゆる執務がストップしかかっていた。
その根本原因は、アクバルの街を経由して国内各所に散らせた魔術都市からの大量の難民にある。
魔術都市で幹部を務めていた人材もいたので大混乱という程ではないのだが、如何せん数が多すぎた。
推定で三十万とも四十万とも言われており、南部一帯の街はどこも収容限界を超え、今やグレイプニルでも受け入れ施設の準備が急ピッチで進められている。
青城にある騎士団長室では、群青色の軍服をきっちり着こなしたシルドレが青い顔をして書類の決裁に追われていた。
隣に座る秘書役の女性騎士も先程から半分寝ているような感じで、二人して三日間寝ていない事実を考えれば仕方がないとシルドレは黙認している。
(この数の難民…人道的には受け入れる他ないが、間者がどれ程入り込んだものか調べる方法も人手もないときている。闇ギルドにいいように工作されることだけは防がねばならないのだが…)
扉をノックせず、それは物理的に不可能であったからだが、両手で大量の書類を抱えたセシルが入室してきた。
シルドレと秘書の目が一時的に見開かれる。
「お兄ちゃん…これ」
重そうな書類の束を、セシルは室内の書類の山の中で比較的低いと見られるところに上積みした。
「…これはいつの分だ?」
「昨日の午前中の、そのまた半分だって」
隣で秘書が気絶したのが分かったが、シルドレは敢えてそっとしておいた。
筆を机に放って頭を抱える。
「魔物が襲ってくることを願うのは初めてだ。これなら出撃している方がまだ気が紛れる…」
「お兄ちゃん、苦手だもんね。書類仕事」
「…これは好き嫌いではなくて、量の問題だろうな」
「あと幾日かで、カザリンさん到着するんでしょ?手伝ってもらったら?」
セシルが閃いたとばかりに手を叩いて弱々しい笑顔を見せる。
彼女とてここ一週間だけ見ても十時間超の睡眠しか取れてはいなかった。
「それは名案…でもないな。流石に機密だらけの文書を見せるわけにはいかない」
「そっか。あ、そう言えば、ヘイズル様のところに魔術都市の幹部が来てるみたい。ラインの兄弟子って聞いたのだけれど…」
名前が思い出せないようで、セシルの瞳がくるくると回る。
「マグナ=ストラウス殿だろう?挨拶は先程済ませた。我が国は客員魔術師として彼を遇することを決めたよ。カザリン=ハイネマンもそうなるといいな」
「そうね。ヘイズル様もお年だし、<雷公主>とその弟子が加わってくれたら戦力的に大助かりだわ」
(問題は、メルビル法王国がどう動くかだ。まさか<雷公主>を追って我が国まで侵攻しては来ないと思うが…)
今度は扉がノックされ、体格の良い騎士団職員がより多くの書類の束を抱えて入室した。
愛想笑いを浮かべたセシルが「…お兄ちゃん、頑張ってね」と言い残して足早に去っていく。
シルドレは額に手をやり「魔物はまだか…」と不穏な呟きを発した。
そして、忍びなくも隣で舟を漕ぐ秘書を起こさんと手を伸ばした。
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ネイ=レスク伯爵国では依然内戦が継続していた。
魔術都市やアロン王国、ブレナン同盟らと共に反メルビル法王国ラインを形成していた一角であったが、昨年伯爵が暗殺者の凶刃に倒れて以降は伯爵の弟と息子との間で権力争いが勃発し、軍を二分しての激突が繰り返されている。
シュウ=ノワールの一行はここネイ=レスクの南都ファルサロスに滞在していた。
メルビルでセイレーンと別れた一行は、キルスティン=クリスタルからこの国には昔から骸骨騎士と呼ばれる魔物が蔓延っていると聞かされ、討伐を目的として訪れていたのである。
「剣と金貨亭」は薄汚れてはいたが、昼間から酒と肴で騒ぐ大勢の客で賑わっていた。
如月ナナは手元の手配書を捲って目当ての骸骨騎士に関する情報を探している。
スノーは蒸留酒ですっかりいい気分となり、隣のテーブルの厳つい顔をした傭兵と愉しそうに談笑していた。
「剣と金貨亭」は、中堅規模以上の都市には必ずある傭兵紹介所兼酒場の一つで、シュウらは骸骨騎士絡みの事案を探りに顔を出している。
使い古した木製の丸卓は染み込んだ油や汗で表面がベタつき、背凭れの無い丸椅子からは絶えずギシギシと音が鳴る。
店内は壁の至る所に、ナナが眺めているものと同じ懸賞金付の事案に関するポスターが貼られていて、溢れんばかりの傭兵たちが酒を飲みながらそれらを指差して着手するかどうかを議論していた。
「どうだ?ありそうか?」
ナナの左隣で馬肉の香草焼きにありついていたシュウが尋ねる。
「ええと…一つ大きいものが。ラウラの森近辺の開拓村からの依頼で、森の奧を骸骨騎士の群が徘徊しているので退治して欲しい、とあります」
「ラウラの森、か…」
シュウは懐から入手したばかりの地図を取り出して、位置を確認する。
(ここからだと徒歩で…二日はかかるな。戦争をやってると聞くし、馬に切り替えた方が無難か)
「敵の数が多いなら、聖石がないときついかもしれません。骸骨騎士には物理攻撃が効き辛いと聞いたことがあります」
「なるほど。俺やスノーは如月から剣への魔術付与を受けないと戦力にならないわけか…」
「お金は蒼樹女王に貰ったもので充分ですが、聖石や魔術で鍛えられた古代の剣の類いがこの都市で見付かるかどうか…。後でお店を見て回って来ます」
シュウは頷き、向かいに座るスノーを見やる。
すっかり出来上がったスノーは、「<竜殺し>の俺様が骸骨野郎も斬り殺してやるぜ」と傭兵たちを相手に演説をぶっていた。
「…完全に調子に乗っているな」
「失礼。貴殿方は骸骨騎士を狩ろうとお考えで?」
長身の、スマートながらも筋肉質な体つきをした男がテーブルまで来て声を掛けてきた。
ナナがシュウを見るので、シュウは「はあ。まあ」と肯定する。
「そうですか。では<竜殺し>という話も本当なのですね?…いや、警戒なされるのも分かります。申し遅れましたが、私はジェイ=クーガーと言います」
シュウとナナにはその名に心当たりがなく、返事を濁しているとジェイが自ら身分を明かした。
「ネイ=レスクで筆頭騎士の地位にあるものです。以後お見知り置きを」