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紅煉のラインベルク  作者: 椋鳥
第7章 筆頭騎士(上)
38/179

38話

***



ラインベルクはラミアとヒースローを伴って、グランディエより南、馬で半日程の距離を走った。


グラ=マリ王国北端の街テゼットに入った後、うら寂れた裏通りに面したぼろい集合住宅に身を移す。


内階段を上がり、人気のない二階の廊下を進んだ奥の一室に、ラインベルクの目当てのものがある。


三人が入室すると途端に息苦しくなる位に狭いのだが、ヒースローはラミアと密着している事態に感動すら覚えていた。


ラミアの軍服の胸元は窮屈そうに張っていて、それをチラチラと盗み見ているヒースローのあどけなさを残した面は真っ赤に染まっている。


「それ…何かの文書ですか?」


ラミアは収納スペースに身体を潜り込ませたラインベルクに質した。


天井裏を探っていたらしいラインベルクが、煤けた封書を二通、手にして戻る。


「そう。ここはおれの連絡用の隠れ家でね」


「一体いつの間に…」


「ディタの手配さ。グランディエ駐留時から稼働させてる。専らジリアンからの秘匿された便りの受け口と化しているけど。…今回のは、唯と国外からだな」


ラインベルクが二人を伴ったのは、ディタリア以外にも他所からの秘密の通信を確認出来る役回りを増やしたかったがためだ。


ラミアはディタリアと並んでラインベルクに敵対する可能性が低い。


また、紅煉石探索の折にヒースローを見出だしたのはラインベルクで、最近では彼に剣を手解きし、師弟に近い関係を築いていた。


(唯からは…物資の融通と…ん?ジリアンの帰還?)


その手紙には、離宮に幽閉されていたジリアンが単身アビスワールドの国王の元へ駆け込んだとある。


ギュストやナノリバースの不興を買ってまでジリアンを支持している有力貴族がいるそうで、唯がラインベルクとの仲介を試みると言う。


(国王…そう言えば、ジリアンからは何も聞かされていなかったな。ナノリバースやギュストに良いようにされている時点で、政治信条などなさそうなものだが…)


ラインベルクは唯からの手紙をラミアに手渡し、もう一通の封を開ける。


差出人は意外な人物であった。


(…セイレーン!)


そこには、カザリン=ヴォルフ=ハイネマンの生存と、メルビルの枢機卿キルスティン=クリスタルへ対ニーザ同盟の主旨を伝えたという内容が記されていた。


文末に、「ロイドさんの依頼だからやっただけ。戦場で遭ったら迷わず斬る」と付記されていて、ラインベルクの笑いを誘う。


(カザはイチイバルに。マグナはどうしているんだ…?)


「先生、来ましたよ!侵入者は七人です」


ヒースローが警告を発した。


彼は建物の入口に魔術で人感探知を設置済みで、それに反応した数は七つ。


「室内は狭すぎる。廊下でやろうか」


三人して廊下に出たところで、傭兵と思われる屈強な外見をした七人の男が駆け寄ってきた。


「ラインベルク大佐だな?」


男の一人が髭面をもごもごさせて問いを発した。


「そうだが。何か用かな?」


「密書を渡して貰いたい。そうすれば手荒な真似はしない」


「そんなものは無い。知人からの手紙ならあるがね。お前たちには関係のないものだろう?」


「その手紙を寄越せと言っている」


「誰が?」


「俺だ!」


「いや、お前に指示を下した馬鹿息子のことさ」


「…誰のことを言っている?あの御方はまだ子など産まれては…」


そこまで言って、髭面がはっと気付いて目付きを鋭くする。


ラインベルクとしては、こうも簡単に誘導に引っ掛かるとは思っていなかったので少々拍子抜けだった。


「…貴様!お前ら、やっちまうぞ!」


(子供を産んでいない女性貴族…。思いつくのはジリアンだけだが。彼女がこんな下策でおれの動向を探ろうとする筈はない。おれたちを尾行したか、使者の側を見張っていたのか。どちらにせよこいつらの手際が悪そうなのは明らかだ。むしろおれに対して存在をアピールするだけになると、計算づくの仕業かと疑いたくもなる…)


ラインベルクは振るわれた剣を弾き返し、一気に足を踏み込んで力強い体当たりを食らわせる。


吹き飛ばされた男が後ろの仲間たちを巻き込んで盛大に倒れた。


「ヒース。取り敢えず捻るとしようか」



***



「あっさり捕まった。つまりはそういうことですね?」


つば広の帽子を深めに被った女性が、何ら感慨の無さそうな口ぶりで言う。


「はい。申し訳ありません、お嬢様」


きっちりと整髪された白髪の頭を垂れて、スーツ姿の壮年の男が謝罪を口にした。


その立ち居振舞いには一分の隙もなく、騎士が見たならば感嘆の声を漏らしたに違いない。


お嬢様と呼ばれた二十代半ばと思しき貴族の女性が、豪奢なソファに背を預ける。


「彼も評判通りの実力を有していたと言うこと。傭兵風情では仕方がありません。…これであの者達の口から私の名前が漏洩することでしょう」


「…私が赴きましょうか?」


「クライファート。出過ぎたことを言わないで頂戴。まだ彼が敵対すると決まった訳ではなし」


「申し訳ありません」


クライファートと呼ばれた白髪の家令は再び頭を下げた。


「…諜報活動が成功しても失敗しても、こちらには状況に対応出来るだけの余裕があります。向こうの出方を待ってからでも遅くはないでしょう」


「王妃陛下のご帰参にはいかがなされます?」


「フルクロス男爵と事を構えるつもりはありません。あれでロイルフォーク一族と縁の深い御仁故。…それにしても、ジリアンも考えたものです。てっきり私を頼って来るものとばかり思っていましたのに」


「お嬢様の立ち位置に、確信をお持ちになれないのでは?」


「そうでしょうね。そうなるように、慎重に動いてきたつもりです。トリニティ侯爵家の二の舞は御免ですから。…彼が戻って来たのは予想外でしたが」


そこまで言って女性は立ち上がり、「参ります」とだけ伝える。


クライファートは家令よろしく呼鈴を鳴らし、主の外套と手荷物を持ってこさせた。


メイドが二名やって来て、うち一名は主に外套を着せてやる。


もう一名はクライファートの前に膝まずいた。


「キャッシュよ。お嬢様から片時も離れないように。闇ギルドの手の者だろうがギュストやナノリバースの手勢であろうが、決してお嬢様に指一本触れさせるな」


「は、はいっ!…一命に代えましても」


漆原(うるしばら)キャッシュは丸い瞳をくるくると動かして決意を訴えかけた。


そして、ひらひらとしたメイド服の下に潜ませた小剣に指を這わせ、その感触を確認する。


(大丈夫!剣があれば私は負けない…。カタリナ様をしっかりと護衛してみせる!)



***



ジリアンが面と向かうのは、毅然とした初老の男と陰気な壮年の男の二人組で、三者の表情に親愛を示すようなサインは露見られない。


薄くなった白髪頭のサイス=エルサイスは背筋を伸ばして座っているため、ただでさえ広い肩幅もあって傍らのネヴィル=アルケミスと比べても二回りは大きく感じられた。


「エルサイス、壮健なようで何よりね」


「ジリアン様におかれましては、益々お美しくなられたようで誠に喜ばしく…」


「言うわね。…アルケミス、軍務中に呼び出してすまない」


「いえ…。私の仕事は弔慰金の支払いがきっちり為されているかを監督するだけですから。部下達も優秀なので、ご心配には及びません」


ネヴィルは真面目な顔をして答えた。


その黒髪は一糸の乱れもなく整えられていたが、二十近く歳上のサイスと比べても覇気の無さは一目瞭然である。


彼はディッセンドルフ戦の第2軍の損害責任を負わされて大佐へと降格、騎士団の後方勤務へと回されていた。


それも資金管理部門という閑職へである。


ジリアンらが集ったのは王宮の一室ではあったが、王族のみに立ち入りが許される区画にあるため密会には丁度良かった。


(どうせテオドル=ナノリバースやデイビッド=コールマンには報告がいくのでしょうけれど)


ジリアンは自ら硝子製の水差しを手にして二人の杯に蒸留水を注いでやった。


「よく王都へ御帰還なされましたな」


「元騎士団長は、どこまで知っていて?」


「離宮の周辺を異常な数の護衛が囲んでいたところまでです」


「そう。タレーランが連れ出してくれたのよ。見かけによらず胆力があるわ」


リーシャ=ロイルフォークを通じてタレーランと連絡を取り合ったジリアンは、離宮を出てフルクロス男爵を頼り、今はこうして王宮へと帰還していた。


ネヴィルが居心地悪そうに座り位置を変え、それを見たジリアンは前置きを切り上げて話を始める。


「貴方たちを招聘したのは、私のために働いて貰おうと思ったからです。これ以上無能な棟梁を放置して、例え奇跡的に家が建ったとして、いつ崩落するか分からないのではあまりに危険過ぎると思わない?」


主旨を承知していたのか、サイスとネヴィルは特に反応を示さずにジリアンの演説に耳を傾けている。


「すでに賢い国民は気付き始めている。自分たちの納めた血税が一部の特権階級の者たちをただ肥らせているのみならず、余計な戦火を引き起こす道具として浪費されているのだと。…ギュストの提出した遠征計画は承知していて?」


「対剣皇国のあれですかな」


サイスが神妙にして答えた。


「あれはいけません。北部諸国をいきなり敵に回すようなもので、イチイバル共和国が介入してくればこの国は滅びかねない」


「そうね。メルビルの教導騎士団がちょっかいを出してきてそれどころではなくなったから良いものの、一歩間違えば亡国の危機でした。…世間を知らない貴族が軍政を壟断するからこうなる!」


ジリアンの剣幕にネヴィルが少しだけ身を震わせた。


彼とて下級とは言え貴族に名を連ね、その上ギュスト一族の懐刀であったのだ。


ジリアンの糾弾は正論で、己が一部分でも該当していると自覚すると何とも居たたまれない。


「それだけではないわ。騎士団の財政状態は軍札の乱発によって火の車よ。貴族の免税特権廃止に手をつけられる政治家などおらず、国家の税収に占める軍事予算の割合はすでに四割を超えています。戦線を縮小するか税収を増やさねば、早晩物価の統制がきかなくなるは明白。南部地帯ではラルメティへの移民が増え続け、領主と領民との間で小競り合いが頻発していると聞きます。これは一体何?」


その後もジリアンの政権批判は続き、サイスらはそこに誤りのないことを理解していたので、彼女に好き放題に喋らせた。


一息入れ、ジリアンが「…ごめんなさい。些か興奮しました」と断りを入れる。


「構いません。それで、王妃陛下は何をされようと言うのです?クーデターですか?」


サイスは好好爺のような表情を一変させ、暗い目をして切り出した。


隣でネヴィルが息を飲む。


「出来るものならやっています。…それに私は一応王族よ?クーデターと言うのは語弊があるわね。粛清、かしら」


「過激ですな。ですが、実現可能性はありますまい」


「どうしてそう思うの?」


「武力差がありすぎます。なるほど現状の政権には問題が山積しているように思われます。しかし、紅煉騎士団のほぼ全軍にギュストかナノリバースの息が掛かっている以上、力で持って体制を刷新することは不可能です」


サイスがネヴィルに視線を送る。


ネヴィルは頷き、講釈をたれた。


「コールマン元帥の第2軍を核に、シルバース大将の第3軍、蓮中将の第6軍、アレクシー中将の第7軍、ギュスト少将の第8軍が少なくとも体制側と目されます。第5軍を率いるロイルフォーク中将は単純な武人が故、政治には興味を示さないでしょう。第9軍のベクレル准将に至っては平民ですから、王妃陛下に与するとも思えません」


「つまりは、そう言うことです。後は資金ですな。もし戦力たる騎士を口説けたとて、今度は彼らを食わせていかねばなりません。ジリアン様は政治や軍事の府をお持ちではありませんから、闘争一つにも兵站の視点が欠かせないと存じます」


サイスが引き取って、諭すようにジリアンへと聞かせた。


ジリアンは真摯な表情をして頷く。


「…エルサイス。ではどうしたら良い?戦力と兵站を手に入れるには、何が必要?」


「戦力は、当面は現有のものを活用する他ないでしょうな」


「陽炎分隊」


ジリアンの出した解にサイスは目を細めて首肯した。


「兵站は?」


「そうですな…騎士団の武具糧食とて、買い付け先がそれほど多岐にわたっている訳ではありません。商社、官営工房、農業組合。そう言った仕入先の一つ一つを潰していくことは現実的ではないものと考えます。総ての商取引を統括出来る政商を一人、味方に付けることが早道かと」


「政商…」


ジリアンの頭に一人の女の顔が浮かぶ。


幼い頃から一人の男をめぐって張り合い続けてきた女で、今ではあのギュストやナノリバースとも渡り合って商売を拡げているらしい。


(いけ好かない女だけれど、あいつとは一度話してみる必要がありそうね…)


「なるほどね。ありがとう、エルサイス。やるべきことが少しだけ見えてきた」


「お耳汚しでした」


「…ネヴィル。貴方の頭脳を私に貸してはくれないか?ギュストを切り盛りしてきたその手腕こそ、新しい勢力の立ち上げに必須なの」


ネヴィルはジリアンの射るような視線に晒されながらも、決して目を逸らすことなくそれを受け止めた。


そしてゆっくりと首を横に振る。


「…今更小官など、王妃陛下のお役に立ちは致しますまい。身に余る光栄ではありますが」


「…私では、忠義を尽くすに値しないか?」


「長年ギュストの禄を食んできた身故…どうか御容赦ください」


ネヴィルは起立し、丁寧に一礼をして席を離れた。


ジリアンは咎め立てせずにそれを見送る。


立ち去り際、ネヴィルが一度だけ足を止めて二人に向けて語った。


「…アレン=アレクシー中将は剣も軍略も並外れた勇将です。ギュストの守護者と言っても言い過ぎにはなりますまい。その彼が、如何なる意図によるものか旧レオーネ=シアラ領にて独断で懐柔政策を実行しているとか。後々の火種にならねばよいのですが」



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