37話
†第七章 筆頭騎士(上)†
久遠アリシアの施す戦闘訓練は熾烈を極めた。
野外の演習場であったが数十人の騎士たちは皆へばって地面に転がっており、ラルメティ公国のフレザントあたりがこの景色を目にしたならば、ビシン砦の再現かと疑ったかもしれない。
ゼノアとラミアも例外なく伏せていて、たった今リーシャが聖剣ロストセラフィの腹で打たれて倒れ込んだ。
涼しい顔をしたアリシアが残った二人に剣を向けて挑発する。
「さあ、どんどん来なさい」
真剣を下げたラインベルクとディタリアがじりじりと距離を詰める。
二人をして幾度もアリシアに打ち据えられており、全身が土埃にまみれていた。
ラインベルクが斬り掛かるも、上段からの高速剣はアリシアに軽々と払われ、踏み込みと同時に繰り出された反撃でバランスを崩される。
流れるような動作で袈裟、逆袈裟と連続斬りを浴びせられ、ラインベルクは守勢に回らざるを得ない。
凌ぎきれないと踏んだラインベルクが決死の突きを放つも、半身を捻ってかわしたアリシアに背中を殴打され地面に叩きつけられた。
気合いの声を上げて斬りつけたディタリアは、五合刃を交えたところで剣を弾き飛ばされ、無防備になった胴を左薙ぎに打たれて悶絶する。
「ほら、立ちなさい!そんな体力じゃ、戦場でいい的よ。私はまだ一撃も貰ってないんだけど?」
アリシアは全滅状態の騎士たちに発破をかけた。
ラインベルクだけが、痛みに顔をしかめつつも即座に立ち上がる。
「ライン、いいわ…。そうこなくちゃね。全力で来て!」
(元々全力なんだがね…)
ラインベルクはダッシュで接近し、勢いそのままに斬り払いを仕掛けた。
アリシアはそれを撃ち返し、微妙に間合いを調整してから反撃を放つ。
力ののった聖剣の一撃はラインベルクに正面から止められ、ステップを踏んで位置を変えると再び撃ち合った。
「あなたには特別に見せてあげる」
アリシアはそう言うと、一度居合いに構え直してから距離を詰めた。
ラインベルクは警戒しつつ剣で牽制を入れる。
そこに剣閃が炸裂した。
ラインベルクには縦横の十字に稲妻が走ったとしか見えず、気付けば剣は遠くに飛ばされて自分は横薙ぎの一撃を受けて吹き飛ばされていた。
激痛に顔を歪め、天を仰ぎ見るラインベルク。
(剣の腹で打たれただけで、何て威力…!これは、彼女が聖剣技を見せてくれたと言うことか…)
聖剣や魔剣の使い手は剣の持つ威力を最大限に引き出すため、正しく必殺剣と呼べる奥義を修得していると言う。
それが聖剣技であり魔剣技である。
倒れたラインベルクの元に歩み寄ったアリシアは、「十字剣、見せてあげたんだからディナーでもご馳走して貰おうかしら。これを見てなお生きている者はいないのよ」と屈託のない笑みを浮かべた。
***
「…で、何であなたがここにいるのよ?」
アリシアはテーブルの向かいに腰掛けるゼノアを睨む。
二人共に正装で、アリシアは膝丈のショートドレス、ゼノアはタキシードという出で立ちで座していた。
「その…先程大佐を見掛けまして。どこへ行くのかと尋ねたら、久遠大佐と会食があると…」
二人が席に着いているのはグランディエでも格調の高いホテルレストランの個室で、調度品は赤と黒のダークトーンでまとめられ、薄暗い照明もあって大人のムードが演出されていた。
そこにいる二人は揃って十代ではあったが、アリシアには風格があり、貴族たるゼノアには気品が具わっていたので場違いな感はない。
「それとここに来たことと何の関係が?」
「いえ…私も久遠大佐とご一緒したいと思いまして…」
「…ラインは何て?」
「じゃあもう一人呼ばないとバランスが悪いな、と…」
アリシアは明らかに不機嫌な様子でグラスの水を飲み干した。
タイミングが良いか悪いか、黒地に銀糸で刺繍の施された軍服姿のディタリアが姿を見せる。
「こんばんは」
「あなた、何しにここへ?」
「ラインベルク大佐からお誘いいただきまして。…当のご本人は、フギン議長に捕まっているのですが」
アリシアは憮然として、「そんなの、後回しにしなさいよね…」と呟く。
ディタリアがアリシアの隣に着こうとすると、目を細めたアリシアにゼノアの隣席を指差された。
三人で先に料理を注文するも、場の空気が解れることはなく黙々と食事が進む。
酒が入るにつれ女性陣に変化が現れ、やがてディタリアが探るようにアリシアへと問い掛けた。
「久遠大佐は、今夜はラインベルク大佐とデートの予定だったのですか?」
「…ディナーよ」
「二人きりで?」
「賭けをした結果だから。負けた方がディナーを奢るってだけ」
「それってデートですよね?」
「あなた、絡み酒?酔ってるんじゃないの?」
「酔ってますよ」
「誰が誰と食事をしようと、そんな事は勝手だわ」
「言っておきますが、私とラミアは本気ですから。ラインベルク大佐のこと」
ゼノアは唖然としてディタリアを見やるが、酔いの中にも真剣な眼差しを発見して介入を控えた。
アリシアはじっとディタリアを窺った後、鼻で笑って目線を逸らす。
「馬鹿らしい。色恋の事しか考えることはないの?私の部下だったなら性根を叩き直すところだわ」
「久遠大佐は男性に興味がないと言うことですか?」
「…何でそうなるのよ」
一触即発な情勢下、遅れに遅れてラインベルクが入室してきた。
「すまない…議長との話が長引いて」
ゼノアが起立し、「大佐、お待ちしておりました。どうぞどうぞ」と解放感に満ち溢れた表情を見せるので、ラインベルクは何事かを察する。
軍服の胸元を緩めたラインベルクがアリシアのドレス姿に気付き、「ドレス、良く似合ってるね」と賛辞を送った。
「大佐。久遠大佐は男性に興味がないそうですよ」
ディタリアはアリシアの隣、自分の正面に着席したラインベルクにいきなり話を振った。
「そんなことは言ってない。あなたとキスが年がら年中発情してるのをみっともないと指摘しただけだわ」
「…何ですって?」
二人のやり取りを無視して、ゼノアがラインベルクの酒と料理をオーダーする。
ラインベルクは最初の一杯で喉を潤すと、罵りあう二人を諭し、「フギン議長からの情報なんだが…」と前置きして話し始めた。
それは樹林王国と剣皇国がハーベスト王国領内で激突したという内容で、序盤で元筆頭騎士のリチャード=ヘイレンを失った対魔騎士団が敗走したのだと言う。
対魔騎士団はプライム=ラ=アルシェイド指揮の下ハーベストから撤退し、戦力の再編に着手していた。
対するトリスタン率いる剣皇国勢は追撃の構えを見せており、これを機に樹林王国の北伐の野望を完全に打ち砕く勢いである。
「二年以上も負け無しだった対魔騎士団が…」
冷静さを取り戻したディタリアは嘆息し、二の句が継げないでいた。
ゼノアも隣接する剣皇国から騎士団が出撃しているという事実に緊張の色を隠せない。
ラインベルクはアリシアの挙動に注目したが、やはり動揺など微塵も見られず、反って意気が揚がったように感じられた。
(天性の戦士、ということなんだろうな…。ある意味トリスタンあたりと似ているのかもしれない。女性らしい見た目からはとても想像できない戦闘狂の一面があるところもそっくりだ)
「で、ライン。私たちはどちらと闘るの?」
華やかなドレス姿とはギャップのある凄みを宿した瞳で、アリシアはラインベルクをじっと見つめる。
「さあね。剣皇国にちょっかいをだせば北域は連合して事にあたる。そうなるとイチイバルとも敵対することになる。一方樹林王国とラルメティが昵懇なのは周知で、対魔騎士団を見捨てれば南部の支援期待が低下して、対帝国や対メルビルの東部戦線に不安要因が積み増される」
「どっちに転んでも、我が国には良いところ無しじゃないか…」
ゼノアは額に手を当てて顔をしかめた。
「私は誰を相手にしても問題ないわ。<竜殺し>のナスティ=クルセイドでも、<幻月の騎士>トリスタンでも」
「久遠大佐は怖くないのですか?」
「ディタリア大尉、あなたは怖いの?…ならなぜ騎士なんてやっているの?軍人はただ命じられるがままに敵を倒すだけ。ましてや私は自分が最強だと確信してるわ。私の前に立ちはだかる障害は、ただ取り除くのみよ。…ねえ、ライン?」
アリシアに同意を求められたラインベルクであったが、そもそも主義が違うので答えに躊躇った。
「…それとも、私じゃナスティ=クルセイドに勝てないと思う?」
「…分からない」
これは本音であった。
ラインベルクの力量でも、アリシアやナスティと言った最強ランクの騎士の力を推し測ることは難しい。
ただ漠然と、ナスティとトリスタンの二人には正面から手を出すべきではないと感じるだけである。
「私がいる限り、あなたの部隊は安泰よ」
「それは…そうかもしれない」
「だから好きに選択するといい。本部の意向なんてどうだっていいわ」
二人はいつの間にか衣擦れするほどに接近して会話していた。
アリシアの吐息が肌をくすぐり、若さと性的魅力に当てられたラインベルクは、ディタリアに距離を指摘されるまでその甘美さに身を任せていた。
***
戦火は燎原の火が如く拡大の一途を辿った。
大陸北西部で剣皇国と対魔騎士団のにらみ合いが続く最中、遂にメルビル法王国の教導騎士団がグラ=マリ王国東部要塞へと姿を現したのだ。
北域に一石を投じる筈のゲルトマー=ギュストの剣皇国強襲作戦は決行間近で棚上げとなり、代わって東部要塞救援の部隊が準備された。
メルビルに呼応する形で聖アカシャ帝国も軍の配置を移し始めたが、これにはラルメティ公国の桂宮ナハトが牽制に動き、結果的にこの二か国の間で火蓋が切って落とされる。
グラ=マリの王都アビスワールドでは、多忙を極める宰相テオドル=ナノリバースとは対照的に、唯には自由になる時間が多かった。
紅煉騎士団の総務担当に異動となり、加えて宰相府付でもあったので誰からも仕事を頼まれることがない。
(それは、誰も宰相の娘に雑用なんて頼みたくないわよね…)
そのため、陽炎分隊の増員計画達成に続けて、余った時間を利用しては物資を方々から調達し、グランディエへと回す手配に勤しんでいた。
ノウランとオードリー=アキハの二人が訪ねてきたのは、唯が王宮の片隅に携行食と毛布を積み上げているその時であった。
「唯君。精が出るね」
金髪碧眼の、いかにも貴族といった風貌をしたノウラン少佐が声を掛けた。
「少佐。どうしました?あ、出撃ですか…」
「出撃ですか、ですって?。内勤の大尉と違って、私達本軍所属の騎士は、これから最前線なのですが?」
ノウランの部下、こちらも金髪碧眼のオードリー=アキハ中尉が細い目を更に細めて唯を睨む。
「アキハ先輩…」
二人は共に貴族で、唯とは昔から社交界で面識があった。
特にオードリーとは士官学校で一学年先輩後輩という関係で、魔術を中心に優秀な成績を修めていた彼女とは、正直なところあまり折り合いが良いとは言えない。
加えて、ラインベルクのお蔭で先輩であるオードリーよりも階級が先行してしまったことは頭痛の種であった。
唯は携行食の山に防水シートを被せ、無意味と知りつつも物資を隠した。
「それ…私達第3軍用の補給物資かい?そうだとしたら嬉しいな。君が手配してくれたなら安心だから」
おっとりした口調でノウランが尋ねる。
彼は唯より十近くも歳上であったが、昔から彼女のことを一人前のレディとして扱い、個を尊重してくれていた。
大ナノリバースの娘という記号としてではなく、唯個人のことを見てくれていると実感出来たもので、彼に対しては好感を持っていた。
「ええと…」
「ノウラン少佐、そんなことは有り得ません。我々の出発は間近だと言うのに荷車に積載すらしていない物資が、それも王宮にあるなどと。第二便以降は東の補給基地から出るはずですし、ナノリバース大尉の作業は我々とは何ら関係がないものと推察されます」
オードリーの推論は的確で、暗に「戦争と無関係なことをしていられるなんて、いい御身分だこと」と唯を非難する気分が込められているのは明白だ。
「…アキハ先輩。私は私なりに、グラ=マリ王国のためになるよう謀っているつもりです」
「どうせグランディエに送るんでしょう?」
「…ええ」
「ナノリバース大尉。お気をつけくださいね。噂になってますよ?貴女が陽炎分隊の隊長に入れ込んでいると」
(…別に気を付ける必要なんてない。だって私がラインに入れ込んでいるのは真実なのだから)
「唯君、ラインベルク大佐はそんなに良い男かね?私の方が将来性ありそうではないかい?」
ノウランが場を和ませるうに、笑顔で軽口を叩いた。
唯は吹き出し、口許に手で隠して応える。
「イイ男なんです。私、実は腕利き、って男性が好きみたいで」
「なるほど…。確かに大佐の武勇は、ここアビスワールドにも聞こえてくる程だ。アキハ中尉、私は唯君の好みには該当しなそうだよ」
「少佐は中隊長であらせられます。個の武力をひけらかす必要は無いものと小官には思われます」
オードリーの台詞に唯がカチンとくる。
「…大佐がいつ武力をひけらかしたですって?私はハリス=ハリバートンに殺されかけたところを、ラインに助けられてる。彼への根拠のない誹謗中傷は許さないわよ」
「何をむきになっているんです?私はただ、ノウラン少佐は今のままで充分と言いたかっただけです。中傷など…気分を害したなら、謝罪します」
言って、オードリーは唯に向かって素直に頭を下げた。
ノウランが「まあまあ。二人共知った仲じゃないか」ととりなし、険悪になりかけた空気は収まりを見せる。
紅煉騎士団は第3軍と第9軍を東部要塞へと急行させる手筈で、所属するノウランとオードリーはそれに伴う出撃であった。
当初剣皇国に出兵を予定していた第5軍は、樹林王国らが戦闘状態にある北西部国境付近の情勢悪化により、西へと再配備になっている。
東部要塞には、駐留している第6、第8軍に第3、第9軍を加えた四軍四千が集結することになっていた。
対するメルビルの教導騎士団も、報告によると五千近い戦力を動員してきており、激しい戦いになることが予想された。
「時に、昨日久方ぶりに国王陛下に拝謁する栄誉に与ったよ」
「ええっ?」
唯は、いたのか、という意味の込められた驚きの声を上げた。
オードリーも同様の感情を抱いたようで、目を丸くしてノウランの次の言葉を待っている。
二年近く前に国王が即位するに至った流れは、ナノリバース伯爵ら保守勢力対革新主義に傾きかけた前王、という構図で概ね間違いはなかった。
しかし、一連を説明する際にナノリバース伯爵家やギュスト一族、トリニティ侯爵家などが話題に上ることはあっても、新国王に関しては殆ど聞こえてこない。
(噂では、政治に興味がなく漁色に耽っているのだとか…)
貴族として上流に位置するオードリーですらその程度の認識である。
「ジリアン王妃陛下がお戻りになったと、大層喜んでおいでだったな」
唯は掴みかからんばかりにノウランへと詰め寄り、事の委細をしつこく確認した。




