31話
†第六章 ナンバー・ノイン†
練兵に余念の無い紅煉騎士団陽炎分隊にとっては珍事となるが、急遽特別休養が言い渡された。
騎士たち、それと訓練に参加する予定でいた傭兵団から歓喜の声が上がる。
やれ朝から飲みに行くかだの二度寝をしようだの、降ってわいた好事に広場が喜色で溢れた。
「どうしたんだろうな?」
<神威>を引き連れてその場に出動していたシャッティンが、傍らの相棒へと問い掛ける。
ドラッケンも事情は把握しておらず、「さあ…?」と首を傾げた。
一方、分隊士官たちは士官たちで戸惑っており、必死に彼等の大将の姿を捜していた。
「どうだ?いたか?」
入室するやゼノア大尉が口を開く。
狭い分隊会議室には剣術顧問の久遠アリシア大佐、副官のディタリア大尉、小隊長のラミア=キス大尉の三人が詰めていた。
ラミアが首を横に振り、「収穫無しです…」と答える。
年明け早々に姿を消したラインベルクを捜索すること早七日。
手掛かりはまるでなく、一緒にいなくなったリーシャ=ロイルフォーク少佐を含め足取りは全く掴めていない。
「くそッ!今日の練兵は中止にしたが、こうも隊長が顔を見せないとなると、そろそろ騎士たちも何かと疑い出すぞ…」
「そうですね。でもリーシャさんもいませんから、ドラッケンさんあたりには打ち明けて協力を頼まないと、魔術での捜索の手も足りてないですし…」
ラミアが顔を伏せる。
彼女やディタリアは、ラインベルクに何かトラブルが起きていないかと心配するあまりに、憔悴を色濃くさせていた。
「大丈夫よ。私が代わりを務めてあげるわ。彼の方は、リーシャがいるなら心配はいらないでしょ」
一人動じた様子の無いアリシアが軽い調子で言う。
彼女は剣術顧問という自由な立場上、隊の執務に関わるのは今年初めてのことだ。
「二人が一緒にいるという確信がおありで?」
ディタリアが問う。
「あるわ。ありそうな線は、単独で動いた彼を目敏くリーシャが見つけて成り行きで同行した、とかね」
ラミアはアリシアが「彼」と口にする度に違和感のようなものを感じとっていた。
(何だか…以前とは違って情が込められているような気がする)
「大佐は一体どこに行ってしまったんだ?新年の挨拶回りにはいたんだろう?」
ゼノアに尋ねられたディタリアが肯定の意を示す。
そしてラミアにじとりと視線を送った。
「…本当に何も聞いていないのですか?」
「年が明けてからは二人で話してません。忙しいみたいで、あなたも知っての通り朝食会だって休止していました」
「夜も会っていないと?」
「そんなこと…答える義務はありません」
「…朝食会って何だ?」
「ゼノア大尉には関係ありません」
口を挟んだゼノアにディタリアがぴしゃりと言った。
「盛りのついた二人が二人とも、所詮は本気では相手にされていなかっということよ」
アリシアが挑戦的な視線をラミアとディタリアへ送る。
「…大佐。少し失礼な物言いかと存じますが。小官は不快です」
ディタリアの抗議を流し、アリシアは皆に向かって自説を披露した。
「年明け早々のニュースを思い出してみたら?メルビル法王国の魔術都市占領。これしかないでしょう?彼はイチイバルのシルドレの前で、カザリン=ヴォルフ=ハイネマンをカザって呼んでいた。つまりはそういうことよ」
***
ラインベルクは最短ルートで馬を走らせ続け、聖アカシャ帝国領内すらも臆せず走破し魔術都市を目の前に臨んでいた。
グラ=マリ王国の東部要塞から東へと直進し、帝国領を西から東へと直線で抜ける。
二騎のみで行動していたせいか、特に咎め立てもされずに目的地に到着できた。
とは言え、道中帝国騎士とニアミスすると言うような危険なタイミングでは、姿隠しや遮音の魔術で擬装したリーシャに功績がある。
「門は開かれてますね。衛士も見当たりません。正面から行きますか?」
遠視で都市の外壁を観察していたリーシャが言った。
ラインベルクとリーシャは馬を近くの林に繋いで、徒歩で魔術都市に接近していた。
甲冑を外して共に軽装とし、剣は外套を羽織って見えないようにしている。
「…おれは奴等の首領に面が割れているんだ。なるべく隠密行動としたいが…これ以上の魔術の使用は止めておこう。体力を温存したい」
ラインベルクの決の通りに、二人は旅の傭兵を装って正面から都市の入口へと達した。
魔術都市の周囲には高い外壁が巡らされていて、四方の門以外からは入ることが出来ない。
二人が通過したのは帝国よりの西門で、驚いたことに内部にも見張りもいなければ、視界に動くものがなかった。
魔術都市は人口百万に届こうという大都市で、グランディエと同じく単一都市で国家を形成している。
その名の通り魔術を主要産業としており、大陸各地から広く修習生を受け入れ、魔術師の育成に励んでいた。
都市で修業して母国に戻り宮廷魔術師に就く例も多く、樹林王国のプライムなどが好例だ。
政治的には間接民主制が敷かれ、都市民に選出された議員が互選で各部門の責任者を決定する形となるが、慣例として部門責任者は魔術師が務めていた。
治安部門の現責任者はラインベルクの兄弟子マグナ=ストラウスの筈で、彼の安否も気遣われる。
「…どういうことでしょう。誰もいません…」
通りを歩き、隅々まで見回したリーシャが疑問を口にする。
ラインベルクも訳がわからず露店や民家を覗くが、人影はどこにも見当たらなかった。
市民全員が避難したのだろうかと二人は考えてみたが、百万近い人間が逃げる先などあろう筈もなく、疑問は解決を見ない。
(メルビルの騎士すら影も形もないという点が気になるな…)
二人は都市の中央部、議会を目指すことにし、周囲に気を配りながら街路を進んだ。
「…ここにはたくさんの魔術師がいたんですよね?」
「戦時動員が可能な者だけで五百はいたんじゃないかな。他所の国からの留学組は基本戦争への参加義務はないから」
ラインベルクは遠くを見つめながら答えた。
「それだけの戦力を抱えて、多勢とは言え一介の騎士団を相手にひけをとるものでしょうか?」
「…魔術師以外にも戦士団という自警組織はあるんだが、正直正規の騎士団を前に壁役になるとも思えなかった。魔術師が騎士を敵に回して優勢にことを運ぶには、何より間合いが重要だ。今回の襲撃が奇襲であったなら、魔術師を無力化するのはそう難しいことじゃない」
「でも…優秀な魔術師が複数人いれば、大魔術で一気に戦況を引っくり返せませんか?市街戦ならそれこそゲリラ的に…」
(なるほど。おそらく彼女は自分の魔術を基準にして物事を考えているんだろうな…)
「優秀な魔術師って、リーシャ位ってことだろう?」
「いえ。私などよりもっと強力な魔術師のことです」
「そうなると…おれのいた頃の基準では二人しかいないよ」
「え?」
リーシャが狼狽を見せた。
「謙遜は時に傲慢だ。君は自分の実力を正当に評価した方がいい。今は知らないけど、おれが知ってる強力な魔術師などカザリン=ヴォルフ=ハイネマンとマグナ=ストラウスの二人しかいなかった」
ラインベルクは説明する。
魔術都市とは言っても、その人材は魔術を研究や商売の道具として生業にしている者が大半を占めていた。
純軍事的に魔術を極めんとする強者はほとんどが他国から集められた優秀な子弟であり、彼らを教育する一部の魔術師だけが純粋に魔術都市の戦力と言える。
ラインベルクもカザリン以外の魔術師に師事したことはあったが、リーシャが行使したような大規模な魔方陣を構築した上での召喚魔術など、見せられたこともなかった。
「…そうですか」
聞き追えて、リーシャは納得したようで頭を垂れた。
「ただし、ここには大陸最強の魔術師がいたんだ。…カザがいて、みすみす教導騎士団に敗れたというのはいまいち信じられない。この現状もそうだが…」
リーシャは何事かに目を止め、丈の高い街路樹へと近寄った。
そこで不思議な現象を目にし、ラインベルクを呼び寄せる。
「なんだい?」
リーシャが指し示す木の幹を見ると、樹皮から樹液とは違う赤い液体が滴り落ちているのがわかった。
(これは…血液か?血液だけが残り、その持ち主はどこにも見当たらない…)
はたと気付き、ラインベルクはリーシャの肩に手をやって叫んだ。
「すぐに逃げるぞ!」
***
デイビッド=コールマンは側近を集めて評議を開いていたが、始終難しい顔をしたまま一言も発していなかった。
そのため議題をリードするのは必然的に次席のドミトリー=シルバース大将となるが、彼は猜疑心が強く、他者の意見を採用しない向きがある。
幕僚から何度目かの発議があるも、シルバースはデイビッドの顔色を窺い、そこに動きがないと見るや当然のように却下とした。
「宜しいでしょうか、元帥閣下?」
挙手をしてデイビッドに発言の許可を問うたのは、第3軍で中隊長の地位にあるゲルトマー=ギュスト中佐であった。
デイビッドの形相に誰もが声掛けを躊躇していた中、同じギュスト一族であり男爵号を持つゲルトマーに遠慮はなかった。
「…申せ」
「はっ。有り難き幸せ。小官が見るに、紅煉騎士団の戦力は整いつつあります。今こそ外敵を駆逐する良い機会と存じ、出兵のご決断を賜りたく」
会議室内がざわつく。
つい先程、血気盛んな青年貴族が対帝国戦を主張し、ドミトリーに諫められたばかりである。
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるドミトリーに配慮した幕僚から、「メルビルの動きを注視するため、東部要塞の部隊は動かさないと決めたであろう」と注意が飛んだ。
ゲルトマーは起立し、拳を振り上げて熱弁を振るう。
「対帝国ではありません。狙うは北の剣皇国です!幸い我が国はラルメティと友好関係にあり、かの国を通じて樹林王国と謀り、挟撃することが可能な情勢です。戦力は復旧間近の第2軍をここアビスワールドに残し、第3、第9軍を動員します。場合によっては西の第5軍も予備戦力と充てられましょう。最大三千の兵力をもって剣皇国の背後を侵すのです」
「…待ちたまえ。剣皇国には、イチイバル救援時に領内通行の許諾を得た恩義がある。それを蔑ろにするのは如何なものか」
「そうです。それに北部の国々は、地域外からの侵入者に対して共同歩調をとる文化があります。下手をすればイチイバル共和国まで敵に回るかと…」
ドミトリーと別の幕僚とが口々に反対意見を述べる。
(だいたい第3軍の長たる私に背いて騎士団長に出兵を具申するなどと…。これだから若い奴等には信が置けぬのだ)
ドミトリーは怒気を圧し殺してデイビッドに確認する。
「元帥閣下。悪戯に北部を刺激するのは避けるべきかと存じますが…。イチイバルとの交流に関しては、ナノリバース宰相閣下のご意向もございますれば…」
「軍権を預かるのは私だ!宰相と言えど、軍事に一々口は出させん…」
デイビッドが声をあらげた。
昨年末にはアリシアとリーシャの人事を強制され、ラインベルクの昇進をも認めさせられた。
デイビッドは騎士団長という軍事の最高位に昇ったにも関わらず、ナノリバースにいいように使われている自分が許せないでいた。
「しかし…外交ルートを潰すことになりますと、政府とて黙ってはいないのでは…」
「シルバース、くどいぞ。ゲルトマーの案を採用とする。ラルメティ公国へは私から使者を出し樹林王国との連携を図ろう。ゲルトマー、貴様は参謀として参戦せよ。第3、第5、第9の三軍をもって総員とする。良いな?」
「進言お聞き入れいただき恐悦至極に存じます」
ゲルトマーは満足げな表情を見せ、恭しく頭を下げた。
ドミトリーは項垂れ、黙って椅子の背凭れに身体を沈める。
(ネヴィル=アルケミスが部隊に健在であれば、このような無謀は許さなかったであろうに…)
幕僚の一人が、「旧レオーネ=シアラの攻略に当たっている第7軍や、グランディエの陽炎分隊は組み込まれないので?」と意見を述べる。
名の挙がった二軍にはナノリバース伯爵の粉がかけられているというのが周知で、ゲルトマーの顔色が瞬時に変わる。
「必要ない!第7軍は崩壊しかけたレオーネ=シアラひとつ満足に落とせない弱兵だ。…陽炎分隊とは何物か。たかが一個中隊、おまけに指揮官は得体の知れない新人ときている。それこそ論ずるに値しない」
「ギュスト中佐、何も友軍をそこまで貶めずとも…」
ゲルトマーに気圧され、たしなめる幕僚の声も尻すぼみになる。
場の雰囲気を感じ取った幕僚たちは口を閉ざし、救いを求めるかのようにドミトリーを見やるが、彼は彼でギュストの不興を買いたくない一心とナノリバースに敵対することへの恐怖から、脂汗を滴らせて硬直していた。
散会の後、ゲルトマーはデイビッドへとすり寄り、近親者ならではの気安さで耳打ちをしていた。
デイビッドは小刻みに頷き、ゲルトマーに何事かを下知する。
ドミトリーは横目にそれを眺め、大きく溜め息をついて席を立った。
自分は紅煉騎士団第3軍の長で、命じられた通りに戦場で敵を討てばよい、と己の内で声を上げるが、曇った精神に晴れ間が差すことはなかった。
(ギュスト一派に逆らって騎士団での栄達はない。…わかっていたことなのに、なぜこうも理不尽な事態ばかりが起こる?いつの間にやらコールマン元帥とナノリバース伯爵の関係は悪化し、王都には夜な夜な魔物が出没し始めた。よりにもよってこのアビスワールドに!…東では帝国のみならずメルビルが背教国認定を宣言して東部要塞を窺い、南は南でアレクシー中将と第7軍が不審な動きを見せている。これではここ十年で最悪の状況ではないか…)
ドミトリーはそう考えてさも自分が犠牲者であるかのように振る舞うが、第三者から見ればそもそも政変の片棒を担いだ彼には、現状へ応分の責任はあると糾弾したくなるに違いなかった。
幕僚の中でも若い貴族たちがゲルトマーの元へと集い、追従口を並べ立てた。
「さすが男爵よな。紅煉騎士団の一員らしく、華麗でいて剛毅な作戦だ。腕が鳴る」
「まさしく!剣皇国何するものぞ。グラ=マリ王国の実力を正々堂々見せてやろうではありませんか。是非とも我が隊に先鋒を」
「参謀殿、王国貴族の端くれたる我に先陣を命じてくだされ!平民などとは異なる獅子の戦いぶりを御覧にいれよう」
ゲルトマーは満更でも無さそうな顔で、「まあ待て。そうはやらなくとも、貴公らの出番はすぐに来る。…いつまでもラインベルクとか言う成り上がりをのさばらせては置けぬからな」と言って聞かせ、早くも参謀気取りで布陣に関する提案などを披露し始めた。