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紅煉のラインベルク  作者: 椋鳥
第1章 初陣
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3話

†第一章 初陣†



アラガン少佐は目を見張っていた。


紅煉騎士団第8軍第5中隊二百を預かる身で、彼はそれに必要とされる能力は有していたのだが、たかが練兵ひとつに驚きを禁じ得ないでいた。


リーシャとラインベルクが担当する第5中隊第1小隊の五十は実に一糸乱れぬ戦闘移動を見せ、散開配置からの集合や、魔術を核とした乱戦陣すら華麗に決める。


配属からたかだか十日でこれである。


一方第2小隊に目を向ければ、ゼノア少尉指揮の下、実に機動に優れた行軍を実現していた。


残りの第3、第4小隊は以前からの指揮官なのだが、アラガンにはそれとは部隊の動きの次元が違って見えた。


(士官学校の次席や三席ってのは、やっぱり出来が違うんだな…)


チラリと横を見ると、隣にはなぜかアリシアと唯が暇そうにして控えていた。


「久遠少尉、貴官はそこで何を?」


「小隊長として副長の指揮を検分してます」


アリシアは欠伸を噛み殺してつまらなそうに答えた。


「…ナノリバース少尉は?」


「はっ、少佐。副官を第1小隊に盗られたので、戻りを待ってます」


怒りを滲ませて唯が言う。


「…そうか」


アラガン少佐はそれ以上の追及を諦めた。


騎士団上層部の肝煎りで入団した十七歳の大陸西部覇者と、十八歳の大貴族の令嬢である。


三十八歳のいち少佐に過ぎない自分には計り知れない世界の人間たちだとアラガンは思った。



グラ=マリ王国東南部に位置するここサーベイ駐屯地には、騎士団第8軍一千の内、第5中隊含め訓練中の2個中隊四百が詰めていた。


残りの六百はフィリップ=ギュスト将軍に率いられて、東部要塞の第4軍救援へと急いでいる。


聖アカシャ帝国襲来の報は王国東部を駆け巡り、やがて他方面でも戦争状態に突入したと伝わると、狂乱に近い様相を呈した。


戻ったラインベルクとリーシャ、ゼノアに対してアラガンが手放しで賞賛の言葉をかけていると、一人の中級士官が取り巻きを連れて現れた。


「血生臭いとは思ったが、ここにロイルフォークがいたんだな」


「ギュスト少佐…何か?」


アラガンが、登場した黒い長髪の優男、第4中隊長のゲルトマー=ギュストに問うた。


「貴公に用はないよ、アラガン少佐。おい、ロイルフォークの娘」


リーシャは敬礼し、律儀に名乗る。


「はっ、ギュスト少佐。第8軍第5中隊第1小隊長のリーシャ=ロイルフォーク少尉であります」


「ふん。外面だけはいいじゃないか。暴れ馬の家系にしては上出来だ。この第8軍にまでロイルフォークが紛れ込むとは、嘆かわしいことだよ。我が中隊でなくて胸を撫で下ろしたところだ」


「恐縮です。少佐の下には何れの者が配属になりましたでしょうか?」


ふん、と鼻を鳴らしてゲルトマーが応じる。


「七星カミュ。それとラミアとかいう年増の女だ。女なんぞに指揮をとらせねばならんとは、王国貴族の矜持に関わる話だ」


リーシャの後ろで話を聞いていたアリシアがピクリと反応したので、ゼノアが首を横に振って全力で押し留めた。


ラミアを年増呼ばわりしたゲルトマーだが、彼はラミアの二歳年長で、二十六にしてすでに少佐の地位にある。


それはゲルトマーの門地であるギュスト家が騎士団ではロイルフォーク家以上に有力な大軍閥であることに因り、実際彼の兄が第8軍の将軍を務めていた。


ギュスト家とロイルフォーク家とは代々水と油といった対立軸にあり、その思想は彼ら彼女ら末子の騎士にまで引き継がれている。


「…男爵号をお持ちの少佐が、まさかそのような偏見をお持ちとは」


唯が割り込んで言った。


唯のことは考慮に入っていなかったようで、さすがにゲルトマーが罰の悪そうな顔をする。


「…これはこれは。ナノリバース伯爵令嬢、お久しゅうございます。先程の話は平民に限った話ゆえ、お忘れください」


それを聞いて唯は得心する。


彼女もまた、血筋を奉じるという点だけはゲルトマーと立場を同じくした。


「それにしても。猪突たるロイルフォークの指揮を眼前で拝む羽目になろうとは、戦争とはかくも罪深いものか」


ゲルトマーは連れの士官たちに話しかけ、せせら笑う。


「我が隊は兄の命令が下ればすぐにも出発できる。お荷物の第5中隊においては、我々の足を引っ張らないことだけを念頭において貰おう」


ゲルトマー一行は身を翻して大股に立ち去る。


アラガンの目に飛び出そうとしたアリシアが映ったが、リーシャとゼノアに両の腕を取られて動きを封じられた。


「離して。あいつぶん殴ってやるわ」


アリシアが凄む。


リーシャとゼノアが代わる代わる説得し、最後はアラガンも拝み倒してどうにかアリシアの機嫌を静めた。


唯は「あの人は典型的な貴族だからね。平民にも差別なく優しい、私みたいな器の広い貴族って少ないのよ」と感想を述べて、同じ貴族であるリーシャやゼノアから白い目で見られる。


「…ロイルフォーク少尉。彼はいつもあんな感じだ。気にしないようにな」


アラガンが慰め、リーシャは表情を変えずに敬礼で応じる。


一連の騒ぎの間、ラインベルクは最初から最後まで冷めた目で眺めやっていた。


(目を覆いたくなるようなことばかりだな。先祖の威名を辱しめるだけの子弟か…。ジリアン、この国はもう救いがないかもしれないぞ)



***



サーベイの夜は多少の娯楽には恵まれていた。


戦時とはいえ駐屯地はまだ最前線ではなく、平時から騎士の慰安のために最小限ではあるが娯楽設備が存在していたのだ。


酒場や飲食店、遊技場などが細々営業しており、そこには非戦闘員数十人が従事している。


補給実務の詰めで唯に解放されたラインベルクは迷わず酒場に足を踏み入れ、ここ半月でわきまえた士官と兵卒の席割りに則ったテーブルに腰を落ち着けた。


騎士の間にも階級格差は存在し、それとは別に貴族・平民という身分差の問題もある。


一応士官、身分不祥のラインベルクは兵卒の島に程近い士官席で一人蒸留酒を楽しみ始めた。


「お一人樣?隣いいですか?」


声をかけてきたのはラミア=キスで、ラインベルクは彼女とは特別面識はなかった。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


ラインベルクの隣に着いたラミアは、果実酒をちびちびと口に運ぶ。


「あの…私、ラミア=キスです。第4中隊に配属になって、第2小隊の副長を始めたところです」


「ラインベルクだ。第5中隊で小隊の副長と補給部隊の副長をやらされてる」


さらっと不平を洩らしたラインベルクにラミアが吹き出す。


「ラインベルクさんのことはリーシャさんや唯さんから聞いてます。私、彼女たちと士官学校で同期だったものですから。…ちょっとだけお姉さんですけど」


「ラインでいいよ。ちなみにおれは二十六だ」


「あら…私は二十四です。ライン…さんの方がお兄さんですね」


「それで、ヒヨコたちからおれの何を聞いてるって?」


ラインベルクはさして興味も無さそうに尋ねた。


目線だけは、制服の上からでもボリュームを感じさせるラミアの胸に釘付けになっている。


(…でかい。カザリンくらいはありそうだ)


「リーシャさんはラインさんが軍隊指揮の知識や経験に富んでいると感心してます。…唯さんは、一緒にいても口説かれもしないって哀しそうに言ってました。ふふ」


ラミアはころころと笑った。


人を和ませる笑顔だとラインベルクは思った。


「キス。君は大丈夫なのか?そちらの中隊長は相当な差別主義者と見たけど」


「あっ…ラミアで良いですよ」


「いや。キスという姓の響きが気に入ってね」


「そ、そうですか。…うちの中隊長とは、確かに馬があうとは言えませんね。上官ですから、それはそれで努力でカバーしますが」


「…戦場で危なくなったら、迷わず第5中隊の第2小隊を頼ることだ」


ラインベルクがグラスに目を落として言った。


「え?久遠少尉とゼノアさんの小隊、ですか…?」


「久遠アリシアの実力は、君たちが考える遥か天上を極めている。白兵戦闘で彼女が倒される可能性はほとんどない」


ラミアが喉を鳴らした。


「聞いた範囲では、帝国は国内全戦力の約半数、五軍団を投じてきている。こちらが要塞に立て籠る第4軍と我ら第8軍だけで事にあたるならば、勝ち目は薄い。単純計算で五千対二千なわけだからね」


「…それで久遠少尉を頼れ、と?変わったアドバイスもあるものだな」


アラガンが制服の詰襟を開けながらテーブルに寄ってきた。


手には発泡酒のジョッキが握られている。


「アラガン少佐!」


ラミアが敬礼しかけ、アラガンに止められる。


「勤務時間外なんだ。堅苦しくする必要はないよ。それよりすまなかったな。聞き耳を立てるような真似をして」


アラガンは断りなしにラインベルクの向かいに着席する。


そして試すような目を彼へと向けた。


「別に内緒話でもないので結構ですよ」


「ズバリ聞いていいか?ラインベルク少尉、お前さんどこで軍事を学んだ?」


ラミアがラインベルクの顔を盗み見た。


「…ロイルフォーク少尉かナノリバース少尉が何か言いましたか?」


「両方、だな。お前さんの知識は随分と偏ってると。我が騎士団の慣習や暗号、用語や機構には疎いものの、部隊運用がやたらと実戦的で人心掌握もうまいと言う」


アラガンはジョッキを傾けて酒を喉奧に流し込み、満足気に頷いた。


そして先を続ける。


「小隊指揮だけなら兎も角、補給実務にも詳しいんじゃあ経験者でしか有り得ない。お前さん、傭兵か何かの出か?…まあ、それでいきなり士官採用というのもおかしな話ではあるが」


ラインベルクのグラスが空になり、ラミアが追加注文に席を立った。


その背に「今夜は俺のおごりな」とアラガンが声をかける。


蒸留酒のグラスと発泡酒のジョッキとを抱えてラミアが戻って来ると、ラインベルクは口を開いた。


「イチイバルで雇われ騎士をやっていたんです。四年ほど。それで里帰りをしたところ、旧知の人間に騎士団に放り込まれまして」


アラガンとラミアが驚きを露にする。


「…イチイバル共和国。北部一の大国、か。なるほど。…それじゃ、あの群青(ぐんじょう)騎士団か?」


「ええ」


「もしかして、剣皇国(けんこうこく)とも戦ったか?」


「…ええ。北では戦争は日常でしたから。人間相手もそうですが、むしろ魔物相手がメインです」


「魔物相手がメイン…」


ラミアが復唱する。


人間種族を敵とする魔物は大陸全土を跳梁跋扈しているが、ここ中西部での勢いはそれほどではなかった。


対して北部はその害が深刻で、各国魔物対策の意味で軍事強化が不可欠である。


魔物は大陸北端の大山脈より発すると考えられており、日々それら大量の魔物と生存を賭けて戦い続ける北部諸国の軍が精強と聞こえるのは当然の帰結だ。


「だから、私にも魔物相手の集団戦には知見があります。人間同士の戦争は…本音を言えば興味がありませんね」


「魔物って言うと、氷狼とか、巨大熊とか…」


「北では吸血鬼や翼竜なんてのも出ますよ。これが強敵でして。夜中に吸血鬼を相手にすると、どうやっても息の根を止められないんです。翼竜は射程が長いから厄介で。魔術の支援無しには一分と戦えません」


「…まるで生きた心地がせんな。群青騎士団に勤めてなくて、よかった」


ラインベルクの話を聞いて喉の渇きを覚えたアラガンは、ラミアが持ってきた二杯目の発泡酒を勢いよくあおった。


ラミアも胸に手を当てて聞き入っている。


「普通の人間は皆そうです。…しかし、そういった地域には何故か化け物じみた人間もまた出現するのです。魔物を撃退し続けて勇者と呼ばれる存在。例えば、イチイバルのシルドレ」


「…!群青騎士団の<騎聖(きせい)>シルドレか」


「剣皇国のトリスタン=フルムーンなどもそうです」


「その名前、知ってます…剣皇国の姫にして北部最強の<幻月(げんげつ)の騎士>トリスタンですね」


アラガンとラミアが口々に言い、ラインベルクが頷きを持って応じる。


「話が逸れましたが、少佐。私が言いたかったのは、少佐の中隊には<騎聖>や<幻月>に勝るとも劣らない強者がいるということです。それで私はキスに、いざというときは彼女を頼るよう忠告をしたのですよ」


「久遠アリシア…か。西部地区武闘会の覇者で聖剣ロストセラフィの使い手。十七歳の少女。…俺みたいな凡俗には理解できん」


「彼女、<堕天(ロストセラフ)>って異名がありましたよね?」


ラミアが疑問を提示し、ラインベルクが講釈する。


「魔物の中でも特に強力な輩には畏敬を込めて銘を付けるんだ。大陸北西のグリーンベルトに<天使>という銘を持った最凶最悪な魔女がいてね。久遠アリシアはそいつを討伐して<堕天>と呼ばれるに至ったのさ。<天使>は知られている限りで千人以上の人間を殺し、長い年月魔術実験を繰り返してきた悪魔だ」


「お前さん、物知りなんだな…」


アラガンは感心し、自分に知識のない魔物や大陸北部の情勢に関して尋ねてみた。


ラインベルクは丁寧に解説し、二人はそれに聞き入った。


やがてよっこらせという掛け声と共にアラガンが席を立った。


「さっきも言ったが、今夜は俺のおごりな。ラインベルク少尉、久しぶりに面白い話を聞かせてもらったよ。あとは二人でしっぽりやってくれ。…あ、軍規により性交はなしでよろしく」


背中を向けて手を振って出ていく。


真っ赤な顔をして「なんてことを…」と呟くラミアを眺めながら、ラインベルクはアラガンという中隊長は見た目以上に柔軟な思考を持ち合わせていそうだ、と考えていた。



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