29話
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ラルメティ公国北端のビシン砦に詰めていた桂宮ナハトは、夜半に二人の客を私室に迎えていた。
「桂宮隊長。私には今回の人事が、この国を良くない方向へと導くものに思えて仕方がありません…」
砦の兵員を預かるナハトの補佐役にして魔術師の女性、アメリア=ローンシーク中尉は深刻な顔を見せる。
その隣では、木製の簡素な椅子に身体の収まりきらないカノッサがコクリと大きく頷いた。
ナハトはそんな二人を見て、己が心中を吐露したい気持ちに駆られたが、そこは大人の対応に徹する。
「首相がスカウトしてきて公王陛下がお認めになった人事だ。異論など挟みようもあるまい。まして我々は軍人。国の政を論じる資格など無いのではないか?」
「しかし…軽々しく筆頭騎士を変更とするなど」
「それを誰のせいにする?国家か?公王か?首相か?…クルセイド卿の御心の問題に責任論は乱暴に過ぎる。勿論、私とて彼に残っていて欲しかったとは思っている」
石造りの狭い室内を、魔術の淡い光が仄かに照らす。
アメリアの顔に浮かぶ焦燥は、大陸一の騎士を失ったこの国の防備に対する懸念から、決して収まることはなかった。
「…カノッサ中佐はクルセイド卿と仲が良かったはずでは?貴公ならば、彼の選択を尊重できるでしょう?」
「グフフ。あいつの決心は揺るがない。頑固だからな。俺が気に入らないのはそこではない。後任の狂人だ」
「ハリス=ハリバートン…」
ラルメティ公国首相のラトリ=シーランスが新たに筆頭騎士としてスカウトしてきたのは元<金狼>のハリス=ハリバートンであった。
ラインベルクらに<金狼>を潰されて放浪していたところを雇われたのである。
「元野盗を国家の武力の象徴と戴くなど…これでは騎士たちに奮起を促すことなど叶いません」
アメリアが辛そうに言葉を紡ぐ。
「俺も同意見だ。誰もが知る野盗を筆頭騎士として、我ら騎士団が盗人呼ばわりされることになど耐えられん」
二人の主張するところは、ほとんどラルメティ公国の騎士団の総意でもあろうな、とナハトは考える。
筆頭騎士の交替はどの国であっても国民の動揺を誘うものだが、ましてラルメティの筆頭騎士は大陸最強の騎士であった。
(思えばナスティ=クルセイドの名が内外に与える好影響は甚大であったのだな)
はからずもナハトの思考はフレザントと一致していて、それはナスティの威名の大きさというだけでなく、彼を失ったとしても揺るがない大国ラルメティの基盤に関しても同様であった。
大陸南部に広大な領土を有するラルメティは南は海原に面し、漁業や海運が発達している。
国を南北に二分するように東西に走る大河は時折水害をもたらすものの、水運の整備により国内各地への物流網が構築され、物価の安定を見た。
森林や山岳地帯を有するために資源も豊富で、食料や武具用の鉱物は全て自国で賄えるレベルの供給力を誇る。
政治的にもゆるやかな立憲君主制が安定期に入り、貴族の地位が相対的に低下するに従って人口は右肩上がりに増えていた。
つまりは、純軍事的に一時的に他国に遅れを取ろうとも、ラルメティの国力であれば動じることはなく何れ総力で勝るという見立てである。
「時に。ご両人、いつになったら所帯を持つのかな?」
予告無しにナハトが話題を切り替えた。
かく言うナハトは妻と三人の子を持つ一家の大黒柱だ。
「グフフ。俺の顔を見ると、女人は皆逃げ出すからな」
「貰い手がいれば、私はいつでもオーケーなのですけど…」
カノッサが三十一、アメリアは二十八で、どちらもこの国の結婚適齢期を大幅に超えていた。
「士官たちの未婚化は、メンタルケアの観点からも好ましくない。いっそのこと二人で交際してみるのはどうです?」
思い付きで言っただけだが、ナハトには案外良策のように思われた。
満更でもなかったのか、二人は顔を見合わせて言葉少なになる。
(ハリス=ハリバートン…果たして我らは、かの狂人を制御出来るものなのか)
***
くしゃみを一つしたナスティは、改めて竜殺しを為し遂げた面々を眺める。
間もなく蒼樹が現れる予定だ。
占領したばかりの街中にあって、リチャードが本営として見繕ったここは豪商の屋敷であった。
プライムは一足先に蒼樹のところへ報告に向かっていたので、この赤と金で織られた派手な絨毯が敷き詰められた広間には、シュウら四人の勇者が起立して待ち構えているのみである。
ナスティは一目で高級とわかる調度品の中から適当な銀杯を取って配り、ついでに果実酒も拝借して注いで回った。
「略式だが、ひとまず乾杯といこうじゃないか。間もなく陛下も顔を出される。緊張を解しておくにもいいだろう?」
「いただきます!」
憧れのナスティと酒を交わすことへの感動から、シュウは目を潤ませて応じた。
ナナは「緊張しちゃいますね」と傍らのノアに話し掛けつつも一杯目の杯で顔を真っ赤にしている。
スノーは隙のない目付きでナスティとノアを交互に観察していて、ナスティに対するそれは単に好奇からで、ノアへのそれはとある疑念によるものであった。
(あの発言は、明らかに異質だぜ)
蒼樹女王と面会出来ると決まった当初、普段無駄口をきかないノアが、あろうことか「帯剣が許可されないなら遠慮する」と申し出る一幕があったのだ。
シュウやナナはノアの用心深さに感銘すら受けていたようだが、スノーはそこまで楽天家ではない。
プライムは功のあるノアに配慮してその要望を聞き入れ、代わりにナスティ=クルセイドを立ち会わせることにした。
それでも、とスノーは警戒のレベルを上げている。
ノアの技量の深さを彼はまざまざと見せつけられてきたわけで、あらゆる状況への対応能力が高く、苦手な分野も見当たらないと結論付けていた。
万一のことがあっても、お人好しのシュウや盲目状態のナナには尚更、ノアへの対処など出来ないだろうという確信があった。
「クルセイド卿、お時間がありましたら是非剣の使い方を教えてください!…次はトロリーの<邪蛇>を狩って見せます」
シュウが大見得を切ってナスティにアピールしている。
ナナはノアの腰を押してナスティに、「チーム最強の戦士なんです。<邪蛇>退治でも活躍しますよ」とノアを紹介していた。
(…ったく。何も考え無しかよ!御目出度い奴等だぜ)
「ほぅ。お前達が<邪蛇>を。なら、私が剣を教えるまでもないな」
「え?どういうことです?」
シュウの疑問に、ナスティは片目を瞑って悪戯っぽく語って聞かせた。
「私は<邪蛇>には痛い目に合わされていてね。当時考え得る限りのベストメンバーで臨んだのだが。…正直なところ、全く歯が立たなかったのさ。だからお前達があれを狩るというならば、もう私の力など当に超えているのだろう。フッ」
シュウは呆気にとられた後、猛烈な勢いで頭を下げ、「調子に乗りました」と謝罪した。
それを見てナスティは楽し気に笑っている。
そこに蒼樹とプライムが登場した。
蒼樹に合わせてプライムも正装で、白の制服の上に緑のマントを重ねている。
「お待たせ致しました。<竜殺し>の勇者たち。今日は誠に目出度い日です。我が樹林王国の勇名を高め、魔物に苦しむ人々を救った英雄たちよ。万民に成り代わり、この蒼樹より感謝を」
蒼樹は深々と頭を下げ、美しい碧の長髪が流れた。
その光景にはスノーですら感極まり、慌てて自分も御辞儀をする。
一国の王が流れの傭兵たちに謝辞を贈るなどと、誰が現実だと信じられようか。
「シュウ、ノア、ナナ、スノー。女王陛下は皆が希望するのなら、対魔騎士団の上級騎士に取り立ててくださるそうよ。どうする?」
プライムが試すような目付きでシュウらに問い掛けた。
蒼樹とナスティは涼やかな表情をして答えを待っている。
「…とても光栄なお話ですが、私は辞退させていただきます」
シュウが淀みなく言った。
「おい、シュウ!上級騎士だぞ?俺たちみたいな流れ者に一生縁のない暮らしが待ってるんだ…」
スノーが思わず口にする。
「スノー。俺は魔物を退治して回る今の暮らしが性分にあってるんだ。紅煉騎士団にいた頃の自分と違って、毎日が充実しているとでも言うのかな。皆やプライムさんのお蔭で<竜殺し>という過分な称号まで貰って、これ以上は望むべくもない。元の魔物狩人に戻って、人々の役に立ちたいと思う」
シュウの言葉を受けてナナは、ノアをチラリと一瞥した後、「私は自分の力が戦争以外の何かで役に立たないかと、ずっと自問してきました。今回の一件がいいきっかけとなりましたので、しばらくはシュウに付いていきたいと存じます」と答えた。
二人の顔をまじまじと見つめていたプライムが口を開こうとしたその前に、スノーはひとつ咳払いをして、手を頭の後ろで組んで表明する。
「…お前らだけじゃ危なっかしくて仕方ねえ。俺様が付いてなきゃ吸血鬼あたりは厳しいだろ。魔物を狩り尽くすまでは手伝ってやるよ!」
「スノー!」
「嬉しそうな面をするな…ったく。で、旦那はどうするんだい?」
水を向けられたノアに皆の注意が集まった。
ノアはじっと蒼樹に視線を固定し、重々しくその口を開く。
「…神は<真紅の暴君>から子供たちを救わなかった。お前はどうやって救う?」
不敬ともとれる発言にプライムが動きかけたが、蒼樹は手でそれを制した。
「メルビルはなぜ戦争には騎士を送るのに、吸血鬼退治を中途半端で諦めるのでしょうか?<真紅の暴君>を野放しにしておく理由はどこに?私の行く先々に立ち塞がる魔物は、全て対魔騎士団が討ち果たします。ここにいるナスティとプリムラがそれを約束します。大陸の遥か北、大山脈にあると言う<門>を封じることが出来れば、新たな魔物はこの世に誕生しません。それを成すには、俗世の争い事にかまけている諸国を押し退ける必要があります。そうしてようやく子供たちを魔物の脅威から遠ざける第一歩となるでしょう。<真紅の暴君>もきっと、そう遠くない未来に我々が滅してみせます」
蒼樹は魂を込めて言った。
「…神は死んだ、か」
「神に祈るのは結構。ただし、ことを成すのは我ら人間であるべきです。魔物から人間を守る礎は、私と対魔騎士団が作ります」
ノアは目を閉じ、しばらくそのままの姿勢でいた。
やがて信じられないことを口にし始めた。
「…俺に貴女の暗殺を命じたのはメルビル法王国の枢機卿、ニーザ=シンクレインだ。あの男は、貴女が口先だけの偽善者だと言った。<真紅の暴君>を倒すには、教導騎士団の敵を一掃するのが近道だと。…今ここで貴女にお願いしたい。俺は罪深き身。ここで死罪にしてくれて一向に構わない。だが、どうか<真紅の暴君>を滅ぼして欲しい。失われた孤児たちの、魂の救済だけを望む…」
***
帝国軍は整然と列をなして撤退した。
二か国の部隊を相手にし、筆頭騎士を失ったにも関わらず目立った混乱は見られなかった。
それもそのはずで、<帝国の竜虎>は健在、殿にはロイドの第9軍団が当たっているため、追撃に出た群青騎士団の攻め気を上手く受け流している。
渦中のセイレーンは何度目かの強襲を敢行し、シルドレが出張るほどの損害を与えるという荒業すらやってのけた。
両軍の損害は、帝国軍の三割弱に対して群青騎士団が二割弱といったところで、防御側優勢で終わっている。
紅煉騎士団陽炎分隊は一割程の死者を出したものの、合流したアリシアやリーシャの活躍もあって被害に三倍する戦果をあげていた。
帝国軍が完全に撤退したことを確認した後、群青騎士団から十数騎の列が陽炎騎士団を訪ねた。
青銀の髪をした先頭の男女がラインベルクの姿を見つけるや大きく手を振る。
「やあ。久しぶりだな、ライン!」
「ライン!無事で良かった…」
「シルドレ。セシル。壮健で何よりだ」
ラインベルクは馬を進め、二人との再開を喜ぶ。
「紅煉騎士団の中佐だって?セシルから聞いていたより大分出世しているな。<歌姫暗殺>の報はこっちにまで聞こえているよ」
「お兄ちゃんがね、やっぱりラインをグラ=マリに行かせなければ良かったって」
「まるで僕だけがそう思っているような言い種だね。誰だい?つい最近までラインを呼び戻せって騒いでいたのは…」
「お兄ちゃん!」
「ライン。君がいなくなったおかげで、セシルが行き遅れやしないか心配だ」
「はは。これだけ美しくなったんだ。嫁の貰い手に困ることはないさ」
「そういう意味ではないのだけれど…」
「私はお嫁になんか行かないから。だいたいラインもお兄ちゃんも独身じゃない。説得力がまるでないわ」
セシルが腕組みをして、頬を膨らませて非難する。
「違いない。シルドレ、まだあの淑女にはプロポーズしていないのか?」
「あっ、馬鹿…」
珍しく狼狽えるシルドレ。
「え?お兄ちゃん、いるの?ならお母さんにも報告しなくちゃ」
「はっはっは。…そうだ、二人には紹介しておこう。リーシャ、皆を連れて来てくれ」
ラインはリーシャ、ゼノア、ラミア、ディタリアと順に二人に紹介していき、最後にアリシアを前に出した。
「君が久遠アリシア…あの<堕天>の」
「こんな可愛い子が…」
シルドレとセシルはアリシアをじっと観察してから手を差し出して握手を求めた。
「イチイバル群青騎士団のシルドレです。敵としてではなくお会いできて喜ばしく思います」
優男なのだが、柔和な表情の中にも威厳のような雰囲気を漂わせて言った。
「紅煉騎士団の久遠アリシアよ。<騎聖>シルドレ、お初にお目にかかるわ。聞きしに勝る強者のようね」
対するアリシアの紅玉の瞳からは、明らかに挑戦的な光が発せられている。
セシルとも挨拶をし終えたアリシアが隣のラインベルクに尋ねた。
「あなた、エルネストで竜を倒してきたんですって?」
「ああ」
その言にシルドレをはじめとした一同は驚き、ラインベルクは委細質問攻めに遭った。
「…ラインが<竜殺し>になっちゃった」
セシルが熱っぽい視線を向けて言う。
「いや、あれはおれと言うよりパーティーの総力が招いた勝利だよ。…プリムラもいたしな」
「で、どうするんだい?順調に大物を狩っているようだし、イチイバルに戻るというのなら、共に大山脈にでも挑むか?此度の失敗で帝国も当面は動くまい」
シルドレがさらりと帰還を迫った。
リーシャやゼノアが不安気にラインベルクを窺っている。
ラミアとディタリアは神妙にして黙っていた。
アリシアは特に興味も無さそうに二人を観察している。
「北の魔物は樹林王国の蒼樹女王がナスティ=クルセイドとプリムラを伴って片付けるんだと。そうなると、南はおれとジリアンのパートということになるのかな。東はカザ。大山脈はお前さんたち。これでどうだ?」
「…と言うと、樹林王国が<邪蛇>で、僕は<幻竜>の担当というわけだ。最悪だな…。カザリン=ハイネマンが<真紅の暴君>だとして…南には何者か残っていたか?」
訊かれたセシルは、心当たりがないといった具合に首を振る。
「魔女を一人取り逃がした。グランディエの地下迷宮に潜んでいたとびきりの上玉をな。瞬間移動のような魔術で消え失せたから行き先は皆目見当もつかないが、奴は女だ。何となく南に向かっている気がする」
シルドレはぽかんと口を開け、信じられないものを見るような目でラインベルクを見た。
「…女は、南に?」
「暖かいからな。女は単純だろう?」
一拍置いて、ラインベルクが女性陣から一斉に非難を浴びたことは言うまでもない。




