22話
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ラインベルクらは扉付きの小間で休息をとり、探索は二日目を迎えていた。
これまでの遺跡走破の経験値から、ドラッケンが最深奥は間近と結論付けたため一行は先へと進む。
迷宮にはガーゴイルだけでなく、魔術によって魔物と愛玩動物が合成されたキメラなども登場した。
「わわッ?後ろッ!」
リュックサックを落とし剣を構えた唯を追い抜き、ヒースローが鋭い一閃で犬型のキメラを斬り伏せる。
通路の最後尾を歩く唯が襲われたことで、ヒースローが殿を務めることになった。
十九歳と若い彼だが、北部の強国剣皇国で修行を積んだことから、正統な騎士剣術を修めている。
「ラインベルク隊長の名前は剣皇国にいた頃によく聞いたものです」
ヒースローが並んで歩く唯へと語って聞かせた。
「ラインが群青騎士団に居た頃の話?」
「はい。僕はトリスタン=フルムーン様の近侍でしたので、彼女の口からたびたび聞かされました。見切りが練達で、敵としては恐ろしく味方にすると頼もしい限りだと。…イチイバルとは国境線を巡って争いが頻発してましたが、対魔物の場合は共闘する決まりがありましてね」
「敵になったり味方になったり、ややこしい話ね…」
「ええ。僕みたいなぺーぺーから見て、ラインベルク隊長は<幻月の騎士>トリスタン姫や<騎聖>シルドレと肩を並べた偉人の一人です」
ヒースローが目を輝かせる。
(純粋な子ね…。でも歳はあたしより一個上だっけ…)
前方が騒がしくなり、ガーゴイルとラインベルクらが戦闘状態に入ったと知れた。
「唯さん、後ろは僕が守りますので、真ん中で援護をお願いします!」
「り、了解」
唯は前後の展開に目を配りながら魔術の構成を模索するが、ラインベルク、シャッティン、ゼノアらが素早く敵を片付けた。
後方からも新手はなく、状況が静まってすぐに歩みを再開する。
途中さらに二度ほど魔術生物を撃退し、一行は見上げるほどの高さを持つ鋼鉄製の扉に辿り着いた。
扉の向こうにはある程度の広さの空間があると推測され、ドラッケンの読みではそこが迷宮の核たる場所ということである。
ドラッケンが前に出て、魔術で扉を解錠すると、地鳴りのような重く鈍い音を立てて扉が内向きに開いていった。
ラインベルクは開いた先から魔術で作り出した光源を室内へと放る。
信じられないことに、そこには一人の若く美しい女性が立っていた。
スペースは広いのだが地階故に窓一つなく、木製の簡素な机と椅子が部屋の中央にぽつんと置かれている。
他に、奥のみすぼらしい台座には黒々した棒状の黒炭のような物体が安置されていた。
人間であれば、肉体的にも精神的にも耐えられる環境ではない。
「あら、珍しい。お客人なんて、百数十年ぶりのことね」
女性は艶のある絹のような素材で出来た水色のワンピースを着ており、腰まである長い髪は真っ白ながら上品に見えた。
剣を抜いたラインベルクが一歩前に出て凄む。
「魔物だな。ここに紅煉石はあるか?」
女性は表情を変えずに奥の黒い物体を指し示した。
「なに?」
「燃え尽きたわ。一対であったのだけれど、もう片方は人間の男に持ち去られた。百数十年前にね」
「燃え尽きた…だと?」
「そうよ。あれの力は無限ではないわ。私はここで退屈しのぎに力を引き出していた。だから燃え尽きたのでしょうね」
「やはり限界はあるのか…」
「人間があれに興味を抱くとはね。力を引き出せば歪みで<門>は開く一方よ?もし集めようとか考えているのならば、止めておくべきね。世界の破滅を速めるだけだから」
二人の掛け合いについていけず、ゼノアらは呆然とことの推移を見守っていた。
唯にも理解は出来なかったのだが、二人が何か重大な物事について話していると肌で感じ、一語一句聞き漏らすまいと集中する。
「お前は誰だ?…もう片方とはグラ=マリ王国の紅煉石のことか?」
「グラ=マリ…そんな名前だったかしらね、あの男は。あなたたちと同じように六人でここを訪れて、三人が塵芥と消えた」
その台詞にラインベルクは反応し、速やかに剣を抜き放った。
斬り裂かれたかに見えた女性は次の瞬間ラインベルクの背後に回っていた。
振り向き様の一閃は、信じられないことに女性の左手に受け止められる。
目を見開くラインベルク。
そこに至り、一同が動き出した。
ゼノアとシャッティンが交互に斬り掛かるも、女性はいつの間にか室内中央の椅子に腰掛けている始末。
ドラッケンが放った火球は中空で弾かれ、ラインベルクが投じた短剣は突き刺さったかに見えたが、やはり女性の姿が別所に現れる。
「瞬間移動なの?有り得ない…」
唯は絶句し、ヒースローも近場に立った女性に突きを見舞うも、やはり同様の現象を再現したに過ぎない。
「どうしたの?私は何もしていないのだけれど?」
(タイミング的には何れの攻撃も命中していた。おれの剣を受け止め、ドラッケンの魔術には防御動作を見せた以上実体はあるのだろう。とすれば…)
「高反発…とでも言うようなものか?」
ラインベルクの問いに、女性が微笑みでもって応えた。
「ふふ。慧眼ね。私はイリヤ。あなたの名は?」
「化け物に語る名はない。タネが分かれば打つ手はある」
「では私は退きましょう。扉が開かれたのなら、別段あなたたちとの闘いに興味はありませんし」
「待てッ!」
ラインベルクが突進するも、短い詠唱の後にイリヤの全身から光が零れ、やがてその場から存在がかき消えた。
六人だけが部屋に取り残される。
ゼノアと唯がラインベルクに詰め寄った。
「あいつは何者です?中佐は話が通じていたようですが…」
「イリヤと言ったか。高度な知性を持ち合わせた魔物だろう。<歌姫>や<天使>と同等の、魔女の類いではないかと思われる」
「高反発…ってどういうこと?」
「あくまで類推だが、おれたちの剣撃は命中しているのさ。しかし奴に触れたが最後、その極々過小な物理接触に反発して、自動で吹き飛ばされるような防御特性なんだと思う。背後に回られたことも踏まえれば、飛ぶ先を任意で選択できる可能性があるな」
ラインベルクの分析に皆が唸る。
イリヤという女性が持つ厄介な能力と、それをあの短時間で見破ったラインベルクの眼力の双方に恐れをなしていた。
「結局、紅煉石はあの燃えカスしか残っていないということなんでしょうかね」
ドラッケンが台座へと歩み寄り、煤けたそれを手のひらで撫でる。
すると、触れた端から塊は崩れ行き、あっという間に自壊して塵と化した。
探索が徒労に終わったと知り、シャッティンやヒースローは疲労感から床に身を投げ出した。
唯はひとつだけラインベルクに尋ねた。
「…ここに潜る途中でラインの言っていた、紅煉石の魔術特性って何だったの?」
ラインベルクは唯の瞳を覗き込み、軽く笑みを浮かべる。
そして美しい白銀の髪に手を伸ばし、掻き分けて露出した耳元に顔を近付けた。
「願望成就、さ」
***
氷竜の背に飛び乗ったノアは大剣を渾身の力で振り下ろし、分厚い鱗を突き破る。
続くシュウ=ノワールの地表すれすれからの斬り上げが氷竜の腹を薙いだ。
苦し紛れに氷竜によって吐き出されるブレスはプライムが焔の魔術結界で無効化する。
スノーが合図して突っ込むと、ノアとシュウの二人は身を翻して氷竜から離れた。
暴れる氷竜の体当たりを危なげなく避けたスノーは、鱗の逆目に剣を滑り込ませ、刺してはバックステップで下がり、刺しては身を屈めて尻尾の一振りをやり過ごし、と翻弄する。
三者がその場から離れたところで、如月ナナの大魔術が降り注いだ。
爆裂光球が命中する度に氷竜の体を削り、都合六発を食らわせた時点で目に見えて活動が鈍る。
シュウの号令を受けて総攻撃に移り、三本の剣と二柱の攻撃魔術が比類なき生命力を誇る竜を衰弱させていった。
あと数撃というところで氷竜が起死回生のブレスをぶち撒け、メンバーが待避した隙をついて後方へと飛び去った。
「あっ!…参りましたね」
幼い外見に似合わず強力な攻撃魔術を行使し続けたナナがへたりこむ。
体力の消耗からかその顔は青くなっていた。
「…ナナ。逃げちまったもんは仕方ないだろ。立てるか?」
スノーは剣を収めて斜に構えて気遣う。
(くそッ!あと一歩で、俺様も<竜殺し>の一人になれたのに…!)
気取って見せても二十四という若さが客気を隠しきれていない。
無謀とも思える突撃を繰り返した、メンバーの最年長にして特攻隊長ことノアは身体や顔面のあちこちから血を流している。
それを殊更に心配して傷の具合を確かめていた青年、リーダーであるシュウ=ノワールがナナに必死の形相を向けた。
「如月、ノアの治療を頼む!」
「わかりました」
きびきびとした動作で二人のもとへと駆け付け、治療の魔術を展開した。
「こっち系は苦手なもので…。ノアさん、全身の傷を塞ぎますから、痛かったら言ってください」
如月ナナは攻撃系統の魔術の才には恵まれていたのだが、防御や治療となると良くて平均といったレベルの精度に低位安定してしまう。
「ナナは白衣のナースってよりは、バリバリの魔女って感じだもんな。ま、ノアの旦那ほどの武人にとっちゃその程度の傷は怪我のうちに入らんでしょ」
「スノー。そうは言うが、相手は竜だ。いくらノアとは言え、決して浅い傷じゃないぞ」
シュウ=ノワールが兜を脱いで息をつく。
彼の全身鎧のあちこちにも、竜から受けた爪痕や部分凍結が散見された。
シュウの言葉通り、剣巧者たるノアはチームの口火をきって氷竜へと挑みかかり、それがために他のメンバーに増してぼろぼろになっている。
ノア当人は涼しい顔をしてナナの治療を受け入れており、彼は多くを語りたがらないためその真意は掴めなかった。
「…ふざけんな」
ドスのきいたその声に、シュウら一同が振り返った。
プライム=ラ=アルシェイドが鋭く吊り上げた両の目から、氷竜のブレス程に冷たい視線を送り出している。
「この能無しども。竜を逃がしたら全くの無駄骨だわ。…ホント、馬鹿らしいったらない。費やした時間を返せ!」
ローブの裾を直して、くるりと皆に背を向けて歩き出す。
プライムは<竜殺し>の公募に関して意図を直接蒼樹に質したわけではなかったが、正しく理解しているつもりであった。
リチャード=ヘイレンが言ったように、戦力の確保などは二の次で、拡大基調にある樹林王国の国民を鼓舞すること。
加えて、ここギガント渓谷を領土に含むハーベスト王国は北伐の近い標的の一国でもあり、竜を退治することで恩を売ったり樹林王国への畏怖を植え付けることも可能である。
(目論見は潰えた…!この私が…情けないったらない。こうなったら、ハーベストを私一人で破壊し尽くしてやろうかしら)
「待って、アルシェイドさん!」
シュウが走ってプライムの背に追い付く。
「…もう一度チャンスをください!このチームなら、次に遭遇すれば確実に奴を倒せます」
「…どこにいるってのよ?竜には知性がある。のこのこと私たちがいるここに戻って来やしないわ」
「…捜しましょう!皆で。有能な魔術師が二人もいるんですから、何とかなりますよ」
見れば、ナナやスノーの顔色からは撤退の二文字は読み取れず、シュウの意思を反映してか闘志すら垣間見えた。
(シュウ=ノワール。人をその気にさせる不思議な魅力があるわね。…タイプは違うけど、まるでどこかの誰かさんみたいな人ったらしだわ)
ノアは独り、そんな仲間たちを一歩引いたところから寂しげに眺めていた。
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グリプス=カレンティナは入室してきた人物を見ることすらせず、全身の筋肉が自然と締まる様をただ知覚していた。
また鞭で叩かれるのだろう、と身体が勝手に反応するのだ。
「面を上げよ。帝国騎士グリプス=カレンティナ」
凛とした声色で名を呼ばれ、グリプスはその新鮮な調べに目だけを動かして対応した。
そこに麗人が立っているのを認め、「…何だ」とだけ声を発する。
かつて帝国軍第9軍団で鋭意参謀を務めていた彼も、一月以上続いた紅煉騎士団による尋問と拷問とですっかりやつれていた。
「帝国は捕虜交換を拒否した。…まあ、こちらも前回は交渉を持ち掛けなかったのだから、当たり前と言えば当たり前の反応だな」
「…そうか」
自分は不要と判断されたか、とグリプスは心中で項垂れる。
決して母国を裏切ることなく耐えた時間が無意味なものであったのかと思うと、精神を失調しかねないほどの絶望に襲われた。
「…俺は死刑になるのか?」
「聖アカシャからの亡命者に聞き取りを行った。貴公はたいそうな身分の貴族だそうだな。カレンティナという家名は誰でも知っていた。グラ=マリは敵国の貴族を遇する道を知らん」
「…そう、か」
グリプスはどうせ死ぬのなら、目の前の美しき女の像を網膜に焼き付けておこうと顔を上げてまじまじと見つめた。
そして彼女の姿に思い至る。
「…紅煉騎士団筆頭騎士…蓮…?」
「そういうことだ。私は貴公に死刑を宣告しにわざわざ牢獄にまで足を運んだわけではない。調べたが、貴公の振る舞いは貴族としては異端で常日頃公平を旨としていたらしいな。作戦参謀としても剣士としても優秀だと聞く」
グリプスは蓮の発言の意図が掴めず困惑の表情を見せる。
「誰にとって幸運かは明白だな。紅煉騎士団の将軍職には、敵国の有能たる騎士を登用する権限が与えられている。グリプス=カレンティナよ。どうせ捨てる命、私のために使ってみないか?」
一週間の後、蓮からの申請は騎士団本部の承認を得、正式に紅煉騎士団第6軍参謀グリプス=カレンティナ大尉が誕生した。