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紅煉のラインベルク  作者: 椋鳥
第4章 紅煉石と<竜殺し>
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20話

†第四章 紅煉石と<竜殺し>†



背後では濁流が唸り、日が落ちた空は吸い込まれそうな漆黒。


川辺ということもあり、砂利に足を取られて満足に走れなかった。


少女の手をとる少年には、疲労と恐怖のない交ぜになった儚げな表情が浮かぶ。


「こっちだ!もうすぐ猟師小屋がある!」


(この時間ならダレイアスさんがいるはずだ!彼なら力になってくれる…)


大柄で力強い猟師の姿を思い浮かべ、少年は折れそうな心を鼓舞する。


そして勇気を分け与えるように、少女の手を握る手に力を込めた。


薄闇の中に仄かに灯る明かりは少年の最後の希望で、近付くに連れて叫び出したい衝動に駆られる。


足をもつれさせながらもどうにか目的の小屋に到着すると、少年は扉を思いきり叩いた。


「助けて」と怒鳴ろうとしたが、拳を打ち付けられた扉がいとも簡単に内向きに開いたので、少年は勢いのままに屋内へと転がり込む。


そして見た。


明かりの下にさらされた、ダレイアスの惨たらしい遺体を。


首だけが天井から糸のようなもので吊るされており、身体は床に横たえられていた。


足元は血溜まりとなり、ダレイアスの瞳は怨めしそうに少年を見つめている。


少年は堪えきれず、ここまでずっと我慢していた叫び声を上げた。


少女の手を握り締めたそのままに。



***



目を覚ますと、ラインベルクは全身が汗でびしょ濡れになっていることに気付く。


急いで下着を取り替え、上から軍服を着込んだ。


(久しぶりに見たな…このところなかったから油断していた。気分は最悪だ…)


グランディエ市の評議会から供与された官舎の一室に寝起きしており、ラインベルクが顔を洗っているといつものように扉がノックされる。


内規に反してはいたが、鍵は渡してあるので気にせず身支度を続けた。


「おはようございます」


バスケットを手持ちにしたラミアが入室してきて、ダイニングテーブルに焼き立てのパンとサラダを広げ始めた。


間もなくディタリアも入れたての珈琲を持参して駆け付け、揃ったところで朝食となる。


ラインベルクにとって微妙に居心地の悪いこの朝食形態が始まったのは、ここ二週間の話だ。


(騎士団長が交替するという通達のあった日以来、だったよな)


「いただきます」と手を合わせる二人もすでに軍服姿で、二十代の乙女ということもあり化粧もばっちりと済ませてあった。


どこで聞き付けたのか唯も参加したいと申し出たのだが、さすがに未成年を私室に入れるのは問題だと断っている。


「ライン、食欲ないのですか?…もしかして、不味そうとか?」


手が動かないラインベルクを見てラミアが気遣う。


「形はともかく味は美味しいですけど」


ディタリアがフォローした。


押しかけ朝食を始めたのは彼女で、ラミアの横槍にも涼しい顔で受容の態度をとっている。


(悔しいけれど、本当に美味しい…!どうしたらこんな味が出せるのかしら…)


「…すまない。寝覚めが良くなくてね。いただくよ」


「無理しないでくださいね…」


「中佐。体調が優れない中申し訳ないのですが、今日はスケジュールの変更をお願いします。先方たっての希望で、出勤前に市評議会を訪ねたいと思うのです。…本当にすみません」


ディタリアが遠慮がちに言う。


「オーケーだ。それはディタに任せているから。市評議会から顔を出そう。…コールマン元帥あたりから、早速プレッシャーがかかったんだろうな」


「同感です。保守派の代表格と聞いてますから、きっと我々に対しても何かと行動を掣肘してくるものかと」


「…そんなものですか?同じ紅煉騎士団の一員ですし…」


ラミアがおずおずと参加する。


「王都からの少ない情報では、開明派の騎士や政治家がどんどん拘束されているそうよ。近く宰相や内閣も刷新されるって噂すらある。ギュストやナノリバースといった保守勢力の反動で、これまでの政体とはまるで変わったものとなるかもしれない」


(ディタリア大尉、凄いわ…。いつの間に情報網を構築したのかしら)


ディタリアがチラリと横目でラインベルクを窺う。


ラインベルクはそれに気付き、頷いて珈琲を手に取った。


「ジリアンからの連絡が途絶えた。仮にも王妃の身だから心配は無いと思うが、自由は大幅に制限されているかもしれない。…何れにしても、推測だけで物事を判断するのは危険だ。…ただし」


そこで一旦切って、ラインベルクは二人の目を交互に見てから先を続けた。


「二人には前もって言っておくけれど、おれは理不尽な命令にも盲目的に従うような模範的な騎士じゃない。王国の政治が公正さを欠くと判断するか、知己に害が及ぶと思ったらすぐに行動を起こす」


ラミアは力強く首を縦に振り、笑顔を形作った。


「私にはいちいち断らなくて良いですから。…そうしたら、どこに行きましょうかね?私はイチイバルには土地勘がありませんが別に問題はないです」


「私には、って何です?ラミア、私こそラインベルク中佐個人に忠誠を誓って国を移した身よ。…中佐、私は常に中佐と共にありますから。この身はもはやお預けしてますので。中佐のお好きなようになさって下さい」


「…ちょっと!ディタリア大尉。朝からそういう話は止めてください」


「ラミア。あなた、何を勘違いしてとち狂っているのです?私はただ、なんでも命じて欲しいという意思を表明しただけですが」


「…表現が卑猥に聞こえるのは気のせいかしら?」


「あなたが欲求不満なだけじゃ?」


ラミアががたっと音を立てて起立した。


ディタリアは堂々とその威嚇を受け止めている。


(やはりこうなるよな…どだい無理があったんだ。三人での朝食風景なんて)


ラインベルクは息を吐き、二人に落ち着くよう諭した。


するとラミアもディタリアも、何事もなかったかのように食事を再開する。


それは予定調和にも見えた。


(悪いのは態度をはっきりさせていないおれなんだろうけどな。わかってはいるんだが…)


ラミアを盗み見れば、性格の通りに温和そうな容姿は、あどけなさを残しつつも大人の色気を滲ませる。


胸元からの隆起は圧倒的な扇情と存在感とをもって主張し、男ならば誰しもその目を奪われるだろう。


対してディタリアは、何と言ってもその聡明さと機転が光る。


そして比肩する者の少ない清廉な美貌は、知性と意思の強さをたたえた曇りひとつない黒瞳が魅惑の源泉となっていた。


ラインベルクはそんな二人を眺めやり、落ち込んでいた精神が少しずつ昂りを見せるのを感じていた。


(二人とも、いい女なんだよな…)



***



隣にシャッティン=バウアー、背後にドラッケンを従えた評議会のフギン議長はおもむろに語りだした。


「次席外交官のタレーラン殿は異動となられたそうです。ざっくばらんな話のできる、好人物だったのですが…」


議長室はそれなりに重厚な佇まいで、応接のテーブルは厚手のガラス製、ソファは革張りで弾力が心地好く、ラインベルクは起きたばかりにも関わらず眠気をもよおしていた。


「後任からは何と?」


ラインベルクが黙っているので、隣に座るディタリアが質問した。


「陽炎分隊に何か過失はないか、と。それと、騎士団の駐留期限が来たら次回は更新しない、とも言い渡されました。駆引きも何もない、外交官ならざる直球でしたよ」


フギンは禿げ上がった頭を押さえて「…というわけで、参りました」と漏らす。


彼は商人でもあり、<神威>を始めとした複数の傭兵団の出資者という顔を持つ。


シャッティンとは気脈が通じているようで、ラインベルクと陽炎分隊へは何かと便宜を図ってくれていた。


「では、我々の駐留はあと二月が限界のようですね。…こちらで年は越せませんでしたか」


ラインベルクが口を開く。


シャッティンは、「しかし、市の軍備はまだ再建途上。いま中佐らに引き上げられては、外敵からは自力で身を守れない」と訴えた。


ラインベルクやディタリアはそれに応えてやる立場になく、もしかするとこの呼び出しは外交官に対する抗議が目的なのであろうかと訝る。


「そもそも貴市には外敵と呼べるような緊張関係にある国家が存在するのですか?」


ディタリアは純粋な疑問をぶつけてみた。


傭兵戦力の供給元という国家の性質上、グラ=マリのような分かりやすい敵国がそうはあるとは思えなかったのだ。


「樹林王国」


フギンが間髪入れずに答えた。


ラインベルクとディタリアが目線を交わす。


「かの国の女王蒼樹より、年初めに最後通帳を頂いてましてね。傭兵団は人間社会の混乱と衰退を招くだけの癌であると。対魔物以外の業務受託を即刻停止せねば、来る北伐の対象とする、という具合でした」


隣でシャッティンが苦笑している。


「魔物を駆逐しようという強靭な意志は評価できる。しかし、かの女王は手段が過激一辺倒だ。仮にも一国を相手に主要産業を放棄しろなどと…」


「…対魔騎士団を仮想敵とするのなら、我々程度の戦力はいようがいまいが大した影響はないものと思われます。むしろ北伐を忌々しく思っている北部の二強と結ぶことをお勧めしたい」


ラインベルクはフギンの熱弁を遮るようにして言葉を被せた。


その行為にか、それとも話の内容に納得がいかなかったのか、フギンがむすっとした表情で居ずまいを正す。


「ラインベルク中佐。私は中佐がグランディエの総勢を率いて下さったのなら、対魔騎士団にも伍しえるものと思っています」


シャッティンが爛々と目を光らせて言う。


(勘弁してくれ…。どうしておれがあんな危ない軍団と対決しなきゃならない)


ぐったりしたラインベルクを見たディタリアが話を引き取り、雑談に毛が生えたレベルの情勢談義をまとめにかかった。


そこへ、ドラッケンが本筋を引っ張り出してきた。


「フギンさん、シャッティン。本題を忘れてませんか?中佐にアレの調査をナニしないと…」


「おお、そうだった。ラインベルク中佐にお願いがあるのです」


「…はあ」


「ここから北西の開拓エリアにて、古代の遺跡が発掘されたのです。既に紅煉石の微細な欠片などが見つかってます。地下部分は非常に大きな迷宮のようでして、魔術生物がうようよしており調査が遅々として進みません」


そこまで言って、フギンは快諾の期待を匂わす柔和な笑顔を見せた。


(紅煉…石…だと?)



***



「…くっ!やるではないか…グフ、フ…」


カノッサは撃ち込みを兜で受け、一時的に脳震盪に陥った。


相手を見定めずに大剣を大振りするが、銀の全身鎧に身を包んだ騎士は悠然とそれをかわし、またもや力の乗った剣撃を繰り出してくる。


「ごあっ?」


兜の頬当て部分を破壊され、カノッサの顔面が流血で赤く染まった。


「おいおい…これがラルメティ公国が誇る勇将カノッサ?たいしたことなさ過ぎでしょ」


銀の騎士ことメルビル法王国教導騎士団<七翊守護>が一人、ルキウス=シェーカーが嘲笑する。


その間にも公国の突撃中隊の騎士たちがルキウスに挑みかかるも、誰もが一太刀で斬り捨てられた。


「君達!剣才が無い。いい加減諦めたまえ。全能神より懲罰を委されしこの<七翊守護>が相手では、背教の徒など虫けらに等しいのだ」


兜から覗くルキウスの顔はまだ若く、その剣さばきにも通じた華のある容姿をしている。


カノッサ率いるラルメティの虎の子の突撃中隊はルキウスの部隊に跳ね返され、戦場で全く機能していなかった。


ここだけではなく、戦場の至る所でメルビル法王国の<七翊守護>が力を発揮し、戦況はラルメティ公国にとって圧倒的に不利と言えた。


「ルキウス!何を遊んでいる?早く敵中へ進撃しろ。姫様にだけご苦労を背負わすとは何事か」


ルキウスと同じく銀一式の武具を身に付けた騎士が、馬蹄を響かせて近付いてきた。


「おう。ファルート卿か。了解している。では敵本陣を殲滅してくるとしよう」


言って、ルキウスは旗下の精鋭五百騎に整列の指示を下す。


<七翊守護>の同僚たるファルートは、年相応に落ち着いた手綱さばきで向かってきた公国騎士の突きを回避し、無駄の無い剣の一振りで相手の胴を薙いだ。


(ラルメティ公国軍、こんなものなのか?本陣以外はまるで手応えがない。ルキウスの活躍はまだ分かるが…やはり罠か?)


前軍の将として敵本陣まで迫ろうとしている総大将のキルスティン=クリスタルに代わり、今はファルートが教導騎士団全軍の指揮を担っている。


用心はしており、全軍がバラバラにならないよう各部隊の機動をコントロールしてはいたが、勝ち過ぎはたがを緩ませる。


ファルートはこまめに伝令を飛ばし、部隊間の連携が断たれないよう細心の注意を払った。


「ファルート卿!右翼右手後方に砂煙が確認されたとのことです!」


(伏兵か?…いや、このタイミングで出てこられても正直それほどの脅威は感じない。方角から見てラルメティの本国方面…増援という線が濃厚か)


ファルートは右翼に新手への対処を預け、前軍を追う形で本陣を前に進めた。



右翼の指揮をとるイライアスは<七翊守護>の中でも最年長で、軍歴は筆頭守護たるキルスティンの年齢の倍にも上る。


その彼をして、現れた部隊の掲げる旗には度肝を抜かれた。


「馬鹿な…!何でこいつらがこんなところにいるんじゃ?」


教導騎士団右翼に仕掛けたのは、グラ=マリ王国紅煉騎士団の第9軍であった。


「者共!メルビルの生臭坊主に真の戦いを見せてやるぞ!第9軍、突撃ィィィッ!」


ダナン=ベクレル准将の号令一下、紅煉騎士団は勢いのままに突っ込んだ。


前衛が次々に吹き飛ばされるのを目の当たりにし、イライアスは予備兵を都度送り込んだ。


その結果、自身の周囲には直属の騎士のみが集う状況となり、これが危機を招くことになる。


ルキウス=シェーカーに手酷く打ちのめされたカノッサと突撃中隊は不屈の闘志を燃やして戦場を彷徨い歩き、イライアス率いる右翼部隊を標的にと定めたのだ。


「イライアス卿!ラルメティのはぐれ部隊が突貫してきます!」


「見ればわかる!」


先陣をきる大男が大剣を振り下ろす度に人体が破壊され、ついにはイライアス直属の騎士すらもその刃にかかり出した。


(あれがラルメティの<暴れ牛>カノッサか!見たところ顔面は血塗れのようじゃが、あれではうちの騎士にはとても止められん。…送り出した予備兵を今から呼び戻しても間に合いはすまい。前門の紅煉騎士団に後門の<暴れ牛>か…)


イライアスは覚悟を決め、気合いの一声と共に剣を抜いた。


「我が教導騎士団<七翊守護>のイライアスじゃッ!尋常に勝負!全能神よ、我に御加護を!」



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