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紅煉のラインベルク  作者: 椋鳥
プロローグ
2/179

2話

***



その日の夜、明朝出発予定の士官候補生十人のうち有志が官舎のサロンに集まっていた。


すでに各自出立の支度は済ませていて、妥当と思われる範囲での飲酒を楽しんでいる。


「リーシャさんはいきなり小隊長なんですね!凄いです」


士官学校で同窓の女性騎士、ラミア=キスが瞳を輝かせて言った。


彼女はリーシャやゼノア、唯らと士官学校で同期にあたるが、年齢は五、六年長で二十四になる。


「なに、同じ少尉。…勝負はこれからだ」


「学校の頃と変わらないですね、ゼノアさんは。リーシャさん相手に張り合うところとか」


「上から目線で言うな!キス、お前は年上なだけで、成績は俺が全てにおいて勝ってるんだからな」


ゼノアがグラスの蒸留酒を燻らせて言い放つ。


ちびちびと舐めるように果実酒をたしなんでいた唯が目だけで室内を検分した。


「ちょっと。あの二人、いつまで経っても来ないじゃない?狂犬とあたしの副官。まさか逢い引きしてるんじゃないでしょうね」


唯の物言いに、リーシャ以外の七人が色めき立った。


「久遠アリシアってまだ十七じゃなかった?」


「大陸西部最強の女を相手にする度胸はないな…。あっちもさぞかし強かろうよ」


「それよりあのラインベルクってのは何者なんだ?」


「士官学校に名前はなかったし、久遠アリシアと違ってとことん無名よね」


「三十にはなっていないと思うが…。なぜか小隊副長と補給部隊副長を兼任させられてる」


バタンと音をたててサロンの扉が開き、アリシアが大股で入ってきた。


「少佐のお帰りよ。さあ、誰かお酒を作ってちょうだい」


不遜な態度で命じたアリシアに、一同は思考が追い付かず唖然とした。


ややあって、ラミアが慌てた素振りで蒸留酒と炭酸水を手に取る。


「そうそう。従順にしておきなさい。私はすぐに紅煉騎士団を掌握するのだから。名前を売っておいて損はないわよ」


そこまで言われても誰も反意を口にしなかった。


彼女の武の力があまりに強大で、あながち大言壮語とも言えないと理解していたからだ。


「どうぞ」


「ありがとう。で、あなたは誰?」


「ラミア=キス少尉です。久遠少佐殿」


グラスを渡したラミアが胸を張って敬礼する。


その双丘のふくらみは士官学校でも随一で、アリシアの視線もそこに集中した。


「でかい…わね。さすがにあなたには負けるわ。あとは…うん。完勝」


サロン内を目で一周して言った。


アリシアの言葉の意味を理解し、比較不利とされた面々が憮然とする。


「なによ…どうせあんたのそれは筋肉なんでしょ…」


唯が唸る。


もう一人の女性騎士は唯の意見に大きく頷き、リーシャは「…くだらない」と呟いたきり取り合わなかった。


「胸は乙女の証。力でも女子力でも、私が圧倒的でなければならないわ。そういうわけで、あなた。わかってるわね?」


「え?」


「私の前ではサラシを巻きなさい」


「あ、あの…それは…」


「張り倒すわよ?」


ラミアのこめかみを汗がつたい、助けを求めるように彼女は仲間たちに目を向ける。


しかし、誰もがこの暴君に関わりたくないらしく、目線を逸らされた。


やむ無しという体でリーシャが立ち上がる。


「あまり無茶を言ってラミアを困らせないでいただけますか、少佐?」


「…礼儀はわきまえたみたいね。まあ、私は上官ですから。それもあなたたちより三階級も上。で、答えは否よ。サラシね。あなたもそこそこは胸があるみたいだし、一緒に巻きなさいな」


アリシアの言にリーシャの顔が強ばった。


「…拒否させていただきます」


「いいの?なら鉄拳よ?」


「言われなき暴力には抵抗させていただきます」


リーシャが主張すると、アリシアの表情が生き生きと輝いた。


(…しまった。こんな安い挑発に乗ってしまうなんて…まだ未熟だわ…)


拳を構えるアリシアを目の前に、リーシャは落胆して覇気を失っている。


ゼノアやラミアは心配そうに成り行きを見守っていたが、入口の扉に新たな人影を発見する。


唯が遅れてその存在に気付き、「あ、来た」と声をあげた。


釣られてアリシアとリーシャも闖入者を窺う。


「取り込み中失礼。元気があり余っているようで何よりだが、伝令だ」


現れたラインベルクは黒い軍服姿のままで告げた。


「我々の出発が今すぐに早まった。各自速やかに集合地点へと向かうように。…詳細はそこで説明があるそうだが、つまりは緊急事態だそうだ」


グラスを置いて一同が起立した。


伊達に士官学校を卒業しておらず、皆頭の切り換えは早かった。


(これが士官候補生ってやつなんだな…)


「ちょっと、あなた」


「ん?」


アリシアに呼ばれてラインベルクが反応する。


「緊急事態って何なの?これから出発ということは、ベッドでは眠れないじゃない。…乙女の眠りを妨げる程に重大な理由があるんでしょうね?」


「こいつ、かなりウザい…」


唯がこぼす。


ラインベルクはたいしたことはないと断った上で、完璧に平静を装って言った。


「東西南北から敵国の侵攻が確認されたそうだ。おれたちも東部の対聖アカシャ帝国軍の戦力に組み込まれるんだと」



***



サロンに顔を出す少し前、ラインベルクは王宮の一角、広い応接室のバルコニーで夜酒を楽しんでいた。


正確には、楽しまされていた。


彼をそこに押し留めた主は侍女からの急な呼び出しを受けて席を外している。


(十三年ぶりに祖国へ帰ってみれば、実家はお取り潰しで一族は離散。おまけに騎士団に入団させられて。…こんなことなら、シルドレの言うとおりイチイバルに留まっていればよかったな)


ラインベルクは後悔の念を反芻する。


長身痩躯で暗青色の髪は手入れをしていないのか無造作に伸びている。


顔立ちは整っていて、黒瞳からは怠惰に紛れて不思議な光が見え隠れする。


五人組の残りの面子からは口数が少なく素性の知れない無頼の者と思われていたが、ラインベルクにそれを否定する意思はなかった。


ただひとつ彼が興味を覚えたのは、「西部最強」と詠われる久遠アリシアの存在である。


(あんな年端もいかない少女が、シルドレや<幻月の騎士>と並ぶ豪傑だなんて信じられるか…?)


弱冠十七にして西部地区武闘会を制した久遠アリシアは明らかに異端で、大陸中でもその話題は旋風を巻き起こしていた。


とは言え、アリシアには武闘会優勝以前にも実績はあったので、知る人ぞ知る剣士ではあった。


ラインベルクはふとした拍子に彼女の実力を試したくもなるのだが、ここまでは自制心の賜物ではやる気を抑えることに成功していた。


(まあ、あっさり返り討ちにあうのも癪だしな。危うきには近寄らず、だろう)


彼女が戻ってきた。


手入れのよく行き届いた金色の髪をなびかせて、一目で上等とわかる絹のドレスを着込んだジリアンがバルコニーへと躍り出る。


ラインベルクにぐいと顔を近付けたので、ジリアンの耳朶にぶら下がる太陽を象った金のピアスが揺れるのが目に入った。


ふわりと甘い香りが漂い、ラインベルクの鼻腔を艶かしくもくすぐる。


彼女にアルコールに因るものではない顔の紅潮を認め、ラインベルクは少し気を引き締めた。


「ライン、大変。敵襲よ…」


「いつ、どこで?」


「それが、夕方には報告があったようなのだけれど、王宮の誰にも伝わってなくて…」


「…そこまで宮廷や政治の腐敗は酷いのかい?夕方に報告が上がるなら、少なくとも朝方か前夜には敵とやらが侵攻を始めたんだろうさ。もう結構なところまで進軍してるんじゃないのか?で、どこの国?」


「…聖アカシャ帝国」


「東か…」


ラインベルクが顎に指をあてて考える。


大陸西部の強国であるここグラ=マリ王国を脅かす可能性の最も高い国が、東で国境を接する大陸中央部の雄、聖アカシャ帝国であった。


貴族優勢で先軍政治を推し進める聖アカシャ帝国の軍隊は、戦力は大きく装備も近代的だが統制がバラバラなことで有名だ。


一般に貴族中心で編成された部隊は弱く、平民によって組織された部隊は強力と言われている。


スタイン=ベルシアとレーン=オルブライトという平民出の二将が勇名を馳せており、近隣諸国にまでその威光は届いていた。


(東部要塞はしっかりした造りだと聞いているが…。陣容がわからなければなんとも言えないが、将や援軍が余程ピントずれしてなく、且つ同戦力という前提ならば失陥することはないだろう)


「…あと、都市国家グランディエ。ディッセンドルフ王国。レオーネ=シアラ連邦」


ジリアンがラインベルクの目を真っ直ぐに見つめて続けた。


ラインベルクが瞬きをして見返す。


「帝国にグランディエ、ディッセンドルフに連邦…東西南北、四方の同時侵攻じゃないか!」


都市国家グランディエは大陸西部の北に位置する民主国家で、グラ=マリ王国の北国境に接していた。


ディッセンドルフ王国は西部地域の最西端に領土を持つ小規模な軍事国家で、レオーネ=シアラ連邦は大陸南部北域の小国が緩やかに連携した連合体である。


何れも領土問題や外交・商業摩擦でグラ=マリ王国と激しい軋轢を生んでいる国家と言えた。


「どう?防ぎきれないかしら?」


「…いち少尉のおれに聞かないでくれ。騎士団の配置すらろくに把握してないんだから」


「ライン!私には意地悪をしないで頂戴。あなたを士官候補生に捩じ込むのだって、私には精一杯だったのだから」


「頼んでいない…本当に」


「私があなたに頼んだの!ライン、お願い…最後まで私を護って!お願いよ…」


ジリアンが繊細で美しい面を泣きそうに歪めて懇願する。


その目に浮かんだ大粒な透明な涙を見て、ラインベルクは昔から自分はこれに弱かったよな、と思い起こした。


「…防ぎきれないか、と言われれば、戦力的には問題ないだろうさ。それもイチイバルで得た限りでの情報から推測したに過ぎないが」


「…大丈夫なの?」


「帝国以外の三国は何れも過小な軍事力しか持ち合わせていない。各方面に紅煉騎士団の一軍ずつをあてがえば戦力的には充分と見る。…問題は東だ」


聖アカシャ帝国は大国で、ラインベルクが知る限りでは国力はグラ=マリ王国を僅かばかり上回る。


その帝国がどれ程の軍勢を投入したかによって、全体の戦局を決定付けかねないとラインベルクは思った。


(戦力を出し惜しみしていれば、血路は開ける。だが全力で寄せてきたならば…)


「…ところで。おれの行き先もちょうど東なわけだが。もしかすると配属早々戦死かもな。四国の同時侵攻をみすみす許した馬鹿な外交官や諜報関係者は、是非とも厳罰に処して欲しいものだ」


「密約があると?」


「同じタイミングなんだ。連合を組んでいると見て間違いない。むしろ他に追随する国を疑った方がいい。紅煉騎士団全九軍を配備しつくす前にな」


「…伝えてはみる。東は、あなたが何とかして」


「答えは否だ。本当に、おれは第8軍第5中隊第1小隊の副長でしかない。小隊員の顔も知らなければ、練度も不明。中隊上司も不明でおまけに補給部隊の副長もやらされるそうだ。戦局を左右できる立場にない。…この状況下でおれにできる最大限のパフォーマンスは…」


ラインベルクが一瞬言い淀み、それに気付いたジリアンが後を接いだ。


「…暗殺よ。指揮官の暗殺」


いつの間にか力強くなった眼光をラインベルクに投げかけ、ジリアンは念を押した。


「お願いね、ライン。十三年前の約束を果たして頂戴。対帝国は、任せたからね?」


ジリアン=グラ=マリは先の弱気から一転、二十六歳の美貌に相応しい溌剌とした笑みを浮かべて迫る。


その距離は吐息がかかる程に近く、ラインベルクは思わず顔を背けた。


ラインベルクは膝まずき、幼馴染みに対する礼ではなく、グラ=マリ王国王妃に対するそれでもって応えることにした。



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