18話
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塀を背に左手を上げて方角を指し示す。
ゼノアのそれを合図に、小隊の騎士たちと赤毛の魔術師が小路へと殺到した。
<神威>のドラッケンが放った雷撃が賊を二人撃ち倒し、騎士たちが残敵を追い詰めていく。
攻撃陣からすり抜けてきた一人の賊をゼノアは流し斬りで片付けた。
汗を拭い金髪をかきあげる様からは、十九歳らしい活きの良さや清々しさが見てとれる。
「ゼノア中尉、作戦完了です。こちらの被害はゼロ」
ドラッケンが息を整えながら報告する。
(いい雷撃だったな。彼は説明下手だけれど、実力は本物だ)
ゼノアは了解し、後始末と次の行程を指示した。
陽炎分隊の主力はゼノアの預かる第2小隊とリーシャの第1小隊で、ラインベルクもこの二人を信用して比較的大きな裁量権を与えている。
ラミアや唯の小隊が休んでいる間も、ゼノアは機動を高めることによって効率的に賊を征伐していた。
(ラインベルクやリーシャに出来て俺に出来ない筈はない!グランディエ中の敵は第2小隊が狩り尽くす。終わればすぐに大尉に昇進だ…)
ゼノアが隊を引き連れて陽炎分隊の勢力圏を通行していると、ラミア=キス率いる第4小隊とすれ違った。
「ゼノア中尉?北東十一地区に向かっていたんじゃ…」
「もう制圧した。評議会から傭兵団を回してもらえれば、北東は万全だ」
ラミアが目を丸くする。
「…凄い」
「お前とは出来が違う。キス、残りの進捗は?」
ゼノアが高圧的な態度で尋ねた。
「あ、はい。ロイルフォーク大尉の第1小隊が北西九区の内残り三区の掃討作戦を展開中です。最後に北十区が四区分残ってますので、私の隊と第4小隊とでこれから進軍します」
「そう言えば、お前の持ち分だった中央の北域はどうしたんだ?情報では、はぐれ傭兵団が複数逃げ込んでいたはずだが」
「無事制圧完了しました」
「何?速いな…ラインベルク少佐の助太刀があったのか?」
「いえ。うちの隊には他に頼れる助っ人がもう一人いますから。ディタリア中尉、大活躍です」
「あいつが…?」
陽炎分隊の分隊長付き副官であるディタリアはラミアのサポートに入っている。
レオーネ=シアラ連邦の一小国からディッセンドルフの士官に登用されたディタリアは、その買われた軍才をここでもよく発揮していた。
部隊指揮に粘り強さがあり、少数で多勢を足止めし、その間に包囲網を完成させたりと傭兵団を手玉にとった。
加えてディタリア自身も勇猛で、指揮を執りながら斬り合いにも参加する有り様である。
「私ではなく彼女の手柄と言うべきでしょうね」
ゼノアは気に入らないというようなしかめ面で考え込む。
(ただのディッセンドルフの田舎騎士じゃなかったのか…?くそっ)
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「応募は順調かね?マイ・ハニー」
「ふざけたことを言ってると殺すわよ。色情狂」
入室してきた爽やかな風貌の騎士を、プライムは冷めた目線で突き刺した。
青年騎士は気にせず、手にしたマグカップのひとつを机に置いてやった。
入れたてのようで白い湯気が立ち上る。
「そのクールな態度がまたたまらない!お仕事終わったら一杯どう?ついでに三ツ星ホテル予約しちゃうよ。…おや。その大量の書類はもしや?」
「力自慢。魔術自慢。頭脳自慢。括弧自称。…何百と着たわよ。全く頭痛い。蒼樹じゃなかったら発案者を氷漬けにしてるところだわ。審査、あんたも手伝いなさい」
樹林王国の宮廷魔術師たる彼女、プライム=ラ=アルシェイドは若干二十一にして魔術都市での研鑽が認められ、その地位に任用されていた。
カールさせた艶のある美しい金髪に、整った顔立ち。
挑戦的で凛々しい目には、知性を感じさせる四角く小さい黒フレームの眼鏡が決まっている。
旧ディッセンドルフ軍政府庁舎の一角にプライムの執務室はあり、<竜殺し>の公募・選定業務はここで一手に行われていた。
「…ギガント渓谷にまた竜が出たと言うのなら、クルセイド卿が出張ればいいじゃない?あんたはどう思うの、リチャード」
リチャードと呼ばれた青年騎士は、一瞬だけ考える素振りを見せて肩を竦めた。
「女王陛下の深謀遠慮、武骨者の俺には考えも及ばない。でもさ、竜討伐のニュースはあちこちで話題になってるらしいぜ。我が国の国威掲揚にはうってつけなんじゃ?腕利きが雇えたら儲けもの、くらいのもんで」
「…及んでるじゃないのよ。この法螺吹き野郎が」
プライムは書類の束を机上に放り捨てて、リチャードが差し入れた珈琲に口をつける。
(ここの庁舎はインテリアが田舎臭くて嫌いだけれど、珈琲だけは合格点よね。…カザリンの深煎り珈琲、久しぶりに飲みたくなってきちゃったな)
「と・こ・ろ・で。ニュース、持ってきたよ」
リチャードが背中から器用に取り出した新聞をプライムに手渡す。
「ニュース?」
「彼氏、出てたりして」
一面には、紅煉騎士団陽炎分隊のグランディエ進駐に関する記事が報じられていた。
ラインベルク少佐率いる陽炎分隊が速やかに都市の治安を回復させたとある。
(ライン…あの野郎、いけしゃあしゃあとこんなところで!)
プライムの顔色が変わったのを見て、リチャードは「じゃ、お邪魔みたいだし、俺はこの辺で」と手を振って後ろ手にドアを開く。
樹林王国の元筆頭騎士にして、対魔騎士団でナスティ=クルセイドを補佐するこのリチャード=ヘイレンをしても、プライムの癇癪は恐怖に値するのだ。
「待ちなさい。一杯ご馳走してくれるんでしょう?…逃げるな!」
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出征からすでに一月以上、治安回復の後もグランディエに留まっている紅煉騎士団陽炎分隊の元へ、二つの朗報が舞い込んだ。
評議会議場に程近い会館を接収し改装した陽炎分隊仮設本部の一室に、<五人組>は集っていた。
「東部要塞が第6軍、第8軍の手によって奪還されたそうだ」
本国からの報告書を手に、一人デスクに向かっているラインベルクが告げた。
ゼノアやラミアが「どうやって…」と小声でざわつく。
挑発で誘きだした守備隊をアリシアや蓮の武力で粉砕したのだと語ると、一同は静まり返った。
リーシャですら何事か考え込んでいる。
そんな中、ディタリアだけはラインベルクをじっと見つめていた。
(少佐が久遠アリシアにアドバイスした通りになった…)
「戦功により、両将の昇進が発令されている。蓮中将閣下とギュスト少将閣下だな。あと久遠アリシアは奪還作戦への多大な功績を認められ、二階級特進で大佐へ上がるとある」
「あの人が…大佐…」
ゼノアはアリシアにこき使われていた半年以上前のことを思い返していた。
「もう一報はおれたちへの論功と今後の方針だ」
「あ、聞きたい〜」
すっかり元気を取り戻した唯が黄色い声を上げ、リーシャに睨まれる。
本国からの命令書には、分隊長並びに副官、各小隊長は一階級昇進とし、陽炎分隊は引き続きグランディエに駐屯して周辺治安の維持に当たるように、とあった。
加えて、佐官に昇格したリーシャは任を外れて本国へ帰参となり、第1小隊は分隊長自らの指揮下につくことも併記されていた。
「ここに駐屯を続けることは外交ルートで決定した話らしい。だから補給の心配は無用だ。いずれグラ=マリも傭兵団を活用する道が生まれそうだな。…それと、リーシャ=ロイルフォーク少佐。ご苦労だった」
ラインベルクが椅子から立ち上がり、デスクを回ってリーシャへと手を差し出した。
リーシャはその手を遠慮がちに握った。
「おそらく、騎士団のいずれかの軍で中隊長に任じられることだろう。君ならどこでも活躍できる。武運を祈る」
「…中佐も。ご活躍とご健勝を祈念申し上げます」
ラミアや唯、ディタリアが拍手で喜びを表明する中、ゼノアだけは歯を食いしばって二人の握手をその目に焼き付けていた。
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ラルメティ公国では慌ただしく軍備が進められていた。
大陸東部のメルビル法王国から宣戦布告がなされたためだ。
フレザントは公王への定時報告を終え、騎士団の詰所に顔を出した。
きちんと整髪された灰色の頭が規則正しく左右に動く。
「フレザントの旦那、ここですよ!」
巨漢が大手を振ってフレザントを出迎えた。
「カノッサ中佐、待たせた」
「グフフ。どうせ陛下に細かく質問されていたのでしょう?」
岩石と見紛う顔面を崩して笑う。
「将軍には伝えてあるが、中佐にも念押しをと思ってな。九郎丸が出てきたら決して闘おうとするな。…あれは別格だ」
「俺の突撃中隊はどうしたらいいんです?」
「それ以外は好きに暴れてもらって構わない。此度の戦争、どうせ長くはならないのだから」
「もう手をお打ちで?」
「ああ。最悪を想定して、外交で出来るだけのことはした。予期せぬ幸運もあったがね。帝国があっさりと要塞を奪回されたおかげで、対帝国戦を一時的に考慮から外すことが出来る。…後は君たち軍人の仕事だ」
フレザントは詰所の奥に見知った人影を見つけ、声を掛けて招いた。
「桂宮中佐。ディッセンドルフから戻っていたのだな。無事で何よりだ。そなたのように有能な士はそれこそ得難いものだからな」
歩み寄ってきた桂宮ナハトの眼鏡の奥の瞳が笑う。
「フレザント様。愚生、何とか故郷の土を踏むことが叶いました。不甲斐なくも紅煉騎士団に敗れ、おめおめと戻りました次第」
「グフフ。桂宮中佐、嘆くことはないぞ。自爆攻撃なんぞ、騎士のやることではない。貴公は勝ったも同然だ」
カノッサがばんばんとナハトの背を叩いた。
その威力にナハトは思わず苦笑する。
「カノッサ中佐の言う通りだ。何よりデイビッド=コールマン将軍を、自爆作戦を用いざるを得ない状況まで追い込んだことこそ賞賛に値する。おかげでこちらはいい仕込みができた」
珍しくもフレザントが上機嫌で言うので、カノッサとナハトは顔を見合わせた。
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魔術都市の定例議会は荒れに荒れた。
関係が拗れていた隣国のメルビル法王国が大規模な出兵を開始したため、これを機に帝国や公国と結んで一撃してはどうかと議論がなされていたのだ。
「諜報活動によれば、エルシャダイに残された戦力は教導騎士団が一軍のみです。治安部門の担当としては、充分に対処可能な数字と見ます」
濃緑のローブを着た青年、マグナ=ストラウスが演説している。
階段上に造られた議場の聴衆が続々とマグナの言に頷きを見せる。
「我が都市と法王国との戦力差は、数字だけ見れば平時には五倍強にも上ります。魔術特性を鑑みても三倍は下回りますまい。それ故、またとない好機だと言えるのです。先程報告があった通り、外交部門には周辺諸国も決起を謀っているとの情報が入っております。また、ラルメティ公国からは好条件での同盟を持ち掛けられているとか。皆さん、いかがでしょう?我ら魔術の真髄を体得する者が、積年の侮りをここで清算することは大義もあろうと言うものです」
議場は沸き、反戦派の野次が小さくなる。
中立系の有力議員が挙手をして発言を求めたので、マグナはそれを許可した。
「カザリン=ヴォルフ=ハイネマン殿は如何お考えか、聞いてみたい」
議場内が一気に冷めて、しんとした空気に包まれる。
都市最強の魔術師たるカザリンは議場の最前列で座したまま黙しており、それは政治にさして興味がないことも理由のひとつではあったのだが、何より弟子の発案への関与を戒めていることの方が大きかった。
「確かに…ハイネマン殿はどうお考えなものか」
「カザリン様、我々を導いてください!」
カザリンの発言を希望する声は伝播し、抑えが利かなくなる前にとマグナは師に登壇を請うた。
渋々といった表情でカザリンは腰を上げて、金糸で刺繍された濃緑のローブをはためかせてゆっくりと壇上に移った。
拡声の魔術がギリギリ拾うかという程度の声量で、カザリンが面倒をおして意見を表明する。
それはマグナが望んだものとはベクトルを異にしていた。
「開戦に踏み切るのであれば、以下の三条件を満たした後としていただきたい。一つ、九郎丸の排除ないしは打倒手段の提示。二つ、メルビル各地に巣食う吸血鬼の殲滅計画の策定。三つ、ラルメティとの条約締結による外交文書の作成。以上」
カザリンは弟子の真剣な眼差しを敢えて受け、自身が出兵には否定を唱える者だという立場を崩さなかった。
どの条件も難題で、特に吸血鬼の征伐は、正義と神を信奉する教導騎士団ですら満足に達成出来ていない。
(マグ…あなたがラインに対抗意識を燃やしていることも、彼に負けない功を立てたいと願う気持ちもわかってるし、理解もできる。でもね、ニーザ=シンクレインやフレザントはそんなに甘い相手じゃない。餌を幾重にもぶら下げておいてその実全てが罠だった、ということを平気な顔でする者達。魔術都市の名門に生まれ、エリートを地でいくあなたにはまだ都市の全てを託すわけにはいかない…)