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紅煉のラインベルク  作者: 椋鳥
終章 異邦人に導かれし世界の終焉
177/179

177話

***



アルテナの力がアリシアやシュウの突進の威力を殺す。


レウの<小門>はラインベルクとリーゼロッテの攻撃魔術を打ち消した。


剣に魔術に、ラインベルクらはコンビネーションで代わる代わる攻撃を仕掛けるのだが、レウとアルテナの防備は完璧に働いた。


スファルギアの拒絶の能力は否応なしに向かってくる力をいなし、<小門>は言うもがなあらゆる攻勢を闇へと葬り去る。


レウは防御の合間に攻撃の為の魔術をも発動し、それはリーゼロッテであっても相殺するのに全力を費やす程強力な代物であった。


大陸でも最高位にある勇者たちが集って技を放ち、それが神殿の建材に影響を与えることすらなく鎮められる。


各々が最後の闘いと銘打ったにしては、最強の盾と矛のぶつかり合いは地味に静かに推移した。


「まさか無策で僕に挑んだわけでもないだろうね?このまま体力が尽きたなら、君たちは為す術無く全滅だよ」


レウは余裕を崩さずに<小門>を前面に展開する。


ラインベルクは小細工無しにそこに斬り込んだ。


聖剣アルテミスの斬線はしかし、<小門>から発せられる異界の圧力によって中空で止められてしまう。


続いたアリシアの疾駆もまた同様に前進を阻まれ、レウの指から放たれし風術が凄まじい圧力で二人の胸を強打する。


一方でリーゼロッテは何事か長い詠唱に注力しており、残るシュウがアルテナへと必死に剣を振るっていた。


リーゼロッテの組み上げつつある魔術に召喚の匂いを嗅ぎとったレウが、それを鼻で笑った。


「今更何を召喚すると言うのかな。竜?巨人?吸血鬼?何であれ不相応と言わざるを得ないね」


<小門>の出力を上げてラインベルクやアリシアを散々に撃ち返しておき、レウは必殺の雷術を繰り出した。


耳をつんざく衝撃音を撒き散らして、雷光がリーゼロッテを刺し貫く。


「ロッテ!」


悲鳴にも似たラインベルクの叫びが届いたものか、全身を焼かれたリーゼロッテは目を見開いたままで耐え抜き、両腕を大きく広げた。


魔術が動き始め、レウやアルテナの眼前に巨大な魔方陣が現出する。


「…レウ=レウル!これはいけません」


リーゼロッテの真意にいち早く感付いたアルテナが警句を発するも、それは魔法陣が役割を果たして消失するのと同時に超然とした姿を露にする。


霞がかったようにぼやけてはいたが、視界いっぱいに広がる捉え処のない暗闇の様相はレウの<小門>と酷似している。


「<門>?馬鹿な!何の手品だ…」


天井にも及ばんとする高さの闇の扉は、一気に膨脹して拝礼の間の四分の一程のスペースを占拠し、レウをすら怯ませる威圧感を発していた。


ラインベルクが飛び出して、高速の一閃でレウに斬りつける。


間一髪でそれを避けたレウへと今度はアリシアが襲い掛かり、聖剣ロストセラフィを豪快に叩き付けた。


「…ッ!」


頭部を強打され流血するレウを見て、アルテナは広範囲に拒絶の力を解放する。


しかしラインベルクやアリシアに作用した節はなく、逆にシュウに間合いを詰められた。


「悪く思うな!」


シュウの剣が炸裂し、アルテナのか細い身体が派手に床を転がっていく。


ラインベルクとアリシアは、頭頂部を押さえて怒りに瞳を燃やすレウを挟んで立った。


「…<門>を召喚して、異界の風による相互干渉で僕の<小門>とアルテナ様の拒絶能力を無効化したというのか?有り得ない…人間が、部分とはいえ<門>を操るなど!」


「操ってなど、いないわ…」


リーゼロッテが苦し気に応答する。


駆け寄ったシュウが治癒の魔術で彼女に処置を施そうとするも、<門>と<小門>の干渉の余波でその試みは失敗した。


「私はただ…<門>の一部を切り取って、ここに仮置きしただけ」


「それが無理だと言っている!あれを移設する準備など…まさか?」


「そのまさかだ、レウ=レウル。大山脈の麓でただお前に会って帰ったとでも思ったか?マハノンに会って、お前の昔話を訊いただけだとでも?全ては…布石だ!」


聖剣技・十字剣。


ラインベルクの放った必殺の剣は、レウを吹き飛ばした後も十字の残像を空間に焼き付けた。


「…他人の技をこうも極めてくれちゃって」


レウが今のダメージに起き上がれないことを確認し、アリシアはぼそりと呟く。


ラインベルクらはマハノンの教えで北にレウの故郷を訪ねた際に、大山脈の<門>へと立ち寄っていた。


プライムはそこで念入りに魔方陣を描き、マハノンから譲り受けた銀細工の短剣を突き刺しておいた。


それは絆となり、魔方陣へアクセスした際に<始源の魔物>たるマハノンから力を借り受けることが出来るという仕掛けである。


<門>の擬似転移がレウの<小門>を封じる効果を発揮するかどうかは賭けであったが、そこはプライムの発案とラインベルクの決断が奏功した。


勿論これだけの大魔術にはリスクが伴い、間違いなくマハノンの力を限界まで使い果たすと思われた。


そして、大山脈の魔方陣を構築したプライム及び召喚を行うリーゼロッテの消耗が、通常の魔術とは比べものにならない位絶大なものとなる。


「…うっ」


生命力の低下にリーゼロッテが呻いて膝をつくと、<門>の姿が揺らいで所々薄れて行く。


現状維持の限界は近いと見て、ラインベルクは倒れ伏して虫の息となっているレウを見下ろし、目的への協力を求めた。


「レウ=レウル!おれたちの勝ちだ。…おれを、ジリアンの下へと連れて行け!」


「…強者の望みを叶えるは本望です」


レウは褐色の肌を血流で濡らし、焦点の定まらぬ瞳でラインベルクを見上げる。


不意に、その唇が愉悦に歪んだ。


「ですが、まだ終わってはいないようですよ?」


「何を…」


「うおおおッ!」


シュウの叫び声がラインベルクとアリシアの鼓膜を震わせ、その光景を視界に収めるや二人は弾かれたように動き出す。


アルテナの顔をしたそれは、単眼巨人の如き大柄で筋骨逞しい体躯を有し、四肢の先で猛獣を思わせる鋭い長爪を光らせていた。


その内左腕の三本の爪がシュウの腹から胸にかけてを貫いており、プレートを物ともしていない点から威力の程が窺い知れる。


「…スファルギアは決して武闘派ではない。でも、それは異界を基準とした話。この大陸で、直接闘って力負けなどしない…」


「貴方は何も分かってないわ」


召喚魔術の制御により刻一刻と生気を奪い去られながらも、リーゼロッテはレウへと侮蔑の目を向けた。


彼女が<門>の掌握を諦めたならば、アルテナの拒絶技能が効力を取り戻してラインベルクらは一気に苦境へと立たされる。


同調の力こそ、全能の神を奉ずるメルビル教の信徒以外には効果が薄かろうと予測していたが、拒絶に関しては存在自体がイレギュラーであり攻略法も浮かばない。


それ故に、リーゼロッテはなけなしの力を振り絞って身の削られるような痛みに耐えていた。


シュウを剛腕で投げ捨てると、異形に成り果てたアルテナが顔に似合わぬ野太い雄叫びを上げてラインベルクらへと迫った。


「アリシア!フォーメーション、ゼロ・スリー・ゼロ!」


「了解!」


巨体にそぐわぬ俊敏なアルテナの殴打を掻い潜ると、アリシアは背後から強烈な斬撃を見舞った。


ラインベルクはそれと挟み込むように正面から撃ち込みを続けていく。


前後を取られたアルテナは、手始めにラインベルクを排除しようと攻撃を前方に集中させた。


「どこ見てんのよ!」


二つの剣閃が交わり、アルテナの背を大きく斬り裂いた。


本家十字剣の勢いにアルテナは押され、前のめりに倒れ込む。


そこに立ち塞がる形でラインベルクのアルテミスが火を噴いた。


聖剣技ムーンライト・斬。


聖剣所有者の生命力を高出力の月光へと変換して広範囲に対象を撃ち抜くトリスタンの大技を、ラインベルクはただの一つの斬撃に集束して体現する。


回避を許さぬ妙技が、斬閃の音をすら置き去りにして空間ごとアルテナの首を断った。


表情にまだあどけなさを残した生首だけが残酷にも勢いよく転がり、魔物然とした醜悪な胴体部はゆっくりと音を立てて床に沈む。


ラインベルクとアリシアによる世紀の連携が成立を見た瞬間であった。


勝利を見届けたリーゼロッテはそのまま意識を失い、場から<門>と禍々しい気配が同時に消失する。


ラインベルクはシュウの下に足を運んで手当てを施し、その間アリシアがリーゼロッテの容態を看ていた。


二人の無事を確認し処置を終えると、ラインベルクとアリシアは動けぬレウを無理矢理に抱き起こして<小門>の操作を強要する。


「さあ、お前の目論見は崩れた。おれをジリアンの所へ送って貰おうか。この段になって嫌とは言わせんぞ、レウ=レウル!」


「ジリアン様とは賭けをしたんです。彼女が貴方に勝ったなら、異界の脅威に抗するべく紅煉石を私の魔術実験にご提供いただけると。…負けたなら、紅煉石と共に誰も追い掛けて来られぬ地へ送って差し上げる、と」


「だから何だ?そんなもの、おれには関係の無い約束だな」


「…ジリアン様の居場所が分かるようなそんな便利な能力、<小門>にはありませんよ…。出来ることと言えば異界の風を操ることと、僕らが教え導く必要のある民の住まう世界へと道を繋げること。それだけ…」


「なら、ジリアンの行き先は…」


「…言った通りです。那由多の彼方まである世界の内、外界の脅威に怯え救いを求める者が在るどこかに彼女は降り立った。それは魔神の治める修羅の国かも知れないし、息をするにも事欠く灼熱の世界かも知れない。氷獄かも天国かも僕には分からない。僕たち<教導の民>は何千年と流浪して都度弱き者に知恵や力を与えてきた。…それでも、いまもって行き先に限りはない。枝分かれした一族がどれだけ活動しているかも把握していない。ジリアン様を捜し出す術は、もうない」


ラインベルクは押し黙ってレウの言葉を吟味する。


<小門>から異界に飛び込んだとして行き先は単一世界ではなく、ジリアンと遭遇する確率は天文学的に低いと思われる。


更に、レウら<教導の民>という弱者救済を掲げる一派の活躍する目があるような、そんな過酷な環境にしか繋がらないと言う。


ロッテが聞いたら卒倒しそうな前提だなとラインベルクは想像した。


だが、その黒瞳には少しの迷いも見られない。


(あいつの性格上、暴君などは放って置けないだろうな。案外<教導の民>よろしく救世の旗印にでもなっていたりしてな…)


「上等じゃないか。この大陸の外に世界が数多広がっていると言うのなら、しらみ潰しに捜すまでさ。ニーザに何年も囚われていたこの身に、今更労苦など堪える筈もない」


「女だけでなく世界をも股にかける男、ってわけね」


アリシアが茶々を入れた。


「…今このタイミングで言うことか?」


「誉め言葉のつもりよ?」


「なんだか、だんだん君もディタみたいになってきたな…」


「それだけ歳をとったということ。私だって、とっくに二十歳を超えてるのだから」


そう言えば、出逢った頃は十六、七の少女であったなとラインベルクは場違いにも懐かしく思った。


グラ=マリに帰参して以来戦い続け、ここまで多くの知己を失ってきたラインベルクにとって、アリシアははじめから行動を共にして今も肩を並べる唯一無二の騎士となっている。


ニーザを筆頭に、数々の強敵と対するにアリシアはよくラインベルクを助けた。


互いの剣腕を信じ、背中を預けられる稀少な相棒として。


凶状を背負い、荊の人生を運命付けられた者同士として。


揺らめく炎のように紅い髪と、挑戦的で揺るぎない紅玉の瞳は常にラインベルクの心の隅を占有し、彼はアリシアに恋さえしていたのである。


大陸を捨てて異界に飛び立とうという突拍子もない提案も、アリシアによるものでなければラインベルクとて素直に受け入れなかったに違いない。


二人はそれ以上語らず、しばし黙して見詰め合った。


レウはそんな二人を眩しそうに見上げていた。


(僕は…ニーザ=シンクレインに見当違いの忠告をしていたようだ。ラインベルクを打倒したいのであれば、彼を守護する衛星から除けと言った。でも、話はもっと単純で…。久遠アリシア一人を遠ざけることが出来ていたのなら、それだけで目的は達せられたのかも知れない。詮無きことだ…)



***



メルビル勢が一様に気を失ったその時、カイゼルはまさにキルスティンに止めの剣を撃ち込む寸前であった。


キルスティンが彼の相手をしたことで、彼女の騎馬隊は同調により皆傀儡と化した。


ゲルハルト隊も無力化していた為、ワイバーンはただ多勢を敵として防戦を徹底し、死線の果てにどうにか終戦を迎えることが出来た。


プライムやリリーナ、グリプスらの無事を知ったブリジットは心底安堵し、生き残った騎士たちに慰労の声を掛けて回った。


「賭けに勝ちましたね。将軍」


「ノウラン少佐…よくぞ互いに生き延びたものだな」


「はい。これで安心して剣を捨てられるというものです」



エルシャダイの近郊で陽動を仕掛けていたオードリーも、第2軍に被害こそ出ども息災であり、敵が継戦不可能な状態に陥るや慌ててラインベルクを追った。


彼女がエルシャダイ市中の神殿に到着した頃には、全てが決着を見ていた。


「アキハ大佐…。伯父様は…行って、しまわれました…」


最上階で泣き崩れているリーゼロッテとその脇に佇むシュウの姿を認めた瞬間、オードリーは事情を完全に把握した。


ラインベルクとアリシアは、もう異界へ旅立ってしまったのだと。


(感動のお別れ…柄ではなかったのかしら。さよならは言えなかったけれど、これが最後だとは思えない。…そうですよね?ラインベルク将軍)


レウ=レウルの所在を訊ねたオードリーに対し、シュウが「私たちが意識を取り戻した時、もうここには誰もいなかった」と答えた。


ただリーゼロッテの傍らにラインベルクの物と思しき懐剣が置かれていた為、二人はそれと察したのだと言う。



アルテナの死によりスファルギアの同調強制が解け、信徒たるメルビルの市民たちは皆正気を取り戻した。


誰にも操られていた間の記憶は無く、九死に一生を得た形のキルスティンもまた為す術なく取り込まれていた己の不甲斐なさをいたく嘆いた。


そしてリーゼロッテより間接的にラインベルク不明の経緯を聞かされることとなり、気丈にも涙を堪えて無事を祈った。


騒動の渦中、同調によって従軍したメルビル法王の戦死が確認され、それを受けてアルテナ以外の一族は法王位の廃止にすんなり同意した。


遂には樹林王国も、プライムとモアーの尽力により独立国家の枠組みを解消することを決議する。


奇しくもレウ=レウルを元凶として勃発したメルビルの大乱が引き金となって、グラ=マリの大陸統一はスケジュールを大幅に繰り上げた。


グラ=マリの暫定統治者たるカタリナ=ケンタウリが万難を排して大陸国家統一機構の完成を宣言し、ここに列強がしのぎを削る戦国の世は終わりを告げた。


戦乱に飽いていた人々は熱狂をもってそれを歓迎した。



はじめ英雄の帰還を待ちわびて声高に訴えを起こしていた人々もまた、次第に新時代のうねりに飲み込まれ、みなぎる活力の内にそれを忘れていった。


国境を超えた人々の結束が推奨された結果、魔物への対抗という見地からも成果は如実に現れた。


人々は魔物狩人や統合騎士団を先頭に快進撃を続け、魔物の純粋な支配領域は、大山脈でも<門>周辺の僅かな部分に限定された。


そしてその地を監督する為の抑止力として辺境騎士団が設立され、人々の生活圏を安堵した。


河川の造成や長距離の道路整備が急速に進み、大陸内の物流は飛躍的に利便性を高めた。


物流の向上は人口移動を活発にし、人口爆発の兆しを窺わせた。


公平な税負担と職業選択の自由が約束されると、女子供は挙って教育を受ける機会を求め、知識水準の底上げに寄与した。


もはや市中の何者も、近い将来経済全盛の社会が到来することを予感していた。


議会制民主主義は遅々とした歩みではあったが大陸の全域に浸透していき、末端の地方自治にまで拡がりを見せ始めた。


貴族という呼称は法を制定するまでもなく、自然と廃れた。



「…あれからまだ五年と言うに、かくも人間は忘れっぽい生き物であったか」


「それは誰に対する畏敬の裏返しです?」


「決まっていよう?私が剣を置いたのは、彼の功績に敬意を表してだ。ここに来る度振り返る。そしていたずらに栄華を望み力に頼んだ、かつての己の若さに恥じ入るのだよ」


「新しい花も添えられているようですが」


「…そうだな」


ブリジット=フリージンガーは石碑にそっと手を伸ばし、表面を愛しげになぞりながら目を瞑った。


ワイバーンは穏やかな表情でその動作を見守っている。


旧紅煉騎士団の共同墓地の一画に、グラ=マリ統一に貢献の大なるジリアン女王と彼女の縁者を偲ぶ慰霊碑が建てられていた。


「しかもこれは…ルベルティヒの幻想花ですね。珍しい。花言葉は確か…栄光と真実の愛、でしたか」


「大方、プライム=ラ=アルシェイド博士であろう。彼女も変わらず独身を貫いていると聞く。健気よな」


そういう自分はどうなのであろうとブリジットは自嘲を込めて自問した。


彼女とて三十路を過ぎて独り身なわけで、公職を退いて久しいとは言え、世間はこの美貌の英雄に華やかな話題の到来を待ち望んでいる。


それでもブリジットに浮いた話はなく、彼女は頑なに異性との交渉を絶っていた。


それとは対照的に、ワイバーンは四年前に商家の娘と結婚して既に二児を授かっている。


そのワイバーンは石碑に刻まれた在りし日の同僚たちの名を、上から一つ一つ丁寧に視線でなぞっていった。


月日は経てども各人の顔が容易く思い起こされ、当時あった派閥や身分による対立意識など関係無しに、ただ懐かしさだけが心を占める。


(感傷…だな。私もあの剣林弾雨を過去のものと捉えている。…やはり男というのは元来軽薄なものなのだ。そうであろう、ラインベルク?フリージンガー様はこうして、今もお前に操を立てておられるのだぞ)


「…活躍の場を奪った私を、今でも恨んでいるか?」


ブリジットはワイバーンの顔を見ずに小声で訊ねた。


あの頃、統一間近なグラ=マリには多大な隙があった。


ワイバーンの器であればブリジットを覇者として立てるのもそう苦労はなかった筈で、事実彼は何度かクーデターの実行計画を具申してもいた。


その何れにもブリジットは首を縦には振らず、その流れからか新時代においては二人が二人、共に政治や軍事から遠ざかった生活を営んでいる。


ブリジットですら、長く自分に仕えたワイバーンの潜在能力を真に使いこなすことは叶わなかった。


それ故に、自分が要所で決断してやれば、或いは他の誰かに仕えさせていたならば、ワイバーンはラインベルクに代わって大陸一の勇者として語り継がれる存在にもなれていたのだと、ブリジットは今も確信している。


「全く。これで酪農という事業を楽しんでやっております。…そうは伝わりませんか?」


「いや…育児に喜びを見出だしている様は理解しているつもりだ」


「所帯を持ち、自分の中に知る由もなかった家庭的な一面を発見するのは、実に趣深いものがあります」


「フフ。それは私に対する嫌味ではなかろうな?」


「…これは参りました。そんなつもりは毛頭ありませんが。大の男が面前で幸せを語るというのも興醒めですよね」


「そうでもない。貴公であればこそ、よく似合う」


二人は目線を合わせると顔を綻ばせ、久方ぶりの掛け合いを楽しんだ。


やがて墓地に人の入りがチラホラと見られ、ブリジットはその目を避けようとでもするかのように踵を返す。


「人間もまだまだ捨てたものではないのでは?あそこに見えるは、そう…グリプス=カレンティナでしょう。オードリー=アキハ夫妻の姿もあります」


ブリジットは足を止めることこそなかったが、ワイバーンの指摘に軽く頷いて簡潔に応じた。


「今日は…ラインベルクと久遠アリシアの命日も同然なのだから、当然であろう?」



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