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紅煉のラインベルク  作者: 椋鳥
第27章 相愛
168/179

168話

***



プライム=ラ=アルシェイドは対魔騎士団の全騎を薄く横列に並べた。


それは儀式魔術の余波を浴びぬようにという配慮からであったが、彼女はそもそも用意した罠がそれほど有効に働くとは信じていない。


(まさかリーゼロッテ=ブラウンが敵に回るなんてね。それに久遠アリシア。…まーったく、厄日ったらないわ!)


リーゼロッテの魔術師としての実力は自分に匹敵するレベルであり、アリシアに至っては対魔騎士団では誰も止められないと覚悟している。


プライムは地平の彼方に整列してこちらと向き合うワイバーン隊の動きにのみ注意を払っていた。


気を揉んでいるのは、仕込んである魔術の起動タイミングである。


彼女に課された使命は二つ。


倒せるのものなら、紅煉騎士団を撃退する。


それが無理であれば、ラインベルクと友軍が到着するまでの時間を稼ぐ。


現有の戦力では、そのどちらも難しかろうとプライムは分析するも、弱音を吐く暇も無ければ相談する相手もいなかった。


敵に動き有り。


報告を受けずとも、プライムは自身の遠視の魔術でワイバーン隊の始動を確認している。


真っ直ぐに向かってくるようであり、それでいて速度と進路にバラつきがあった。


プライムならずとも、その行動から何かを誘い出そうする空気が読める。


乗ってやろうじゃないのとプライムは負けん気を前面に出し、魔術師たちに詠唱を始めさせた。


両軍が弓矢の届くか届かないかという距離に近付いた時点で、プライムの伏せていた大魔術が発動する。


氷土。


見渡す限りの平原を氷の膜がみるみる覆っていく。


それは霜が張るというレベルではなく、張られた氷は成人男性の握り拳ほどの厚みがあった。


広範囲に、そして自軍の周囲に隙無く氷を敷き詰めたことは持久戦に持ち込む腹だと開示するに等しい。


敵が正面突破を図り氷面を滑るように進行してきたとして、不得手な態勢は弓矢や魔術のいい的でしかない。


そして、こうも面積のある氷を溶かすなり砕くなりして進むというのは、相応の労力と時間を要する。


プライムは与えられた時間を使ってただ時間を稼ぐためのこの魔術を準備し、それは単純が故に侮れない効力を発揮した。


ワイバーンは、即座に魔術師たちへ氷土の解術を命じた。


リーゼロッテをはじめとした手練れが適宜に炎の魔術を投下していく。


それでも儀式を用いて構築された氷は強く、おいそれとは溶け出さなかった。


ワイバーンは頭の堅い軍人ではなかったので、時間がかかると見るや氷土に構わず勝敗を決する道を検討する。


単に樹林王国の攻略を目指すのであれば、この場を迂回してパーシバルを突けば済む話であった。


(…それでは駄目だ。アルシェイド伯爵にせよラインベルクにせよ、目的は陛下の持つ紅煉石の排除。樹林王国の王都を陥れたとて我々が得られるのは対魔騎士団への人質と補給線の遮断のみ。何れ決戦は避けられん以上、無駄に労力を割くべきではない)


ワイバーンは基本へと立ち返り、敵を各個撃破する策を採用する。


彼はラルメティや剣皇国、イチイバルの義勇軍が九分九厘ここに集うと見ており、対魔騎士団に近寄れないのであれば、大兵力のある今こそ残りの軍勢を相手にする方が筋だと結論付けた。


これにはプライムが焦った。


鳥眼の魔術で監視していたワイバーン隊が兵を引いて南進する素振りを見せたことで、プライムはワイバーンの意図がラインベルクの援軍を叩くことにあると正確に見抜く。


(ラルメティのフレザントと、イチイバルのシルドレから援護がある…ラインはそう連絡を寄越した。あいつがそう言うのだから、間違いなく来る!…なのに、私はみすみす自軍の動きを封じてしまった!これでは時間差で各隊が…)


ワイバーン隊が向かってくるラルメティ軍を発見したのは夕暮れ時のことである。


発煙筒で後軍にもその事実を伝え、攻撃の為の錐行陣形をとった。


敵の数を五百超と見積り、倍の騎士を従えたワイバーンであっても逸る気は微塵もない。


「敵は寡兵なりと言えど油断はするな!掛かれッ!」


ワイバーンの猛りに応じて全騎が動き、大地は鳴動する。


しかしラルメティ軍はワイバーン隊の押すに任せて引き、真面目に交戦をしようとする気配が無い。


ワイバーンはその尾を捕らえんとするが、ラルメティ軍の動きは巧み且つ変幻自在で、遂に一太刀も交えることなく夜を迎えた。



夜半、四軍の長が集っての作戦会議において、後詰めの第5軍を率いるフィリップ特佐から報告があった。


その内容は、剣皇国より部隊が進発し真っ直ぐにこちらを目指しているというもので、初日を無駄にしたことが敵の合流確度を高めたと各自認識させられる。


「…そもそも、彼の目的は何なのです?本気で我等と剣を交える気があるものやら」


軍歴三十年にならんとする、エルベンス=ヨーデル准将が疑問をぶち上げた。


第6軍の将軍に抜擢された彼はギュスト派に連なる歴戦の騎士で、生真面目さと任務を忠実にこなす信頼性に定評があった。


一方で佐官でいた時代が長く、未だ自身の担務を戦術範囲に限定して物事を判断するきらいがある。


「ラインベルクは…戦いとなれば元味方相手とは言え、手を抜いてくれるような甘い男ではない」


フィリップはそれだけを述べて、正式な回答を主役たちへと預けた。


ブリジットとワイバーンは、難しい顔をしてパイプ椅子に収まったまま口を開かないでいる。


上座のジリアンが手のひらで机を叩くと、場に揃う将校は皆居心地が悪そうに身動ぎをした。


それは、同席していたアリシアやリーゼロッテとて例外ではない。


「対魔騎士団との戦争に合わせて兵を挙げたのだから、私に対する挑戦としかとれないでしょう?何度も言うようだけれど、紅煉石は誰にも渡さないわ」


ジリアンの意見は今更であり、エルベンスやフィリップを頷かせるだけの説得力を発揮し得なかった。


彼らの求めるところは、ジリアンと共に手を携えて紅煉石を守っていたラインベルクが、何故今になって節を曲げて対魔騎士団に協力したのかという点にある。


「…ラルメティ公国にまだ動員出来るだけの兵がいたとはね」


アリシアがぼそりと呟いた。


「フレザントの仕業ね。あの男、戻ったら磔にしてやるんだから」


ジリアンはあながちハッタリとも思えぬ口調で言い捨てる。


天幕に流れる不穏な空気と不毛な会話を断ち切るべく、ブリジットはワイバーンに明日以降の展望を述べるよう促した。


ワイバーンの応答は、ブリジットが予想していたよりも数段厳しいものである。


「ラルメティ公国軍の操兵は妙技でした。あれは…おそらく桂宮ナハトの指揮でしょう」


フィリップやアリシアはそれと予想していたのか、腕組みをしたまま黙っている。


「となれば、兵力差がそのまま有利に働くとも言えません。寧ろ、小所帯故の機動力に翻弄される恐れがある」


「少将閣下、それは弱気に過ぎましょう?ご命令あらば、我が第6軍が突撃してこれを蹂躙して御覧に入れます」


「形が整ったら、ヨーデル准将にはその役を御願いしたい」


ワイバーンはエルベンスの客気を流し、今度は黙したままのリーゼロッテへと問い合わせる。


「リーゼロッテ殿、あの氷の大地、放っておくとどうなります?」


「儀式魔術ですから。アルシェイド伯が解こうと思えばいつでも解けます。放置したなら、下手をすると十日以上はあのままかと」


「やはり、解けますか…」


「ワイバーン。それではいつ何時対魔騎士団に襲われるとも限らない、ということにならないか?」


「御明察です。逃げるラルメティ軍と閉じ籠る対魔騎士団。両者共に時間を稼ぎ、ラインベルクの到着を待っている。そして後者は我等が隙を見せれば、躊躇せずに背後から刺してくる」


絶句する一同を尻目に、ワイバーンは涼し気な面持ちで解説を続けた。


「だが、こちらにもやりようはある。敢えて隙を作ることで対魔騎士団を炙り出すという分かり易い手立てが」



***



開戦二日目もラルメティ軍は逃げに徹していた。


フレザントから早馬によりもたらされた情報でラインベルクとシルドレが近付いていることを承知しており、桂宮ナハトは無理に戦おうとはしないでいる。


時間が経過して四軍が合わされば、それだけで勝率は高まろうというもの。


ナハトは回避行動に全霊を傾けて対応していた。


(…それでも、敵も何かしら仕掛けては来るだろう。単純な伏兵や陽動、挟撃といった策なら読めよう筈だが)


午後になってからは紅煉騎士団の追撃の手が緩み、ナハトとラルメティ騎士たちに一時の休息をもたらせた。


それが逆にナハトに疑念を抱かせる。


彼は万事慎重な性格で、自身がそう敵の罠に掛からないことを信じていたのだが、一抹の不安は友軍である対魔騎士団にこそあった。


指揮官のプライム=ラ=アルシェイドは、非常に気性の激しい魔術師である。


フレザントからそう聞かされていたが故に、ナハトは友軍が短気を起こして暴発しないかどうかを気に掛けていた。


氷土戦術を知った折には素晴らしい閃きだと絶賛したものの、おいそれとそれの解除に踏み切りはすまいというのは、ナハトの願望に過ぎない。


偵察がもたらす状況は、ナハトの悪い予感を肯定するものであった。


「桂宮将軍、紅煉騎士団は何故に無闇やたらと長い横陣を?これでは、薄くなった部分を突いてくれと言わんばかりではありませんか」


「その通りなのだろう。危うきに近寄らずか、全力で突き破るかだ。だが後者をやるには対魔騎士団の現有戦力は不足している。…つまりは、そういうことだ」


それを聞き、騎士は恐る恐る訊ねた。


「罠、ですか?」


「確実にな。わざわざ弱点を晒すなど、紅煉騎士団らしくない。対魔騎士団の指揮官らと連絡が取れるのならば、一喝してでも止めるところだが…」


余計な合図を送ればそれ自体を共同攻撃のサインと取られかねず、ナハトに出来ることは少なかった。


多少のリスクを冒し、部隊を紅煉騎士団と対魔騎士団の双方に近付けてはみたが、ワイバーン隊はおろか紅煉騎士団の他部隊も反応を見せない。


(決まりだな。対魔騎士団が誘いに乗ったなら、こちらも覚悟を決めて突入する他にない。死地に活路を見出ださねば、樹林王国は蒼樹前女王の遺志と共にここで滅び去ることになる)


夕闇が濃くなる中、その時は訪れる。


先に動いたのは紅煉騎士団の第6軍で、エルベンスの奇声が轟いたかと思うと、距離を近付けていたラルメティ軍へと殺到した。


これには虚を突かれた形のナハトであったが、直ぐに統制を回復し、これまでと同様に退却を開始する。


第6軍は深追いし、紅煉騎士団全軍の配置はワイバーンの意図しない方向で乱れた。


誤算は飛び火し、紅煉騎士団の混乱を察知したプライムが猛る気を抑えきれずに氷土の魔術を解いて、突撃型の魚鱗陣を組んだ上で前進を始める。


薄く広く布陣した紅煉騎士団に突っ込んだ対魔騎士団は、セオリー通りにこれを貫通して反対側へと飛び出さんとした。


エルベンスの軍が不用意に欠けたため、紅煉騎士団は良いように突破を許す。


しかし、ワイバーンの采配は神憑っていて、横陣の両端を素早く回り込ませると、簡易に半包囲を形成して一転対魔騎士団を窮地へと追い込んだ。


「今だ!矢を射掛けろ!針鼠にしてやれ!」


ワイバーンとブリジットが同じタイミングで叫び、あわや対魔騎士団は全方位からの中距離攻撃に沈まんとする。


それをギリギリのところで救ったのはナハトであり、彼は第6軍を巻いたばかりか、戦場へと先に急行して紅煉騎士団に剣を向けた。


「一点突破だ。対魔騎士団を引き上げたら、長居は無用ぞ!」


僅かに五百騎であってもナハトが操れば猛烈な威力を体現し、集中攻撃はフィリップの第5軍を切り裂いた。


プライムはその綻びを見逃さず、弓矢を掻い潜って全騎をラルメティ軍の方向へと走らせる。


プライムとナハトは無事にコンタクトを取り、両軍は挙って東へと流れた。


これはパーシバルから離れる行為となるが、ラインベルクには近付く算段である。


一方、残された紅煉騎士団は散々で、被害こそ少ないものの敵の合流を許し、挙げ句自国領の方面に取り逃がした。


これは糧道を断たれたにも等しいのである。


ワイバーンはそれでも決して悲観はせず、ブリジットにくれぐれもエルベンスを罵倒したりはせぬよう念を押し、全軍でもって東へと猛追する。


最悪の場合、樹林王国の王都パーシバルを陥れる長期戦も覚悟の上であったが、士気の関係からそう決着まで時間は掛からないとワイバーンは踏んでいた。



「夜襲を仕掛けます」


ナハトはプライムに対してそう宣言し、対魔騎士団にも半数を拠出させ、夜に紛れて行軍を敢行した。


実際は遠距離で矢と魔術を放るだけであったが、紅煉騎士団にプレッシャーを与えることに成功する。


常勝より覇軍へと昇り詰めた紅煉騎士団の士気は高かったので、ナハトとしては正面衝突するまでにそれをある程度削ぎ落としておきたかった。


夜襲により心理的緊張を強いられた紅煉騎士団には、ナハトの見立てた通りに少しの消耗が見受けられた。



紅煉騎士団の布陣から三日目となり、それでも両軍は睨み合いを続けている。


これはワイバーンの徹底した指示と情報統制による作戦の一貫で、昼を過ぎても紅煉騎士団の側に動きはなかった。


これにナハトが勘を働かせる。


「対魔騎士団に、いつでも走れるよう合図を!」


「はっ!」


方角までは指定せず、ナハトはいつでも自軍を戦闘状態へ移行出来るよう気を配る。


予期した通り、紅煉騎士団の別動隊が南より詰めてきた。


「我が子らよ、待たせたな!全騎突撃し、王国に仇為す者共の首級を存分に挙げよ!」


ブリジットの第1軍は怒濤の突撃を展開した。


これは昨晩の夜襲の際にワイバーンが仕込んだ策で、彼はブリジットの軍を分解し、夜戦のどさくさ紛れに南方への隠密移動を決行させていた。


今日ワイバーンが動きを見せなかったのは、減少した兵数を悟られないようにとのカムフラージュからで、ブリジット隊が噛み付いたこれを機に全軍に攻撃を命じる。


ナハトは無傷での防衛方針を捨て、まずは対魔騎士団を北へと逃がした。


残されたラルメティ軍はブリジットとワイバーンに散々に撃ち破られ、ナハトは数騎で脱出するのが精々であった。


(すまん…ラルメティの騎士たちよ。だが、戦力の核たる対魔騎士団を無傷で逃がせたのは大きい。…こうなったからにはラインベルク将軍を何としても勝たせ、真に平穏なる統治を実現せねば、犠牲となった英霊の魂も休まらぬというもの…)


ナハトは馬で駆けながら胸元より星取表を取り出すと、もう必要がないとばかりにそれを地に投げ捨てた。


彼にとって生涯最後となろう大戦が、もう目前に迫っていると分かっていたからである。




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