表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅煉のラインベルク  作者: 椋鳥
第3章 胎動
16/179

16話

***



蓮は機嫌が悪かった。


東部要塞を奪われてからこのかた、思い通りにならないことが続いていたからだ。


王妃を拐かして入団したとして敵視していたラインベルクは、あれよという間に少佐にまで昇進し、あまつさえ紅煉騎士団始まって以来の独立部隊の創設に隊長として抜擢された。


その過程で凶悪な魔物として知られた<歌姫>を倒したことで、筆頭騎士たる自分よりも名を馳せた。


それら一連の所業を騎士団長や王宮の貴族たちが許容したことが許せず、何より自分は仮設の駐屯地で無為に過ごしている事実に納得がいかなかった。


(命令さえいただければ、直ぐにでも要塞を攻撃するものを…)


蓮の第6軍とフィリップ=ギュストの第8軍は再編されて、王都と東部要塞の中間地点であるビルト仮設駐屯地に配備されていた。


サイス=エルサイス元帥からの命令は要塞の帝国軍の監視と抑止で、能動攻撃は許されていない。


そして帝国軍は、要塞駐留の部隊を交代させて以降目立った動きを見せていなかった。


蓮もフィリップも練兵を軽視せず、怠りもしてはいないのだが、それでも武人として中途半端な立ち位置にいることに我慢がならないでいる。


「蓮少将。話があって参りました」


不意にフィリップが蓮を訪ねてきたとき、天幕には彼女と副官たる大尉の二人だけがいた。


「…ギュスト准将。珍しい人物を連れてきたな」


蓮がフィリップの後ろに控えるアリシアを指して言った。


対グランディエ戦の功で少佐に上がったアリシアは、陽炎分隊には参加せずに、第8軍の中核たる第1中隊で隊長を務めていた。


彼女の他にも、七星カミュやゲルトマー=ギュストなどが第8軍で参戦している。


「話とは…貴公のことだ。要塞への威力偵察でも強行しようというのであろう?」


蓮は半眼で問い掛けた。


「…わかりますか。ならば話は早い。一戦して一勝すれば命令違反も軽くはなりましょう。このまま座していては、状況は何も改善しませぬ。蓮少将、共に出撃しましょうぞ!」


「それはならぬ」


「少将!」


「卑しくも騎士たる者、軍規に背くは主君に背くも同じことぞ。貴公は一軍を預かる身として、将たる自覚が薄いのではないか?これは聞かなかったことにしておく」


にべもなく蓮は会話を打ち切ろうとした。


そこにアリシアが口を挟む。


「帝国貴族は忍耐に欠けることで有名です。挑発だけでも、やってみる価値はあるかと」


「挑発…」


「はい。激しく名誉を傷付けるような文面を投じるのです。敵が出てこなければ諦める他ありませんが、挑発に乗ってのこのこ出てきたなら防衛行動が成立する」


アリシアの提示した策は蓮の心を揺らした。


うまくいこうといくまいと、これなら王都からの命令に反するものではい。


(ライン…あなたは言った。竜も虎も引き上げたなら、要塞は張りぼてに過ぎないと。安い挑発のひとつも仕掛ければ、帝国貴族の肥大化したプライドはそれを許容しないと。早速試させて貰うわ)



***



「ねえ…なんか、ラインとラミアの間の空気が変わった気がしない?」


馬上から唯がリーシャに話し掛けた。


リーシャの方が階級は上なのだが、唯に気にした様子はない。


「…する」


関係ない、と答えるつもりが、リーシャが思わず口にしたのは肯定の返事であった。


「でしょ?絶対怪しい…。ディタに握らせて、情報収集させようかしら」


唯は頭の中で算盤を弾く。


疑われている当人は、進軍する陽炎分隊の先頭でグランディエ入りの最終確認をしていた。


ディタリアと詳細を打合せ、その内容を小隊長たちへと通達するのだ。


「シャッティン=バウアー、信用出来ますかね?」


ディタリアが疑問を呈した。


「今更だよ。もし傭兵たちが我々を罠に嵌めようとしているとして、実利は何だ?勝利による名声くらいしか思い浮かばない。例え成功したとして、紅煉騎士団の新手を招くことになるのは明白だ。そんな体力が残されていないことは、彼ら自身がよく分かっている」


「つまり、信用すると」


「用心するに越したことはない。そのくらいだね」


グランディエは都市国家という名が示す通り、人口二百万を数えるグランディエ市単体構成の国家である。


同様の形態に魔術都市が存在する。


北街道の終着点、平野と都市部の境目あたりに傭兵団<神威>を引き連れたシャッティンが待ち構えていた。


馬を降りたラインベルクがシャッティンに近付き、挨拶を交わす。


「紅煉騎士団陽炎分隊のラインベルクです貴市の救援要請に従って参上しました」


「…<歌姫暗殺>のお噂は聞いております。<神威>のシャッティン=バウアーです。出兵に感謝します。早速ですが…」


シャッティンは自身の右腕たる<神威>の魔術師ドラッケンを紹介し、彼の口からグランディエの現状を説明させた。


ドラッケンの口上は抽象的で要領を得なかったのだが、ディタリアが辛抱強く質問を重ねて全体像が判明した。


アッチソンの第5軍に打ち破られたグランディエ軍は、中核たる傭兵団が幾つも潰滅した。


戦前は最大規模を誇った<神威>ですら二十人足らずまで目減りし、抑止力が失われた結果、非公認の傭兵団や野盗と化した敗残兵、有力商人子飼いの私兵から闇ギルドまで、さまざまな勢力が好き勝手に暴れる始末となった。


シャッティンらは、少なくなった有志をまとめ上げて治安維持に尽力したものの、多勢に無勢と苦杯を嘗めていた。


ついに<神威>の構成員が闇討ちに遭い始め、助けを求めた北部諸国から色好い返事が得られなかった時点で、評議会は背に腹変えられずグラ=マリ王国とのチャンネルを開いたと言う。


「闇ギルド?」


ディタリアの質問に、ぼさぼさの赤毛を掻きながらドラッケンが応じる。


「ええ。有り体に言えば暗殺者のギルドですね。大陸中にネットワークを巡らせていて、大きい都市ならたいてい支部が存在すると言います。グランディエでは傭兵団の商売敵に当たるので、それほど力はなかったのですが…」


力強く誠実そうな外見のシャッティンとは違い、小柄でひ弱そうに見えるドラッケンがさらに身を小さくして続ける。


「今は賊どもに混じって評議会や傭兵団の有力者を暗殺して回ってます。情けない話ですが、我々だけではもう対処しきれません…」


「…誰であっても、闇ギルドを相手にするのは利口じゃない」


ラインベルクが言った。


シャッティンやゼノアが「どういうことです?」と口にする。


「暗殺を防ぐのは難しい。それこそ実行する側には無限の選択肢があるが、防御する側はその全てに対策を打てるわけではない。そして警戒している間も神経を磨り減らし続ける。どうにか撃退できたとして、そこで終わる保証はない。狙われた側に初めから勝利がないとも言える」


隣でディタリアが唾を飲み込む。


ドラッケンは頷きつつも、「ではどうする?」というシャッティンの問いには答えられないでいた。


「ターゲットの希釈」


リーシャが言った。


ゼノアやラミア、唯らは意味が分からず呆けている。


ラインベルクは「それしかない。より多くの者が標的となり、暗殺者側がぼろを出す確度を高めるんだ」とリーシャの意見に太鼓判を押した。



***



市内に進軍するや、ラインベルクは事前の打合せ通りに小隊を分散させた。


各小隊には<神威>の傭兵がバックアップに付き、ラインベルクは唯の第3小隊に、ディタリアはラミアの第4小隊へと加わる。


「第3小隊は、まずは評議会議場の確保だ」


ラインベルクが言って、唯は慌てて小隊員に通達する。


隣でシャッティン=バウアーが鞘に収まったままの剣で素振りなど始めた。


彼は真面目な男で、三十歳にして<神威>の団長を務めるだけの包容力や誠実さを持ち合わせていた。


得物は長剣で、恵まれた体格から繰り出される豪快な素振りから見るに、腕が立ちそうだとラインベルクは思った。


シャッティンの案内で早々と見つかったグランディエ評議会の議場は木製の瀟洒な造りで、正面からは横長の本殿と左右両極に配された円塔とが映る。


奥行きは議場の構造から半円形になっているそうで、背後に回ると湾曲した壁面が壮大で見事なのだと言う。


「ここを占拠しているのは、最新の情報では<愚者の塔>という市に未登録の傭兵団と、北から流れてきた<金狼(きんろう)>とかいう武装集団です。総勢は三十というところでしょうか」


シャッティンの解説にラインベルクが目の色を変えた。


「…<金狼>だと?」


<金狼>は大陸北部では有名で、獣の名を冠した強力な強盗団<四獣>の一翼を担う。


イチイバル共和国などは<四獣>全ての構成員に賞金を懸けて撲滅を目指していた。


中でも<金狼>には腕利きの剣士がおり、名をハリス=ハリバートンと言う。


顔面に怪奇なペイントを施した性格破綻者であったが、その高速剣は他の追随を許さないと怖れられていた。


ラインベルクは知っている内容を一同と共有する。


(<金狼>がいると予め知っていたら、リーシャやゼノアを引き連れて来ていた。今から引き返すか?…いや、おれがいない隊がここに当たらなくて正解だったと思うべきか)


結成間もない陽炎分隊の士気のこともあり、ラインベルクは自身が先頭に立って議場奪回の任務に当たることを決めた。


「唯、シャッティン。全騎突入しよう」



***



大陸東部、メルビル法王国の聖都エルシャダイでは、つい先程まで樹林王国に絡む背教審議が白熱していた。


遥か遠方の樹林王国自体はとうの昔に背教国へ認定しており、来るべき日には審判を下すことで決定している。


今回はその樹林王国と共謀している南部の雄、ラルメティ公国に対する方針決定を議論していたのだ。


「…ニーザ=シンクレイン殿!お待ちあれ」


その呼び掛けに、審議会場から出てきた深紅のローブを着込んだ大柄の男がゆっくりと振り返る。


年の頃は三十代半ばほど、彫りの深い目鼻立ちに強固な意志を窺わせる濃い眉がのっている。


「キルスティン=クリスタル殿か。いかがなされた?」


「考え直していただきたい。ラルメティと戦争だなどと、我が国にとって百害あって一利無しではないですか」


後を追ってきたキルスティンと呼ばれた佳人が顔を紅潮させて言う。


彼女は二十二歳という最年少の枢機卿で、先代法王の娘でもある。


「教導騎士団<七翊守護(しちよくしゅご)>が一人のお言葉とも思えませんな。キルスティン=クリスタル殿。背教の徒を改心させることが卿の使命であるはず。それが何を尻込みされる?」


キルスティンと同じく枢機卿の職位にあるニーザ=シンクレインが応じる。


言葉遣いは丁寧で表情にも特段に感情の起伏は見られないのだが、キルスティンは圧倒的な威圧感をその身に感じていた。


「…異教徒に鉄槌を加えること自体に異論などありません。ですが相手は大国です。戦力的には互角で、勝負を決するまでには時間もかかりましょう」


「それで?」


「総力をあげて出陣するには、後顧の憂いを断たねばならないと申し上げているのです。悪化している魔術都市との関係しかり、アロン王国やブレナン同盟しかり」


ニーザからの無言の圧力に抗うように、キルスティンは瞳に力を込めた。


「それは外交を司るイシュバシュ=ギル殿に請われるべきでは。私は懲罰担当に過ぎない。軍事を統括する卿に軍略を諭されても、正直判断致しかねる」


「…外交部はあらゆる圧力に曝されていると聞きます。やれ異教徒との友好など無用だ、軍部の意向などに聞く耳を持つな、と。懲罰をちらつかせるそのやり口は卿もご存知のことでしょう?」


「知りませんな。何にせよ、審議の決は出たのです。覆すことなど…」


「卿ならできるでしょう!」


キルスティンが怒気を露にした。


何事かと会場から幾人かが顔を出す。


「審議の場が形骸化していることなどすでに常識。公正なふりなどしても仕方ありません。卿の一存が議論を左右するは明白故、こうしてお願いに上がりました。ニーザ=シンクレイン殿、曲げて出兵にご一考を!」


法王国の麗しの姫たるキルスティンの力のこもった懇願は、傍観者からしても鬼気迫るものと映った。


それでもニーザに動じた様子はなく、憐れみを彩るような笑みを口元に形作る。


「仮に卿の仰りようが真実だとしても、私はこれ以上審議結果に手を加えるつもりはない。法王猊下にでも直訴されてみては?前法王の娘である卿が涙を流して上申すれば、そう無下にはなされまい」


キルスティンの目が見開かれ、腰元の剣の柄に手が走った。


(この奸賊を斬る!)


その手は柄に届こうかというところで、力強い温かな手に押さえ付けられた。


「…物騒なことをするな」


「お師匠様ッ?」


キルスティンの暴発を抑えた人物はここメルビル法王国の剣術指南役で、大陸東部最強と噂される流浪の剣豪、九郎丸その人であった。


長身痩躯で黒髪を無造作に伸ばした優男といった風体だが、実年齢は三十五を超えている。


いつの間にかキルスティンの背後に駆け付けており、掴んだ彼女の手首を離してやる。


「…これは九郎丸殿。お蔭で命拾いをした。礼を言わせてもらおう」


「シンクレイン殿、それは何の話だ?俺はただ手癖の悪い弟子を戒めに来ただけだが」


九郎丸は平静を装い、対するニーザにしても眉ひとつ動かさない。


「…結構。私の勘違いだったようだ。すぐに話があるかと思うが、背教の徒ラルメティに審判を下すことが決まった。私は軍事は素人だ。万事お願いしたい」


「忘れてやしないか?俺は枢機卿会議の指図は受けない。先代への義理で剣術指南こそすれ、戦に参加するかどうかは自分で決める」


「了解している。では」


ニーザは踵を返した。


その姿が視界から消えると、九郎丸は会場から廊下を窺っていた他の枢機卿や聖職者をひと睨みして退散させた。


キルスティンは九郎丸に制止された姿勢のまま固まっており、ニーザの去っていった方角をじっと凝視している。


「おい」


「…」


「おい、ガキ」


「…お師匠様」


キルスティンは怒気を払って、すがるような目付きで九郎丸を見る。


「お前は馬鹿か?挑発を流すくらいのことができなけりゃ、先代の仇を奉じるなんざ夢のまた夢だ」


九郎丸は口調こそぞんざいだが優しい目でキルスティンを糾弾した。


「…すみません」


「ラルメティ戦はお前たちでやれ。ここは俺が見張っておく」


「はい」


「お前ももう枢機卿なんだ。しっかりしないと先代に笑われるぞ」


「…お師匠様がいなければ、私一人ではどうすることもできません。悲しいかなそれが現実です。せめてセイレーンが残ってくれていたら…」


セイレーンの名を聞いて、九郎丸も口を閉ざした。


(ソフィアか…。キルスティンと違って、あいつは野放図に育て過ぎたわな。今は帝国にいると聞く。何れ戦場で相まみえることもあるだろうよ)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ