153話
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ラインベルクは脇目もふらずニーザ目掛けて斬り掛かった。
トリスタンや九郎丸、シルドレといった勇者が相次いで退場している以上、最早自分をおいてこの狂人を仕止めることは出来ないと盲信している。
「ニーザ!」
聖剣アルテミスの一撃は、ニーザの魔剣フェンリルによってがっちりと受け止められる。
だがニーザといえどその威力には後退りさせられ、剣を払った次の応酬も互角の様相を呈した。
ラインベルクは止めどなく攻め立て、ニーザに反撃の暇を与えない。
それでも魔剣フェンリルは徐々に青黒い鬼気を発し始め、特性であるところの幻術を発現せんとした。
斬り合いは何もラインベルクとニーザだけで繰り広げられているわけではなく、王宮前庭の至るところでグラ=マリとメルビルが精鋭同士の闘いの火蓋は切って落とされていた。
ジュデッカは幼少時に師弟関係にあったラティアラと。
ヒースローは眼前の咒黄と。
ジュードはオーギュストに挑み、フュハはエキドナの前に立ちはだかった。
残されたシバリスと羅刹は互いの立ち位置を確かめるべく様子を窺っている。
闘いはどれも激しいものとなるのだが、拍子抜けするほどに早く、おまけに意外なカードが決着を見た。
ラインベルクがニーザを押し切ったのである。
うずくまるニーザの法衣は胸元が朱に染まっており、片やラインベルクはしっかりと聖剣を握り締めて止めを刺さんと仁王立ちしていた。
結果的に、魔剣フェンリルは聖剣アルテミスに対して相性が悪かった。
アルテミスの魔力は幻術をも斬り裂いてみせ、かつてトリスタンがフェルミを破った時のように特効を発揮した。
何よりラインベルクの剣の冴えが尋常ではなかった。
共に邪剣に通ずる二人ではあったが、ラインベルクの必殺の剣はシルドレから教わった正統のそれであり、正邪が融合した紛うことなき必殺の流派に昇華を果たしていた。
実力ではニーザに一段も二段も劣るという自覚はあったものだが、ラインベルクの勝利への執念はここに実を結ぶ。
「脆かったな。魔剣に頼らねば、こうも早く勝負が決することはなかっただろう。…死ね!」
ラインベルクの最後の一突きはしかし、突風にあおられてニーザに命中することはなかった。
「だから言ったでしょう?衛星が集まるので、もっと戦力を削ぎ落としてから決戦に臨むべきだと」
「レウ=レウル!」
中空に浮いた<始源の魔物>最後の一人の名を呼ばわり、ラインベルクはここが全霊をもって闘うべき場面だと確信する。
レウは指先で円を描き、その場に<小門>を出現させた。
「クライン・ゲートと言います。<名無し>との闘いでも見せましたよね?この闇は、言わば<門>と同義です。僕に操れるのはこの程度の大きさでしかありませんがね」
ラインベルクはレウの口上を無視して再びニーザへと迫った。
だが<小門>から放たれる強風にって容易に剣は進まず、それどころか身体に異変が生じ、地に片方の膝をつく。
「異界の風。こういう使い方も出来るのです。我が贄をここで殺されるわけにはいきません、勇者ラインベルク」
「…原罪はもうない。であれば、お前は一体何を企む?」
「僕はただ、シンクレイン様の<強欲>を叶えてあげたいだけです」
「それが大陸の滅亡を意味してもか!<名無し>と何が違う?」
「動機だけでしょうね。やろうとしていることは同じですから」
ラインベルクは聖剣を振り抜くが、そこから放たれた衝撃波さえも<小門>は吸収してしまう。
空間にぽっかりと口を開いた<小門>の奥は、真の暗黒が広がるのみであって誰も窺えず、全てを闇へと還す途方もない圧力が感じられた。
(あれをどうにかしないと、勝負にならんか…)
「止めた方がいい。僕も<始源の魔物>に数えられた身です。それに、ここで貴方と争うつもりはありません」
「ほざくな!」
ラインベルクは魔術のエネルギー波を地面に叩き付けた。
あたりに砂塵が舞い上がる。
「煙幕、と言うわけですね。ですが、こうすれば貴方は近寄れない理屈です」
レウは<小門>から発する突風を強め、如何なる攻撃からも自身とニーザを守ろうと試みる。
異界の風は全方位に向いており、レウの言う通りラインベルクの剣は届かない道理であった。
しかし、煙の晴れたそこに、レウは信じられない光景を目にする。
「…素晴らしい!それでこそ、紅煉のラインベルクです!」
ラインベルクのかざす聖剣アルテミスは異界の風を巻き取って蓄え、ある種魔術付与に近い形でその力を利用しようとしていたのである。
聖剣・魔剣の類いは、鍛えられし過程で少なからず紅煉石の成分が加味されたと伝わる。
それが剣に魔術特性をもたらしているのだが、ラインベルクは紅煉石の願望成就の力を最大限に引き出すことで、この離れ業を実現していた。
そして、ラインベルクにはそれを成功させる自信があった。
(なんといってもこの場に紅煉石本体があるのだから、少しぐらいは加護が働くはずだろう!)
ラインベルクは異界の風ごと聖剣技を放った。
それはさしずめ、邪剣技とでも言うべき筋の危険な大技である。
月光に闇の竜巻が絡み付いたような、異形の剣閃が激しく躍り狂った。
レウは<小門>を前面に展開し、暗く蠢く剣の波を抑え込みにかかる。
二つの闇はぶつかり、ひび割れたかと思うと、両者ともに一気に破砕して漆黒の欠片を周囲に巻き散らせた。
ラインベルクとレウはほぼ同時に、次の挙動へと繋げる。
撃ち合ったのは雷撃の魔術であった。
単純に、威力で劣るラインベルクが全身を焼かれて仰向けに倒れる。
「ぐ…」
「シンプルな魔術勝負で、そうはひけをとりませんよ」
ふらふらになりながらも立ち上がったラインベルクに対して、レウは優しい声音で諭すようにして説得する。
「引いて下さい、ラインベルク。シンクレイン様さえ無事なら、僕は手出しをしません」
「馬鹿げたことを…」
「周りを見ても、そう言えますか?」
レウの指摘にはっとさせられたラインベルクは、振り返って仲間たちの状況を視認する。
そこに広がっていたのは、惨事とも言える戦闘の結果であった。
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咒黄に突進したヒースローは、キレのある二段斬りで有利な態勢を築くと、相手の側面へと即座に回り込んで必殺の一撃を見舞った。
絶好のタイミングであったが、咒黄は背面から剣を差し出すという奇手でそれを防ぎ、ヒースローを驚愕させる。
斬り合いはヒースローのペースで進むものの、フェイントからの強撃をすら、咒黄は完璧に撃ち返して見せた。
「技は悪くない。だが、それだけのことだ」
咒黄の放った渾身の突きは、ヒースローの予測を二回り程に上回るスピードで迫り、そして彼の眉間を正確に一刺しした。
ヒースローは顔面から大量の血を迸らせ、うつ伏せに倒れたままの姿で力尽きた。
ジュデッカの最期はより壮絶なものであった。
師ラティアラと互角の闘いを見せていたそこに、卑劣にも羅刹の横槍が入った。
羅刹の土の魔術でジュデッカは動きを封じられ、ラティアラの操りし風の刃によって両足を切断される。
苦痛に顔を歪めて地を転がるかつての弟子に対し、ラティアラは最後の慈悲を施した。
「今なら、まだ足を接合してあげられる。いい子だから、メルビルに来ると言いなさい」
ジュデッカは、脂汗を流しながらも無理矢理に笑みを形作ると、なおも氷の魔術で抵抗を企てる。
ラティアラはそんなジュデッカに興味を無くしたようで、「ならいいわ」とだけ呟くと、暴力的な気流を発生させて弟子を切り刻んだ。
四肢を断たれたジュデッカが、涙ながらに漏らした最期の台詞にも、ラティアラは何ら感銘を受けた様子はなかった。
「ロイド、ロイド、ロイド。五月蝿いったらないわ」
鋭利な空気の剣は、狙いも正確にジュデッカの首をはねる。
ジュデッカは、そうして五体をバラバラにされて死んだ。
「ナンバー・アインス…ノインの邪魔はさせない」
フュハはかつての同窓生を凍てつく瞳で射抜く。
ナンバー・アインスと呼ばれたエキドナは頭巾から覗いた瞳に何の感情も浮かべず、黙って小剣で斬り掛かった。
闇ギルド仕込みの剣同士は容赦無しに互いの身を削り合う。
咒黄からナンバーを与えられた訓練生の中でもエキドナの能力は本物で、フュハは次第に剣や体術で押されていった。
エキドナの正確無比な剣に絶えず急所を脅かされ、対処に追われたフュハは苦し紛れに魔術を行使する。
氷撃はしかし、寸分違わぬ氷撃でもって中和された。
(これは…コピーアート?ここまで反応速度を高められるというの!)
フュハはその一手で自らの死地を悟り、やむを得ず特攻の手段を選択した。
二人の剣が交錯し、致命傷とまでは言えなかったが、フュハは脇腹に深い傷を負わされる。
対するエキドナは無傷であり、フュハの決死の剣すらも通じないでいた。
脇腹に手をやるフュハのこめかみを、珍しくも汗が一筋伝って落ちる。
ジュードとオーギュストの対決は、儀礼に則ったまさに正騎士同士の一騎打ちと呼ぶに相応しい代物となった。
両者小細工無しに正面から斬って掛かり、上段から下段に、左から右にと剣を撃ち合わせる。
鍔迫り合いとなるも、どちらも足技を用いるといった不作法には及ばず、純粋に力が競われた。
「良い筋をしてますね。実戦慣れしているとよく分かる。御名前を伺っても?」
オーギュストは汗の玉一つも浮かべずに涼しげな顔をして、合わさる剣の向こう、ジュードの目を見て語り掛ける。
「…ジュード=ケンタウリだ」
「ん?グラ=マリの重臣の、親衛隊を束ねている、あの?」
「そうだ」
「それは光栄。私はオーギュスト。教導騎士団で一隊を任されています。格は不足しているやもしれませんが、お命頂戴します」
オーギュストは剣を引くと、歩速を急激に上げて前後左右にステップし、その場に残像を作り出した。
続く一撃は間合いを読み損ねたジュードの剣を叩き落とし、流れるような二撃目がまともに胴を薙ぐ。
地に膝をついたジュードの頭部を、オーギュストの止めの一振りが叩き割った。
「失礼。介錯には下品な一刀でしたか。でも宜しいですよね?所詮は異教徒ですし」
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仲間たちの敗北は、ラインベルクの目から見ても、個々の実力を思えば順当であった。
だが、それが甘受できるか否かは別の問題である。
それでも、激発しかけた彼を思い止まらせたのはジリアンのイメージで、ここで紅煉石を奪われた上に命までも失っては、流石のラインベルクも彼女に申し訳が立たないと自制する。
敵は待ったなしに、各々が倒した相手を捨て置き、ラインベルクへの包囲を狭めてくる。
「…お前は何故無事なんだ、レウ=レウル?イリヤもリリス=ウィザードも、あの場で逝ったぞ」
ラインベルクの問いに、レウは満足そうに頷いて答えた。
「彼女たちは、原罪の束縛から逃れた後も神器を使い続けました。<名無し>を倒すためにです。その行為は、ただの人間に戻った身には自殺行為と言えます。無論、二人とも分かっていてそうしたのでしょうが」
「…お前は神器を持っていない。つまりはそういうことか?」
「答えの一つとしては正解です。後は自分で調べてみてください」
レウが突き放した先から、咒黄とオーギュストがラインベルクとの間合いを詰める。
ラインベルクはこの絶望的な状況にも諦めたりはせず、油断なく周囲を窺い打開の手を探っていた。
「待ちなさい。ラインベルク将軍への手出しは無用です」
「…?レウル様、一体何を…」
「オーギュスト卿。僕はシンクレイン様を守るべく、節を曲げて二人の闘いに介入しました。言わば、ラインベルク将軍に借りを作った形です」
「その借りを、ラインベルクを見逃すことで返すと?
「そういうことです」
レウが言い切ると、オーギュスト以下は沈黙して動きを止める。
ラインベルクはそれにより、この場での力関係はレウがニーザに次ぐものであると理解した。
レウは地上に着地をすると、ラインベルクにだけ聞こえるよう小声で囁いた。
「紅煉石が<門>に作用するというのは真実ですが、大陸と異界を繋ぐ<門>の総量は不変です。大山脈の<門>が開けば、どこかの<門>がその分だけ閉じる。そういう意味では、紅煉石の過剰使用が即破滅を意味するというものではないのです。魔物が分布する範囲の急激な移行は勿論危険な事態ではあるし、紅煉石が神器である以上、副作用は避けられませんがね」
「副作用…」
レウはにこりと微笑むと、屈んだままで微動だにしないニーザの肩に手を置いて、治療の態勢へと入る。
「さあ。ラインベルク将軍、行きなさい。この場は痛み分けということにしましょう」
九死に一生を得た形のラインベルクは、ただ一人生き残った怪我人でもあるフュハを連れ、素直に王宮を辞した。
仲間の屍を残して去るのも仇を見過ごすのも、何よりシバリスと紅煉石を諦めることはこれ以上ない屈辱に違いなかったが、ジリアンを置いて犬死にするよりかは幾分マシと思うようにする。
(…こうなったら、紅煉石が何に使われようと構うまい。その力を使い果たされることだけは、絶対に防ぐ!戻ったら…即時決戦だ)
ラインベルクとフュハは、来た道とは異なる経路で<紅煉の風>の網を潜り抜け、その日の内に部隊へと帰還を果たす。
そこにはジリアン、カタリナ、ブリジットの無事な姿があり、レーンも護衛に付いているので、女王の当座の危険は除かれたと言って良い。
兵糧と紅煉石の問題から王都周辺での総攻撃を主張するラインベルクに対し、オードリーやカミュが意外な事実を語って聞かせた。
教導騎士団はアビスワールドを迂回して、全軍が南西の方角へと転じたというのである。