133話
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第1軍は半減、第3軍が潰滅。
第4軍と第6軍も半減。
ラインベルクとイリヤの第2・第5軍以外は燦々たる有り様で、紅煉騎士団の再生はグラ=マリ王国の喫緊の課題となった。
それでもイリヤは疲れを押して残騎を率い、東進して旧帝都シルバリエを奪還して見せた。
必要な防備として、シルバリエに加えて北は元剣皇国皇都ミレディ、南はレイエス領ムーンシェイドに軍の駐留を指図して終戦を迎える。
シルバリエの守備を任されたのはゼノアで、戦時任官ではあったが彼はイリヤから大佐に特進させられた。
ミレディにはブリジット、ムーンシェイドへはサイクスやアラガンが派遣され、各軍が周辺に睨みを効かせている。
ジリアンとラインベルクにはリーゼロッテから絶対安静が言い渡され、王都に搬送されるや病室に軟禁された。
療養の身で接することになる更なる知己の訃報に、ラインベルクは独り慟哭した。
彼が唯一頭の上がらなかった騎士団長の蓮。
入団時以来の盟友ラミア。
頼れる万能の女騎士ミリエラ。
グランディエ駐屯時からの戦友ドラッケン。
そしてジリアンとイリヤをよく補佐した、騎士団きっての知将ネヴィル=アルケミスも逝った。
何れもラインベルクに非がある結果とは言えないものの、犠牲のあまりの大きさにしばらくは食も細り、彼の憔悴ぶりは誰の目にも明らかであった。
アビスワールドへ帰還してから一月が経過し、ラインベルクはようやく自宅へと帰された。
自宅と言っても複数所有する借家の一つでしかなかったが、キルスティンとリーゼロッテが念入りに手を入れた為に居心地は悪くなかった。
荒み弱りきったラインベルクの精神に良くないと、彼の二人の身内は来客を全て断ることとする。
今やグラ=マリ王国で最強に近い女騎士と女魔術師が匿う以上、ラインベルクに直接的な危険はないと言えた。
だが流石の二人も抗えなかったのが、一国の王の来訪である。
「話は聞いている。難儀であったな。…オービット将軍には先にヴィアンが救われている。余にも冥福を祈らせてくれ」
ベッドから半身だけを起こしたラインベルクを前に、リンネはそう宣言して膝を折って祈りを捧げた。
ラインベルクは黙ってその挙動を見守っていたが、涙腺が緩んだのか口を固く結ぶと視線を切って窓へと向く。
「しばらくはゆっくり休め。余はもう何ともない。ジリアン陛下と汝の穢れも祓えたことだし、有志を募って<嫉妬>の捜索にでも当たろうと思う」
<嫉妬>のリリス=ウィザードは、ラインベルクが使用した紅蓮の指環の力を正面から浴び、以降は行方不明となっている。
戦場にそれらしき死体や神器・境界剣が見当たらなかったため、イリヤは彼女の生存を断言していた。
ラインベルクや久遠アリシアの活躍で<七災厄>は滅び、残るリンネの標的は<始源の魔物>が三人のみとなる。
「或いは汝に代わってエルシャダイに侵入しても良い。<強欲>を狩るついでに、ニーザ=シンクレインを余が排斥するというのも乙なものよな」
喋らぬラインベルクを前にリンネは饒舌に語る。
そのテンションからは、もしこの場に女性が同席していたならば、久方ぶりに再会した恋人へでも向けるような熱情に近いものを感じ得たに違いなかった。
「…止めて欲しい。どちらにも手を出さないでいただきたい」
「…ほぅ。余に意見をするか、ラインベルク?その真意は何ぞ」
「これ以上…友に死なれることに我慢がなりません」
「余を友と呼ぶか。これは喜んで良いものかな。汝には友人が多そうだ。男だけではなく、特に女の友がな…」
「おれは真面目に言っています」
「では問うが、余やヴィアン、ベルサリウス大神官の力を侮るというのだな?」
リンネが瞳に焔を点しかける。
ラインベルクは焦る様子でもなく弱々しい口調で言葉を紡いだ。
「誰が挑むにしても、おれは同じことを言いますよ。奴等の力は常軌を逸している。出来得る限りの準備をしたとしても、少数の人間の手に余ることは想像に難くない」
「汝は<憤怒>を退け、<暴食>を討ち滅ぼしたではないか」
「<憤怒>は贄が力尽きただけだし、<暴食>に至ってはおれが果たした役割など部分に過ぎません。どちらも、相手にしたことで大切な人間を失いました…」
「随分な弱気よな、ラインベルク。汝は騎士。騎士は死と隣り合わせの運命。それこそ志半ばで倒れた者たちにも覚悟はあったことだろう。汝の考えは英霊たちに対して冒涜に値するとは思わんか?」
「…何の志もないのに?ジリアンは兎も角、少なくともおれは私心で戦っているだけです。おれは自分から戦に巻き込んだ戦友たちを守ってはやれなかった。無駄死には、全ておれのせいだ…」
「どこの君主も私人と公人の関係性には迷うところがあろう。余とてそうだ。そして私心が必ずしも邪なものかと問われれば、それは否である。君主の業績は結果で判断されるもの。たとえ起点に大義があったとしても、それが最終的に民に害悪を及ぼしたならば歴史的評価は零だ。ジリアン女王が推進する身分差の解消と大陸の集権に関しては、まだ途上ではあるが概ね領民の支持を得ているものと見た。つまり、仮に女王の私心から出た施策だとしても、結果的に公正だったと見なされるわけだ。翻って、汝はどうだ?」
リンネは腰を屈めると、ラインベルクに高さを合わせて真っ直ぐに目を見て言った。
「汝はジリアン女王の剣となり盾となって戦ってきた。それは彼女のやろうとしていることを、一面ではあっても信じたからこそではないのか?それともまるで関係もなしに、己の俗人的事情から力を貸しただけだというのか?違うであろう。一か百かで決着させる必要などない。汝に付き従ってきた騎士たちとて、汝の全てを受け入れたわけではないと思うぞ。それでも、利害関係を含めて汝の陣営に参加したとして、それをもって責めるのは酷というものだ。人間はそれほどに単純な存在ではないのだから」
「リンネ様、おれは…」
「言うな。汝が抱えている宿業、誰にも明かしてはおるまい?誰よりも先に余にそれを打ち明けると言うのであれば、キルスティン=クリスタルには正妻の座を明け渡してもらうぞ」
ラインベルクは目を丸くして驚いた。
リンネの切れ長の目には曇りがなく、その焦点は変わらずにラインベルクへと熱い視線が注がれている。
二人の顔は近く、語り合う度に吐息が重なる程であった。
僅かな時間見つめ合った後、リンネが明るく「冗談だ」と言って清々しい笑顔を披露した。
「余は近いうちにここを発つ。国を留守にし過ぎたでな。新たな戦いにも備えねばならん」
「新たな戦い?」
「言ったであろう?ビルビナ神とスファルギア神によって破滅は予告されたも同じ。託宣の通りに<始源の魔物>を滅することが出来ない以上、来るべき局面に対抗する策を考えねば」
「…まだ滅ぼせないと決まったわけではないでしょう?」
リンネは何を言っているのだと言わんばかりに溜め息をつき、半眼でラインベルクへと告げる。
「貴国の参謀長、此度も大活躍であったのだろう?…今更余が討伐なぞ出来るものか」
***
額を床に押し付け、これ以上ないというくらいに平身低頭して、ルキウス=シェーカーは一振りの剣を主へと差し出した。
「フェンリルか」
ニーザ=シンクレインはそれを拾い上げると、一言呟いて腰に収めた。
ルキウスの両隣にはラティアラ=ベルと咒黄が神妙な顔をして控えており、ニーザの私邸には珍しく多くの人間が詰めている。
四人から離れた位置に三人、ルキウスらとは態度を異にした者たちがあった。
一人は褐色の肌におかっぱ頭のレウ=レウル。
もう一人は紳士然とした金髪の青年で、白いドレスシャツにネクタイを締め、赤いベストを優雅に着こなしている。
見た目からは、貴族か上位の騎士階級にあるように思われた。
最後の一人は貧相な口髭を生やした年嵩の男で、金髪の青年と共にソファで茶を飲み寛いでいる。
都合七人がこの広い応接室に詰めている計算となる。
「申し開きもございません」
ルキウスが幾度目かの謝辞を述べるも、ニーザはそれに関して返答をしない。
先程来繰り返されてきた儀式であったが、それに茶々を入れたのはやはりレウであった。
「シンクレイン様。彼を責めるのは酷と言うものですよ。ラインベルク将軍に加え、<幻月の騎士>までもが参加していたのですから」
「…お前は、私に参戦を勧めていたな」
「はい。こうなると思っていましたから。犠牲になったのはフェルミ卿でしたが、それが誰であってもおかしくなかった。そう、シェーカー卿でも、他の<七翊守護>の面々であってもです」
「私の油断だと?」
「はい」
レウはニーザの眼光にも怯まずに肯定する。
「レウ=レウル!シンクレイン様に対して失礼な発言は慎みなさい」
間髪を入れずにラティアラが釘を刺すと、ニーザはそれを抑えるように手をかざした。
ラティアラは無言で頭を下げて引き下がる。
「確かに、私の予測が甘かったのであろう。まさかラインベルクがこうも上手く立ち回るとは。…それにしても、<邪蛇>というのは聞きしに劣る弱者であったな」
「いいえ、シンクレイン様。そうではありません。<邪蛇>は充分に強力な魔物です。そしてラインベルク将軍個人の力量は、シンクレイン様や四天王であれば手がつけられない程に厄介なものではありません」
ニーザのみならず、ルキウスらもレウの言い回しを疑問に感じた。
「…どういうことだ?」
「以前にも似たようなことを申しましたが、ラインベルク将軍の周りには綺羅星の如く勇者が集うのです。彼個人では達成の困難な偉業も、彼という恒星の周囲を巡る衛星たちが力を貸すことで成し遂げられてきました」
レウが警鐘を鳴らすのはラインベルクのカリスマ性に対してであり、それは同時にニーザに具わる特質でもあった。
「ならば、まずはその衛星から落とせば良いのではありませんか?」
いつの間にか側に寄ってきていた金髪の青年が口を挟む。
「その通りです、オーギュスト卿。此度の戦で一角は崩れました。元筆頭騎士にして紅煉騎士団長の蓮と、第3軍のミリエラ=オービット将軍の二人です。二人は騎士団においてラインベルク将軍の後見役を担っていましたから」
「成る程。とすれば、次はリーゼロッテ=ブラウンとかいう新進気鋭の魔術師か、或いは要塞を死守したブリジット=フリージンガー将軍あたりがターゲットになりますか」
オーギュストの返答に、レウは満足気に頷きを返す。
オーギュストは教導騎士団の騎士で、その剣の素質をレウに見抜かれ、陰ながらニーザに師事していた。
生家は上位の神官の家系で、現法王とは縁戚関係に当たる。
それ故か、ニーザの近辺にあって身形や立ち居振舞いが目立って洗練されていた。
一度戦場に立てばニーザ仕込みの高速剣を駆使して敵を倒し、先の大戦においては実に三十以上もの首級を挙げた。
レウからは「ルキウスに匹敵する剣才の持ち主」と評され、また人当たりの良さもあって目上の人間に重用されている。
ニーザの陣営においては異色な真人間と言えたのだが、彼は敬虔な神の信徒であり、神と国家が定めた標的に対しては実に容赦のない攻撃的側面を表出させた。
メルビルに敵対したとある街を一夜にして焼き払い、女子供残さず全滅させたという逸話がある。
「リーゼロッテ=ブラウン…生意気にも私の魔術をよくいなしてくれたものよ」
ラティアラが忌々しげに漏らす。
「ラティアラ様。何も正面対決に拘る必要もありますまい。あの方もいらっしゃることですし」
オーギュストが示したのは、一人動かずソファに座したままの男。
馬鹿の一つ覚えのように黒のローブを着込んだその男こそ、元剣皇国の宮廷魔術師・羅刹その人である。
「ルキウス、もう良い。頭を上げろ」
ニーザより免罪の一言を与えられ、ルキウスは伏し目がちなままで起立する。
ニーザはレウとオーギュストに視線を送ると、今後の方針に係る問いを投げ掛けた。
「グラ=マリへは要人暗殺を軸に対抗しろと言うのだな?」
「言うほど簡単ではないと思いますよ?フェルミ卿がトリスタン=フルムーンに挑まれたように、ラルメティ公国軍はレーン=オルブライトに襲い掛かられたとか。ラインベルク将軍の衛星は、国境を越えて巡っているのです」
ニーザはつまらなそうに鼻を鳴らすと、咒黄を窺った。
「手駒はどうか?」
「はっ。グラ=マリ、イチイバル、ラルメティへの網は生きております。剣皇国や樹林王国となりますと、私自らが出る必要がございます」
「その二国はよかろう。大して障害になるとも思えぬ。標的は貴様が定めよ、レウ=レウル」
ニーザは言い放ち、踵を返すと早々に退室していく。
「御心のままに」
レウは恭しく一礼した。
「…私には、一言も無しでしたが」
ニーザの姿が消えるなり、羅刹は神経質そうに頬をひくつかせて漏らす。
「羅刹殿。それを申すなら私も同じ。実績のない雛には餌は与えられない。つまりはそういうことでしょう」
オーギュストは努めて明るく答弁した。
柄にもなく咒黄が「気にするな」とフォローを入れ、ルキウスとラティアラを驚かせる。
「フフ。シンクレイン様も本気になったようですし、これから忙しくなりそうですね」
レウは陽気に語り、傍らのオーギュストと意気投合して頷き合う。
それを不謹慎だと叱り飛ばすあろうフェルミの姿は最早なく、場の雰囲気は以前と比べて確実に弛緩していた。
「紅煉のラインベルク…一度手合わせを願いたいものです」
「オーギュスト卿、貴方であれば或いは討ち取れるかもしれません。ですがそれはシェーカー卿や咒黄でも同じこと。必ずや邪魔が入ることでしょうね。それを排除するための桂剥きなのです。ラインベルク将軍を不死鳥たらしめているのは彼を慕う守護者たちの存在であり、彼を相手にするにはその戦力をも勘案する必要があります」
「そのことを、今まで誰も考えてこなかったと?」
「そうです。考えてもみてください。ラインベルク将軍の知己は古くはナスティ=クルセイドにはじまり、<雷公主>、<騎聖>、<幻月の騎士>、<暗黒騎士>、プライム=ラ=アルシェイド。近年に久遠アリシア、ロイド=アトモスフィ、蒼樹女王、リーゼロッテ=ブラウン、ミースの巫女王、<色欲>のイリヤ、さらには<帝国の虎>…と、国を超えた志士が揃っています。これほどの交遊、誰にでも出来るものではありませんし、ましてや共闘することなど予見し得ないでしょう」
「…ラインベルクのことをよく知っているのね?」
ラティアラがレウへと疑いの目を向ける。
レウは肩をすくめると、笑みを絶やさずに応答した。
「アビスワールドに潜入していた時分に、ジリアン女王から散々聞かされましたからね」
「ジリアン=グラ=マリね。巷では名君と噂されつつあるようだけれど」
「ええ。悪い方ではありません。聡明…というと違和感がありますが、直感が鋭く決断力に秀でているのは間違いないでしょう」
「…ならば尚更、女王こそ除くべきではないのですか?」
羅刹の提案にレウは軽く頷き、「勿論。出来るものならやるべきです」とだけ返した。
レウはジリアンが開明派として国内の既得権益を解体・再分配する施策を推し進めている点と、物流改革や税負担の軽減を始め経済政策を重視していることなどを語って聞かせる。
それら内政に辣腕を振るうカタリナ=ケンタウリをはじめとした重要閣僚の有力な様をも明示し、軍事のみならず政治的にもグラ=マリ王国が充実している現状を皆に植え付けた。
レウの目には、個人の力量に限ればニーザとその一党は、紅煉騎士団の主要騎士たちを凌駕しているものと映る。
ニーザも四天王もいずれ劣らぬ知勇兼備の士であり、いくらラインベルクに徳があろうとも一国の正騎士だけで抗えるレベルではない。
その点、四天王を集め育成したニーザの眼力や魅力、指導力は桁外れと言えた。
それにも関わらず、メルビル法王国は総力戦で紅煉騎士団に敗れ、四天王の支柱たるフェルミをも討ち取られている。
敗者に欠けていたのは何か。
レウはそれを皆に考えさせるために、勝者であるグラ=マリ王国の情報を積極的に流した。
幸いなことに、合従軍の内メルビル法王国だけが騎士団の全軍崩壊を免れており、損耗率も七か国中で一番低い。
戦前にラルメティ公国の担った対グラ=マリ王国連合盟主の座は、実質メルビル法王国が継いでいくことになろうとレウは考える。
次に紅煉騎士団に後れを取れば滅亡へ一直線なわけで、各位に精進を促してせめて互角に戦える水準にまで戦力を底上げする必要が彼にはあった。
レウは純粋にニーザの<強欲>を充たすべく動いており、ニーザの王国に潜在する力を、政治・軍事を問わず完全に解放することが目下の目的となっている。
(シンクレイン様の<強欲>をラインベルク将軍の<色欲>が上回るか。最終的にはそれが全てなのだろうけれど。でもこのまま行くと、二人が決着をつける前に何もかもが水泡に帰するかもしれない。…シンクレイン様にとってはどちらに転んでも都合がいい話だ。ナザンやシド、マハノンにガフももういない。いくら頑張ったところで滅びは避けられないんじゃないかな…ラインベルク将軍)




