11話
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紅煉騎士団きっての権門たるデイビッドの我が儘に、ネヴィルは根気よく付き合う術を心得ていた。
ともすると暴発して全軍突撃などを命じかねないデイビッドであり、加えてディッセンドルフ軍は少数と言えど練度が高い。
おまけにゲリラ戦に完璧に翻弄されて、気付けば腕利きのゴルドレットは討たれ、一千を動員した戦力は七百超にまで削られていた。
それでもネヴィルに焦りは見られなかった。
(ここはグラ=マリ領内。敵は補給に難儀し、おまけにこちらは敵よりは増援期待が大きい)
ギュスト一族を実質的に束ねるデイビッドを、まさか騎士団中枢や大貴族たちが見捨てるはずもあるまい、という計算もネヴィルには働いた。
「報告します!アルケミス准将、本軍と思しき敵影が近付いてきます!」
「来たか」
予想より二週は遅いくらいだ、とネヴィルは思った。
陣内は指揮官の待つ天幕へと急ぎ注進する。
「やっと出てきおったか。待ちくたびれたぞ。田舎者の集団に、大陸最強と謡われた紅煉騎士団の実力を見せつけてやるわ!」
デイビッドは従卒に甲冑を準備するよう怒鳴り付ける。
「お待ちください、大将閣下」
「…なんだ、アルケミス。まさか出陣を止めないだろうな?」
「いま正面からぶつかるのは不利です。こちらは数でおおよそ敵の八割。向こうには筆頭騎士までおります。ここは退いて敵を領内深くにまで引きずり込むべきかと」
「…補給線を延ばすのと、友軍の協力を得やすくするためだな?」
デイビッドは短気で狭量ではあったが、戦術に疎いわけではなかった。
「左様です。ご明察恐れ入ります」
「いや、却下だ。これ以上我が国の領土を、あのような土人どもに踏みにじられることには耐えられん。正面から打ち破ってくれる」
「大将閣下!」
ネヴィルが顔色を変えた。
血色の悪い顔がますます青くなる。
「案ずるな、アルケミス。策ならばある」
デイビッドはしたり顔で言い、従卒に身支度を整えさせた。
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ひどく遠回りにはなるが、<歌姫>に感付かれぬようラインベルクは慎重に回り道をして館へと近付いていく。
その足運びは音を立てず、その身が風を切ることもない。
付き従うのは同様の動きを身に付けているカノッサとディタリアの二人であった。
ディタリアの同行にはゼノアや唯だけでなくラインベルクすら反対したものだが、そこはカノッサが「おもしろいではないか!美女と隠密行動をとるというのも乙なものだ。グフフ」と押しきった形だ。
ゼノアと唯は「あのおっさん、ディタリアに気があるだけなんじゃ…」と邪推した。
「姿隠しの魔術も使わないんですね?」
ディタリアが小声で尋ねると、ラインベルクは小さく頭を下げて肯定した。
作戦では、ラインベルクの隊は<歌姫>の感知するところとなるため魔術の使用はギリギリまで禁止となっていた。
逆にゼノア分隊には陽動のため、できるだけ大きな魔術を発動することが要求されている。
そのためゼノア個人には士官学校三席の実力を発揮することが期待され、多大なプレッシャーがのし掛かっていた。
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「大丈夫かな、アイツ…」
ぎこちない動作で地面に魔方陣を刻み込んでいるゼノアを見て、唯が疑いを抱く。
「大丈夫ですよ。ゼノア中尉の実力は本物ですから。士官学校時代、七星中尉やロイルフォーク大尉にもそうそう劣るものではありませんでしたし」
ただ一人少尉に留まっているラミアが畏まって言った。
「でもさ、ラインも言ってたけど制御がきかないわけじゃん?私らって危なくないの?」
「そうですね…どうしましょう…」
「…計画ならある」
ゼノアが顔だけ向けて二人に応えた。
端整な顔立ちながら額や鼻の頭には大粒の汗が浮かんでいる。
「これから召喚するのは<砂の王>だ。こいつは知性がほとんどないから単純に光や音に反応するらしい。だから、おれが召喚に成功したらお前たちは魔術で進路を誘導してくれ」
「へ?そんなのどうしろって?」
「中尉、光弾や操風の魔術でターゲティングさせるものと思われます」
ラミアが唯に解説する。
「そうだ。ただし、あまり<砂の王>に近付いては駄目だ。敵として認識される恐れがある。それとラインベルク大尉が言っていた通り、湖の方向に向かって逃げてはいけない。歌に巻き込まれたら元も子もないからな」
ゼノアが汗を拭きながら忠告する。
「う〜む。…ってことは、召喚がなされた後に、程よい距離からなるべく湖畔に近い辺りに魔術を放って、誰にも気付かれないように逃げろ、と。…無理」
「いいからやるんだよ!」
「あんた、あたしの魔術の成績知ってるでしょ?マジ無理だって」
ゼノアが頭を抱えた。
「でも…ナノリバース中尉に頑張っていただかないと、私は…」
ラミアが弱々しく呟き、唯がはっと表情を曇らせる。
(そうだったわね…)
ラミアは先天的に魔術素養がなく、それゆえ年長ながら士官学校でも疎んじられることが多かった。
唯は身分差には一家言あったのだが、魔術や成績で人間を評価する尺度を持ち合わせていなかったので、ラミアに対して含むところはない。
「…わかったわよ。何とかするわ。でもね、ゼノア。あんたも気合い入れて少しはデカブツを制御してみせなさいよ」
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「焦らずとももうすぐ結果は判明するでしょう」
先だってラインベルクらを迎えいれた一室で、フレザントは一人の高貴な女性に応対していた。
いま出している茶は、ラインベルクに出したそれより二等級ほど上の最高級のもので、彼の俸給であっても手に届くことはない。
「わかりました。<歌姫>討伐。貴方は成功すると思いますか?」
「…さて。どちらに転んでも、公国にとって損はありませんので。強いて言えば、カノッサには生きて戻って来てほしい。これが切実な願いです」
翠の髪を頭の後ろでまとめた女性は華奢で、瞳は吸い込まれそうなほどに深く澄んだ黒。
小さな頭を上下させて頷きを見せる。
「ラインベルク…と言いましたか。フレザント卿、貴方はその者の実力を随分と信用されているようですね」
「蒼樹様。私が他人を信用することなど有り得ません。公国にとって損か得か。それだけが判断の根拠なのですから」
「私の倍を生きて、貴方はその境地に達したわけですね」
「無駄な三十八年だとお思いでしょう?」
「いいえ。人の生き死にに無駄などひとつもありません。…ですが、あまり人生を深刻に捉える必要はないものと考えます。どこぞの狂信的な主義に傾く恐れがありますから」
ゆったりした白のローブの襟元を直し、蒼樹は少しだけ眉をひそめた。
「…メルビルのこととなると、途端に舌鋒が鋭くなられますな。そう。メルビルと言えば、かの者ラインベルクは六年前に騒ぎを起こしたそうです」
「ほう。それはどういった?」
「何でも枢機卿の一人を暗殺しようと企んだとか…」
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ディッセンドルフ軍は騎馬移動と突進力に優れた錐行陣で、紅煉騎士団第2軍にぶつかった。
先陣は筆頭騎士のベイオ=アルセグラが務め、王国軍総帥であるラウルが中軍を指揮している。
両軍は初めて正面から剣を交え、間も無く数で勝るディッセンドルフ軍が第2軍の先鋒隊を蹴散らした。
「このまま本陣を破る!このベイオ=アルセグラについて参れ!」
ベイオは高らかに長剣を掲げて叫び、旗下の精鋭を率いて馬を進める。
第2軍でゴルドレットに次ぐ勇者であるサイード中尉がその行く手を阻むも、十合と撃ち合えずに斬り捨てられた。
ベイオに切り込まれた動揺はやがて全体に及び、第2軍が総崩れの兆候を見せ始めた。
「閣下!ここは危険です。すぐに後退してください!」
ネヴィルは自身も剣を提げてデイビッドの身を守らんとする。
「…まだだ。何のために我が直営部隊を下げたと思っている」
デイビッドが形作った笑みは陰惨な影を落とし、ネヴィルの背筋を寒くさせた。
(コールマン大将は何をお考えだ?敵がすぐそこに迫っているというのに、どうして虎の子の第1中隊を展開しない…)
「コールマン大将閣下!準備が整いました!」
伝令の騎士のその言葉に、デイビッドがすかさず「合図を送れ!」と反応した。
轟音が戦場を揺るがしたのは数分後のことであった。
第2軍とディッセンドルフ軍が戦闘状況にあったのは谷間であり、その両側面の山肌で大きな爆発が認められた。
地響きを伴って土石流が降り注ぎ、あっという間に戦場が岩や土に埋め尽くされる。
「うわああああああああ!」
「何だ?誰か助けてくれえええッッッ!」
「…国王陛下万歳!」
阿鼻叫喚の図がそこに生まれた。
紅煉騎士団第2軍の約半数と、そこに突入していたディッセンドルフ軍の先鋒隊が土石流に飲まれて失われたのだ。
「…大将閣下。まさか、これが仰られた策なのですか?」
「そうだ。これで戦力比が五分に戻った上、突出してきた猪武者は倒れた。そして、こちらは主力を温存している」
勝ち誇って、デイビッドが残存部隊の再編を指示した。
両軍は堆積した岩や土砂で分断され、現在のルートでは戦闘の継続は不可能だった。
ネヴィルは言われた通りに指揮をとり始めるが、胸のうちに燻る暗い情動を自覚せずにはいられない。
(同胞をああも簡単に殺しておいて、どうして部隊の士気を保てる?死んでいった騎士の家族縁者に何と言い訳すれば良いのだ…)
ネヴィルの葛藤をよそに、デイビッドは直営の第1中隊に活を入れて精力的に動き回った。
一方、対するラウルは目の前に広がる無惨な光景に怒りと絶望を覚え、全身をわなわなと震わせている。
その横で、桂宮ナハト中佐が静かに星取り表を畳んだ。
「殿下」
「…言うな、桂宮中佐」
表情を消して、凄みを発してラウルが言う。
ナハトは眼鏡を外して土埃を拭い、淡々と続けた。
「小官はチュール=ベント首相への連絡義務を有します。軍に重大事由が発生した場合、即座に早馬を出さねばなりません」
「言うな!」
ラウルが激する。
「…これを知れば、ベントは必ずや我、引いては父上を非難するであろう。戦死した者たちを、軍政による被害者だと唱うに決まっている!」
「殿下の責任ではございますまい。まさか天下に名を轟かす紅煉騎士団がこのような自殺行為にでるとは、小官も予想だにしていませんでした。友軍ごと我々を生き埋めにしようなどと」
ナハトは生存者の捜索を指示してはいたが、ベイオに引っ張られる形で突進した中軍までもが多大な被害を被っており、戦力は五百をいくらか割っているように見えた。
ラルメティからの客員将校である彼はディッセンドルフ軍の訓練や指揮、監督に一定の権限を有し、それ故軍総帥であるラウルを飛び越えて首相のチュール=ベントに直接報告をする決まりがある。
(これは…故郷へは帰れないかもしれないな。マリン、ニーサ、ディーン、クラウ。私がいなくなっても強く生きるんだぞ)
「報告は致しますが、何も撤退を強要するつもりはありません。殿下、今後の方針をお決めください」
ナハトは言って、力強い目でラウルを見据えた。
「…この上は、紅煉騎士団第2軍の総大将、デイビッド=コールマンの命だけでも貰う」
ラウルの碧眼に力がこもった。
「了解です。では部隊を再編して戦場を移すとしましょう」