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紅煉のラインベルク  作者: 椋鳥
第18章 目的は…
105/179

105話

***



このところジリアンは物思いに耽ることが多くなった。


アビスワールドの王宮でそんな噂が飛び交っている。


グラ=マリ王国の最高権力者たる彼女の不調は幹部が動揺するのに十分なニュースであり、カタリナ=ケンタウリ商務大臣やタレーラン外務大臣が直ぐ様確認に赴く。


結果は面会すら許されず、事情を知った人々は落胆し不安に感じた。


「…だからと言って、何故私が?」


口を尖らせて不平を述べたのは十九歳を迎えたばかりのリーゼロッテ=ブラウンである。


暗青色の髪は背まで届く程に長くなり、王宮の灯火を反射して艶やかに輝く。


長い睫毛が目元に憂いを湛えさせ、大きな黒瞳は見る者の心を強く引き込んだ。


女性として一段と魅力を増したリーゼロッテに対して独身の騎士や貴族は盛んに求愛を重ねたものだが、彼女はその一つとしてまともに取り合わないでいる。


それは彼女が血縁たるラインベルク中将に想いを寄せているからだという下衆な観測も流れた。


その発信元と疑わしき唯=ナノリバースの身柄はここ王都にはなく、リーゼロッテをジリアンの私室へ誘うのは軍務省の官吏・メレである。


「陛下は貴女となら会って話すと仰有っています。ブラウン様」


「…メレさん、ブラウン様は止めてください。今まで通りにロッテで結構ですから」


「しかし…宮廷魔術師補になられた御身に対してそれでは…」


「…オリジナルの魔術を封じられた今の私に、果たしてその資格があるのでしょうかね?」


リーゼロッテは半眼になって言う。


魔術技能を評価されてシバリス=ラウの補佐に昇ったリーゼロッテであるが、その言葉通りに力の一角を失っていた。


大山脈の竜から燃料を得ていた必殺の九竜神火罩が、竜の全滅により事実上使用不可能となっていたのである。


リーゼロッテは新たな魔術の開発に勤しんでいる身で、そのためにラインベルクに同行することも断念していた。


ましてやジリアンの慰問などは専門外のことと言える。


メレは恐縮したままでジリアンの私室までリーゼロッテを案内し、扉の前で別れた。


「…リーゼロッテ=ブラウン、御召しにより参上しました。失礼致します」


リーゼロッテが入室すると、生活感のない真っ白な空間が視界いっぱいにに広がった。


天蓋付きのベッドや重厚な衣装棚、織物技術の粋を凝らしたカーテンなど、家具は全て一点物で豪奢であったが、色調が白に統一されているため妙に味気ない。


リーゼロッテが真っ先に思い浮かべたのは、ラインベルクがアビスワールドに構えていた数々の住居である。


リーゼロッテや唯、ミリエラ=オービットらが持ち込んだ調度品以外は無味乾燥としており、ラインベルクも家財道具は元より服装などにも関心が薄かった。


「よく来たわね、ロッテ。顔を見せて頂戴」


ジリアンの発言から意図を汲み取ったリーゼロッテは、言われるがままに室内を横切り、ジリアンの待つ窓際のカウチへと足を運んだ。


蓄音機からは微量の交響楽が流され、窓上の送風機構より流れ入るそよ風に乗って室内を滞留している。


リーゼロッテはジリアンの向かいに腰掛けさせられ、予想通りにじっと顔を眺められた。


(つまり、ジリアン様の栄養補給と言うことね…)


美しく成長したリーゼロッテは少女の影を昇華させつつあり、血を分けたラインベルクと面影を似せていた。


トリニティの血の成せる技は、代々男女に関わらず容姿を端麗に形作る。


イリヤが遺跡に封じられる以前に恋人関係にあったトリニティの男子も、ラインベルクの父にあたるトリニティ侯もその点例外ではなかった。


「ねえ、ロッテ。貴女は聞いているわよね?」


ジリアンの視線はリーゼロッテへの慈しみすら感じさせる。


(この瞳の色は、私ではなく伯父様に向けられたもの…)


「はい。ファナランドから帰ってきて告白されました。…伯父様は成り行きで結婚したと」


「ライン、私に何て言ったと思う?君と紅煉石のことは変わらず護る、よ。護る…」


ジリアンはそう言うと口をつぐんだ。


ラインベルクはファナランドのキルスティン=クリスタルと婚姻を結んで帰国した。


当事者の意向は元より筆頭騎士と元枢機卿とでは政治的な意味合いが強く、ジリアンは何をさておきこの一件を機密とした。


幸いなことにキルスティンの解放軍においても公表時期は情勢を見て判断するとのことらしく、今のところこれを知る者は片手の指を出ない。


「…私は親族ですから。厳しく人となりを見させていただきます」


「護る…か。結婚、したかったなあ…」


ジリアンの漏らした言葉は女王のそれではなかった。


「陛下…」


「ねえ、ロッテ。私はラインベルクのことを愛していた。…だから彼が生きていると知っても、自由にさせていた。群青騎士団で活躍していると聞いて、我がことのように喜んだものだわ。でも、やっぱり寂しかった」


「陛下と伯父様が離れ離れになられたのは随分若い頃だと聞いていますが?」


「お互い十三の時ね」


「愛、というよりは幼少期の思い込みを拗らせたもののように思われますが…」


「手厳しいわね。でも一理あるわ。十三やそこらの男女は本来熱っぽくて冷めやすいもの。…ただ私の気持ちは違う。彼にこの命を助けられているのだから」


「それは…紅煉石を持ち出したとかいうお話の?」


「そう。道化がいたのよ。グラ=マリ公爵家に使用人として仕えていた特大の道化がね。それが後のメルビル法王国枢機卿、ニーザ=シンクレイン」


リーゼロッテは目を見張った。


「紅煉石には王族しか触れられないよう魔術的にプロテクトがかけられていた。だからニーザは私たち二人に目をつけた。言葉巧みに紅煉石に注意を向けさせ、父たちから情報を引き出そうとね。幼く、そして愚かな私たちはニーザの策に嵌まった。ラインは…あの男の凶刃から身を呈して私を守ってくれたのよ。その時に私は思った。この人のことを全力で愛そうって」


「…そんなことが」


リーゼロッテの嘆息にチラリと目線をくれ、ジリアンは大きく溜め息をつく。


「彼がどこで何人女を作ってもいい。最後に私のところに帰ってきてくれたなら…ずっとそう思っていた」


「…群青騎士団にいた伯父様がアビスワールドを訪れたのは、決して計画したものではなかったと言っていました。陛下の御尊顔を拝したことで、イチイバルに戻る気が無くなったのだと」


ジリアンは黙ったままで窓の外に視線をやった。


リーゼロッテの言葉に頷くともなく、やがてはらりと涙を流した。


「私は独り王宮で紅煉石を護ってきた。ラインのいない間も、ずっと。彼が戻ってきても私の役割は同じだった。それでも彼がいただけで満足だった」


「陛下!伯父様は陛下の下を去ろうというわけではありません。国を出ることもなければ、言葉通りに陛下に変わらぬ忠誠を捧げて紅煉石を守護したもうことでしょう」


「…ええ。分かっているわ。でも私は、私のためにも紅煉石から離れない。離れられない。例えラインベルクが私の下からいなくなっても、それだけは不変よ」


(私のため?国のためではないの?いえ…そもそも誰にも紅煉石を使用させない前提の話なのだから、それこそグラ=マリにも陛下自身にも恩恵などないはず…)


「ロッテ。貴女は東部要塞に行きなさい」


「え?しかし…」


「新しい魔術の勉強なんてどこでも出来るでしょう?王立図書館の蔵書なら好きなだけ持っていっていいわ。どうせ複写はあるんだし。シバリス=ラウには私からその旨伝えておく。…ラインと一緒にいたいんじゃないの?」


リーゼロッテが遠慮がちに頷くと、ジリアンはこの日初めて満面の笑みを浮かべて言った。


「そう。素直が一番よ。好きな人と一緒にいられなかった経験者が語るのだから、これが真実なの」



***



「リーゼロッテ=ブラウンを東にやったそうね?」


「それが何か?」


「対樹林王国戦を考えたときに、彼女の力は小さくないと言ったはず」


「…プライム=ラ=アルシェイドを避けて通れば良いでしょう?」


「それは開戦の了解ととっても宜しいので?」


イリヤは赤と青の異なる瞳で、玉座に預けられたジリアンの全身を嘗めるように見回す。


ジリアンは絹で編まれたドレスを着ており、燭台の点す淡い光を反射してちらちらと光沢を浮かび上がらせる。


対するイリヤは黒のロングドレスという珍しい装いで、開けた胸元から真っ白い素肌が大きく覗いているため、ここに男性陣がいたならばひどく視線を集めたに違いなかった。


「私はね、本当にラインの嫌がることをしたくないのよ…」


ジリアンが伏し目がちに語る。


「ただ、あなたが樹林王国は捨て置けないと五月蝿いから」


「それは捨て置けないわ。ただでさえ、前女王は紅煉石の封印を説いていた。あの国の人間自然主義に関しても説明したでしょう?」


イリヤはその美しい顔に温度を感じさせず、女王に対するともあくまでクールに徹して詰め寄った。


問答無用で魔物を否定し、あまつさえ神をも信じない主義・思想の普及している樹林王国。


その起こりは存外古く、グラ=マリ王国や聖アカシャ帝国などより余程歴史は長い。


しかし年月を経ることでミース巫女王座などと共に相対的に衰退を見せ、蒼樹が戴冠する頃には三流国家に成り下がっていた。


当然に過激な国是が一因で、しかし真逆の位置付けにあたるガチガチの宗教国家・メルビル法王国が大陸東部で勢力を拡大し続けたことと比べると、いわんや統治能力にも過大に問題があったと結論付けざるを得ない。


例えば、大陸中央部では何度国が転覆しても貴族や地主階級を中心として再び国家は興った。


それは肥沃な大地とそれによって養われる多くの市民に因ったわけだが、そんな中でも権力闘争に疲れ、または敗れた人間たちは大陸周辺部に散って行った。


民主主義に限りなく近い政体を持つイチイバルや、そこへの緩やかな移行過程にあったラルメティなどはその創成期に多数の脱専制主義者を取り込んで膨張している。


ナザン=イオンの導きでメルビル教の一派が国家を樹立するに至るまで、東部などそもそも未開の地に等しく、中央の人間からすれば蛮族の蔓延る魔境に近いものと捉えられていた。


そんなメルビルとても中央からの移民が開拓の基礎となったわけで、樹林王国にだけ人が集まらず政治の成熟しない道理はない筈であった。


ちなみに北部一帯は先述のイチイバルを除いては武断派が幅をきかせており、それはグラ=マリ初代国王が建国のために使用した紅煉石による<門>解放の余波を受けての色彩が強い。


魔物の出現地点に距離が近いため、対抗戦力が何にも増して重要視されるという単純な理屈であった。


「…断っておくと、私も魔物が滅びることを願うものよ?」


「私は魔物ではないわ。それと樹林王国の考え方に則れば、紅煉石は魔物と共に召喚された忌まわしき魔具と認識されるでしょうね。そんなことは知りもしないのでしょうが」


「あれがこの大陸に魔物を呼び込む引き金になっていると知れ渡った以上、いつまでも仲良くは出来ないという話なら理解できるわ。…でも、こちらから戦を仕掛けるのだけは止めて頂戴」


ジリアンは強い口調でそう言うと、議論は終わりとばかりに手を振った。


「工作は進めさせて貰うわ。そういう理解でいいのよね?」


返事がないことを肯定と受け取り、イリヤは玉座の間の外に控えさせていたシバリスとヒースロー、ジョシュアの三者を招き入れる。


「女王陛下のご裁可はいただいた。ジの字作戦を開始する。シバリス=ラウ」


「はッ!」


「貴女は樹林王国への返礼訪問に同行なさい。随行員ではあれど、外務省の人間の指示に従う必要は一切ない。ただ首脳陣にトロリーの危険性を吹聴してくること」


シバリスの同意を受けてイリヤは次のヒースローと向き合う。


ヒースローは、王国西部に駐留し樹林王国の対魔騎士団と共闘して対<邪蛇>勢に当たる神威分隊に所属する身であった。


剣皇国とラインベルク仕込みのシャープな剣技を隊長であるシャッティン=バウアーらに高く買われ、隊長付きの遊撃騎士として活躍している。


「貴方は神威分隊の戦力温存を導きなさい。シャッティン=バウアーやドラッケンのような熱血漢は策謀に向かない。貴方が対魔騎士団に楔を打ち込む役目をするのよ」


「は、はい」


イリヤの視線と戦略に肝を冷やしたのか、ヒースローは明らかに狼狽した様子で応じた。


腕は立つと言えども彼はまだ二十二歳であり、<白麗の軍師>と張れるだけの虚勢とも無縁である。


「ジョシュア」


「はい…」


ラインベルクの従者を務めていたジョシュアに至っては顔面蒼白で、何故に自分がここに呼ばれたのか、全く理解が追い付いていない様子であった。


見兼ねたジリアンが優しい声音でフォローを入れる。


「ジョッシュ。密命なのよ。誰にも知られずに事を運びたいの。…でもラインはここにいない。だから、貴方の力を貸して頂戴?」


ジリアン直々の声がかりにジョシュアは恐縮しきりとなり、続くイリヤの大胆な台詞が中々頭に入ってこなかった。


「密使としてグランディエの蓮将軍を訪ねなさい。誰にも気付かれないように。文も渡さないから直接言伝てすること。内容は、第1軍をもってミレディを占拠すべし。グランディエへは追って新設の第5軍を回すとね」



***



墓参りを済ませてから妻と食事をとり、短い時間を一緒に過ごした後は青城へと出仕した。


もはや恒例とも言える山積みの課題に取り掛かっていると、折々に政治家から相談が持ち込まれ、青銀色の髪の青年は苦笑を浮かべながらに応対する。


日が暮れる頃には、自らに課した一日の仕事が半分程度もこなせていないことに気付いて愕然とし、訪ねてきたマグナ=ストラウスに愚痴ってみせた。


「シルドレ将軍は働き過ぎです。…人材の不足は理解した上での忠告で、釈迦に説法かもしれませんが」


「いや、ストラウス殿の仰有る通りです。僕は自分のことを器用だとばかり思っていましたが…どうやら過大評価をしていたらしい」


「…それにしても、政治家の動揺は目を覆わんばかりですね。私の下にも日参してきております」


卓に着くシルドレの目が鈍く光る。


「…ええ。剣皇国と帝国の惨状を見れば不安に駆られる気持ちは分かります。でも我が国の騎士団は大丈夫かと問われて、答えは一つしか返しようもない」


「御心配には及びません、ですな。フフ…私もそればかりですよ。もっとも、言われるまでもなく宮廷魔術師部隊の整備には全力を上げているつもりです」


マグナの言に頷きを見せると、シルドレはこの後一杯どうかと誘ってみた。


マグナは、カザリン=ヴォルフ=ハイネマンとの打合せが終わればいつでも出られると応諾する。


「カザリン師は今の事態をどう思われているのだろうか?」


シルドレとて<邪蛇>の軍団が剣皇国や周辺諸国を荒らし回っている事態に明確な怒りを覚えている。


北部の盟約は形骸化が著しいと言えど、諸国が頼りとするのはやはり二強と呼ばれたイチイバル共和国と剣皇国なのである。


だが<幻月の騎士>は敗れ、剣皇国は国土の過半を<邪蛇>の魔物によって侵食されていた。


帝都ミレディとその北のゴールドランスを起点として将軍カイゼルが反抗に出ていたが、大山脈の西方、トロリーより送り込まれし魔物の数は膨大で、劣勢を余儀無くされている。


群青騎士団が救援に赴けない理由として、つい最近まで戦争をしていた程に悪化の一途を辿る二国間の外交関係がイの一番に挙げられた。


「帝国の分裂は予期していなかったそうです。これにより大陸中央部には四つの勢力が混在してしまいました。師匠は対グラ=マリ、及び対メルビルという抗戦軸を設定して帝国の何れかの陣営と結ぶべしとのお考えです」


「…普通に考えれば、我が国により近い帝国北部を根城とするレーン=オルブライト将軍一派になる」


「ええ。元より宮廷魔術師のダイバー=アグリカル伯爵公子とブレイズ=パンデモニウム軍最高司令官という組み合せでは力不足は明らかです。ただ、西部に拠点を構えた彼らは貴族の支持を得ている分物資や人員の確保という点では有利です」


「ふむ。勢いのある革新派の北部か、継戦力に優る保守派の西部を懐柔して味方に付けるという話ですか」


「左様です。そこで気になるのがラルメティ公国軍の出方です」


帝都南端を押さえた桂宮ナハト大佐の軍勢は、レーンに手痛い反撃を被って以降は積極的に戦を仕掛けることもなく、本国からの補給線の整備と市部の占領行動に精を出していた。


元帝国領の南端付近にはフレザントも入り、ラルメティ領としての入植・統治を本格的に開始している。


帝都シルバリエに留まり本国の意向を待ちつつ今この瞬間もゲリラ戦に悩まされるフェルミなどとは違い、ラルメティ軍にはある種の達観があった。


(帝国を滅ぼす気などないのだろうな。帝国の南部を切り取っておけば大陸中央部への侵出は成功だ。いざ野心と実力を備えた段階で、そこを足掛かりに何処へも攻め上ることが出来る。かの鉄面卿らしい実利の取り方よな)


シルドレは考え、帝国南部に近寄らなければラルメティと事を構えることもあるまいと結論付けた。


「師匠はグラ=マリの王都攻略を第一義に掲げています」


「知っています」


シルドレは神妙な顔をして応じた。


対照的にマグナは口許を綻ばせ、彼らしからぬ良い具合に気の抜けた様子で語り始める。


「シルドレ将軍。私はラインベルクとは戦いたくないのです。これは単なる私事です」


「それは僕とて同じことです」


「だから、紅煉騎士団と争う必要がない理屈をあれこれと考えていました。元凶たる紅煉石をラインベルクやジリアン女王は手放す気がない。ならば、他に<門>を閉じる手立てはないものかと」


シルドレが椅子から立ち上がった。


「…それで?」


「師匠もあれこれと手を尽くして探した上で不可能と位置付け、石の封印を主張しています。樹林王国の蒼樹女王もそうだったことでしょう。つまり、正統の魔術的見地からは解決法が見出だせないということです」


シルドレはマグナのもって回った物言いから、彼が別アングルからのアプローチを試みたのだろうと察した。


「そもそも魔術は使用にあたり等価交換として体力や生命力、或いは聖石に宿る魔術的な力を要求するものです。そのメカニズムは解明されておらず、ここに万能神の存在を垣間見るわけです。つまりはメルビル教の奉じる万能神の肯定です。そういった前提から遺されたであろう教書や古文書には<門>に関すると思しき記述はあれど、関与する方法までは明示されておりません」


マグナの演説が熱を帯び始める。


「あくまで仮説ですが。万能神が唯一絶対だという立ち位置をとらない魔術系統が存在していたなら。更に学術書まであったなら、<門>に関する記載が無いとは言い切れないのではないか。こう思ったのです。…そして、この大陸には別の神を崇める風習が確かにあった」


「!それは、どこに?」


「大陸は最西南。ミース湖という淡水湖の畔に伝統ある祭祀国家が今もって存続しています。規模も影響力も小さいがため、私も今回調べを始めるまでは失念していました。そう…ミース巫女王座という国です」



***



カザリン=ヴォルフ=ハイネマンは不機嫌そうに言い放った。


「夢想ね、マグ」


「師匠はどうあってもラインベルクと戦うおつもりですか?<邪蛇>や<石榴伯爵>の専横に目を瞑っておいて、魔物を敵とするラインベルクを?あの者は魔術都市の多くの市民の仇である<真紅の暴君>を倒したと言うではありませんか」


「<石榴伯爵>の姿は確認されていないわ」


「骸骨騎士は集団でラルメティ軍の先発を務めたと聞いています。これで眷族の長の関与を疑うなとは、それこそ夢想と言うもの。私は…<門>を閉じた上で紅煉騎士団と協力し、<七災厄>の全てを滅する道を探したいのです」


「出来るものなら蒼樹がとっくにやっている。彼女はそれだけの実力と組織力を有していた。その<聖女>の下した結論が、紅煉石を魔術的に封印することよって<門>への魔力供給を断つというものだったのだから、推して然るべきよ」


「蒼樹女王がミースに立ち寄ったかどうかを調べてから判断しても遅くはありますまい!」


マグナは気色ばんで反論したが、今更カザリンを説き伏せようとまでは考えていない。


ただ己の立場を師に表明したかっただけのことである。


カザリンは平服ではなく新調した紺色のローブを着込み、白銀色のカチューシャを髪に差していた。


マグナの顔をじろりと見回し、呆れたように肩を竦めると卓上の筆と便箋を手元に近付ける。


カザリンに与えられている部屋は狭いながらに青城の一角にあり、彼女が如何に厚遇をもって迎えられているかがよく分かる。


サラサラと筆を動かすそれをマグナは立ったままで覗き込んだ。


「…師匠!」


それは直筆の紹介状であり、筆を置いたカザリンは指で魔術印を切って書状に封をする。


その印はマグナをして記憶になく、怪訝な表情を浮かべて作業を見守っていた。


「ミースの術式よ。これなら邪険にはされないはず。神殿に着いたなら、ベルサリウスという者を訪ねなさい。…私の名を出せば、そう無下にもしないでしょう」


「師匠…。そのベルサリウスという者とはどういったご関係で?」


「…ただの昔馴染みよ。魔術都市には昔から色々な人種が集まっていた。その中に衰退期にある宗教国家からの研修生が一人だけいた。確か高位の神官位を引き継ぐ家系にあったはずだから、生きていれば頼りに出来るはず。…それだけのことよ」


カザリンの瞳からこれ以上訊くなという拒絶の意思を読み取ったマグナは、丁寧に一礼して封書を預かった。


そう言えばとカザリンの書棚から地図を借り、グレイプニルとの距離を計算してみる。


(どう急いでも三十日近くはかかるな…)


宮廷魔術師である自分が往復で二月も国を留守にするという現実には、流石のマグナも恐縮する。


義はあると信じていたが、職務を放棄することになるのもまた事実であった。


「行くならさっさと行かないと、南部は不穏よ」


「えっ?師匠、南部は無風ではありませんか?樹林王国は北のトロリーと小競り合いを続けていますし、ラルメティの主力は帝国にあります。グラ=マリが南方に兵を出す理由も有るようには思えませんが…」


「ラルメティはダルケナを、グラ=マリはレイエス=ホルツヴァインを共に滅ぼしたわ。ミースなど狙われたらひとたまりもない」


「…ラルメティが、ですか?」


マグナの問いに、カザリンは天井を仰ぎ見るに止めた。


彼女はラルメティ公国のフレザントの頭脳を高く買っており、彼が公国の損得を計算して領土の拡大へと舵を切ったことを注視している。


国勢を回復したグラ=マリ王国とそれを食い破らんとするメルビル法王国。


その二大国の陰でラルメティ公国は不気味に振る舞いつつも着実に領土を広げていた。


どこまでがフレザントの企画によるものかは分からなかったが、カザリンにはひとつだけ確信していることがある。


(彼はきっとラインを頼る。<石榴伯爵>がニーザの思惑通りに動き、レムルス王や元<四獣>の一味が好き勝手暴れようと、ナスティ=クルセイドはもういないのだから。桂宮ナハトが評判通りの戦術家だとして、彼を最後まで温存出来ればラルメティの復権はなる。そう考えれば尚更、フレザントの使える手駒はラインしか残らない…)




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