104話
†第十八章 目的は…†
ダレイアスの命を奪ったのは自分だ。
自分が頼ろうとしたから彼は殺されたのだし、自分が黙って王家の秘宝を持ち出したからこの手を握る少女は…。
少年は自責の念に押し潰されていたが、それ故に酷く冷静になる自分を感じ取ってもいた。
一頻り泣き喚いた後、少年は少女を背後に庇って小屋の入り口を睨んだ。
ゆっくりと、だが確実に、開いた扉の外の暗闇から二人を追い詰めるようにジャリジャリという足音が近付いてくる。
(…やってやる!こうなったらこいつを使ってやってやるんだ…。さっきは上手くいったんだし、今度だって!)
少年は背に少女の体温を感じ、震える身体に渇を入れて仁王立ちになった。
遂に男が侵入し、能面を灯りの下にさらけ出す。
その瞬間に、少年の意識は途絶えた。
文字通りにぷっつりと。
それが一秒であったか一分であったか、それほど長いことではなかった筈だと少年は認識していたのだが、気付けば眼前から男の姿は消えていた。
変わりに少女が心配そうな目付きで覗き込んでおり、少年は自分が仰向けに寝ているのだと気付かされる。
(あいつは…?)
上半身を起こした少年に対して、少女は黙って扉の外を指差した。
そちらに這いずって行くと、魔術によるものか白光が辺りを照らして明るくなっており、砂利を蹴って剣をぶつけ合う男たちの姿が視界に入った。
「下がっていなさい!」
そう怒鳴ったのは少年の父であり、彼もまた剣を握って件の男と斬り合っていた。
闘いはしばらく続き、数の力か少年の父の一派が無事に男を追い払う。
無事に、という表現が的確かは難しいところで、倒れて動かなくなった幾人かの騎士の体が少年には強く印象に残った。
小屋へと近付いてくる父の表情はかつてない程に強張っており、少年は自らの過ちを省みて一抹の不安を覚えていた。
(許してもらえないことをしてしまった…あいつのせいで…!)
少年の父は少年の肩に手を置くと、奥にいる少女へと優しい声色で声を掛ける。
「ジリアン、こちらにおいで…」
***
(またこれか…)
目を見開いたラインベルクは、汗だくで灰色の天井を凝視する。
少しの間ベッドの中で惚けて過ごし、気持ちを落ち着けてから身支度を始めた。
寝室を出て飾り気のない石造りの廊下を行くと、見知った騎士たちがすれ違い様に敬礼を寄越してくる。
ラインベルクはその一つ一つに敬礼を返し、面倒に思って足早に執務室へと向かった。
頑丈さ以外に取り柄の無さそうな鉄扉を押し開けると、そこには先客が二人いていつも通りに職務にあたっている。
「おはようございます」
「おはよう」
紅煉騎士団第2軍の将軍付き副官である男性騎士と、副団長秘書を務める女性職員に挨拶を返したラインベルクは、執務卓に座るや早速未決済の書類の束に取り掛かった。
(何事もない朝だな。衝撃的な上申があるでも、敵の襲来が報告されるでもなし…)
サインを済ませた先から、女性職員が書類を封書にまとめていく。
ラインベルクが二三確認を求めて質問すると、男性騎士は手元の書類を捲って該当事項に答えた。
それは教科書通りの回答で、執務は淡々とこなされていく。
軽口の一つ飛び交うことなく、不意の来訪者すらこの日もありそうになかった。
ラインベルクが駐在しているのはグラ=マリ王国の東部要塞で、二月前に紅煉騎士団が攻め入って聖アカシャ帝国より奪還することに成功していた。
作戦には反対のラインベルクであったが、彼が国に不在の内に事は為され、帰国するや第2軍に駐屯命令が下された。
ディタリアの代わりに男性騎士が配属となり、メレの出向期間終了に伴って女性職員が赴任してきた。
ミリエラ=オービットの第3軍は旧レイエス=ホルツヴァイン連合国ことレイエス領へと入り、太守たる唯=ナノリバース伯爵を補佐している。
蓮の第1軍は、狂騒状態にある北部への備えとしてグランディエ進駐を果たし、シャッティン=バウアー率いる神威分隊は騎士を増強された上で依然西部にあった。
王都アビスワールドではブリジット=フリージンガーの第4軍に続いて第5軍の編成が進んでおり、グラ=マリの国力の回復を如実に示している。
ラインベルクと旧知の面子は王国の各方面にと散っていて、ジリアンとイリヤの差配では彼は将軍兼最強騎士兼軍師兼魔術師という万能の士として、特別な補佐役無しに要塞防衛の任を全うすると信用されて現在のポジションに就いていた。
副官から補給物資と増派の騎士が到着したと聞かされ、ラインベルクは特に必要はなかったのだが自ら立ち会いを申し出る。
返事もまたずに執務室を飛び出したラインベルクは、門内の待機スペースで所狭しと積み上げられた武具や兵糧を目に留めた。
(こんなに寄越して…戦争でも仕掛けろと言うのか?)
色違いの冷たい瞳と白髪をした美女を想像してしまい、軽く頭を振る。
搬入を監督していた騎士が大声でラインベルクに挨拶をし、周辺からいらぬ注目を集めてしまった。
「…ラインベルク中将閣下。御無沙汰しております。小官のことを覚えておいででしょうか?オードリー=アキハであります」
金髪碧眼で整った顔立ちという、貴族然とした女騎士がラインベルクの側へと寄ってきた。
現場監督の騎士は即座に「勝手に将軍に話し掛けるな!いち少尉如きが!」とオードリーに対して凄んで見せる。
「…ああ。ノウランの下にいた魔術師だね。唯の友人だったかな」
「はい。ナノリバース伯爵とは幼馴染みにあたります。士官学校では私が一年次上でした」
ラインベルクは監督役の騎士に「彼女とは面識があってね」ととりなしをする。
「ノウランはどうしている?戦死したとは聞いていないが…」
「はい。新設の第5軍への参加が認められたそうです。階級は大尉に降格だそうですが、喜ばれていました」
ラインベルクが頷く。
見ればオードリーの階級章も少尉を表していて、彼女やノウランは王国分裂期にテオドル=ナノリバースの旗下についていたため、紅煉騎士団への再任官にあたっては不遇を囲っていた。
「君はどこの所属なんだ?」
「私は…正規の配属待ちでして。騎士団の外郭団体で補給部隊の現場指揮官を務めています。ですので、この階級も仮のものです」
「家は?」
オードリーは首を横に振った。
ジリアンの政治姿勢は明白で、今後は新たな爵位の創設・授与は凍結。
加えて分裂闘争期に神聖グラ=マリやテオドルの陣営に与した者の家系は、命は安堵されたものの爵位や領地を没収とされた。
ジリアンに味方した貴族とて手当や領地などの特権を大幅に削減されており、それにより国庫は加速度的に充実を見ている。
必然的にノウランやオードリーのような旧貴族は職を得なければ食べていかれず、紅煉騎士団はそういった多数の求職者に対応しきれていないとも言えた。
(旧紅煉騎士団の騎士たちの素行調査から能力査定まで、メレはさぞ忙しくしているんだろうな)
ラインベルクは軍務省に戻った前秘書に思いを馳せる。
「ラインベルク中将!」
大声を上げ、騎士たちの制止を無視して巨漢が一人無遠慮に近付いてきた。
岩人間とでもいった風貌をしたラルメティの<暴れ牛>こと、カノッサその人である。
「…カノッサ。この者も良い。私の知人だ。気にせず入庫作業を続けてくれ」
ラインベルクは騎士たちにそう説明して、二人を手近な部屋へと案内した。
席に着くなり、カノッサは大きな動作で頭を下げる。
「とりなし感謝する。中将のお蔭で此度処刑されずに済んだ。この上は流浪のこの身をこき使って貰おうと思い、補給部隊に同行した次第だ。グフフ」
「無理矢理付いてきたのですけどね…」とオードリーは呆れ顔で言う。
イリヤの指示で王都に囚われていたカノッサの釈放を具申したのはラインベルクであった。
ブリジットなどはカノッサの処刑を声高に叫び、確かに彼は持ち前の剛力で第4軍に少なからぬ被害を与えていた。
ラインベルクがカノッサの助命を請うたのはつまるところその能力を惜しんだまでのことで、騎士など立場が違えばいつ昨日までの味方に剣を突き付けられないとも限らないと、諸将を説得したのである。
「食費がただ嵩みそうだが。何よりお前を置いておこうにも、手配の仕方もわからん」
「ディタリア嬢の代わりは見つからんか」
「ああ。何もかも、ディタに頼りきりだったからな…」
「いい女だったな…」
カノッサがらしくない感傷的な物言いをし、ラインベルクはびっくりした。
(そう言えば、こいつはディタにやたら甘かった気もするな)
ラインベルクは<歌姫>討伐の道中を振り返って思う。
「グフフ…何か俺が役に立つような戦はないか?」
「ない。知っての通り、帝国は帝都より東と南を粗方失っている。虎が貴族を見捨てたからだが、今更介入しても誰にも感謝はされまい」
「レーン=オルブライト。剛毅なものよな。グフフ…」
レーン=オルブライトが平民出身の士官や騎士たちをまとめ上げて帝都を脱したことは、青天の霹靂であった。
彼の手腕で辛うじて維持されていた防衛線は一瞬で崩壊し、ボイス=ミョルニル、ダイバー=アグリカルらの奮戦虚しく帝都シルバリエは教導騎士団の手に落ちた。
だが帝都が陥落し多くの貴族が敵の手中に落ちたというだけで、レーンはむしろ制約を受けなくなった分精力的に活動していた。
地方領主や町村に協力を誓わせ、驚くべき速度で帝国北部一帯をネットワーク化すると、帝都に駐留した教導騎士団やラルメティ公国軍に対してゲリラ戦を仕掛けに回る。
つい先日も帝都の北西はヤルヌスの丘陵地帯で、深追いした公国軍に強烈な逆撃を見舞い、これを潰滅させたのである。
公国軍の桂宮ナハトは帝都をメルビル法王国のフェルミに預け、部隊を早々と帝国南部にまで下げた。
フェルミはフェルミで苦境に立たされており、それは率いた軍の大半を本国に返す羽目になったことに因る。
「グランディエ入りしたなら活躍の場は山程あったろうよ。今やあそこが激戦区だ。蓮大将が抜かれたなら、グラ=マリには大量の魔物が侵攻してくる」
「…蓮大将は俺を受け入れてくれるだろうか?」
「お前程の力、正直遊ばせておくには惜しい。…紹介状を持たせる。グランディエに行ってくれるか?」
「応!命の借りは返させて貰おう」
カノッサは目を爛々と輝かせ、仕事が出来たと鼻息も荒い。
その様子を眺めていたオードリーは小さく溜め息をつく。
「オードリー=アキハ。君はどうしたい?」
「え…?」
「野心も無しにおれに声を掛けたのか?何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
ラインベルクに詰め寄られ、オードリーは抱え込んでいた鬱憤を吐き出した。
「私も、働き口を紹介しては貰えないでしょうか…?中将閣下のご期待に応えられるよう励みます!」
その頬を伝う涙が、彼女のここまでの労苦を物語っていた。
大貴族の令嬢で、士官学校では魔術で優秀な成績を修めたオードリーに対して、勝者である第4軍は冷淡だった。
降伏した士官は何れもブリジットとワイバーンに検分されたのだが、オードリーはその席上で罵倒され、著しく尊厳を傷つけられた。
裸同然で市中に投げ出され、今の組織に雇われるまではプライドを削られながら生きてきた。
易々と死を選ぶくらいなら始めから降伏など選択してはおらず、生きるため、そしてノウランとの再会を夢見て身をやつしたのである。
「この身は汚れていますが、私の魔術と軍事の知識はまだまだ錆び付いてはおりません!従卒でも構いません…何卒!」
オードリーの瞳からは真摯さが窺え、ラインベルクは一も二もなく首肯する。
「こんな美人に涙を流されてはな。中将好みだろう?グフフ。お嬢さん、この御方のハーレムにだけは就職せんようにな」
「…仕官を世話していただけるなら、閨房の御奉仕くらいいくらでもさせていただきます」
流石のラインベルクもこの返答は予期し得ず、呆けたカノッサとただ目を見合わせた。
***
参謀長であるイリヤから念を押されていたのは、対教導騎士団で感情的な行動に出ないこと。
ラインベルクには要塞防衛にかかる全ての事案に決裁権が与えられており、紅煉騎士団の副団長という役職に就いている手前、自ら戦端を開こうと思えばそれすら可能であった。
自制の上ただ要塞に籠るというのは、楽なようでいて鬱屈するものがある。
ラインベルクは東部要塞から馬で半日ほど南、小さな村落の点在する山間部に偵察へと出ていた。
そこを中規模の盗賊団が根城にしているとの事前情報があり、一個小隊五十騎を伴い自ら討伐へと出張ったのである。
高級士官たちはわざわざ要塞司令官が出るまでもないと騒いだものだが、ラインベルは反対を押しきってここにいた。
(こういう地道な作業もジリアンの国作りには欠かせないものだ)
広い視野で見れば、グラ=マリ王国は三年と半年を遡る四か国軍侵攻で失陥した国土を回復し、長引く戦乱に苦しむ諸国の中で一応は軍事・政治・経済と揃って進歩を見せている。
それは軍事ではラインベルクや蓮が、政治ではジリアンやタレーランが、経済ではカタリナらが尽力した結果であるのだが、他方聖アカシャやイチイバル、剣皇国などと比して国勢は格段に高まっていた。
国力の向上は即座にジリアンと紅煉石の安泰に繋がり、まさにラインベルクの求める最善に近い状況を実現している。
そうである以上、彼としてはニーザ=シンクレインとその一味を打倒して後顧の憂いを断っておきたかったのだが、現状でそれを為そうとすればラルメティ公国軍が紐付いてくることは想像に難くない。
(無理にでも帝国を救っていれば、二正面作戦を採る必要に迫られることはなかったろうに…)
そして、帝国の衰退を思うにラインベルクはみすみすロイドを死なせてしまった己の不明を恥じ入るのである。
よりによってルキウス=シェーカーとの斬り合いに気を取られ、本丸たるニーザの動きを見逃した。
挙げ句はルキウスすら討ち取れずに、ファナランドまで無駄足を踏んだことになる。
(最近とみにトロリーの<邪蛇>一派が暴れていると聞く。あのトリスタンまでが不覚をとったのだから、放ってはおけん。それにラルメティの<石榴伯爵>。…<七災厄>と同じ空気を吸っていては、いつまで経ってもアビスワールドは休まらないということか!せめて、アリシアがいてくれたなら…)
「ラインベルク将軍、賊はすでに臨戦態勢にあるようです!」
「何だと?」
オードリー=アキハ少尉の報告に、ラインベルクも遅ればせながら遠視の魔術を発現させる。
進行方向の高台に見える集落は小さく、五十戸前後の規模であった。
その入り口付近を固めている賊と思われる人員は、皆が皆剣に鎧に兜にと完全武装した上で、丁寧にも整列して待ち受けている。
そしてその装備は、遠目にも紅煉騎士団の制式に間違いなかった。
(数は百に満たない位だが、報告よりは多いか。こちらの動きは偵察されていたようだし、並び方も堂に入っている。これは…)
ラインベルクは小隊の進軍を止めて携行食の具合を確認した。
最大四日分との答えを聞くや、正面決戦を避けて山中に潜む道を選ぶ。
そうしておいて何人かの騎士を、援軍を求めに要塞へと走らせた。
「何故小隊ごと退かないのです?」
オードリーが少数で野営をする点に疑問を呈した。
「賊をつけ上がらせる。紅煉騎士団を追い返したと喧伝されれば、噂を聞き付けたならず者たちが余計な気を起こしかねない」
それに、とラインベルクは付け加える。
紅煉騎士団が盗賊もどきに遅れをとったなどと、格好悪いにも程があるではないかと。
***
近くにまで迫っていた紅煉騎士団の小隊が方向を変えて山中に入ったのを見て、男たちは「夜襲をかけるぞ!」とか「恐れをなして逃げおった!」と意気も盛んに声を上げた。
「将軍!援軍が来るに決まってます。すぐに後を追いましょう!」
「そうです。ここいらの山なら我等に一日の長があります。追い詰めて、山に火を放つのもありかと」
盗賊には不似合いな将軍という敬称で呼ばれた男は、彫りの深い顔をしかめてじっと考え込んだ。
正規の騎士同士が集団戦を行ったならば数が大きい方が勝ち易く、守る方は突撃のリスクを負わない分一も二もなく有利である。
実際のところ、彼の命令で集落までの道中には魔術的な罠が幾つも仕掛けられており、想定では発動を待って全騎でもって攻めかかり、とどめに伏兵すらも用意されていた。
しかし山裾でのゲリラ戦に移行した場合、何れの準備も意味を失う。
(山に慣れていると言って我々も土着ではない。その程度のアドバンテージで山林に突っ込むのは楽天的に過ぎやしないか…)
男は無駄な時間の浪費は敵の援軍を近付けるだけだと承知している。
どうせ決断せねばならぬとあらば、少しでも成功率の高そうな戦術を選びたかった。
「裾野を焼き払え。我等までもが山に侵入する必要はない。飛び出してきたところを強襲する」
将軍と呼ばれた男は見た目に優男で、体つきも騎士として水準程度の剛健さと言えた。
それでも部下たちを指揮する態度はらしさを備えており、四十には届いていないであろう男の命令にも皆唯々諾々として従っている。
火を放ちに十数人を差し向けたその時、紅煉騎士団の部隊が近くの山の中腹にまで登っていく姿が捉えられた。
(何だと?登山などと…常軌を逸している!…だが敵は一日待てば援軍が到着する身。追わねば次に危機を迎えるは大軍を相手に援護とは無縁の我等の方か…)
騎士団の戦術書に「高きをもって低きを制するはこれ常道なり」という一節があったなと思い起こし、男は懐かしげに目を細める。
「流石は百戦錬磨のラインベルク将軍!寡兵の失敗をやすやすと挽回し、ただの一勝の栄誉も我等に与えないとは!…皆の者、ここは引く。今は賊に落ちぶれようとも、我等は建国以来の血統を保全するという大義を掲げる身だ。あたら無謀な戦で命を散らすわけにはいかぬ!」
男は宣言し、一味に速やかな荷造りを指示する。
準備が完了するや馬に跨がり、全員が集落から姿を消した。
ラインベルクらは翌日増援の二個小隊と合流して周辺を捜索したが、一団の痕跡は見付からず仕舞いである。
あちこちの村で聞き込みをした結果、ラインベルクの抱いた第一印象に遜色のない事実が判明した。
「賊の構成員が、元紅煉騎士団の騎士…」
オードリーは絶句して見せたが、戦乱の世ではさして珍しい話でもない。
ラインベルクが群青騎士団に籍を置いていた頃にも、任務に失敗した小隊がまるまる軍を離脱して流れの傭兵になったケースなどはあった。
「リーダーは将軍と呼ばれていたそうだな。聞き出した容姿や振る舞いから判断するに、フィリップ=ギュストで間違いはあるまい」
ラインベルクはたいして感慨もなさそうに言う。
彼がグラ=マリに戻って最初に配属になった先が紅煉騎士団第8軍で、当時の将軍がフィリップであった。
だが二人は接した機会がほとんどなく、程無くしてラインベルクが陽炎分隊を率いてグランディエ入りしたために没交渉に終わっている。
「ギュスト家の嫡男が、なぜ盗賊などを…。いえ、それよりもどうして彼がこんなところに?」
「手引きした貴族がいるのだろう。脱走したと聞いた記憶はない。そもそも略奪行為だけでは百を数える兵隊を養えない。国内にスポンサーがいるはずさ」
「スポンサー…」
「ギュストの治世を夢見る誰か、だな」
つまらなそうに語るラインベルクであったが、別にフィリップらを卑下しているわけではない。
彼もまたジリアンの統治を盲目的に信奉している身であり、フィリップらとは立場を異にしているに過ぎなかった。
ギュスト一族ら選民主義者とラインベルクやジリアンが相容れない点は、特権階級に固執するかしないかという視点にある。
ジリアンは改革者であり、宮廷の腐敗や国家の弱体化には厳しくあたるが、基本的に権勢欲とは無縁であった。
ラインベルクとて、ジリアンをサポートするために現在の地位に甘んじていたが、騎士団の副団長やら将軍やらいう地位に魅力を感じることもない。
二人にとって国家のあるべき姿とは、民が不当に搾取されず、理屈の通らぬ暴力や権力が幅をきかせることのない政治の実現と同意にある。
そして、紅煉石さえ変わらずそこに有り続けたならば、ラインベルクがグラ=マリ王国という器に拘る必然はなかった。
「ギュストの治世を、ですか…」
「ああ」
ラインベルクには黒幕の予想もついており、東へと連れてきたジョシュアに王国東部から南部にかけてを今もって探らせている。
(エンゲルス。テオドル=ナノリバースの打算が産み出した悲劇の王)
テオドル=ナノリバースの擁立したエンゲルスは、最大の支援者たるテオドルの死により立場を難しくした。
ジリアンは幼くして傀儡とされた事実を不幸なものとし、エンゲルスを王族として扱うことに決めて南東部に所領を授けた。
だが彼の周囲に巣食う側近たちにはそれが屈辱的なものと映り、ジリアンへの反感を隠していないと言う。
複雑そうな顔をして俯いているオードリーを気にかけ、ラインベルクは彼女の肩に手を置いた。
「フィリップのやりようが気になるかい?君は既得権益を享受していた側だ。そうであっても不思議はない」
「正直に言わせていただければ、応援したい気持ちも一割ほどあります。…女王陛下と違い、ギュストには世話になりましたから。感情の問題ですね」
「ブリジット=フリージンガー少将あたりも同じ気分なんじゃないかな。だからこそ、ジリアンは結果を出さなくてはならない。ギュストとナノリバースの時代より後退したと国民に思わせては、為政者として失格だ」
「…その陛下の統治を軍事面で支えているのがラインベルク将軍なのですね」
ラインベルクは失笑をもって応える。
「そんなだいそれたことはしていない。…というよりナノリバース伯爵領とレイエス領の制圧に何ら寄与していないんだから、寧ろ足を引っ張っているのかもな」
「そんな…」
「今回も賊を討伐出来ず、おめおめと帰還しなければ、だ。まあ被害を出さなかっただけよしとするさ」
(本音を言えば、何としても百騎程度の小勢の内に叩いておくべきだった。禍根を残したのはおれの失態。…犠牲を覚悟で突っ込むには、今は手駒が少な過ぎる)
ラインベルクは多少意気を消沈させたオードリーを眺め、彼女に潜在的な力があるならそれに頼るのもいいかもしれないと思いを巡らせていた。
そして東部周辺の治安が落ち着いたなら、どのような手段にせよ自らことを起こそうとも決めている。
(リーシャと約束したしな。国がまとまったら、己の過去を清算すると。…そろそろおれもやりたいようにやらせて貰うさ)




