チョコを渡す練習だけが上達していく二月十四日
★〜第一章:二月十四日、午前六時〜★
結城あかりは、自室の全身鏡の前で、三十二回目の“シミュレーション“を終えたところだった。
「あの、これ……もしよかったら食べて。あ、変な意味じゃないから! 義理っていうか、その、余ったから……!」
鏡の中の自分は、頬をりんごのように赤く染め、差し出した紙袋を小刻みに震わせている。
あまりにも情けない。
あかりは深いため息をつき、ベッドに倒れ込んだ。
「『余った』は、流石に無理があるよね……。トリュフ十二個も余るわけないし」
枕元には、昨夜三時までかけて完成させた特製トリュフの箱が、丁寧にリボンをかけられて鎮座している。
渡したい相手は、クラスメイトの佐野くん。
バレー部で、ぶっきらぼうだけど、雨の日に迷子の子犬を傘に入れてあげていたのを見て以来、あかりの心は彼に奪われっぱなしだった。
★〜第ニ章:上達する演技、停滞する勇気〜★
登校中、あかりの脳内では“渡す練習“のバリエーションが次々と更新されていった。
◇
∮∮パターンA:爽やか登校時作戦∮∮
「おはよ、佐野くん! これ、バレンタインだからあげるね」
(難易度:高。周囲に人が多すぎて、冷やかされるリスクが最大)
∮∮ パターンB:さりげない休み時間作戦∮∮
「ねえ、佐野くん。ちょっとこれ、試作品なんだけど……感想聞かせて?」
(難易度:中。言い訳っぽさが鼻につくし、彼に『試作品なんだ』と思われたくない)
∮∮ パターンC:放課後・呼び出し作戦∮∮
「あの、放課後、屋上に来てくれませんか……?」
(難易度:測定不能。そもそも、連絡先すら知らないのにどうやって呼び出すのか)
◇
校門をくぐるまでに、あかりの“渡す演技“はもはやアカデミー賞候補と言えるほど洗練されていた。
手の角度、視線の逸らし方、声のトーン。
練習すればするほど、技術だけは完璧になっていく。
しかし、本物の佐野くんを前にすると、その技術は何一つ役に立たないことを、彼女はまだ知らなかった。
★〜第三章:午前中の敗北〜★
一時間目の休み時間。
あかりはバッグの中のチョコを指先で確認し、佐野くんの席へ向かおうとした。
しかし、彼の席の周りには、いつの間にか女子の輪ができている。
「佐野くーん、はい、これ! 友チョコの余り!」
「サンキュー」
彼は面倒そうに、けれど律儀に受け取っている。
あかりは足がすくんだ。“余り“というフレーズは、すでに誰かに使われてしまった。
あんなに練習したのに、一発目で台本が崩れた。
二時間目、体育。
グラウンドを走る彼の背中を見ながら、あかりは心の中で新しい台詞を構築する。
(『お疲れ様。これ、糖分補給に食べて』……うん、これなら自然。部活帰りみたいでいい!)
三時間目、数学。
プリントを後ろに回す際、一瞬だけ指先が触れそうになる。
あかりは咄嗟に「あ、これ。数学頑張ったご褒美に……」という言葉が喉まで出かかったが、数学のテストは【十二点】だったことを思い出し、口を噤んだ。
ご褒美をあげたいのは、むしろ自分の方だった。
昼休み。
食堂へ向かう彼を追いかけようとして、あかりはトイレの個室に駆け込んだ。
鏡に向かって、本日五回目の練習──。
「佐野くん。……好きです。これ、受け取ってください」
ストレート。
一番練習した、一番言いたい言葉──。
でも、鏡の中の自分は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
★〜第四章:夕暮れのタイムリミット〜★
気づけば、放課後のチャイムが鳴っていた。
教室のあちこちで、甘い悲鳴や落胆の溜息が漏れている。
佐野くんは、部活の準備のために足早に教室を出ていった。
あかりは、震える手でチョコを掴み、彼の後を追った。
練習した成果を見せる時だ。
背筋を伸ばし、顎を引き、適切な距離感で声をかける。
「佐野くん!」
部室棟の裏、冬の夕日が長く伸びる場所で、彼女はやっと彼を捕まえた。
佐野くんが足を止め、不思議そうに振り返る。
「……結城? 何か用か?」
その真っ直ぐな瞳に見つめられた瞬間、練習してきた数千通りの台本が、頭の中から一気に消し飛んだ。
”パターンA”も”パターンC”も、洗練された手の角度も、何もかも──。
「あ、あの、ええと……」
あかりは無言で、突き出すようにチョコの箱を差し出した。
リボンが少し歪んでいる。練習しすぎて、箱の角が少し擦れている。
「これ……!」
「これ?」
「……これ、あの、すごく美味しいんだよ!」
出てきた言葉は、練習には一回も出てこなかった、ただの感想だった。
佐野くんは目を丸くし、それから少しだけ笑った。
「美味しいのか? 自分で作ったのかよ」
「……う、うん。昨日の夜、三時まで頑張って……」
あかりは、自分が何を口走っているのか分からなかった。
でも、練習した“偽りの自然な演技“よりも、ずっと心臓の音が激しく響いているのが分かった。
★〜第五章:練習の、その先へ〜★
佐野くんは、あかりの手からゆっくりと箱を受け取った。
「……三時まで、か。サンキュー、結城。……これ、本命って思っていいのか?」
あかりの脳内──。
ここで練習通りの「あはは、まさか!」と言うか、「……そうだよ」と言うか。
彼女は、深く息を吸い込んだ。
「……練習したの。今日一日中、ずっと。どうやって渡そうか、どうやって言おうか。でも、全部忘れちゃった」
彼女は佐野くんの瞳を、潤んだ目で見つめ返した。
「……本命です。佐野くんが、好きだから。……世界で一番、心を込めて作ったの」
夕闇が二人を包み込む。
佐野くんは少しだけ耳を赤くして、受け取った箱を大切そうに胸に抱えた。
「……練習より、今のほうがいいよ」
彼はそう言うと、小さな声で聞いてきた。
「俺も、後で連絡していいか?」
「えっ? あ、えっと……私も、連絡先……!」
慌ててスマホを取り出すあかりに、佐野は「今、交換しようぜ」と少し照れくさそうに笑いかけた。
こうして二人は、沈みかけた夕日の下で、初めての繋がりを画面に灯した。
震える手で読み取ったQRコードは、あかりにとってどんな台本よりも大切な、新しい物語の始まりだった。
★〜エピローグ:削除されたメモ〜★
その夜。
あかりはベッドの上で、スマートフォンのメモアプリを開いた。
そこには、今日一日を共にした“告白の台本“がずらりと並んでいる。
彼女は迷わず、そのすべてを選択して【削除】を押した。
もう、練習はいらない。
不器用で、言葉に詰まって、箱の角が擦れていたとしても。
自分の声で、自分の言葉で伝えた瞬間の、あの彼の笑顔。
それこそが、どんなに完璧な演技よりも“甘い“結果をもたらしてくれることを、彼女は知ったから。
新しいメモのページには、ただ一言──。
【二月十五日。放課後、佐野くんと初めてのアイス】
あかりは幸せな溜息をつきながら、明日への準備を始めた。
〜〜〜おしまい〜〜〜
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