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スマッシュ・キングダム 

作者: KK
掲載日:2025/11/28

午前二時。

 丑三つ時と呼ばれるこの時刻、世界は沈黙に包まれているはずだった。


 だが、県立王竜おうりゅう高校の第二体育館だけは例外だ。


 そこには、まるで巨大な杭打ち機が地面を穿つような、重く、鈍く、そして暴力的な轟音が響き渡っていた。


 ズドォォォォォン!!


 コンクリートの床が微振動し、埃が舞う。

 音の発生源は、天井から太い鎖で吊るされた、四トンオントラック用の巨大な古タイヤだ。


 そのタイヤに向かい、汗だくになりながらラケットを振り続けている少年がいた。


 武田たけだカケル。

 王竜高校バドミントン部の一年生であり、部内ヒエラルキーの最底辺に位置する「万年雑用係」である。


「へへっ……! まだまだぁ! こんなもんじゃねえぞ、俺のハートは!!」


 カケルが握っているのは、通常のラケットではない。

 フレームに鉛のテープを何重にも巻きつけ、ガットの代わりに鉄板のような硬度の特殊ワイヤーを張った、総重量五百グラムを超える「鉄塊」だ。


 普通の人間が振れば手首を粉砕しかねないその凶器を、カケルは満面の笑みで振り回していた。


 バドミントンとは、繊細なスポーツだ。

 手首のしなり、指先の感覚、ミリ単位のコースの打ち分け。それらが勝敗を分けると言われている。


 だが、カケルにはそれがない。

 入部初日の基礎打ちで、彼の放ったシャトルはコートを遥かに飛び越え、二階席のギャラリーの手すりに突き刺さった。

 以来、彼は「ホームラン王」という不名誉な称号を与えられ、半年間ラケットを握ることすら許されず、ひたすらモップ掛けと球拾いに明け暮れていた。


「おい武田、また場外かよ! 野球部に行け!」

「お前のバドミントンはスポーツじゃねえ、ただの破壊活動だ!」


 先輩たちの嘲笑が脳裏をよぎる。

 だが、カケルはタイヤに向かってニカッと歯を見せた。その瞳に、一点の曇りもない。


「言わせておけばいいさ。ちまちましたコース狙い? 相手の裏をかくフェイント? そんなの、俺の性分じゃねえ!」


 カケルは踏み込む。

 シューズのソールが悲鳴を上げ、摩擦熱で焦げ臭い匂いが立ち込める。

 全身の筋肉をバネのように収縮させ、足先から伝わる運動エネルギーを腰、背中、肩、肘、そして手首へと爆発的に伝達させる。


「防御なんていらねえ。回避なんて必要ねえ。相手がラケットを出した瞬間に、その腕ごと吹き飛ばせばいいんだろ!?」


 ゴガァァァンッ!!


 インパクトの瞬間、タイヤがひしゃげ、鎖が切れるのではないかというほどの悲鳴を上げた。


 カケルは知っていた。

 この競技の本質は「球の打ち合い」ではない。「魂の削り合い」だ。


 誰よりも速く。

 誰よりも重く。

 誰よりも熱く。


 相手の心が「折れる」音を聞くまで、ただひたすらに叩きつける。

 それが、武田カケルの見つけた「王道」だった。


「待ってろよ、全国の強え奴ら! 俺がこの『轟音』で、お前らの常識をぶっ壊してやる!」


 深夜の校舎に、根拠のない、しかし太陽のように灼熱した少年の宣言が吸い込まれていった。


 時は経ち、夏のインターハイ予選、県大会準決勝。

 会場となる総合体育館は、サウナのような熱気と、数百人の部員たちの掛け声で満たされていた。


 名門・王竜高校のベンチ裏では、緊急事態が発生していた。


「おい、嘘だろ……?」

「マジだ。佐藤さんの足首、完全に逝ってる」


 第二シングルスに出場予定だったレギュラー選手が、アップ中に着地を失敗し、靭帯を損傷したのだ。

 王竜高校は少数精鋭のエリート集団。遠征メンバー以外で会場に残っている控え選手は一人もいない。


 いや、一人だけいた。

 荷物持ちとして帯同していた、サイズの合わないブカブカのユニフォームを着た一年生が。


「監督! 俺に行かせてくれ!」


 武田カケルが、身を乗り出して叫んだ。

 監督の眉間に深い皺が刻まれる。


「武田……。お前、公式戦のルールは把握しているのか?」

「細かいことはやりながら思い出す! 要は、このネットの向こう側にシャトルを叩き込めば勝ちだろ!?」

「……お前なぁ」

「頼む監督! 俺の体、今すげえ熱いんだ! ベンチで見てるだけで沸騰しそうなんだよ!」


 カケルの目は、獲物を見つけた肉食獣のように輝いていた。

 監督は深いため息をついた後、覚悟を決めたように頷いた。


「……棄権して不戦敗になるよりはマシか。いいか武田、暴れてこい。ただし、ラケットを破壊したら即退部だ」

「おう! 任せとけ!」


 カケルがコートに入る。

 対戦相手は、県内でも指折りの守備力を誇る西条さいじょう高校の主将、金子かねこ。通称「鉄壁の金子」。


 彼はカケルの姿を見て、鼻で笑った。


「王竜も落ちたもんだな。あんな素人を出すとは。『ホームラン王』の噂は聞いているぞ」


 金子はチームメイトに目配せをした。

(あいつはバドミントンを知らない。レシーブは素人以下だ。徹底的にボディ周りと足元を狙え。自滅させてやる)


「ラブ・オール・プレー!」


 審判のコールと共に、試合が始まった。


 金子のサーブ。ショートサーブがきっちりとネットギリギリに入ってくる。

 カケルがドタバタと突っ込み、高く打ち上げる。


「うおりゃあ!」


 ただのロブだ。しかもコート奥のアウトラインギリギリ。

(やっぱりな。力加減ができていない)

 金子は冷静にシャトルの落下点に入り、鋭いカットスマッシュを放った。


 狙いはカケルの右足つま先。

 バドミントンのセオリーにおいて、最もレシーブが難しいとされる「足元への攻撃」。


 誰もが思った。これで決まりだ、と。

 カケルが体勢を崩す。膝が地面につくほど深く沈み込む。

 普通の選手なら、ラケット面を作って、ネット前に小さく落とすのが精一杯の場面だ。


 だが、カケルは笑った。


「へへっ……いいタマだなぁ! ゾクゾクするぜ!」


 カケルは、床スレスレにあるシャトルに対し、ラケットを下から出すのではなく、大きく振りかぶった。


 会場の時が止まる。

 その体勢からスマッシュ? 物理的に不可能だ。床を叩くだけだ。


「うおおおおおっ!! どっせい!!」


 ドゴォォォォォン!!


 爆発音。

 耳をつんざくような破裂音と共に、金子の視界からシャトルが消滅した。


 いや、消えたのではない。速すぎたのだ。

 カケルのラケットから放たれた一撃は、ネットの白帯を掠め、金子の顔の横を通り過ぎ、コートの最奥に突き刺さっていた。


「な……ッ!?」

 金子は一歩も動けなかった。

「し、下からの球を……スマッシュで打ち返しただと!?」


 会場が騒然とする。「なんだ今の!」「ありえない、重力が仕事してねえぞ!」

 カケルはラケットを担ぎ、鼻の下を親指で擦った。


「驚いたか? これが俺の『挨拶』だ! 防御? 関係ねえよ。打たれたら、倍の威力で叩き返す! それが俺のバドミントンだ!」


 そこからは、スポーツの常識を超えた「処刑」の時間だった。

 金子は必死に戦術を組み立てた。カケルのバックハンドを狙う。ネット前に落とす。左右に振る。

 だが、その全てがカケルの「暴力」の前に無力化した。


 ネット前のヘアピン?

 カケルは飛び込みながら、床ごと叩くようなプッシュでねじ伏せる。


 バックハンド?

 カケルは驚異的な背筋力で強引に回り込み、フォアハンドのスマッシュに変えてしまう。


 ロブ、ドライブ、ヘアピン。全ての球種に対し、カケルが出す答えは一つ。

 **「フルスイング」**のみ。


「ひっ……!」


 金子の顔が引きつる。

 ラケットを出すのが怖い。触れば腕ごと持っていかれそうな重い球威。

 シャトルが飛んでくるたびに、金子の脳裏に「敗北」の文字がよぎる。


 精密機械のようだった金子のレシーブは乱れ、最後はコートの真ん中で立ち尽くした。


「ゲームセット! ウォン・バイ・武田!」


 圧倒的な勝利。

 カケルは汗だくの顔で、金子に手を差し出した。


「へへっ、楽しかったぜ! またやろうな!」


 金子は震える手でその手を握り返すことしかできなかった。

 この日、会場中の人間が知ることになった。王竜高校には、戦術も定石も通用しない「破壊の化身」がいることを。


 決勝戦。

 対戦相手は、全国大会三連覇中の絶対王者・帝王ていおう大付属高校。

 その強さは、個々の能力もさることながら、冷徹なまでの「データバドミントン」にあった。


 王竜高校の控室は、葬式のような空気に包まれていた。


 第1シングルスに出場した主将・堂島どうじまが、試合後に救急搬送されたからだ。

 堂島は膝の半月板を損傷した状態で強行出場し、帝王のエースを相手に奇跡的な勝利をもぎ取った。

 だが、その代償として、彼のアキレス腱は断裂し、選手生命は絶たれた。


「キャプテン……」


 部員たちが涙を流す中、カケルだけがじっと床を見つめていた。

 その肩が震えている。恐怖ではない。悔しさでもない。

 行き場のない激情が、マグマのように体内で渦巻いていた。


 ガラリ、と扉が開く。

 松葉杖をついた堂島が、病院に行くのを拒否して戻ってきたのだ。


「泣くな、お前ら。まだ試合は終わってねえぞ」

「キャプテン! でも、足が……!」

「俺の足なんてどうでもいい。それより武田」


 堂島がカケルを呼ぶ。

 カケルが顔を上げる。その瞳は、怒りに燃えていた。


「武田。お前、これから戦う相手を知ってるか?」

「……帝王の主将、神宮寺じんぐうじ。『絶対防御』の男だろ」

「そうだ。あいつは全ての攻撃を無効化する。お前のスマッシュも、普通に打てば確実に拾われる」


 堂島は、自身のラケットバッグから一本のラケットを取り出した。

 グリップテープがボロボロになるまで使い込まれた、堂島の魂そのものと言えるラケット。

 ガットのテンションは極限まで高く張られ、芯を外せば手首を痛める「諸刃の剣」だ。


「これを使え」

「え……?」

「俺の代わりに、こいつで神宮寺の『壁』をぶち破ってこい」


 カケルがおずおずとラケットを受け取る。ずしりと重い。

 それは単なるカーボンの質量ではない。堂島が三年間の全てを懸けて積み上げてきた想いの重さだ。


「いいか武田。スマッシュってのはな、ただ速ければいいってもんじゃねえ」


 堂島の手が、カケルの肩を強く掴む。


「相手の心を砕くために打つんだ。」

「心を……?」

「そうだ。『防御したら腕が折れる』、『触れたら死ぬ』。そう思わせるほどの殺気を込めろ。理屈じゃない、相手の本能に恐怖を刻み込むんだ。そうすれば、相手は必ずミスをする」


 カケルはラケットを握りしめた。

 柄を通じて、堂島の熱が流れ込んでくるのがわかった。


「……わかったぜ、キャプテン。あんたの想い、全部俺が背負ってやる」


 カケルはニカッと笑った。いつもの馬鹿で、最高に熱い笑顔で。


「俺たちのバドミントンが最強だってこと、あの『王様』に教えてやるよ!」


 決勝戦、最終第3シングルス。

 勝った方が全国大会行きを決める大一番。

 コートに立つのは、帝王の主将・神宮寺と、王竜の「補欠」・武田カケル。


「君のデータは全て頭に入っている」


 神宮寺は冷ややかな目でカケルを見下ろした。


「力任せのスマッシュしか能がない単細胞。対策など容易い」


 試合開始直後から、神宮寺の戦術は徹底していた。

 「ノーロブ戦法」。

 シャトルを一切高く上げない。ネットの白帯よりも低い位置で、高速のドライブとヘアピンのみでラリーを展開する。

 カケルの武器である「上からのスマッシュ」を物理的に封じる作戦だ。


「くそっ、打つ球がねえ!」


 カケルが焦る。

 低い球を無理やり打とうとしてネットにかける。我慢できずに上げれば、神宮寺のカウンターが待っている。

 第1ゲームは、カケルの惨敗だった。スコアは21-5。手も足も出ない完封劇。


「終わりだな。野獣は檻の中で大人しくしていることだ」


 コートチェンジの際、神宮寺が囁く。

 だが、カケルは下を向いていなかった。

 堂島から託されたラケットを、愛おしそうに撫でている。


(キャプテン。このラケット、すげえよ。あんたの声が聞こえてくるみたいだ。『まだだ、もっと熱くなれ』ってな)


 第2ゲーム。

 神宮寺は変わらず低空戦を仕掛けてくる。

 ネット前、神宮寺が完璧なスピンヘアピンを落とした。シャトルが不規則に回転しながら、ネットを越えてすぐ真下に落ちる。

 触ることすら困難な魔球。

 普通の選手なら、一か八かヘアピンで返すしかない。


 だが、カケルは踏み込んだ。

 床板が割れるほどの踏み込み。そして、ネットまで数センチの至近距離で、ラケットを大きく振りかぶった。


「馬鹿な! その距離で振ればアウトだ! それにネットに当たる!」


 神宮寺が嘲笑う。

 しかし、カケルの目はシャトルを見ていなかった。

 見ているのは、神宮寺の顔面。そして、その目前に構えられたラケット。


(心を砕くんだろ? だったら……!)


 「どけぇぇぇぇっ!!」


 ガギィンッ!!


 技術無視の至近距離プッシュ。

 カケルはシャトルを打つと同時に、フォロースルーの勢いで「殺気」を飛ばした。

 神宮寺は反射的にラケットを出して防御したが、シャトルは彼のラケットのフレームを弾き飛ばし、遥か彼方の観客席まで飛んでいった。


 アウトだ。失点はカケル。

 だが、神宮寺の表情が凍りついていた。手が痺れて感覚がない。


(なんだ今の重さは……!? 鉄球でも打ってきたのか!?)


 カケルはニッと笑い、ラケットを神宮寺に向けた。


「へへっ、いい音したな! 次はラケットごと貫くぜ?」


 そこから、試合の空気が変わった。

 カケルは、どんな低い球でもフルスイングの構えを見せる。

 神宮寺の脳裏に、先ほどの衝撃が蘇る。


(打たれたくない……あの構えを見たくない!)


 本能的な恐怖。生物としての防衛本能。

 それが、神宮寺の精密機械のようなコントロールを狂わせた。


 ――ほんの数センチ。恐怖に押された神宮寺の手元が浮き、シャトルが高く上がった。


「待ってたぜ、その球をぉぉぉっ!!」


 カケルが吠えた。

 それは、ただのミスショットではない。堂島の想い、チームの願い、そしてカケル自身の魂が呼び寄せた、勝利への架け橋だ。

 逃げのロブ。神宮寺が恐怖に負けて上げてしまった、絶好のチャンスボール。


 カケルが宙を舞う。

 誰よりも高く。照明の光を背負い、その影がコート全体を覆い尽くす。

 背中の筋肉が悲鳴を上げるほど弓なりにしなり、全身全霊の力が右腕の一点に集中する。


 その背後には、まるで巨大な鬼神が金棒を振り上げているような幻影が見えた。


(キャプテン、見ててくれ! これが俺たちの……!)


「防御? 関係ねえ!!」


 神宮寺は必死にラケットを構える。「絶対防御」のプライドをかけて。両手でグリップを握りしめ、全身で壁を作る。

 だが、今のカケルにとって、壁など薄紙に等しい。


「そんなもん、ぶち壊してやるぅぅぅぅっ!!」


 ズ・ドォォォォォン!!!!


 インパクトの瞬間、空気が破裂した。

 放たれた一撃は、もはやシャトルではない。黄金の光を纏ったイカヅチとなって神宮寺に襲いかかる。


 神宮寺のラケットが、シャトルを捉えた。しかし――


 バキィッ!!


 乾いた音が響き、神宮寺のラケットのフレームがへし折れた。

 威力は止まらない。折れたラケットを弾き飛ばし、シャトルはそのまま神宮寺の後方の床に突き刺さった。


 シーン……。


 静寂。

 数百人の観客、審判、両チームの選手たち。誰もが言葉を失い、ただ一点を見つめていた。


 床に突き刺さったシャトル。そのコルクは粉々に砕け散り、羽根は無残に散らばっていた。

 絶対王者の「盾」が、たった一撃の「矛」によって粉砕された瞬間だった。


「……ゲームセット! ウォン・バイ・王竜高校!」


 審判の声が裏返り、会場に響く。

 その瞬間、地鳴りのような大歓声が爆発した。


「うおおおおおっ! やったあああ!!」

「武田ァァァ!! お前最高だァァ!!」


 王竜高校の部員たちがコートになだれ込んでくる。

 神宮寺は腰を抜かしたまま、呆然とカケルを見上げていた。「……化け物だ」と呟いて。


 もみくちゃにされる中心で、カケルはボロボロになった堂島のラケットを、天高く突き上げていた。

 汗と涙でぐしゃぐしゃの笑顔。

 太陽のようなその男は、ありったけの声で叫んだ。


「見たかぁぁぁ! これが、俺たちのバドミントンだぁぁぁーーっ!!」


 戦術も、技術も、定石も、全てをねじ伏せる圧倒的な「個」。

 その日、コートには新たな伝説が刻まれた。

 すべてをスマッシュのみで切り開く、最強の破壊者。


 武田カケルと王竜高校の「天下統一」への旅は、まだ始まったばかりである。


(完)

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