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婚約破棄ですかそうですか

 学園内の食堂は、安くて早くて美味しい。

 特に今日はパン食べ放題の日だから、いつもより二割増しの混雑具合である。


「ああ、至福の時」


 うっとりしながら五個目のロールパンを頬張るリンナの耳に、その至福をぶち壊すような声が響いた。


「リンナ・スペランツ! 私、ゼノン・ハインダーは本日をもって、お前との婚約を破棄する!」


 ああ、ゼノン氏。

 今ここで、それやっちゃいますかぁ……。


 リンナは七個目のパンを飲み込んで、仕方なく立ち上がる。


 ゼノンは怒りの熾火を目に湛え、リンナを見つめる。

 彼の横には、制服を校則ギリギリのラインで改造している、リンナの従姉オルチェラが、ぴったりと貼り付いている。


「はい。婚約破棄は了承いたしますが、理由をお聞かせいただけますか?」


 リンナはいつもの癖で、目を細めて二人を見つめる。


「理由はその目だ! その細い、ペンで引っかいたような細い目付きだよ。いつも私を睨んでいるではないか。そしてお前は私だけでなく、この繊細なオルチェラ嬢を睨み、怯えさせ、スペランツ家を乗っ取ろうとしている! まさに貴族籍簒奪! お前は国家的犯罪者だからだ!」


「ワタクシ、いっつもリンナに苛められて大変なんですよぉ」


 クネクネと腰を動かすオルチェラは、ご不浄(トイレ)の我慢でもしているのだろうか。

 病気になるから早く行った方が良いぞ。


 八個目のパンを口に入れようかと悩むリンナの姿は、断罪内容に反省しているかのように、見えないこともないことも……いや、全くなかった。


 ゼノンの言うことは出鱈目だからだ。

 あ、目が細いとか、目付きが悪いとかは認めよう。

 でも、オルチェラを怯えさせた?


 クエスチョンマークが十の八乗くらい付く話だ。

 そして、貴族籍簒奪に至っては、完全に真逆だ。


「どうする? 援軍必要?」


 一緒にパンを十個持ってきた、同級生のキュプロスが、眼鏡をクイッと上げながら言う。

 

「いや。面白いから、もうちょっと聞いてる」

「あ、そう」


 ゼノンとオルチェラは、「真実の愛!」とか叫んでいたが、食堂の生徒らの好みは、愛よりもパンだった。そしてチャイムが鳴り、食堂のおばちゃんに「真実の愛カップル」が摘まみだされたので、リンナとキュプロスも教室に戻った。


 そう言えば、ゼノンと婚約したのは、リンナが生まれてすぐのことだと聞いている。

 爺さんの話では、ゼノンの家、ハインダー伯爵家からの、たってのお願いだったとも。



 ◇回想・ドアマット少女時代◇



 大きな音と共に、バケツがひっくり返った。侍女長が蹴ったバケツは汚れた水を廊下いっぱいに広げる。


「拭いときな。這いつくばって、隅々まで綺麗にするんだ」


 自分のスカートも水浸しになりながら、リンナは小さな声で答える。


「はい」


 雑巾と一緒に裾も搾り、リンナは床を拭く。

 顔を床面ぎりぎりまで近づけて、キュッキュッと拭いていく。

 低頭しながら這うリンナの姿は、とても貴族の令嬢には見えない。


「ああ、汚らしい。何アレ、カエル?」

「ナメクジかもね」


 何度もメイドたちに笑われている。

 知っているけど姿勢を変えることは出来ない。


 だって顔を近付けないと、見えないのだ。


 見えないまま掃除をすると、汚れが残りやすい。

 汚れが残れば、また罵倒され、やり直しを命じられる。


 掃除もその他の邸の雑用も、上手く出来ないと食事は抜かれる。

 上手く出来た時でさえ、叔父夫婦や従姉の機嫌次第で、残飯すら与えられないことがある。


 だから、どんなに笑われようと躾を与えられようと、リンナはひたすら言いつけを守る。

 それがお爺さんとの約束だから。


『いいか、リンナ。お前のお父さんは、れっきとした貴族だった。お前もこれからは立派な令嬢になるんだ。だから、少々嫌なことがあっても、我慢するんだよ。そうすれば……』


 そうしてお爺さんは、「もしもの時には……」といくつかの品物を袋に入れ、リンナに持たせた。


 食事を抜かれる以外は、それほど嫌じゃない。

 うん、我慢できる。

 掃除も洗濯も、料理や繕い物だって、今までもやってきたから。


 ああ、殴られるのは、嫌だな。

 お爺さんは厳しいことを言っても、手を上げることはなかったから。


 廊下の掃除をリンナが終えた頃、何処かに出かけていた子爵夫婦とその長女が帰って来た。

 他のメイドらと一緒に、廊下でお出迎えをするリンナを見つけ、長女のオルチェラが薄ら笑いを浮かべながら思いきり足を踏んで行った。


「!」


 痛かったが表情と声には出さない。

 それがリンナの誇りでもある。

 ただ、誇りだけでは腹が膨れない。

 よって、邸内の清掃後、リンナは裏口から厨房を覗き、野菜の皮や焦げたパンを分けて貰った。


 今夜は大漁。リンナはホクホク顔になる。


 自室と言う名の物置小屋に帰り、貰った材料を洗って煮込む。

 土で作った竈に木屑と薄い布の切れ端を入れ、爺さんから貰った道具の一つを使い、灯り取りの窓から射しこむ残照を集める。

 道具を通して糸のような光が布に当たる時に、リンナは願いを込める。


 火よ点け!

 わたしの腹を満たすために!


 リンナが三回深呼吸する間に、布からはチロチロと炎が上がり、木屑に燃え移る。

 魔術ではなく、科学の力だ。

 間もなく、鍋からはぐつぐつと音が上がる。


 この子爵家全体が、こぞってリンナをイジメているのだが、リンナはそれほど怯えたり、ましてや泣いたりすることはなかった。


 何と言っても、幼少のみぎりに読みふけった、少女向けの小説に、よくある設定だから。

 養父母や義父母、血の繋がらない姉妹やら従姉やらに、健気な(自称)少女が虐げられながらも幸せを掴み取るという、アレだ。



 リンナ・スペランツは、叔父の家に引き取られるまで、地方の商業都市で「爺さん」と二人で暮らしていた。


 リンナの爺さんこと、ジャナートは、ガラス工芸の職人である。

 彼の工房では食器や装飾品を製作していたが、特別な依頼を受けることもあった。

 依頼主は学者や医者が多かったが、稀に王国を守る騎士団などからもあった。


 リンナの父イリネウス・スペランツは、その特別な依頼主のうちの一人で、工房に通ううちにジャナートの一人娘と恋に落ち結婚した。父はスペランツ子爵家の嫡男であった。


 ジャナートは職人であったが、芸術性の高さと国への貢献度により、名誉爵位を持っていた。

 よって、子爵家と婚姻関係を結ぶことに、さほど問題はなかった。ただ残念ながら、リンナが生まれて数年後に、二人共事故で亡くなってしまったのだが……。




 リンナは、貴族籍に入っていたので、十二歳からは就学が必須となる。それを伝えに来たスペランツ家の当主代行である、リンナの叔父に引き取られることになった。


「亡き兄の一人娘だから、仕方ないが学園へは行かせる。だが、無駄飯を喰わせるほど、当家には余裕がない。お前はメイドと一緒に邸のことをやれ」


「分かりました」


 こうして、メイド以下の扱いを受けながら、リンナの新生活が始まった。

 スペランツ家では足蹴にされても、学園生活は全てが新鮮で楽しいものだった。

 だが、リンナには致命的な弱点があった。


 視力が弱かったのである。


 生まれつきではない。

 灯りが乏しい部屋の中で、小説の類を読みまくっていたからだ。


 学園では教師の板書が見えるように、一番前の席にしてもらい、それでも読み取れない時には、友だちに教えてもらった。

 クラスは其々の資質により編成されていたので、くだらないイジメや諍いは殆どなかった。


 リンナは小柄で、肩より少し長い黒髪を後ろで一つに縛り、一生懸命に教師の話をノートに取る。

 板書が見えないと顎を上げ目を細め、じっとしている。


「生まれたての猫みたい」


 男子も女子も、生体(いきもの)として弱そうなリンナを、生温(なまぬる)く見守ってくれた。

 特に、リンナと同じく、目が悪いためか最前列の席にいるキュプロス令息は、ことあるごとにリンナの面倒を見た。


「ちゃんとご飯食べてる? 睡眠足りてる?」


 まるでオカンの様に、キュプロスはリンナに声をかける。

 リンナはちょっとくすぐったい。


 キュプロスは授業中、必ず眼鏡をかけている。

 彼が夕陽色の髪をさらりとかき上げると、レンズをぐるっと縁取る銀色の(フレーム)がキラリと見える。


 その姿がカッコ可愛いと、一部の先輩女子などには人気がある。

 リンナの従姉のオルチェラも、きゃあきゃあ言っている。

 まあ、オルチェラはキュプロスの爵位と血筋に魅入られているような気もするが。


 リンナにとってキュプロスは一番の友人であり、憧れでもある。

 多分、キュプロスからするとリンナは、捨てられた子猫みたいなもんだろう。

 ちょっと寂しい気もするが、少女小説のヒロインにはなれないこと位、リンナは自覚している。慣れてくると、リンナの本性、ツッコミ気質が顔を出す。


 ヒロインなら、そんなこと(ツッコミ)はしないだろう。



「ねえリンナ。君も眼鏡、かければ良いのに」

「うん、そうだね」


 リンナは曖昧に笑って誤魔化した。

 お爺さんのジャナートなら、すぐに作ってくれるはずだ。

 実際、かけてはいないが、リンナも一つ持っている。


 だが、眼鏡は高価な品物である。

 引き取ってもらったスペランツ家で、眼鏡などを使っていたら、間違いなく叔父一家に取られるか、壊されるだろう。


『これは大切にするんだよ』


 それはとても美しい眼鏡である。

 軽くて見やすくて、留め金は何か宝石で出来ているのか、七色の光を帯びている。


 だから今は使わない。

 お爺さんの許可が出たら、授業中くらいは使ってみよう。


 さて、一年間ほど、叔父の子爵家でメイド紛いあるいはそれ以下の生活を送っていたリンナだが、少女小説のヒロイン役にも飽きたので、学園の先生に相談して、寄宿舎に移住した。


 薄ぼんやりとした視力の生活に慣れてしまい、眼鏡をかけないまま、目を細めて授業を受ける中、時折、婚約者のゼノンと交流もした。リンナが希望したのではなく、ゼノンのハインダー伯爵家からの要請があったからだ。



 婚約者であった(過去形)ゼノンは、金髪と蒼い瞳を持つ少年。美しい顔立ちだと周囲の大人は誉めていたが、リンナの目には、髪と目の色しか映っていない。

 交流は主にゼノンの邸で行われ、庭園でのお茶会が多かった。


 リンナは茶菓子をいただくとカバンに詰め非常食にしていた。それから広く美しい庭園で、持参した拡大鏡で、木々の葉や小さな昆虫を見たりして過ごした。ゼノンはリンナにも、リンナの持ち物にも、何ら興味を示さなかった。



 ◇眼鏡の秘密◇



 さて、真実の愛に目覚めたゼノンは、意気揚々と自邸に帰った。

 今日はゼノンの父、ハインダー伯が邸にいるはず。

 早速婚約破棄と新たなる婚約締結の書類にサインを貰わなければ!


 我が伯爵家の嫡男夫人として、あんな目付きの悪い、小児体型の女ではダメだと、父も分かってくれるはずだ。


 だが……。



「バッカモ――――ン!!」



 ゼノンに見舞われたのは、父の怒号と鋭いアッパーカットだった。


「ヘブシッ」


 ゼノンは床で後頭部を強かに打ち、ぼうっとしながら父の小言を聞いた。


「お前はアホかバカか#”$%*×★」


 罵詈雑言過ぎて聞き取れない。


「そもそも欲しいのは、スペランツ家の今は亡き嫡男の遺産であって、現在の当主代行との縁ではない!!」


 え、何?

 とうしゅ、代行?

 オルチェラの父上は、単なる代行?


 じゃあ、真の当主になるのは……。

 それに遺産とは?


「我が国随一のガラス職人と、天才的な科学者だったイリネウス・スペランツが作りあげた設計図を手に入れるためには、どうしてもリンナ嬢が必要なのだ!」


 父は何を言っているのだろう?

 天才? ガラス?

 設計図?


「大勢の生徒の前での婚約破棄宣言……。王家にも伝わっているだろうな……仕方ない」


 ゼノンの父ハインダー伯爵は、昏い目付きになっていた。

次回、完結!

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