「気になるあの子がパンツを履き忘れているかもしれない」
授業の終わりを告げるチャイムが校舎に響き渡る。事務的な号令を終えると教師は素っ気なく去っていき、生徒たちの大きなため息が部屋に充満する。しかしそれもつかの間のことで、生徒たちは授業と授業の間の短い休憩時間を無駄にすまいと、すぐさま友人たちの元に向かう。僕も例に漏れず、大きくのびをした後、すぐに立ち上がって少し離れた場所にある友人たちの輪に交ざる。
「ああ、まだ授業残っているのかよ……」
机にもたれ掛かりながら友人の一人がそう言った。
「なんで月曜の授業ってだるいんだろうなぁ……」
「ああ、腹減った。購買でパン買ってこようかなぁ」
「今日は帰りに○○に行かね?」
「それなら××に行きたいんだけどな」
他愛もない会話である。だが、僕はこの時間がとても好きだ。数分間というわずかな時間であるが故に、それが余計に愛おしいのかもしれない。
そうしていると、たまに会話の矛先が僕に向けられることもある。
「たまにはお前も何か意見を出せよ」
「ええ?僕はイイよ。みんなの行きたいところに僕も行きたいからさ」
「何だよ、ソレ」
みんなで笑い合う。この時間は何ものにもかえ難い時間だ。出来ることならずっとこうしていたいくらいだ。
だが、ここ最近、僕にはもう一つ楽しみが出来た。所謂、思春期特有のやつだと思ってくれて良い……と思う。
友人たちから視線を外せば、僕のもう一つの楽しみはそこにいる。友人たちと、とりとめのない会話をしているのだろう。楽しそうに笑い合っている姿が視界に入ってくる。
ここからだとよく見えるのだ。このクラス一番の人気者―――秋山葵の姿が。
テストの成績もクラスで一番。そして部活動(確か水泳部だった)も、インターハイへの出場が決まっている文武両道の秀才。それだけでも素晴らしいのに、それらを決して鼻にかけることも無く、かといってお堅い性格でもない。どこのクラスにも一人はいるひょうきん者だ。
ハッキリ言って、僕は秋山葵に惹かれている。休憩時間の度に友人たちの会話に交ざりつつ、こうしてあの子を眺めて悦に浸っていることが知られれば引かれると知りながらも、僕は止めることが出来ずにいた。
だが、今日は違和感があった。なんだろう……何かがおかしい。
秋山葵はいつものように友人たちと笑い合っている。今日は会話が弾んだのだろう、友人たちとじゃれ合っている。何とも微笑ましい。
だが、ふとした拍子に友人の一人ともつれ合って、思い切り倒れ込んでしまった。椅子が倒され、その場にいた全員の視線が秋山葵へと集中する。
「~~~っつ!ごめん、ちょっとはしゃぎすぎた。これは……お尻が割れているかもしれないね」
自分のお尻をさすりながらも、そのおどけた表情に教室中から笑いが溢れた。さすがは秀才だ。場の収拾にも余念がない。
だが、場を収めたまでは良かったが、秋山葵はしきりにお尻をさすっている。やはり怪我をしてしまったのだろうか……。
「―――――!!」
その時、僕は違和感の正体に気がついた。ほとんど天啓に近い。
秋山葵は、パンツを履き忘れているのではないだろうか―――――
こんな事は、もちろん誰にも話せないが、しきりにお尻を気にする仕草に加えて、あの子をここ最近、ずっと見つめていた僕には分かる。
秋山葵は先ほどおどけて見せた時に、お尻をこちらに向けていた。その時に本来であれば見えるものが見えなかったのだ。
そう、ズボンなどのボトムズから浮き出る下着の輪郭線―――パンティラインが!!
間違いない、秋山葵は下着を着けていない。恐らく確信犯ではないのだろう。何か突発的なイベントが発生した結果として「下着を着け忘れる」という事態に発展したのだ。
さて、そうなると僕はどうしたものだろうか。もちろん、何とかして秋山葵を救いたい。ちょっとコンビニにでも走れば、下着の一枚や二枚くらい、いとも容易く手に入れることが出来るが……。
「♪♪♪~」
くそ、やはり時間が足りなかったか。僕のたくらみも儚く、すぐに始業のチャイムが鳴り、しぶしぶ席へと戻されてしまう。
何か適当な理由をつけて教室を抜け出すか?いいや、ダメだ。僕が教室を脱出して下着を購入できたとしても、秋山葵が下着を穿かなければならないのだ。二人揃って抜け出すのは不審すぎるし、変な噂が立っては申し訳が立たない。僕は遠くから見つめているだけで良いのだから。
考えている間にも時間は刻々と過ぎていく。ああ、早くしないと今日はこの後の授業に「体育」が控えている。ということは……。
気がつけば僕は冷や汗をかいていた。本来であれば僕には一切関係ないことなのに、あの秀才、秋山葵が下着を着け忘れていた、風評がこの学校に広まることを心の底から恐れているのだ。早く、早くなんとかしなければ……。
――――――――――――
「なあ、秋山……」
隣の席に座っていた友人が話しかけてくる。その表情は笑いを堪えるのに必死そうだ。
「ああ、言わなくても分かっているよ……」
「じゃあ、やっぱり……」
「うん、今日は朝練があったからね。家から水着を穿いてきてしまったんだ」
「じゃあ、今は……」
「うん、俺は今、穿いてないよ」
友人はクツクツと声を殺して腹を抱えた。まあ、自分が友人でも同じリアクションだと思う。
「秀才の秋山葵が下着を履き忘れることもあるんだな」
「たまにはこういう事もあるさ。俺たち男子生徒の制服がスカートじゃなくて助かっているよ」
「でも、ズボンだとバレることもあるんじゃないか?ほら、こう……下着のラインとか、さ」
「誰が男の下着のラインなんか気にするんだよ」
俺は鼻で笑ったが、その台詞に友人は怪訝な顔をする。
「どうかな。見ろよ、あの後ろの席の女子……さっきからしきりにお前のこと気にしているように見えるけど」
わずかに振り返ると、確かに深刻な表情を浮かべてこちらを見つめている女性生徒が一人。まともに会話を交わしたことはないが、女子にしては珍しい一人称が「僕」であることだけは鮮明に覚えている。
「ひょっとしたらバレているんじゃないのか?」
「冗談止せよ。本当だったらシャレにならないだろ」
俺はフッと笑って再び手元の教科書に視線を戻した。
彼女が行動を起こすのは、この数分後のことである―――――