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「人の恋愛に口を出すのは面倒だけど、このままだとこじれそうだから。あなた達でなければ放っておけるんだけどね」
エレクトラは溜息を吐いた。
「お姉様に謝る気はないけど、あなたは今生の私の姉で人として好ましく思っている。だから、幸せになってほしいと願っているわ」
「ありがとう。わたくしもあなたを好ましく思っているわ」
目の前の「彼女」とは一ヶ月だけの付き合いだけど、それでも本来その体で生きるはずだった妹より好ましく思っている。
その体が妹だからとか、想い人であるシオンが前世で彼女を殺した負い目とかではない。純粋に人として好意を抱いているのだ。
「あいつを許す気はないけど、あいつだけどあいつではないあなたに不幸になってほしいとも思ってないのよ。まして、お姉様の幸せが、あなたなくしてありえないのなら、お節介なのは承知で口を挟むわ」
エレクトラは今度はシオンに向かって言った。
「過去とか父親の事とか抜きにして、大切なのは互いをどう思っているかじゃないの?」
「わたくしはシオンの幸せを願っているわ」
そのために、わたくしから、アーテル公爵家から離れて自由に生きてほしいのだ。
「私の幸せは貴女のお傍にいる事ですが」
「そんなの、本当にあなたが望む幸せじゃないわ」
初めて自分を気にかけてくれた女の子。
それが、シオンにとってのわたくしだ。
そして、それだけで、シオンは自分の人生や能力など自分の全てをわたくしだけに使おうとしている。
「私の幸せを勝手に決めないでください」
シオンが不機嫌そうな顔になった。こんなにあからさまに感情を露にする彼を見るのは初めてだ。
「貴女のお傍にいたい。貴女のお役に立ちたい。それが私が望む幸せです。それを誰にも、貴女であっても、否定されたくありません」
「……そう思うのは狭い世界しか知らないからよ。広い世界に目を向ければ、わたくしなど、あなたにとって嫌悪の対象でしかないわ」
「……何を言っているんだ?」
シオンがわたくしに対して敬語でなかったのは出会った頃だけだ。彼にとっては、これは応答ではなく無意識の疑問が口から出ただけなのだろう。
「あなたが知る世界は生家であるプラティヌム子爵家やアーテル公爵家だけだわ。わたくしは、あなたを気に掛けるだけで、あなたを助ける事ができなかった。まして……あなたを苦しめていた男の娘だわ」
「そんなの貴女のせいじゃない」
出会った頃言ってくれたのと同じ科白をシオンは口にした。
「私を気にかけてくれただけで私には充分だった。それに、私は狭い世界しか知らないと貴女は仰いますが、私は転生者ですよ」
シオンが言わんとしている事が分からず、わたくしは首を傾げた。
「人格は今生のシオン・アーテルであっても、この世界よりもずっと文明が進んだ世界で生きた男の、曽我紫苑の記憶もあるんです。この世界しか知らず、しかも、ただ一度の人生の記憶しかない貴女や他の人間よりも広い世界を知っていると自負しています」
言われてみれば、確かにそうだ。
学園やアーテル公爵家という箱庭しか知らないわたくしに比べれば、異世界で生きた前世の記憶を持つ転生者であるシオンのほうが、ずっと広い世界を知っているのだ。
「……それでも、わたくしの傍にいてくれるの? ただあなたを気にかけているというだけで? 気に掛けても、結局あなたを助ける事はできなかったのに?」
「助けてくださいましたよ。あの男を追い払ってくださったでしょう?」
シオンが本当に苦しい時に何もできなかったのに。
「だから、そういう過去は抜きにして互いをどう思っているかが重要でしょう?」
エレクトラが先程と同じく呆れ顔で口を挟んできた。
「互いが互いに必要なら共に生きればいいじゃない」
エレクトラは簡単にそう言ってくれるが。
「……わたくしにとってシオンは必要だけど、シオンにとっては違うもの」
妹が「彼女」になっても、本当の意味では、わたくしの妹でなくなっても平気だった。わたくしにとって妹は、その程度の存在だったのだ。
けれど、シオンがシオンでなくなるかもしれないと考えた時、目の前が真っ暗になった。彼がいない世界で生きる意味が見出せなかった。
つらい人生を歩んできたシオンにとっては消えたほうが楽なのかもしれない。けれど、わたくしは彼に生きてほしかった。
わたくしが生きるのに彼が必要だからという、彼の意思を無視した身勝手な理由で、彼が生きる事を望んだのだ。
「私にとっても貴女は必要です」
思いがけず強い口調でシオンは言った。
「貴女がいなければ、シオン・アーテルでいる事に、この人生に、意味はない。貴女がいなければ、紫苑に、この体を、人生を明け渡していましたよ」
「未来なんて、どうなるか分からない。ある日突然、どちらかが不慮の事故や病で死ぬかもしれない。そうなったら、あの時、こうしておけばよかったと思っても、もう何もできないのよ」
一度死んで生まれ変わった転生者である彼女のこの言葉は、ものすごく重みがあった。
「本当に、ずっとわたくしの傍にいてくれるの? あなたがわたくしの事を嫌になっても、もう手放してあげられないわよ? これが、あなたが、わたくしやアーテル公爵家から逃れられる最後の機会になるわよ?」
駄目押しで言うわたくしに、シオンは平然と切り返してきた。
「貴女こそ、いつか私を放り出さなかった事を後悔する日がくるかもしれませんよ。そうなっても、私は貴女から離れる気は毛頭ありませんが」
そんな日などこない。
だって、わたくしは出会ったあの日からずっとシオンに恋をして、彼が「彼」でなくなるなど耐えられないほど、この心は彼に囚われているのだから。
次話から、しばらくエレクトラ視点になります。