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馬車に押し込められても、ぎゃあぎゃあとうるさかったアーテル公爵といつも通りおっとりしている夫人を乗せた馬車がいなくなるとアーテル公爵邸に静寂が戻った。
わたくしとエレクトラは、この部屋から動かなかったが、シオンだけは「やる事があるから」と二人を見送るために玄関先に出ていた。
「戻りました」
「ええ。お疲れ様」
わたくしは立ち上がると応接間に戻って来たシオンを労った。
これから言う事を思えば緊張する。けれど、言うなら両親を追放した今だろう。
「あなたを苦しめていたアーテル公爵はいなくなったわ。だから――」
わたくしはシオンを見上げた。
「あなたは、もう自由になっていい」
シオンは柳眉をひそめた。
「……仰っている意味が理解できないのですが」
「妹と馬鹿王子が婚約して、わたくしが家族と縁を切る念書を書いた時、あなたは『アーテル公爵家は任せてください』と言ってくれたわ。わたくしの最大の心残りは、あなたに任せていいのだと。わたくしは、あの家から自由になれるのだと。……あなたを犠牲にして自分だけが幸せになるつもりだった」
「別に犠牲になったとは思いませんでしたが? 嫌なら、さっさと放り出しますので」
「あなたを気にかけたというだけで、わたくしに恩を感じていたようだけど、そんなの無用なのよ。……いくら気にかけても、結局、あなたを助けられなかったもの」
シオンが本来なら感じなくていい恩を利用して、わたくしは彼にアーテル公爵家を押しつけて自由になろうとしたのだ。
ずっとシオンを助けたいと思っていたくせに、結局、彼をアーテル公爵家に縛ろうとした。
家族と縁を切っても、この体に流れる血はアーテル公爵家のものだ。そうである以上、シオンがアーテル公爵家にいれば彼との縁が切れる事はない。
……心の奥底では、シオンをアーテル公爵家に、わたくしに、縛りつけたかったのだ。
アーテル公爵には、「手に入れたいなどと思った事はない。願っているのはシオンの幸せだけだ」と言ったくせに。
綺麗事を口にしながらシオンを無意識下で縛ろうとしたわたくしのほうが、彼の実父やアーテル公爵よりも質が悪い。
「助けてくださいましたよ。いつだって貴女は私の心を救ってくれた。私からアーテル公爵を引き離してくれた」
「気遣ったというだけでは『心を救った』事になどならない。それに、わたくしに親殺しをする覚悟や度胸さえあれば、もっと早く、あなたをあの男から解放できたわ」
シオンを大切に想うなら、人としての最大の禁忌を、親殺しを行ってでも、あの男から解放すべきだったのに。
わたくしには禁忌を犯す覚悟や度胸がなかったのだ。
「貴女を苦しめてまで、あの男から解放されたいとは思いませんよ」
「わたくしは、あなたに自由になってほしい。幸せになってほしいの」
「今も自由で幸せですが」
「あなたほどの人であれば、もっと幸せになれるわ。アーテル公爵家しか知らないのは不安かもしれないけど、あなたほど有能なら、どこに行っても重宝される。ここにいた時以上の幸せを摑めるわ」
「……結局、私を追い出したいのですか?」
「違うわ。あなたに自由になってほしいだけ」
「貴女にとって私が不要でないのなら、どうかお傍においてください」
「あの男から引き離した事で恩を感じてるのなら、その必要はないのよ」
別に、シオンの新たな主になりたい訳ではないのだ。
「恩とかではなく、私は貴女のお傍にいたいのです」
「あー、ちょっといいかな」
ずっと黙っていたエレクトラが初めて口を開いた。何やら呆れた顔をしている。




