18
その男、わたくしの生物学上の父親、アーテル公爵の姿を見て、わたくしは一瞬だけ眉をひそめた。
「シオン!」
アーテル公爵は、わたくしと同じ黒髪と藤色の瞳、均整の取れた長身、三十代半ばの今も外見だけは超絶美形だ。
「突然倒れたと聞いた。大丈夫なのか?」
アーテル公爵は本当に義理の息子を心配しているように見える。いや、実際、心配しているのだろう。すぐ傍に、わたくしとエレクトラもいるのに彼の視線はシオンにのみ向けられているのだから。
シオンに出会う前であれば、父親の娘に対する無関心ぶりに傷ついただろうが、今のわたくしにとってもアーテル公爵はどうでもいい存在なので彼の言動で傷ついたりなどしない。彼がシオンにしている事を知ったあの時から、わたくしの中で、この男は「父親」ではなくなったのだから。
「ええ。この通り、もう平気です」
アーテル公爵に受け答えをするシオンの目も声も冷え切っている。
これを見れば、醒めた受け答えをしているように見えても、エレクトラに対しては、まだ感情があったのだと分かる。前世で因縁があった相手だ。さすがのシオンも無感情ではいられなかったのだろう。
けれど、アーテル公爵を相手にする時のシオンには全く感情の揺れが感じられない。
実際、シオンにとっても養父など心の底からどうでもいいのだろう。養父だろうと、自分の尊厳を踏みにじっている男だろうと。
出会った当初言っていた通り、シオンにとっては「あんな事」、本当に大した事ではないのだ。
(……でも、わたくしにとっては、許せない事なのよ。シオン)
シオンをいつかアーテル公爵から解放したい。
その思いで生きていたはずだのに。
アーテル公爵に「玩具」のように扱われながら、シオンはその有能さでアーテル公爵家を掌握した。アーテル公爵家はもうシオンがいなければ回らない。
「アーテル公爵は排除するから私の事は心配いりません。アーテル公爵家は私に任せて貴女は自由に生きればいい」と言われた時、心底ほっとしたのだ。
された事を思えば、アーテル公爵家を掌握した時点で没落させる事もできたのに、シオンはそうしなかった。
おそらく、わたくしに配慮したのだ。
シオンを気遣っても何もできないのに「気遣ってくれるだけで充分だ」と何くれとなくわたくしに対して便宜を図ってくれた。家族から離れるために寮に入れてくれたのも、その一つだ。
「アーテル公爵を排除する」と言ったのも、そう言わなければ、わたくしがいつまでもアーテル公爵家に縛られて自由に生きないと分かっているからだ。
シオンとしては、このままアーテル公爵の「玩具」として生きても構わないのだろう。彼にとっては尊厳を踏みにじられる事など大した事ではないからだ。
けれど、それでは、いつまでもわたくしが自分を気にするから「排除するから」と言ったのだ。
排除と言っても殺すのではないだろう。
穏便に済ませるなら田舎で表向きは病気療養という名の軟禁だろう。
わたくしが何もしなくても、シオンはアーテル公爵を排除できる。
でも、それでいいの?
全てをシオンに任せていいの?
いや、任せていいのとかではなく――。
わたくし自身が父親を始末したいのだと気づいた。
シオンの尊厳を踏みにじっている男を、わたくし自身が「始末」したいのだ。
この手を汚しても構わないが、そうすればシオンが気にするだろう。
シオンが味わった苦しみに比べれば、人として最大の禁忌である親殺しくらいできるのに。
世間から、この男を排除する。
そのために――。




