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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

漆黒の聖女クロエは私の忠実なる下僕である。

作者: 無・蜜柑草






「引退、ですか?」


『魔王』の気配がこの世から消失した数日後、謁見の間に呼ばれたクロエを待っていたのはあまりにも非合理な勧告だった。


「おぬしは良くやってくれた。頃合いを見てゆっくり骨を休めるがよかろう」

「もったいないお言葉でございます。ですが、事後処理等課題は多く残っています。魔王……、の復活も心配です。王都周辺及び、主要街道地域の安全は確保されましたが、辺境領域にはまだまだ魔物の出現が多いと聞きます」

「案ずるな。残るは僻地や、そう重要度も高くない小都市ばかり。魔王が消滅した今、自然淘汰されていくだろう」


 これにはクロエばかりか、クロエの背後に佇む護衛騎士も苦い表情になる。彼の生まれはその辺境領域なのだ。

 一国の王とは思えぬ、いや、頂点にあるからこその傲慢さだろうか。最果てに属する自国民の生活事情など興味もないのか。


 だが、僻地と無自覚で蔑む領域こそ、隣国との国交の要。だからこそ、辺境伯という爵位があり、軍事力の保持を特別に認められている。それを軽視していてはこれからの外交に差し障りが出るばかりか、内乱の火種となる危険性もある。

 しっかりとアフターケアをしてこその聖女というものだろう。


 その辺りをオブラートに包んで進言すれば、王は微かに眉を顰めた。政治の何たるかも知らない小娘に口うるさく言われたくはないのだろう。分からないでもないが、小さい。器が小さすぎる。

 注視していなければ分からないほどの微々たる変化だったが、真正面にて対峙するクロエはその変化に気付いた。

 そして気付いた者がこの場にもうひとり。


「父上。彼女はまだ何も知らないのです」


 父王の覇気から庇うかのように進み出たアーサーはクロエへと微笑みかけた。

 聖王国の王子アーサーは王族の常に違わず眉目秀麗、そして寛容な心持ちの王子として知られている。闊達で下々の者にも心配りを忘れない、慈悲深き王子。それが市井に広まる評価だ。


「クロエ。本当に君は真面目な女性だね。でも、安心してほしい。これから君には後進の育成に協力してもらえたらと思う」

「後進……?」

「マリア、こちらへ」


 柔らかな金の髪に海原の碧の瞳。

 光の加護を一身に受けたかのような、まばゆいまでの容姿の少女が現れた。


 その身に纏うのはクロエと同じ、白を基調とした聖女の礼装だった。いや、クロエのものより随分と豪奢だ。十字を象った金属の中央には真紅の貴石が嵌め込まれ、すらりと下肢を覆うスカートの裾には煌びやかなレースがあしらわれている。

 国いちばんの祭事、女神生誕祭の折でさえ、クロエはそのような衣装を纏ったことがない。いや、実家である侯爵家にいたときでさえ――――


「神託が成された。次代の聖女は、マリアだ」

「ごきげんよう、”先代の” 聖女様。いえ、おねえさまと呼ぶべきかしら?」

「マリア、あなた……」


 実に数年ぶり。

 クロエが聖女の神託を受けて神殿に上がって以来、久しぶりとなる姉妹の再会だった。


「同じ時代にふたりの聖女は不要だ。君には即刻、引継の儀を執り行い、聖女宮を引き払ってもらいたい」

「失礼ですが、その神託は本物なのですか?」

「疑うのか? いくら君でもそれは……」

「いえ。神託には従います。しかしながらマリアに聖女の役目が務まるとは」

「ひどい! わたしだって成長しますわ。おねえさまのように”出来損ないの聖女” だなんて呼ばせやしません」


 場に緊張が走った。

 歯に布を着せぬ物言い。甘やかされ、自由奔放に育ったマリアは昔からそうだった。家族は困り顔でそれを許したが、ここは公の場。口にして良いことと悪いことがある。

 だが、マリアの口は止まらない。


「そもそもなぜ、おねえさまが最初に選ばれたのか不思議でなりません。何か不正があったとしか……」

「マリア! それ以上はっ」

「いいえ。言わせてください、殿下。そもそも悪魔の色を持つおねえさまが聖女に選ばれること自体、間違いだったのですわ。その証拠に今回の魔王討伐にどれだけの犠牲を払ったか」


 マリアは悲しみで彩られた瞼をそっと伏せる。まさしく、慈愛に満ちた聖女の所作だ。その醜悪なる内面にさえ気付かなければ見事な擬態と言えた。


 今回の討伐が苦戦続きというのは事実である。費やされた期間、失われた犠牲、かかった費用、そのいずれにおいても歴史上稀に見る困難を極めた。疲弊した国民の不満は爆発寸前だった。


 聖女の力が弱すぎるのが原因ではないか。

 むしろあれは偽聖女ではないのか?

 ほら、見て、あの黒い色彩。


 あちらこちらでそんな噂話が飛び交った。


 黒い、というのは揶揄ではない。

 クロエは漆黒の聖女と呼ばれている。

 闇色の髪に瞳。およそ、聖王国には似つかわしくない色彩だ。幼い頃はまばゆいばかり、天使のような髪色だったが、もはやその話を信じる者はない。

 一点の曇りもない漆黒。底なしの闇。栗色や茶褐色の色彩は多々あれど、クロエのように混じりけのない黒、というのは国内、いや、大陸中を探してもそうない。


 聖王国の聖女の家系。神聖さを極めた侯爵家の生まれでありながら、それとは相反する存在。侯爵家最大の汚点。

 それがクロエだった。


 それでもクロエは立ち止まらなかった。人一倍女神への信仰心が強かったクロエは、家族に冷遇されようが、神殿で嘲笑されようが、王宮で腫れ者扱いされようが、地道に努力を積み重ね、聖女としての務めをまっとうした。

 その甲斐あってようやく芽が出てきたところだったというのに。『魔王』が討伐されたというのに。


 今になっての聖女交代は体のいい厄介払い、使い捨てもいいところである。誰かが手を回し、神殿勢力に働きかけたとしか思えない。

 なぜなら、王子……王位継承第一位の王族が成人である十八歳を迎えたとき、聖女の位にある者がその婚約者となる習わしだからだ。王子は御年十七、翌年の婚約に併せて、立太子の儀も執り行われる予定だ。

 無論、相手はクロエのはずだった。今日、この瞬間までは。


「陛下。発言をよろしいでしょうか」


 クロエは覚悟を決めたのか玉座を振り仰いだ。


「許そう」

「わたくしを辺境へと派遣いただけませんか? 聖女の位には固執しません。魔物の生き残りたちを鎮めてやりたいのです」

「ならぬ。聖女の座を退くとはいえ、聖魔法の使い手であることには変わりない。おぬしには新たなる聖女の補佐を命ずる。神殿にとどまり、この国を魔の力より守ってほしい」

「ですから、そのためには未だ魔物の残滓が残る辺境を浄化することこそ、国の安定に繋がるのではないでしょうか」


 クロエが必死にその重要性を説いても王は頑として頷かない。

 結局は王都が、我が身が可愛いのだ。辺境に聖女を派遣して他国に奪われてはならない。そんな飼い殺しの思考も透けて見えた。


 だが、王を諌める人物は誰もいない。この場にいるのは侍従と側近、護衛騎士くらいのものだ。クロエの孤軍奮闘虚しく、王は煩わしげに手を振ると謁見の間より退室してしまう。


「クロエ。残念だよ。ぼくも君を伴侶として迎えるつもりでいた」

「アーサー様……」

「だが、女神の神託は絶対だ。聖王国の民たるぼくたちはそれに従わねばならない。分かってくれるね?」

「はい」


 この日まで、二人は相思相愛だった。色彩のせいで疎まれつつも聖女たらんとするクロエ。そんな彼女を支える慈悲深き王子アーサー。 

 少なくとも周りからはそう受け止められていた。


 ふたりはしばし見つめ合う。


「もう二度とお会いすることはないでしょう」

「クロエ?」

「陛下の許可はいただけませんでしたが、わたくしは辺境へと赴きます」

「無茶を……。我儘を言わないでくれ、クロエ。君は物分りの良い女性だっただろう?」

「わたくしは本気です。聖女の任が解かれたのも女神の思し召し。これからは各地を周り、魔物の生き残りを浄化する旅に出ようと思います」

「それを王家が許すとでも?」


 がらりと変わった声音と共に、クロエの周囲を数名の衛兵が取り囲む。


「クロエ。聞き分けてくれ。でないと、ぼくは君を魔女として断罪せねばならない」

「アーサー様こそ。なぜ王都の方々は分かってくださらないのですか。恵みの森たちが変調をきたしている。このままでは取り返しのつかないことになります。魔王が復活する恐れさえ……」

「わたしが聖女になるんだから心配しないで、おねえさま。本当に魔王が生きてるんなら、の話だけど」


 マリアは薄笑いさえ浮かべている。あり得ない、と決めつけている顔だ。

 むしろ、クロエの主張がこの場では異端に聞こえる。口ではああ言いながらも本当は聖女の地位に固執し、解任されまいと大袈裟に触れ回っているのだと。


「ならば、せめて辺境への派兵を」

「そんな余裕はないよ。この数年、聖女である君の夢見に従い、兵を動かし続けてきた。兵たちは疲弊している」

「でしたら各地の領主たちと連携を取り合って……」

「君も疲れているはずだ。さあ、早く楽に。引き継ぎの儀を行ってしまうといい。神官たちが待っている」

「おねえさま。聖女の地位も、王妃の座も、わたしがしっかりとやり遂げてみせますから、安心して補佐にまわるといいですわ」

「マリア。君はもう少し言葉を選んで発言した方がいい。陛下も王妃も健在だというのに……そのような表現をしてはいけないよ」

「だって、アーサー様だっておっしゃっていたではないですか。悪魔の色を王家に引き継ぐわけにはいかないって。聖女らしいわたしの色彩に安心するって」

「マリア!」


 アーサーが一喝する。


 否定しないところを見ると事実のようだ。まったく、外面だけはいい男だ。

 眉目秀麗と人間どもに持て囃される面差しに翳りが落ちた。マリアと同じ、輝かしいほどの金糸の髪に新緑の瞳。ふたりが子を成せば、さぞ天使のような生命が誕生するだろう。もっとも、そのような未来は断じて来ないが。

 いい加減、人間どもの下らぬやりとりを観察するのも飽きてきた。


「クロエ。最後の確認だ。王都に残ってくれるね?」


 クロエは悲しげに首を振った。

 たとえこの場で断罪されようとも、辺境の民を見捨てることができないという意思表示か。最後まで聖女たらんとする彼女なりの矜持だった。

 アーサーは拳を握りしめ、悔しげに眉尻を下げた。


「クロエ。こんなことになって残念だ。――――この者は聖女に、あらず! 国に反旗を翻す魔女である! 魔王討伐が苦戦したのも、この者が魔王と通じていたことが要因! ただちに引っ捕らえろ!!」


 それまで無言で佇んでいた護衛騎士が動いた。

 クロエに掴みかかろうとした兵士の腕を捻り上げ、クロエを庇ったのだ。謁見の間に詰める彼らは近衛の精鋭たちだ。そんな彼らを文字通り赤子の手を捻るかのように組み伏せていく。


「ハインリヒ、あなた……」

「ご指示を。私はクロエ様の御心のままに動きます」


 ハインリヒと呼ばれた彼は神官騎士。

 聖女、引いては女神信仰への熱心さで知られる辺境伯の生まれだ。彼だけはクロエを嘲笑わなかった。寡黙で滅多に表情を変えない彼がクロエを励ますことはなかったが、少なくとも下に見たり、護衛の手を抜くようなことはなかった。ただ、静かにクロエの傍に在り続けた。

 今も多対一の戦いにもかかわらず息ひとつ乱していない。


「魔女、と蔑まれる聖女でも?」

「クロエ様はクロエ様です。たとえ何者であろうとも忠誠を捧げる対象であることに変わりありません」

「そう。それを聞いて安心しました。あなただけが唯一の心残りだったから」


 クロエが無造作に指を一閃させる。


「――――え?」


 それは誰の発した声だったか。

 少なくともクロエではない。クロエはこの事象を引き起こした張本人なのだから。


 噴き出す赤い飛沫のなか、クロエだけが冷静にソレの髪を鷲掴み、倒れ伏す胴体からソレを救った。肉塊が地に伏す音だけが妙に鮮明に響き渡る。

 誰も、反応できなかった。悲鳴を上げることさえできず、ただひたすらに肉塊の正体を見極めようと盛り上がった眼球がぎょろりと蠢く。


 それは次期国王、アーサーの肉塊だった。


 首を境目に、綺麗に二分されたアーサーがクロエの腕の中にある。魔法で切断した生首を両手で掲げ、クロエは微笑んだ。


「おはようございます、魔王様。お目覚めの気分は?」

「最高の身体に感謝するぞ、クロエ」


 私は晴れ晴れとした気分で返す。聖王国の直系、己と相反する聖なる力で満ちた若々しい肉体。それを私の魔力で染め上げるという快感は実に最高の余興であった。


「ひっ」


 至近距離で返り血を浴びたマリアから引きつった声がもれる。

 生首に導かれるかのように胴体がゆらりと立ち上がり、私の首と繋がったのだ。首筋を指で撫で付けながら視線をくれてやると、泡を吹いて失神してしまう。

 これで次代の聖女とは聞いて呆れる。王子の近衛兵も軒並みハインリヒに打ち負かされており、残る側近たちはとうの昔に気を失っている。何とも心もとない次代の上層部だ。


 唯一正気を保っている神官たちは青褪めた顔でクロエへと迫る。


「せ、聖女様! いったいこれは……」

「聖女? いいえ、わたくしは――――魔女よ。それはおまえたちが常々口にしていたのではなくて?」

「!」

「力が弱い? 多すぎる犠牲? 当たり前じゃない。人間どもに我らが魔王の安眠を妨げる権利などない。おまえたちが討伐していたのは下っ端も下っ端。魔王の眷族にさえなれない最弱の魔物たちよ」

「な……っ」

「本当、小細工には労を要したわ。でもそれも今日でおしまい。ふふ、せっかく最後のチャンスを与えてあげたのに――――馬鹿な人たち」


 場違いな溜息を吐き、クロエは肩をすくめる。

 そして私を上目遣いに見上げてくる。いつもの、おねだりの仕草……まったく、遠慮のないことだ。


 まずは忠実なる下僕に褒美を与えねばなるまい。たしか、ハインリヒを常々所望していたことを思い出す。当の護衛騎士は蒼白の顔でクロエのことを凝視したまま動かない。


「ハインリヒ。そんなに見つめられたら恥ずかしいわ」


 血に濡れた指先がハインリヒの唇に触れ、赤い弧を強制的に描いていく。


「ほら、笑って?」


 堅物で正義感溢れるこの男が果たしてクロエに靡くのか、しばらくは良い退屈凌ぎとなりそうだった。






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