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わがまま令嬢の末路  作者: 遺灰
序章
7/19

第七話 愛情

仕事が憎い今日この頃。

 

 今日も空が青いですわ。


 先生の鞭打ち事件があった日の夕食で、さっそく母にダンスの授業をお休みしたいとしおらしく申し出れば、母は私のわがままに順応してきたのか快く了承してくださいました。

 表向きは先生にやられたことで傷心している体を装っていたのだけれど、まさかここまですんなり許してくれるとは予想外でした。

 でも、これで空いた時間はやりたいことが出来ますわ!


 と、思ったこともありましたわね。


 私は今日も今日とて机に向かう日々を過ごしています。

 母は新しいダンスの教師を雇う数日間はダンスの授業はしなくてもいいと言った。

 が、その代わりに他の授業の時間を延ばしやがりました。


 これではダンスの授業がなくても拘束時間は変わらない。


 授業が一つなくなれば、それ以外の授業時間が伸びる。

 そんなこと、ちょっと考えれば分かったはずなのに…

 気づけず能天気に喜んでいた自分が情けないですわ。


 母に上手くあしらわれてしまったことに気付いたのは件の翌日だったので、回避のしようがなかった。

 授業前に母からいきなり「今日からダンス以外の授業の時間を伸ばします」と宣言された時の衝撃と言ったら…死刑を宣告された時よりショックでしたわ。


 ……なんて、冗談です。

 そんなこんなで、今までより密になったスケジュールにうんざりしながらも、私はいつものように適度に手を抜くことに精を出している。



 ああ、窓から見える空が今日も青いですわ。


 ***


 朝から晩までずっと勉強で我慢の限界です。


 そもそも教師から教えられるのは既に前世で習ったこと。

 人生を繰り返しているのだから当たり前だが、それにしても面白味がない。

 毎日知っていることをわざと間違えるのも、いい加減に辟易する。


 それに前世のように机に長時間向かっていると、親の愛を願いながら泣く無力な自分を思い出して吐き気がするのよ。

 退屈な上に精神的に辛い思いをする時間に価値なんてないわ。


 今日も変わらず勉強漬けかと思うと溜め息が止まらない。

 勉強机を見るだけでうんざりするほどに、私の精神は疲弊していた。


 だから、そんな私が内緒で外に飛び出すのだって、仕方のないことだと思うの。


 まだ空が暗い早朝に私は自室の窓を開ける。

 心地よい空気を胸いっぱいに吸い込めば、いくらか心が軽くなった気がした。


 遠くから聞こえる小鳥のさえずりに耳を傾けながら、私は窓枠に腰を掛ける。

 そのままぶらぶらと足を揺らすだけでも、だいぶ開放感を感じることができた。


 流石にこの高さから落ちれば怪我をするので事前に倉庫からくすね、ゴホン…用意したロープを使って慎重に下まで降りていく。

 これだけでも運動不足の私からしたら重労働ですわ。

 そうだわ、今からでも基礎体力の方も鍛えておきましょう。


 ベッドにしっかりと結びつけられたロープのおかげで無事に地面に降り立つことが出来た私は、さっそく無駄に広い庭の中にあるガゼボに向かって歩き出す。


 庭は私から見ても立派なもので、季節に合った花が植えられ、綺麗に切り揃えられた植木は目を楽しませてくれる。

 客人を招いた時に使う場所は色とりどりの花が飾り付けてあって、とても華やかだ。


 私はそれを横目で見ながら庭の隅にある小さなガゼボに向かう。

 入り組んだ庭木の迷路を進んだ先に、それはあった。


 落ち着いた雰囲気のそれは父が息抜きのために使っていたらしい。

 一人になれるこの場所は、確かに息抜きにはもってこいだと思う。

 柱には蔦が絡み、観葉植物が吊るされ、いかにも憩いの場といった感じで落ち着ける。


 敷かれたクッションに腰を下ろして一息つけば、まだ早朝なことも手伝って瞼が重くなっていく。

 この小さな体では心地よい空気と眠気に抗うのは至難の業。

 私はそれらに身を任せて寝転ぶと、目を閉じて夢の中へと旅立った。


 ***


 暖かい日差しの中で、私達は手を繋いでいる。

 繋がれた手の先にはあの子がいて、あの優しい眼差しで私を見ている。


 彼は顔を隠す頭巾を取っていて、私と同じ黒髪が風で揺れている。

 じっと無遠慮に見つめれば、あの子は恥ずかしそうに顔を背けた。

 それが愛おしくて、私は堪らずあの子の名を呼んだ。

 あの子はそれに答えるように、私の名前を口にする。


 そうして二人、顔を見合わせて笑った。

 楽しくて、嬉しくて、幸せでーーー



 そんな夢を見た。


 ***


 空は今日も私の好きな色をして、日の光を浴びた草木は輝き、風が優しく頬を撫でる。


 夢と同じ風景なのに、隣にはあの子がいない。

 たったそれだけで、私の世界はひどく色褪せる。

 満たされた夢を見た反動か、私の胸を孤独が襲う。


 寂しい、さみしい。

 あなたに会いたい。


 あの子と繋いでいた手の感触が、まだ残っている気がする。

 それに縋ってみても、この虚しさは満たされない。

 それどころか、時が経つにつれ渇きが増していく。


 早くあの子に会いたい。会って、また、声が聴きたい。


 耐えるように、孤独に抗うように身体を丸める。

 きつく瞼を閉じてみても、涙が一筋零れ落ちた。


 それを流れ落ちる前に乱暴に袖で拭う。

 あの子に会えないだけで、こうも不安になる自分を情けなく思う。

 それでも私は進む。情けなくても、みっともなくとも、進んでいく。


 そうして必ず、もう一度あの子に会う。

 それまで足を止めている暇なんてない。


 私は気持ちを切り替えるように深呼吸をする。

 胸いっぱいに綺麗な空気を取り込めば、少し頭がすっきりした。

 気分が良い。久しぶりに彼の顔が、夢とはいえ、見ることが出来たのだから。


 そうやって落ち着きを取り戻せば、なにやら家の方が騒がしいことに気づく。

 庭にも何人か駆け回っているようで、バタバタと騒がしい足音が聞こえてくる。


 なにかあったのかしら。


 確認するように庭木の影から様子を窺ってみる。

 すると、すぐ近くまで使用人の一人が来ていたようで、彼女の声が鮮明に聞こえてきた。


「お嬢様!お嬢様ー!」


 どうやら彼女は私を探しているようだ。

 今日は特になんの予定もない一日だったと思うのだけれど。

 ああ、そういえば授業を放棄しているのでした。うっかり。


 それにしても、なんというか…彼女の様子がおかしいような気がしますわね。

 切羽詰まっているというか、ただならぬ雰囲気と言いますか…少し授業をサボっただけですのに、そんな顔面蒼白で慌ただしく駆け回ってまで探すほどかしら。

 おおげさね。


 ……そういえば誰も私が逃げたことを知らないのよね。


 もぬけの殻の部屋、開け放たれた窓、そしてそこから垂れ下がるロープ…

 …もしかして、事件に巻き込まれたと思われてます?

 いえいえ、まさか。ただの子供の可愛い逃避行ですのよ。

 いや、でも状況だけ見たら誘拐されたように…見えなくもないのかしら?


 置手紙の一つでも書いておくべきでしたわ。


 まあ、失敗は次に生かしましょう。

 時間は太陽の位置的にお昼前といったところかしら。

 今戻ったとしても午後の授業は受けさせられるのは目に見えてますわ。


 戻りたくない。


 でも、これ以上騒ぎが大きくなればお小言も大変なことになる。

 それに使用人たちの仕事を増やすのは望むことではない。

 出来るだけ早く戻るのが一番いい選択肢だと思う。


 周りへの迷惑を考えればの話ですけど。


 だって退屈な授業を延々と受けさせられるなんて、堪ったものではありませんわ。

 周りに多大な迷惑をかけるのと、自分が嫌な思いに耐え忍ぶことを天秤に掛けた時、前世の私はいつだって自分が耐えることを選んできた。


 結果はアレだ。


 他人の為に不利益を被るなんて、今世では絶っ対に御免です。

 そうだわ、天秤がどちらか一方に傾くから不公平なのよ。

 あちらもこちらも、同様に利と害を被ればいいじゃない。


 どうにかして他の授業の時間を減らして、そこに魔法術と護身術の授業を加えることはできないかしら。

 そうすれば真面目に授業を受けてもいいのですけれど。

 でも真面目に話したって聞いてくれるわけもないですし、上手くあしらわれては面白くない。


 …駄々をこねる時が来たようですわね。


 私は使用人が遠くに行くのを見送った後に、そそくさと屋敷に向かって歩き出した。

 屋敷の窓からは何人もの使用人が走り回っているのが見える。

 私は思ったより大事になっていることに笑いを堪えつつ、誰にも見つからないように歩を進める。


 辿り着いたのは屋敷の裏口だ。この辺りは人があまり居ない。

 たまに使用人たちが噂話に花を咲かせているが、それ以外は静かなものだ。

 壁に寄りかかって、どうやって帰れば一番お小言が少なくて済むかしら、と悩んでいれば横から私を呼ぶ声が聞こえた。


「こちらにいらしたのですね」


「…爺や」


 彼は優秀な執事長で、普段は父の指示に従い領地の管理や、母の手伝いなどを主に担当している。

 そんなことより足音とか、なんの気配もせずにいきなり横に立たれていた私の気持ちを考えたことはおあり?びっくりして心臓が飛び出るかと思いましたわよ。


「見つかってしまっては仕方ありませんね。

 お母様は怒っていますか?」


「いいえ、お嬢様をとても心配しておられます」


 母が心配しているのは"私"ではなく"駒"でしょうけど。

 努めて冷静に対応した私を、彼は母の元に案内する。

 その過程で他の使用人にもテキパキと指示を出すあたり、やはり彼はとても優秀な人材であると再認識する。

 彼のおかげで屋敷が徐々に落ち着きを取り戻した頃に、私達は母の自室の前に辿り着いた。


「失礼します」


 執事が開けた扉の向こうにはベッドに横たわる母の姿があった。

 こんな時間にベッドで寛ぐなんて母らしくない、と思っていれば母はこちらに目を向けた途端に、勢いよく上半身を起こした。


 そのままの勢いで、たまに足を縺れさせるようにしながらも、私の元に駆け寄ってくる母に私は覚悟して頬を差し出した。


 しかし、痛みや熱はいつまで経ってもやってこない。

 てっきり思いっきり平手打ちされると思っていたのに。

 そろっと閉じた目を開けてみれば、そこには何とも言えないような表情をした母がいた。

 私に手を伸ばせば届くところまでいるのに、彼女の両手は迷うように留まっている。


 母の表情は色々な感情が入り乱れているせいで読み取りづらい。

 彼女が何を思っているのか完全に理解することはできない。

 それでも、安堵しているのは分かる。大事な駒がちゃんと手元に戻ってきて良かったですね。


「ただいま戻りました」


「…怪我は、ありませんか?」


「はい。庭にいただけですので」


「…そう」


 なんだか、様子がおかしいですわね。

 前世でも見たことがないくらいにしおらしいですわ。

 いつもならお小言の十や二十は飛んできそうなものですのに。

 もしかして、本当に私のことを心配して、


「どうしてこんなことをしたのですか!

 自分がどれだけ迷惑をかけたか分かっているのですか?!」


 前言撤回。すごい迫力ですわ。

 私は彼女にとっては道具でしかないというのに、少しでも期待をしてしまった自分が恥ずかしいです。

 彼女にとっての誤算は、私が物とは違って自分で考えて動けることだろう。

 道具が自分の思惑通りに動かずに自分勝手にしていたら、さぞ腹立たしいでしょうね。


 母は私の肩を強く掴みながら、大きな声で私を叱る。

 まるで、何かに追い詰められているように、必死に。

 …やっぱり様子がおかしい気がするわ。


 こんな風に叱られるのは初めてではないかしら?


 いつもなら、もう少し冷静に叱って鞭打ちぐらいすると思うのだけれど。

 とは言っても、叱られるのなんて失敗した時ぐらいですし、今回と比べるのは難しい気もします。


 まあ、別にどうでもいいか。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

 でも、わたくし、お勉強が嫌なのです」


「なに、を…そんなわがままが通じるとでも」


「それでも嫌なものは嫌なのです。

 私はそれよりも魔法術と護身術を学びたいです」


 努めて冷静に、心の波を荒げることなく、静かに母を見つめる私に釣られて、母も少しづつ冷静さを取り戻していく。


「貴方は、王族の妻になる者です。

 このように堪え性がなくては、将来苦労します」


「では言い方を変えます。

 今の授業は私には必要があまりありません」


 真っすぐと母の目を見て言い返せば、彼女の目はいつものような鋭さを帯びる。

 今回は私と母、どちらも譲る気がない。


「必要があるのは火を見るよりも明らかです。

 貴方が完璧に覚えられるまでは、授業は必要です」


「それでは、完璧に、一つの間違いもなく

 授業を終えることが出来たのなら、

 私の要望を聞いてくださいますか?」


「それは…、そうですね。

 本当にそのようなことが出来るのでしたら」


 その後の展開は早かった。

 私は集まった教師たちが出した問題に、一つも間違えることなく完璧に答えてみせた。

 当たり前だ。私はまだ十にも満たない子供で、教師が出した問題は難しいものでも中等教育程度のも。

 学園で高等教育や更に上の教育を受けていた私が答えられないはずがない。


 期待されるのは真っ平御免だが、背に腹は代えられない。


 こうして母の言質を取っていた私は、晴れて魔法術と護身術の授業を受けることが許されました!

 母が私の提案を飲んだ時から、私の勝ちは決まっていたも同然。

 これで勉強の時間は短くなり、その上やりたいことも出来るようになった。


 大勝利ですわ!


 これでやっと少しだけ前に進むことができた気がする。

 私はもっと、もっと強くならなくてはいけない。


 だって、今度は私があの子を守りたいから。


 不安や恐怖、絶望から私を救って守ってくれたように。

 私もあの子の力になりたい。


 その為ならいくらでも自分を犠牲にしたって構わない。

 あの子の為ならどれだけ天秤が傾こうが、不利益を被ろうが、傷付こうが、知ったことではない。


 あの子の笑顔が見られるなら、きっと全てが報われるから。



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