第四話 再会
行き当たりばったりで書いてるので、もちろんプロットなんてありません。
「殿下、少しお話を…」
「なんだ。俺は忙しいんだ、簡潔に済ませろ」
廊下を上機嫌に歩いていた婚約者の姿を見た私は、今なら話ができるかもしれないと、一縷の希望を抱いて彼に声をかけた。すると、先程までの上機嫌が嘘のように、彼は不満げで面倒くさそうな態度で私の方を横目で見た。
身体をこちらに向けようともせず、すぐにでも去れるような体勢で視線だけを鬱陶しそうに向ける彼に、私は早くも挫けそうだった。
「婚約者が居る身で女性と二人だけで会うのは感心しません」
「…俺の行動に文句があると?」
彼は先程よりも視線を鋭くして私を見た。
その視線に少したじろぎつつも、私は背筋を伸ばして真正面から彼を捉えた。
「殿下が最近頻繁に会われている方は、殿下以外の殿方とも親密だと聞いております。ですから、あまり彼女に近づくのは…」
「黙れッ!!」
いきなりの彼の怒声に私は息を詰まらせる。彼は恐ろしい形相で私を睨みつけていた。
彼はこんな風に感情を曝け出すような人だっただろうか?
「お前は彼女の何を知っている?何も知らぬその口で彼女を語るな。不愉快だ」
心底軽蔑したとでも言いたげな声色で彼は私を睨む。
私はなにか間違ったことを言っているのだろうか。
「それともなんだ?彼女に嫉妬でもしているのか?」
私がなんと返せばいいか迷っていれば、彼は全く見当違いのことを言い出した。
私はただ未婚の男女が、婚約者がいる身なら尚更、二人だけで親密にするべきではないという常識を今一度彼に伝えようとしただけだ。
あまりの言い草に唖然としてなにも言い返せず黙ったままの私を、彼は鼻で笑って歩み始めた。
「殿下っ、」
「安心しろ。俺はお前のことなど好いていない」
「そういうことではございません!これは両家の威信にも関わることなのですよ!」
話し合いが始まりもしない内にこの場から去ろうとする彼を引き留めるように、私は彼の手を取った。
しかし、その手は彼によって乱暴に叩き落される。
「俺は、お前のことを婚約者だと認めたことは一度だってない」
そうやってお決まりの台詞を吐き捨てて、私の目を見ようともせずに歩き去っていく彼の背中を、私は拳を固く握って見つめる事しか出来なかった。
きっと彼は彼女に会いに行ったのだろう。
後に残された私は何とも言えない感情をやり過ごすので精一杯だった。
***
私と婚約者である彼との関係は冷え切っていた。
彼は私と話をするのを嫌がり、それ以前に顔を合わせようとすらしなかった。
私は、あの人を愛していたのでしょうか。
答えはきっと"いいえ"である。
確かに長年連れ添っただけに情はあった。彼が自身の兄である第一王子に対して鬱屈した感情を抱いていることや、自分の立場に苦しんでいることも知っていた。
だから私は陰ながら彼を支えようとしたし、彼の悩みを共に抱えようともした。
彼には鬱陶しがられただけだったが。
彼は親が決めた婚約で、家の力だけで、"何の努力もなしに"王族である彼の許嫁になった私を疎んでいた。確かに私が王族の婚約者に選ばれたのは爵位と父の力だ。
だけれど、そこから努力して王族の妻に相応しくなろうとした私を、彼は昔からの考えを変えずに遠ざけた。
彼にとって私は他の令嬢たちと同じように、自分の地位に群がる邪魔な存在でしかなかったのでしょう。
彼は私の努力など知らなかった。知ろうとさえしなかった。彼の中では私はいつだって"親の力で全てを手に入れた"卑怯な人間だったのだろう。
私の歩み寄ろうとする努力も、隣に並び立つための努力も、彼は知らない。
私のことを見ようともしなかったのだから、当たり前か。
それでもなんとか傍に居ようと努力した私を嘲笑うように、学園に編入してきたあの女はーーなにが切っ掛けかは知らないがーー彼に気に入られ、彼の悩みを共に解決し、彼を支えて隣に立った。
私には"彼の婚約者"である道しかなかったのに。
どうして私から未来を奪おうとするの?私から一つしかないものを取るの?
自由な未来を、好きな道を選べる貴方が。
何故、彼女は私と対峙しようとするのか。彼女には何度も説得したし説明もした。
私は彼の婚約者で、これは国が決めたことで、貴方がかき乱して良いようなことではないと。これ以上近づくのはやめてほしいと。
でも、いつだって彼女は「私はそんなつもりじゃ…」だの「彼は大丈夫だって…」だの、見当違いも甚だしい答えばかりを返してきた。
私はただやめろと言ってるだけなのに。どうして進んで関わっていくのか。
国や家の事情もお構いなしに人の関係を踏み荒らす彼女が理解が出来ない。
彼女があの人以外にも婚約者がいる殿方や、引いては学園の教師にまで色目を使っているというのは噂で聞いていた。
だから、なんとかあの人に目を覚ましてもらおうと努力はした。しかし無理矢理にでも話をしようとすれば、彼から返ってくるのは軽蔑の眼差しと酷い言葉だけだった。
今考えれば、私はよくもめげずに頑張ったものだわ。今同じことをやられたら速攻で諦めて見限るわ。
私の前を歩く小さなの婚約者の背中を、前世の婚約者に重ねていた私は溜息の一つでも吐きたい気分になっていた。
今の彼は前の彼と同じように、きっと私を嫌っているのでしょう。
でも、前世よりとても気が楽だわ。
だって彼に気に入ってもらう努力をする必要が無いんだもの。
母に娘だと思われなくても、別にどうでもいいですし。
私は今世では彼の妻になる気はない。
彼に嫌われていても学園卒業間近まで彼と婚約者で居られるのは分かっているし、そこに辿り着くまでに粗相をしても、余程のことでなければ婚約破棄にはならないでしょう。
とすると、私の目標は学園を卒業する前にあの子を手に入れて、婚約破棄をされたら国外にあの子と逃亡することね。
ふふ、楽しくなってきたわ。
気づかれないように一人内心でほくそ笑んでいれば、王妃御自慢の庭園へと辿り着いた。
この広大な庭園の維持費だけで、いったいどれだけの孤児が腹を満たせるのか、考えたことがあるのかしら。まあ、他国にこの国の威厳を示すための手段でもあるから、手を抜くことが出来ないのは分かるけどね。
庭園には王妃が好きだという薔薇が一面に咲いていて、中でも赤い薔薇の花弁は大きく、一際強く香っている。
だが私はあまりこの香りが好きではない。
甘ったるく重い匂いは胸に留まって息苦しく感じるし、なにより派手過ぎて私の好みではない。
私が好きなのは、もっと小さな、あの子が摘んできてくれたようなーーー。
「おれは、お前をコンヤクシャだとは認めてないからな」
あの子に想いを馳せながら、使用人が引いた椅子に腰を掛けようとしていれば、小さな婚約者は不機嫌そうな態度と顔でそう言った。
ああ、そうだった。
前世の小さな私は彼のこの言葉に少なからず傷付いたのだった。
現実に引き戻された私は他人事のように過去を思い出した。
あの時の私はどんな顔をしていたのだったかしら?
彼と初めて会った時、私は彼に対してどんな思いを抱いていたの?傷付いたのだから、きっと淡い恋心のようなものを抱いていたのかもしれないわ。
もしくは憧れや、期待……なんにせよ私は彼に嫌な感情は一切持ち合わせていなかった。
だからこそ、彼のこの言葉に幼かった私は傷付いたのだ。
可哀想な幼い頃の私…でも大丈夫よ。もう何も感じない。
どうだっていいからかしら?何を言われても、どんな感情を向けられても、心が全く動かされないの。
何も悪いことなどしてないのに悲しい気分にばかりさせられて、辛かったわ。苦しかったわ。でも、それは我慢しなくちゃいけなかったから。
でもね、もうこんな奴のせいで傷つく必要なんてないのよ。こいつの為に生きる必要もね。
「そうですか。あ、わたくしの紅茶はミルク多めがいいですわ」
「なん、え?」
王子のことは眼中にないので、適当に返事をしつつ使用人が淹れた紅茶にミルクを足すように促す。
この無意味な時間をどうすれば不快な思いをせずに済ませられるか考えていたけれど、目の前の美味しそうな茶菓子があれば何とかなりそうだわ。
王や父の面目のために断ることはしなかったが、自分を殺した相手とどうすれば苦痛なく過ごせるかは、私にとってはとても重大なことだわ。
前世では婚約者に否定された悲しみだったり、緊張だったりで気づかなかったけど、さすが王宮の職人たちが作っただけあって、どれも綺麗で美味しそうなものばかりだ。
私はあんぐりと口を開けて驚いている王子を横目に、クッキーを一枚つまんで口に運ぶ。
バターと砂糖が贅沢にたっぷり使ってあるおかげでとても美味しい。
様々な種類のケーキとパイ。色とりどりのジャムとスコーン。
全てが一級品で、思わず目移りしてしまう程度には魅力的だ。
家を出ていくのだから、私も料理ができるようにならないと駄目よね…今の内から勉強しておかないと。
あの子には美味しいものを食べさせてあげたいものね。
「お前はおれのコンヤクシャの自覚があるのか?!」
「そうですね」
なにか王子が言っているような気がするが、私は構わず空返事を返してチョコレートを一つ摘まんで食べる。
うん、甘くて美味しいわ。
でも、私が一番好きなお菓子がないのはちょっと残念ね。
……そうだわ。わがままを言えば良いのではないかしら?
「お前!ぶれいだぞ!おれの話をきけ!」
「わたくし、マドレーヌが食べたいですわ」
「……は?」
「ねえ、聞こえなかったのかしら?わたくし、マドレーヌが食べたいの」
私は傍に控えていた使用人に向かってもう一度声を上げる。
使用人は少し驚いたようだったけれど、「すぐに御用意致します」と冷静に返事をして他の使用人に言伝を頼んだ。
あら、言ってみるものね。
これで好きなお菓子が食べられるわ。
「…お前、おまえ!ふざけるのもいい加減にしろ!」
ガンっとテーブルを叩く音がしたので目線を向ければ、顔を真っ赤にした王子と目が合った。しかし所詮は子供の威嚇。見た目は同い年でも精神年齢は私の方が上なので子供の癇癪に恐れることはない。
付き合ってやる気もないので、私は黙って紅茶を口に含んで香りを楽しんだ。
「お前もおれをバカにするんだな…!兄様とはちがうと思っているんだろう!」
この紅茶、少し渋みが強くないかしら?だから紅茶ってあまり好きじゃないのよね。
「おれが王にはなれないからっ、おれが兄様より劣っているから…!」
香りは好きだし、甘いお菓子にはよく合うから、やっぱり飲んでしまうのだけれど。
「お前みたいな、親の力だけで楽をするやつなんか、認めないからなっ!」
でも、やっぱり食事って誰かとすることに意味があると思うのよね。あの子と食べた食事は質素だったけれど、とても楽しい時間を過ごせたわ。……はやく会いたい。
「くそ…!こっちを見ろ!話を聞け!お前はしゃべれないのか?!この、能無しめ!」
マドレーヌはまだかしら?先ほどから耳が痛いし、早くあのほんのりした甘さに癒されたいわ。
「役立たず!できそこない!邪魔者!」
「それは貴方が言われたことですか?」
「…な!~~!…ッ!!」
あらやだ私ったら。つい"うっかり"口が滑ってしまいました。
王子も図星だったのか、顔を先程よりも更に真っ赤にしている。
まるでリンゴみたいだわ。ああ、でも何も言い返せずに口をハクハクと開け閉めしてる様は、どちらかと言うと金魚かしら。
滑稽で面白いわ。
私は、もうこの人に寄り添うようなことはしないし、慰める気や同情して心を痛めてやるつもりもない。
どうせ彼には学園で運命的な出会いがあるのだから、私がどうこうしてやる必要もないでしょう。やるだけ時間の無駄だもの。
そういう役目を期待されているのだとしたら、申し訳ないけどお断りするわ。
私は貴方のストレスの捌け口になってあげるような優しい人間では、もうないの。その私を殺したのは自分なのだから、恨むのは自分にしてくださいね。
「おれが、お前もおれが…ばかだと、思って、いるんだろっ」
あら、泣いてしまわれたわ。
この人、私の前では常につっけんどんな態度だったから感情の波が大きいことを失念していた。
大きな瞳からボロボロと大粒の涙を流しながら、それでもこちらを睨む王子を、私はただ無感情に見つめ返した。
「べつにどうとも思っていませんわ。興味がないので」
私はケーキを口に運びながら、初めて王子の質問にまともに答えた。
別に王子の泣き顔に心を動かされたわけではなく、ただ単にこれ以上喚かれたら聴力に支障が出るかと思っただけである。子供の叫び声ってなんであんなに耳が痛くなるのかしら。
流石にこれ以上面倒なことになるのは嫌なので、私は王子に少し黙っていただけるように重い腰を上げた。
「先程から聞いていれば、自分が兄である第一王子より劣っている自覚があるみたいですけれど、では努力はしていますか?寝る間も惜しんで勉強をしたことはありますか?ないでしょうね。その健康そうな顔を見ていれば分かります。毎日ぐっすり眠れているんでしょうね」
薄い笑みを顔に貼り付け、私は子供の仮面を取り払い早口で捲し立てる。
「で、でも…努力したってどうせ兄さまには」
「言い訳ですか。それで楽になれるならどうぞそのまま逃げ続けてくださいな。私は貴方様がどうなろうと知りません。興味もありません。」
王子は私の言葉を聞いて何も言い返せずに項垂れる。
なんだか前世とは立場が逆で、笑えて来ますわ。何も面白くないけれど。
「そもそも努力に終わりはありません。自分で自分の理想に近づくためにするのです。兄に追いつくことが出来ずとも、近づくことは出来るでしょう。そうしていればいつの間にか人よりも多くのことができるようになっていることだってあるでしょう。知りませんけど」
でも私はどこかの意地悪な王子と違って優しいので、ちゃんと会話をしてあげます。どこかの第二王子とは違うので。
王子は何かを考えるように難しい顔をして黙り込む。
私は静かになった心地いい空間を満喫しながら、丁度よくやってきたマドレーヌに舌鼓を打つ。やっぱりこのやさしい甘さが堪らないわ。
こうして婚約者との再会と初めての彼とのお茶会は、何事もなく終わった。
王子はあれから静かだったし、王と父も満足気だったから、特に問題はなかった筈だわ。王子は泣いたけど。
どうせ報告は行っていただろうし、それに対して何も言われなかったのだから、問題なしで大丈夫でしょう。
私は城の料理人から聞き出したお菓子のレシピを見つめながら帰路についた。
美味しいお菓子を食べられたし、レシピも手に入った。
王子の無様な姿……嫌だわ私ったら。今日は良く口が滑る日ね。"王子の可愛らしい泣き顔"も見れたので、私にとっては悪くない日だったと言えるでしょう。
でもやっぱり退屈ね。
私はいつかあの子と一緒に自分が作ったお菓子でお茶会を開くことを夢見ながら、馬車の窓から夕日に照らされる景色を眺めていた。
早くあの子に会いたいわ。