音楽をこじらせたやつらの物語 連載 ~1章 シュウヘイ その1
音楽から離れられない「やつら」の物語。
みんなで力を合わせる、って 青臭いとお思いでしょうが、
でもそれで何かが始まることや大きく動くこともあるのです。
しょうもない奴らでも、力を合わせれば。
週に二回くらいのペースで更新していきます。
音楽が、バンドが好きなあなたへ。
1 シュウヘイ その1
目が覚めた。
ということは失敗だったんだ。
オレは死ぬことに失敗した。
死ぬことにすら失敗した。
またもや、失敗だ。
音楽をこじらせどうにかなっちゃった、というのはオレの世代が一番多いのではないか。だいたい、自分探しだのフリーターだのなにかのための猶予期間を求めつつ、でも何物にもなれない、というのは世代的特徴かもしれない。
そんな『音楽をこじらせた』やつらのお話だ。
医者が言うには、奇跡的に助かったということだ。
正午のニュースが始まったところで、オレは酒と睡眠薬を大量に飲んだのだが、眠った直後に、なんとそいつを吐いてしまったらしい。永遠の眠りのつもりがわずか30分かそこらでゲロだ。そういう場合、吐しゃ物で窒息してしまうこともよくあり、それで死んでしまうことも多いんだそうだ。だがオレの場合は、のどに詰まることもなく、うまく(こんな時に限って!)ほとんどの薬を吐き出しちまったというわけだ。
しかも、まさかこのタイミングで来るとは思っていなかった、1か月前に別れたはずのミチルが部屋に入ってきやがった。アパートのオレの部屋に置きっぱなしだったいくつかの自分のものやなんかを取りに来たら、ゲロまみれのオレを発見して、おまけに枕元にあったからっぽの睡眠薬の瓶を見て、慌てて救急車を呼んだってわけだ。もちろん大量に吐いていたくせにオレのほうの記憶は一切ない。
入院した翌日の午後、最初に面会に来たのは、ずっとそばにいてくれたミチルを別にするとダイスケだった。まぁ、吐いただけだからな。胃洗浄をしたその夕方にはもう大丈夫。薬の影響もなし。頭がぼうっとしているのは薬のせいというよりも、二日酔いだろう。
昨日最後に携帯で話したのが、ダイスケだったな。当たり前のことだが、誰にも知らせずに死ぬつもりだったんだが、ごそごそと死ぬ準備をしている時になんとあの野郎、電話なんかかけてきやがったんだ。「今夜空いてるか?飲まねえ」だとよ。「今、忙しいんだよ。」の一言ですぐに切ったが、そもそもなんであの時、電話に出ちまったんだろう。これから死のうって時に。
オレを病院に送りこんだミチルが、部屋にあったオレの携帯の履歴から、睡眠薬をあおる直前に電話したダイスケに、いちばんに連絡を取ったってわけだ。
病院に担ぎ込まれて一昼夜たった翌日の午後、早速ダイスケが尋ねてきた。
「お、思ったよりも顔色いいじゃん」相変わらずのお気楽な口調で話しかけてきやがる。
「ああ、死にそこなったよ」
「お前、自殺しようとしてたの?」単刀直入だ。
「ちょっと、ダイスケさん」ミチルは気遣うように声をかけるが、ダイスケは気にしない。
「生きててよかったなぁ」
「別に」
なに、一回失敗しただけだ。力強くここからの人生を全うしよう、なんて気には全然なれない。
「なぁ、シュウヘイ。」
「ん?」
「元気が出たらバンドやるか。一緒に」
「何言ってんだよ。アマチュアのお手伝いなんかしねえよ。そんな元気は出ませんよ~」ふうん、死にたいくせに冗談めかして言える程度には、頭動くんだな、オレ。だいたいギターなんてこの何年も弾いていないし。
「こんな時にする話じゃないか。まぁとにかくゆっくり休んでくれよ」
ダイスケは、あまり話すこともないみたいで(当然だろうな。オレもダイスケが自殺未遂なんてことになって、翌日見舞いに行くとしたら何を話したらいいか見当もつかない)なんとなくもぞもぞしている。
「ミチルさんとも話すことあるだろうし、そろそろおれ、帰るわ。」愛用の横浜ベイスターズの野球帽の縁に手をかけて部屋を出ようとして、でもまた引き返してくる。
「見舞いだ、これ。メロン。ミチルさんと一緒に食え」
見舞いでメロンかよ。一周遅れのその感じがいいよ、ダイスケ。
ダイスケが部屋から遠ざかったところを見計らってミチルが声をかけてくる。
「ねえ、なんで」
困ったような、心配するような顔で問いかける。
「お前は関係ねえよ。」
嘘だ。ミチルも三分の一くらいは関係ある。
オレはシュウヘイ
13歳からギターを弾き始めて、15歳からバンドを始めた。
最初にバンドでやったのは、ガンズンローゼズの「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」もちろん聴くに堪えない代物だったろうけれど、記念すべき初レパートリーだ。あの頃はガンズとエアロスミスとビートルズが三本柱だったな、音楽にトチ狂い始めたオレの大事な先生たちだ。
いくつかのバンドを転々としたのち、19歳で組んだバンドが当たった。22歳でメジャーデビュー。20歳かそこらの若造が活動開始3年でデビューはまぁまぁいいほうだろ?もうその頃はいわゆるバンドブームは過ぎて、でも、まだバンドによる音楽がちゃんとある程度は支持されている頃、Mr.チルドレンなんかが売れていた頃だ。
そのバンド、「オクターブ」は運もあったと思うが、デビュー二年目に大ヒットを飛ばす。ハードロックに歌謡曲とお笑いのエキスを二滴ほどたらした曲だ。その後も3曲ほどヒットがあった。武道館も経験した。いい時のおれたちの演奏は、そりゃあもう羽が生えているように空を舞っていたさ。
だが、まぁ、ほとんどのバンドが通る道をオレ達も通る。
目もまわるような忙しさ。過酷なツアー。オレ達を取り囲むファン、ファン、ファン。ツアーで行ったどの町も同じに見えて、結局は会場と楽屋とホテルの部屋とツアー車(たまに新幹線、たまに飛行機)の記憶しかない。
それなりの大金を得て(といっても、いいように事務所にふんだくられていたことを後で知るのだが)、ヒットで舞い上がったせいか、メンバーのエゴも膨らみ、みんな自分勝手なことをやりだす。ヒットの連発から3年たったころにはヒットってなんだったっけ?という状態になり、目に見えて観客動員数も減り、これで起死回生、と力を入れたアルバムも何の反響も起こさず、にっちもさっちもいかなくなって解散。オレは27歳になっていた。
ヴォーカルのジョージ(本名が譲治だったので、いいじゃんジョージでと言っていたけれど、そのセンスはオレには頂けなかった)は暫くソロシンガーとして頑張ろうとしていたが、結局大したヒットも出ず、これまでか、と思った時にバラエティ番組に出たときの受け答えの面白さを評価するやつが現れて、今は何というかタレントとしてやっている。まぁ、ロックンロールのかけらもないがな。
他のメンバーで生き延びたやつは、ドラムのコウタだけだ。やつはドラマーとして抜きん出ていた。特に歌ものバックアップは最高だ。今ではスタジオの仕事や、大物シンガーのライブサポートで引っ張りだこだ。
そしてこのオレは。
バンドを解散して二年ほどはスタジオの仕事をやりつつ、次のバンドを組もうといろいろ画策していた。だが、オレはスタジオ向きではなかったみたいだ。オレがいい、と思うソロやオブリガートは、そのほとんどがプロデューサーやその時々のリーダーから、ダメを出されるんだ。
「その色じゃないんだ」「面白いフレーズだけど目立ちすぎ」「曲の雰囲気をもっとつかんで」などなど。
見るからにセンスがなくて金のほうが好きそうなプロデューサーに、「もっと普通のフレーズでいいんだ」といわれた時には、ブチ切れて「じゃあ、おめえが弾けよ、くそつまんねえフツーのフレーズをよ!」と怒鳴って、セッション途中にもかかわらず、ギターを片付けて帰ってきちまった。
スタジオ仕事でもすでに一級のドラマーと認められていたコウタが、心配して「お前はフレーズだってセンスだってとびぬけたもんを持ってる。ただな、スタジオでは相手あってのことだからな。ある程度は相手の言っていることにも合わせなきゃ。合わせた中でも自分をちゃんと出せるのがプロだろ?」なんて声をかけてくれたが。
その言葉も気持ちもありがたかったが、もうそんなもんはどうでもよかった。「お前は結局、芸術家なんだよ」とも言われたな。
そんなトラブルメイカーぶりも手伝って、バンド解散直後はいくらかは通用した、『ギタリスト・シュウヘイ』の看板の価値も見る見るうちに下落。バンド解散から二年後には、スタジオの仕事もほとんどなくなる。まぁ、音楽業界自体がCDの売り上げが落ちていって、仕事のパイ全体が急激に小さくなってきた頃だったしな。オレみたいなわからず屋さんなんぞ、まぁ真っ先に切られて当然ではあるな。
そして次のバンドを組もうにも、ロクな奴に巡り合わなかった。結局は運と縁なのだろうけれど、自分で音楽の世界の居場所を一つ一つつぶしていったようだった。
ちょっとはライブのサポートなんかもやっていたが、30歳でオレは音楽から足を洗うことにした。少なくとも金をもらって、仕事としてやる音楽からは。
続く
まだまだ前ふりですが。
シュウヘイさんは自殺にも失敗し病院で「元」恋人に付き添われています。
旧友が見舞いに来てさぁ、ここから…