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猫の居場所

作者: 綸津むぎ

 短い人生の、いえ短い猫生の、さらに短い一時を。


 神社の石階段を、白黒斑の猫が重い体を揺らして上る。

 手入れが行き届いていないというより、いくら抜いても追いつかないと思うほど元気な草が、石の間からあちらこちらに顔を出していた。

 草を避け、時には踏み。人ならば鼻歌が聞こえても不思議ではないくらい、軽い足取りで。

 周囲を見回りながら目的の場所へ向かう、重い体で軽快なステップの白黒斑の猫。


「そろそろ時間だ」


 神社の裏に着くと、そこが定位置というような我が物顔で寝転がる。

 そうして白黒斑の猫が見計らったタイミングで、子供が駆け寄ってきて、袋にがさごそと手を突っ込んだ。


「はい! ごはんだよ」

「いつもすまねえな」


 きっと言葉は通じていないのだろうけれど。

 うにゃうにゃ鳴くのが面白いのか、通じていると信じているのか、子供は笑顔で白黒斑の猫に話しかけている。

 スティックジャーキーの一本目を手から食べさせて、残りを袋から一気にあけた。


「いっぱいあるからね!」

「いやあ、これでマタタビでもあれば最高だねえ」


 どうにもオヤジ臭い考えも、子供にしてみれば愛らしい猫。いや、少々ふてぶてしいただの猫だからなのか、気にならないようだ。

 撫でている間も、白黒斑の猫はまだ一本目の続きをゆっくり噛んでいるので、子供は小さな時計をちらちら見て立ち上がる。


「そろそろ塾の時間だから、行くね!」

「おう行くのか、気をつけてな」

「ちゃんと全部食べるんだよー!」


 焚き火みたいに山盛り積まれたスティックジャーキーを残して、手を振りながら走り去っていく。

 猫が嫌がるほど執拗に撫でていくわけでもない、家で飼えないからせめてご飯だけでもと気にしているのだろうか。子供の事情は、白黒斑の猫にはわからない。


「……おい、ノブ!」

「へい! 親方、なんですかい」


 呼ばれるのを待ち構えていた細身の茶色い猫が、草むらから勢い良く飛び出してきた。呼ばれた理由がいつものことだとわかっているのに、しらじらしく理由を聞きながら。

 体についた葉を振り落としてから、食事の良い匂いに鼻を近付ける。


「これは松の親子に、こっちは新入りの分だ」

「おお、良いものですね」

「ノブの取り分も、ちゃんとある」

「ありがとうございにゃす」


 白黒斑の猫が、積まれていたスティックジャーキーを器用に分けた。

 いつものことだと、届ける先を伝えるだけで頷いた細身の茶色い猫は、肉球をモミモミしながら食事をじっと見る。


「食うのは、ちゃんと届けてからだぞ」

「わかってますって。いってきやす!」


 どこかで拾ったハンカチを手ぬぐい代わりに、スティックジャーキーを包んで咥えると。

 細身の茶色い猫は、また草むらへ入っていった。


「さて、行くか」


 再び重い体を揺らして、白黒斑の猫は神社の隣にある民家へ向かう。





 こちらの家でもいつも同じ時間帯なのか、待っていたように老夫婦が玄関先へ出てきた。

 二人とも腰が曲がり始めているけれど、まだまだ元気といった様子で笑いながら白黒斑の猫を迎える。


「白妙は縁側だよ」

「おう」


 白黒斑の猫はわかりにくい首を曲げ、老夫婦に頭を下げて庭へ入る。

 そこには白い猫がのんびり、体を伸ばして縁側で寛いでいた。


「じゃまするよ」

「いらっしゃい」


 白い猫は庭へ入ってきたのが誰かを見て、機嫌良くゆるりと尻尾をくねらせ座り直す。

 自分の庭であるように堂々と入ったにも関わらず、白黒斑の猫は縁側へ上がることなく手前にごろりと横になった。


「調子はどうだい」

「昨日も来たじゃないか、相変わらずだよ」

「元気そうで何より。ちゃんと食ってるか?」

「ここの老夫婦は、食べきれないほど、食事を用意してくれるからね」


 聞きながら白黒斑の猫は、玄関先で会った老夫婦の顔を思い出し、ちらりと台所のあるほうへ視線を向けた。


「良い人達だからな」

「あんたの分もなんだよ」

「そうだったのかい」

「やだね、知ってるくせに」

「気恥ずかしくてな」


 前足で腹をかき、白黒斑の猫はぷいと顔を逸らす。


「ブチって名前まで付けて」


 呆れたような物言いとは違い、嬉しそうにからかう白い猫。


「ブ……。タエとはえらい違いだな」


 白妙と名付けた老夫婦が、こちらにはずいぶんとありきたりな名前を付けるものだと、尻尾を小刻みに振って不満そうに鳴く。


「黒ごま団子に似ているって言ってたよ」

「前は豆大福じゃなかったか」

「私は色男だと思うけどね」

「よせやい」


 白い猫がひょいと縁側から下りて、照れた白黒斑の猫へすり寄った。


「あんた、ここで一緒に暮らす気はないかい」

「またその話か」


 顔を見せないようそっけなく返して、白黒斑の猫は体を起こした。ここに住むのが嫌なわけではないが、性に合わないのだ。


「老夫婦が心配しているのも、知っているでしょう」

「いつもあちこち行ってるんだ、やめるわけにもいかねえ」


 松の親子はまだ子供が小さい、親が獲物を狩る時間は減らしてやりたいと考えている。

 新入りには、自分で餌を貰えるところくらい、安定させてほしいものだと思っているが。


「続けてもいいじゃない、気にしないわ」

「なら今だって、変わらねえだろう」

「変わらないなら、いいじゃない」


 白黒斑の猫は自分で言った言葉で返され、口ごもってしまう。

 とにかく理由を考えなければと焦り、いつも口では勝てない相手にどうしたものか悩んだ。


「そういうんじゃ……」

「まったく頑固。恥ずかしがりなんだから」


 爪を立てずに軽く叩かれて、白黒斑の猫は逃げることを選ぶ。

 こういう時はさっさと出ていってしまおう、と。


「とにかく、そろそろ行くから」

「わかったわよ」


 白い猫の鳴き声が響いたのと重なり、家の中から老夫婦の声が聞こえてきた。

 縁側に近付く二人を白い猫が見ている間に、体の重さをものともせず、白黒斑の猫は庭を飛び出した。


「また、言いそびれちゃったよ」








 今日もまた神社の裏へ向かうために、白黒斑の猫は周囲を見回りながら歩いていた。


「お、あれはいつもの」


 ふいと顔を向けた先から、子供が近付いてくる。


「神社の猫さんだー!」


 迫る車に気付かず、気を取られて走り出す子供に驚いて、白黒斑の猫は思わず飛びかかっていた。


「あぶねえ!」


 子供はいつもおとなしいその猫に飛びかかられて驚き、勢い良く後ろに倒れるとようやく車に気付いたようだ。

 体当たりの衝撃で弾かれた白黒斑の猫に、傷みをもたらす金属の塊がかすめた。

 その車は不快な音を立ててもスピードを緩めず走り去っていく。


「大丈夫……みてえだな」


 いつもよりさらに重く感じるようになった体で、ふらふらと白黒斑の猫はその場を離れていった。

 近くを歩いていた中年の男が、子供を心配して声をかける。それを聞いてか他の通行人も集まり、周りをオロオロと囲んで立った。


「大丈夫か?」

「あの車、逃げちゃったよ」

「念のため救急車を呼ぼうか? 頭は打ってない?」

「誰か! ナンバー覚えている人はいないか!」


 放心状態の子供を見て焦ったのか、通行人は子供が車に当たったと勘違いして叫ぶ。

 そうして大人が口々に心配する声も届かないようで、泣くのも忘れ、子供は見覚えのあるいつもの猫を探そうとする。


「猫さん……猫さん!」


 囲んでいたうち一人の男が、急に立ち上がろうとした子供に優しく手をかけて、そっと背を撫でた。

 心配かけてごめんなさいと礼儀正しく謝りながら、子供はもしかしたら餌のお礼なのかと考えてしまったり。とても、悲しい気持ちになった。








「おや、ブチ! ブチじゃないか」


 子供から離れ、こっそり隠れるつもりの路地で。

 弱った白黒斑の猫に、声をかける老人がいた。

 老人は衰えながらに迷いのない足取りで近寄り、すぐに白黒斑の猫が怪我をしていることに気付いたようだ。


「見つかっちまったか」

「すぐ病院に連れて行ってやるからな」

「白妙にすまねえって伝え……言っても、わからねえよな」


 そう諦めたように、一鳴きして、意識を失った。


「動かしても大丈夫だろうか」


 まだ息があると確認しながら、老人は自宅に電話をかける。


「おお。ブチを連れて、白妙が世話になっとる動物病院へ向かうから、したくを頼む。急ぐんだ、切るぞ」


 あまりの焦りように電話の相手も驚いたのか、具合を問い詰められることもないまま切って、老人が上着を脱ぐ。

 服で猫の体を包んで、おそるおそる持ち上げ、少しでも揺らさないようにと気にしながら動物病院を目指した。








「今日は、こないみたいだね」


 いつもの縁側で、いつものように寛ぐ白い猫は、落ち込んだように鳴いて庭を見つめた。


「生まれてくる子供は、あんた似かな」


 誰に聞かせるでもなく、小さく鳴いた声のすぐ後。

 家の中からどたばたと慌ただしい、珍しく大きな足音がする。


「白妙や、ちょっと行ってきますね」

「どうしたのかしら。気をつけるのよ」


 首を傾げて鳴き返す。

 そこへ、細身の茶色い猫が慌てた様子で庭へ駆け込んできた。


「ねえさん! 大変です!」

「ねえさんはやめなさいって、いつも言ってるでしょう」

「すいやせん。……ってそれどころじゃ!」

「良い話じゃないね?」

「親方が車に! 子供を助けたとかなんとかってえ話してるやつらが」


 白い猫は驚きのあまり、身を乗り出した勢いで縁側から降りる。

 いつも身軽に飛び慣れたはずの場所なのに、今はおぼつかない足取りで、か細い鳴き声を漏らす。


「それと、白い悪魔の所へ連れて行かれるのを見たってやつがいて」


 そこは病院っていうのよ。そういつもの調子で返す余裕もなく、白い猫は睨みつけるので精一杯だった。


「どいつもこいつも、親方の話でもちきりでやす」

「きっと大丈夫よ。大丈夫」


 細身の茶色い猫に言っているというより、自分自身に言い聞かせて。

 いつも、いつも、ふらりと白黒斑の猫が入ってくるほうを、じっと見た。


「大丈夫よ。大丈夫よね……あんた……」

「様子を見にいってきやす!」


 あまりに元気のない姿を見ていられないとでもいうように、細身の茶色い猫は、少しでも良い報告が持ち帰れるようにと祈りながら走り出していった。


「子供を大事にするのはいいけど……この、お腹の子も大事にしてほしいわ」


 耳を後ろに伏せぽつりと寂しそうに鳴いて、定まらない視線でどこか遠くを見つめる。


「忘れ形見になんて、しないでよ」










 晴れた日差しがいつもより眩しく感じて、白い猫は家の中で寛いでいた。

 はしゃいだ様子の老夫婦が、あれは用意したかこれは足りているかなど、しばらく前から室内をうろうろ歩き回っている。


「寝床は、これなんかどうだ」

「ペディチャムチャムがあれば喜びますかねえ」

「グリズリーチャムじゃなかったか? 毛布は新しいのがあったかな」

「買っておいてもいいですねえ」


 楽しそうなのは見ていて微笑ましい。けれど、どうにも落ち着かなくて、白い猫は縁側へ出て座った。日差しが気になるが、こちらのほうがまだ寛げる。


「子供の名前は、老夫婦に任せておけば大丈夫ね」


 白い猫は落ち着かないと不満を漏らしていても、老夫婦がはしゃぐ理由を考えれば、ほんのり嬉しい気持ちになった。

 しかし、それでもどこか、何かが気になって。しきりにグルーミングを繰り返し、静かになった縁側を警戒する白い猫。

 出産前にはしかたのないことだけれど、気分が定まらない。


「おじゃましやす」

「あら、いらっしゃい」


 庭に入ってきた細身の茶色い猫を、白い猫は顔だけ向けて迎え入れた。

 一人になりたい、でも一人も寂しい。馴染みの顔ならば話すくらいかまわないだろう、と言い訳のように考える。


「こちらのご夫婦は、今日もにぎやかですね」

「家族が増えるから、嬉しいんでしょう」

「おめでとうございにゃす」


 細身の茶色い猫が尻尾をピンと立てて目を輝かせ、お祝いには何がと言い出しそうになったのを、白い猫が先に止めた。


「祝儀はいらないよ。老夫婦が驚くといけないからね」

「ネズミなんて、持ってこられませんって」


 別のものを考えるつもりだったと、細身の茶色い猫は慌てて鳴く。

 虫だってだめなのだが、どこまでわかっているのか不安になる口ぶりだった。


「ごちそうの日は、食べに来なさいよ」

「ありがとうございにゃす!」


 細身の茶色い猫は肉球をモミモミして喜んだ。ゆるり、ゆるりと尻尾を振って、何が食べられるかと今から楽しみに考えている。


「これで……」

「もう時間だったのかい。ほら早く」

「白妙や、行ってきますね。楽しみにしてるんですよ」


 白い猫が力なく尻尾を下げたところへ、老夫婦が慌ただしく声をかけて出かけていく。


「いってらっしゃい」


 静かに二人の背中を見送り、先程言いかけた鳴き声を飲み込んだ。


「これで親方がいたら、もっと嬉しいですね」

「言うんじゃないよ」

「すいやせん」

「ほら、食べたらお帰り」


 尻尾を使って追い払うようにばたばた動かし、白い猫に用意されていた食事へ視線を向けて促した。


「ねえさんが子供の為に食べて下さい」


 そう言うだけ言って、結局はちゃっかり一口貰ってその場を離れる。


「親方の代わりに、いってきやす!」


 わざわざそう大きく鳴いて。

 いつもの場所へ向かうため、細身の茶色い猫は飛び出した。


「……食べてるじゃないのよ」


 白い猫は目を細めてゆるりと鳴き、端っこが少し減った食事を見て横になった。








 神社の裏で、子供が座り込んでいる。

 隣には、白黒斑の猫が定位置にしていた場所へ、積み上げられたジャーキー。


「猫さんに、ありがとうって、言いたいのに」


 子供は時間を見て立ち上がり、自分で積んだジャーキーへ向かって手を合わせる。


「あと、ごめんなさい、も……」


 ガサガサッと、草むらが騒々しく音をたて、細身の茶色い猫が飛び出してきた。


「おっと、先客? すいやせん」

「猫さん! ……じゃない、猫さんだけど」

「ああ、親方じゃなくてすいやせん。いつもありがとうございにゃす」

「あのね、あの猫さんのこと知ってたら、おねがい。またここに来てねって。あと、ごめんなさいと、えっと、ありがとうと、それから」

「大丈夫ですって」

「ごはん、いっぱいあるからね! って!」


 涙をごしごし拭い、子供は走って去っていく。


「……松の親子と新入りは決まりで、黒さんのとこも、あとは……」


 ふう、と溜息を吐けるわけでもないのに、それらしく鼻息を漏らして。細身の茶色い猫は、白黒斑の猫の代わりに仕分けをする。

 そろそろくたびれてきたハンカチにジャーキーを包み、しっかり咥えた。


「では! 親方、いってきやす!」









 老夫婦がドタバタと帰ってきて、そのまま縁側へ向かってくる。


「ただいま、白妙。ごめんなさいねえ」

「すぐそこで、逃げられてしまった」

「嫌だったんですかねえ」

「困った。またここへ来ればいいんだが」

「……あら、おかえりなさい」


 白い猫が老夫婦を迎え、体を起こすと。

 いかにもいつもの調子を取り繕った、白黒斑の猫が庭へ入ってきた。


「やっぱり、こっちから入らねえとな」

「おや、心配したぞ。いきなり逃げたりして。治ったからって、元気すぎやしないか」

「まあまあ、いいじゃないですか。ブチ、今夜はごちそうですからねえ」


 そわそわした白い猫は、今日は庭へ降りようとしない。

 今日は、白黒斑の猫が、縁側に上がった。


「初めて、上がってくれたわね」

「……ただいま」

「ええ……おかえりなさい」




読んでいただき、ありがとうございます。

猫の耳や尻尾の動きは、飼育本にあった猫の感情表現を一部参考にしています。

違うなと思ったところがあっても、大目に見ていただけると助かります。

画面下部から評価していただけると、小躍りして作者が喜びます。

連載作品はジャンルが違いますが、そちらも読んでいただけたらもっと喜びますm(__)m

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[一言] これは続かないんですか?続きが読みたいです。
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