《時間と少年》
ザーーーーーー
耳元で風を切り裂く音が聞こえる。
少女は漆黒の闇の中を落ちていた。
すでに、少女の意識はない。
それでも無慈悲に少女の落下していく速度は上がっていく。
バサバサ
少女のボロボロの服が風ではためく。
腕や足から所々擦り切れた肌が見える。
ボンッ
雲を抜ける音がした。
下界が見えた!
遠くには麓の街の屋根が反射して朝が来たことを告げている。
少女の下には聳え立つ山肌の稜線が見える。
そのまま、少女の方へと迫ってくる。
下に落ちれば一溜まりもないだろう。
山頂の荒々しい岩影が近づいてくる。
あと数キロを切った。
数百メートル
茶色の岩の輪郭がわかる。
数十メートル
もう地面の草木が目に取れる。
『ドンッ』
少女はそのまま天空から山頂付近の地面へと落下した。
あたりに土埃が立つ。
ギャギャギャと衝撃で揺れた木々から鳥たちが飛び立つ。
万に一つも少女が助かることはないだろう。
徐々に朝日とともに埃がおさまる。
そこにはあるべきはずの無残な少女の姿はなかった。
代わりに少女を抱きかかえるように『一人の少年』が立っていた。
少年の手の中で少女が、かすかに呼吸をしているのが分かる。
少女は無事なようだ。
その横顔を暖かな目で見守る少年。
あれ程の衝撃だ、抱きかかえたといっても怪我をしてもおかしくはない。
しかし、不思議と無事だった。
無事どころか体の傷も治っている。
まわりに穏やかな風が流れる。
小柄な少年の背中には長剣のような鞘を腰に差している。
美しい水晶でできたような持ち手には幾何学模様があしらわれている。
相当の落下の衝撃があったのだろう、少年の地面の周りには無数の亀裂が入っている。
少年も相当の埃や石を浴びたはずなのに、服にはまったく埃はついていなかった。
柔らかな日差しが少年に降り注ぎ、影を落とす。
何故か辺りには朝が訪れていた。
少年の表情は影で見えないが
ボソリとつぶやいているのが聞こえる
「・・・・・・・」
少女を抱えたまま
愛惜しむかのように優しく話しかける。
「・・・」
タンッ
突如二人の時間に割って入る音がした。
少年の後ろから何者かが降り立ったようだ。
「おい。」背後から男の声がする。
少年は振り向かない。
「おい、お前だよ。聞こえねえのか!」今度は別の男の声がした。
少年は少女の方を向いたまま返事がない。
ザッザッザ
「なんか言ったらどうだ!?」
男が少年に近づく、初めに話しかけた男のほうだ、盗賊のような恰好をしている。
しかし、盗賊ではお目にかかることがないような立派な剣を背中に帯刀している。
「おい、てめえ、ふざけんなよ!?」
少年の肩を後ろからぐっと乱暴に掴む
その刹那男が慌てて手を放す。
思わず男は素早く後ずさる。
・・・
「どうした?」
二番目の男が最初の男に問いかける
この男も盗賊のような恰好だが腰に立派なサーベルを付けている。
「・・・」
返事がない
少年の見た目は柔和な顔立ちだが、その横顔を見たとき急に恐ろしくなった。
何か踏み込んではいけない、そんな領域を踏み込んでしまったかのようだ。
だが、男は確信していた。あと一歩でも踏み込めば確実にやれれると。
「はっはっは。何をしているのかな君たちは!?」
「対象の人物を見つけたんだ、早く捕まえればいいだろう?」
そう言って
どこから現れたのか黒の背広を着た一人の太めの男が現れる。
腰には豪華な金で装飾された剣を帯刀し、身分が高そうな雰囲気がある。
どう考えてもこんな山奥には似つかわしくない恰好だ。
辺りには茂みがあるのにまったく音をたてることなく現る
「マリシャス様・・・」
「しかし・・・この少年なにか得体のしれない強さを感じまして・・」
マリシャスと呼ばれた男がサッと剣を抜き首筋に突きつける。
素早い動きだ剣を突きつけられた盗賊風の男にはまったく見えなかった。
「誰にものを言っているんだ!?いつからお前はそんなに偉くなった!?」
「あ!? それはお前が弱いからだろう?」
おびえる手下に顔を近づけながら、さっきとは違った高圧的な口調で話す。
「たかだか、街の少年・・そうだろう? 何を恐れている?」
マリシャスが男を茂みに突き飛ばす。
マリシャスが少年の方を見る。
あれだけの喧噪があったのに、未だにこっちを振りまかない。
神経が図太いんだが、余裕ぶっているのだが。
変わっているところといえば、長めのベストを着て腰に剣をさしていることぐらいか。
この辺の山の子供なら茂みから身を守るために長めのベストを着ていてもおかしくはないし
狩りのために剣くらい待っていても不思議ではない。
見るからにそこいらに一般人と変わらない。
特に武装をしているわけでも、強さも感じられない。
まして相手は少年だ、しかも一人である。
臆病ものの部下め。
「ふんっ」そう言って
マリシャスが剣を手早く抜き、軽く地面に振り下ろす。
人間とは思えない程の力で辺りの砂を巻き上げる。
マリシャスの振り下ろした場所はポッカリと5M程の円形のクレーターが開いている。
底が深い10M程はあるだろうか、暗闇に包まれてわからない。
時折その穴から紅の電撃のようなものが迸っている。
そんなことは構わずにマリシャスは少年の方に向き直る。
「さて、そこの君、よければ抱いている少女をこちらに渡してもらえないかな?」
「我々は姫の護衛でね。長らく探していたのだよ」
相変わらず反応はなしか。
まぁいい。所詮は少年だ。金で釣ればいいだけのことだ。
「当然、君にも報酬渡そう金貨30枚程でどうかな?その身なりを見る限り大した生活をしていないのだろう?」
「君は少女を渡すだけでいいんだ。簡単なことだろう?」
少女がピクリと少年の手の中で動いた気がした。
「・・・・・・・大丈夫・・・・・・・・」
それを見た少年が優しく問いかける
柔らかい風が少年と少女の髪を揺らす。
「あーこういう類はうざいですね」
マリシャスが懐の剣を少年の背後に突きつけながら言う。
いい加減このやり取りにも気が立ってきた。
少年と剣先の間は数CMもない。
手をちょっとでも押し込めば相当な傷を負うことになるだろう。
「おまえがその姫と知り合いなわけないだろ、助けるつもりだかしらんが・・・」
時間の無駄だ。
少年の心臓に狙いを定める。
「・・・さっさとよこせ!!」
痺れをきらしたのだろう、脅すような口調に戻り最後の選択を少年に迫る。
スッと少年が少女から目を上げる
どこか遠くをみている。
瞳には遠くの山と空の境界線が写っているが恐らくは見ていないだろう。
微動だにしない。
少年の髪だけが風で動いている。
「断る」
少年が手短に言い放つ
小さな声だったのに不思議とあたりの空気を震わせる。
「そうですか。残念な判断です。」
マリシャスが剣を下しかける。
・・・
「さようなら」
そう言って少女諸共葬ろうとしたのだろう。
マリシャスの剣が物凄い速さで少年へと迫る。
剣が辺りの空気を引き裂いている。と同時に剣が魔法のように赤色を帯びていく。
『バンッ』
少年に当たった神速の剣から爆音がする。
剣から放たれた衝撃波とともに、紅の閃光が辺りに広がる。
手下の男達は爆風に飛ばされて辺りにはいない。
ビキビキッと林が悲鳴をあげる。
マリシャスが放った一閃は数百M先まで一瞬にして走った。
隣の山頂付近の森まで風で揺れている。
辺りは一面焼け焦げ、地面を抉っている。
凄まじい威力だ。
マリシャスが剣腕を伸ばしたままニヤリと笑う。
「さっさと手渡せば死なずに済んだものを」
この技で幾つもの死線を乗り越えて来た。
子供一人が防げる技ではない。
煙が辺りに立ち込める。
「すみませんね。子供といえども歯向かう者には容赦をしないのでしてね。」
そう言って剣を腰に戻そうとする。
が、剣が動かない。
はっとして煙の先を見つめる。
徐々にあたりが見えてきた。
マリシャスは愕然とした。
少年が少女を抱きかかえながら。
後ろ向きのまま、剣先をあたかも棒切れ様につかんでいる。
しかも、素手で。
あれ程の衝撃にも関わらず少年は一歩も動いていない。
「そんな・・・」
顔を下に向け、諦めず渾身の力で押し込むがまったく意味がない。
何か巨大な壁か怪物を相手にしているようだ。
いつの間に振り向いたのだろうか?
すぐそばの地面には少年の靴先があった。
マリシャスが顔を上げ少年の瞳を見た途端
突如、今まで体験したことが無いほどの恐怖が襲ってくる。
余りの恐怖に剣腕を放し、後方へと倒れこむ。
「退け」
そのまま少年が片手で、マリシャスの剣を紙のようにグッ握り潰す。
そして、軽く曲げると投げ捨てた。
そして、何事もなかったかのように少年は歩き出した。
マリシャスのそばを通り過ぎる時
少年が呟く
「二度と追うな」
微動だに動くことのできないマリシャス。
そのまま少女と少年は林の中へと消えていった。