黄昏と東雲 I
旧支配者は旧世界を統べていた。
旧支配者は人間を愛していた。
旧支配者は人間を信じていた。
けれど、旧世界は崩壊した。
だから、旧世界は崩壊した。
旧支配者は鏡像を生んだ。
その鏡像を新世界とした。
旧支配者は旧世界に残り、
愛した世界を眺めていた。
暗い光の中を、時空を捻じ曲げながら歩いている。そんな不快感から、段々と意識と呼びうるものを獲得してきたようだ。
僕は呼吸をしている。
僕の無意識が生かしているのか、また誰かの意識が生かしているのか。五感と呼ばれるような明瞭な感覚では無いけれど、そんな気がする。
我思う、故に我あり。
知識も確認できる。現に、言語を介して色々と"思って"いるのだから、それなりに人間として機能しているのだろう。これは、躊躇うことなく受け取ることができる。
だが、何かが足りない。
残された雑多な知識から判断するに、いわゆる記憶障害であろうか。汎用的な知識はあれど、個人的な思い出が見当たらない。
頭が冴えてきた。
視覚や聴覚こそ機能していないものの、確かな身体の存在を感じる。重力場に確かな居場所を感じる。
事故に遭ったのだろうか。
証拠となるような記憶は無いけれど、身体に異常をきたしたのは間違いないだろう。
あの不快感はもう消えた。
目蓋に微かな温かみを感じる。そして、ぼんやりと空気の振動を捉えてきた。初めての経験ではない感覚。交通渋滞を起こすことなく情報が集約される。
ゆっくりと目を開ける。
伝達先の筋肉が寸分の狂いもなく、反応する。瞳孔の調整にこそ多少の時間はかかったが、明るい光を知覚する。
茜色に近い木材の壁が四方を囲む。もう少し暗い木材の天井から地面に向かって伸びているレンガ造りの部分は暖炉に繋がっている。
全体的に北欧風であろうか。どこか懐かしい雰囲気の暖かい部屋だ。その部屋の暖炉の前のソファーの上に横になっていた。
頭は冴えたと思っていたが、実際に多様な情報に晒されると、まだ完全に機能していないことが分かる。
何を考えればいいのか忘れてしまって、ただ呆然とする。
窓から外が見える。黄昏か東雲か。空が茜色に染まっている。壁が茜色に見えたのも、この薄明のせいだったのかも知れない。
ガチャッとドアノブが回転する音がする。少女。歳は十四くらいだろうか。黒いワンピースを着ている。髪は瑠璃色だ。
僕と目が合うと驚いて、一瞬迷いつつも、ドアを閉じては失礼だとおもったのか、薪だけくべて帰っていった。
ドアが閉じる音を聞いてから、会話しなかったことを後悔した。声が出るかは分からないが、試してみるべきだった。
けれど、すぐにドアに手がかかる音が聞こえる。彼女が誰かを呼んでくれたのだろう。
ドアが開く。けれど、なぜかボーッとしてきた。体調が思考に追いつかなかったのか。とにかく眠気のようなものに襲われて、気を失ってしまった。
少女ではない、壮年男性のような人影をぼんやりと認識しながら、目蓋は再び閉じてしまった。