16話
凪ぃがいなくなって随分と時間が経った。その頃からだろうか、凪ぃと過ごす当たり前の時間が僕の日常からすっぽり抜け落ちたことと関係あるのかないのか、僕にはちょっとわからないけれど、日々の生活への感度や手触りみたいなのもの鈍くなっていくような気がして、今その時、への集中や関わりがひどく希薄になっていった。凪ぃの家の煌びやかな蔵書はその輝きを日ごとに失っていったし、自分の足でかき集めたバスケ関連の書籍もただの紙の集積と化し、羨望の眼差しで食い入るようにみていたバスケの試合映像も色あせて見えたし、合間に味わうお茶とお菓子も味気ないものに感じられた。
凪ぃの家でさえそんな調子なのだから学校では目も当てられない有りようで、周囲の人たちの行為や会話が自分とは遠く隔てられた世界で起きている出来事のようで一切の興味と関心を払わず、そのわりに自分に少し関係のありそうな話にはやたら敏感に反応しては苛立ちや焦りを覚えたりそれを避けるために見下したり見限ったりするような態度に終始した。傍からみたら、醒めた態度で常に一歩距離を取り、踏み込むこともなければ踏み込ませることもない、誰とも何とも関係を持とうとしない傍観者。
人や物を含めた外界からの刺激に反応せず、また刺激自体を拒絶するような態度が常態化していくと、感覚も感性も感受性も朧になっていく。経験というものを何も積まなければ、ゲームの世界などではレベルが上がらず現在の状態が維持されるのみだが、現実の世界では現状の維持すらできずにただひたすら堕落という退化の道を下っていくことになるのかもしれない。僕は自分の思考能力や記憶力が低下していくように感じていたし、自分の情操力みたいなものも鈍磨しているよう思えてしかたなかった。またそのことに薄々気づいているのに、自分からどうにかして歯止めをかけようとも思わなかった。一切の能動性は失われ、ただただ受動的。そのくせ撃ってもろくすっぽ響かない。ただなすがまま、時間の過ぎるに任せていった。
自分が鈍化していったことで良い面と悪い面があった。悪い面は挙げるとキリがないので良い面を取り上げれば、受験の失敗という中学三年生にとっての一大事を、ショックは受けつつもどこか他人事のように受け流せた、ということだろうか。がそもそも、鈍化現象がなければさすがに受験高全てに落ちるということもなかった気もするので、淵源を辿ってしまうと良い面なんかありはしないのかもしれない。
同学年の中で中卒という肩書を担って卒業を迎えることになったのは僕一人だった。長い物に巻かれては多数派の影にひっそりと身を隠して生きてきた僕が、僕だけ、オンリーワンという状況になったのは生まれて始めてのことかもしれない。
そんな境遇で卒業式を迎えるとなると、普通なら座ってるだけで針のむしろなのかもしれないけど、僕は針に反応する痛覚が麻痺に近い状態なので、ただぼんやりと式を消化した。会ったこともなければ顔も知らない遠い親戚の法事にでも参加しているような、あるいは痛みもなにも感じない魂だけになった状態で自分の葬式に参列しているような、そんな錯覚すら覚えた。けど、号泣している生徒もいたので、ああこれは自分の葬式ではないな、と現実に引き戻された。自分の葬式で涙を流す人間など、いるはずもないだろうから。
卒業式に、母の姿はなかった。耐えられなかったのだろう。それなりの成績を保ち続け、それなりに誇りに思っていた我が息子が、よもや中卒という肩書で卒業することになるとは思いもよらなかったはずだ。同級生やその親たちからどんな目で見られるか、好奇や蔑みや憐みの視線に晒されることを思えば、欠席もやむを得なかったのだろう。僕自身、母親の不参加には何も思わなかった。何より、家での母の様子を見れば、それも仕方ないというか当然のことだった。母はある意味、僕以上に絶望に打ちひしがれていたのだから。
受験失敗に対し怒号や叱責、難詰などをトゲと毒をふんだんにまぶして僕にぶちまけてからは、一転して矛先を内側に向け「なぜこんな事になったのか、なぜ自分だけがこのような目にあわなくてはならないのか」をひたすら自問、自答なき自問自問を繰り返し、抱えきれなくなった自問を吐き出すようにため息をもらし続けた。家の中の空気がため息で圧しつぶされるのではないかと思えるくらいに。
そんな家の空気に耐えきれなくなり、それまで息子の受験失敗というまさかの事態におろおろと困惑するばかりだった父が、今後の僕の進路について切り出した。
「それで少しは気持ちも落ち着いたか?」
声のトーンから瞬間的に見切ることができる、切り込みの浅さ。引け腰もいいところで、いつでも後ろへ退却できるような踏み込みの甘さだった。たぶんすっとぼけようと思えばいくらでもできるだろう。
「うん、まあ」
表面的には落ち着いてるけど、深い部分ではまだ傷が塞がっておらず生乾きの状態。加えて両親に対する負い目や謝意、自分自身への失望と落胆や反省や後悔など、様々な感情を滲ませて返事をした。声に様々な感慨を乗せてはみたけど、実際には抜け殻で、何の感情も込められてはいない。体面を取り繕うためだけの、上辺だけの見せかけにすぎなかった。
「そうか……それで、どうする?このまま何もしないで家にいるわけにもいかないだろうし、お前もそんな生活を送りたくないだろう」
蜂の巣をおっかなびっくり突っつくように、女王蜂の逆鱗にだけは触れぬよう、僕ではなく母の方をちらちらと横目で窺いながら父は尋ねた。ひょっとしてこの家族会議めいたものは、父が家の空気に押し出されて開催したのではなく、母が裏で糸を引いているのかもしれない。どっちだってかまいやしないけど、どっちにしても、僕は何も決めてはないし、何も決められない。何も感じてないのだから。ただとりあえず、この場をやり過ごすことだけを考えていた。
「お前がショックを受けてるのはわかるけど、今回はたまたま運が悪かっただけだ。お前がこのことで絶望したりすることは全くないんだ。自信をもっていい。お前はやればできるんだから」
言い聞かせるような励ましの言葉。どこか慰撫するようでもある。そういえば、お前は(あなたは)やればできる、って何度も言われてきたな。そのわりに、何もやらせてもらえなかったような気もするし、それに甘えるように何もやってこなかった。その結果が今の体たらく。そんな自分にすら大して何も感じてないという、救いようのない今の自分。
「まあ今の時代、学歴さえあれば安泰ってわけでもないし、一流企業だって一寸先はどうなるかわからないくらいなんだからな。お前次第だけど、手に職とかつけるのもありかもしれないな。思い切ってミュージシャンなんか目指してみちゃどうだ?」
父なりに砕けた調子でこちらを気遣ってくれたのがわかった。そんな父の気遣いをノータイムで断ち切ったのは、もちろん母だった。
「そんなの駄目にきまってるじゃない!ミュージシャンなんて冗談はともかく、この子不器用なんだから手に職なんかでやっていけるわけないわ!絶対に無理。無理にきまってるわ」
自分でも手に職をつけて生活の糧を得ていく姿は想像できないけれど、想像の糸口すら握りつぶす母の言い草だった。想像の可能性すら叩き潰してしまうような。
「そ、そうか。でもやってみないうちには」
腰は引けて尻もち寸前ながらも、どうにか勇気を振り絞り父は反論する。この時点で、この家族会議が母の差し金ではないことが判明した。これが父主催に見せかけた母主導によるものならば、父は母に噛みつきもしないし甘噛みすらしないだろうから。ただただ母の意見を後押しするか頷くのみのはずだ。
「わかるわよ!いいからあなたは黙ってて。はぁぁぁぁー、まったくもう。嫌んなっちゃうわ。まあお母さんも悪かったわね。失敗したわ。もう少し、他の学校も検討すべきだったわね。二次募集はまともな高校もほとんどなかったし、お母さん、そもそもあなたが二次募集にまわるなんて思ってもみなかったからどうしていいかわからなかったし」
当初の希望受験校に全て落ちたので、次は二次募集に臨むことになったのだけど、母のいうまともな高校の二次募集はかなりの高倍率が予想された。僕は、つい先だっての受験失敗という経験から何も学ぶことなく、母の決定に従い、そこを受けた。結果、予定調和のように不合格の烙印を押された。
「あなたが全部に落ちるなんておもってもみなかったから、そもそもあなたがちゃんと勉強してると思ってたから、あなたができると思ってたから、あなたが……今さら言ってもしょうがないわよね。ほんと、お母さんも悪かったわ。あなたが……いえ、お母さんが悪かったのね……でも」
整理がついてはないのは明らかだった。責任の所在をどこに押し付けるべきか、責任を突き詰めることなくどこなら安心して押しつけられ、押し込めておけるのか。それを探しあぐねているような印象だった。
「いいわ。今さらいってもしょうがないわ、大事なのはこれからよ。あなたはまだまだ若いんだから。でも、手に職とかそういうのは置いておくとして、やっぱり通信制の学校経由で大検、っていうのが一番現実的かしら。通信制なら四月からじゃなくても入学できるし、一年浪人して来年あらためて入りなおすより近道だし、あなたも精神的にそっちの方がいいんじゃないかしら?」
無数にあるはずの選択肢をあらかじめ大幅に削った上で、母は選択肢を提示した……ように見せかけて、選択肢などないように思えた。一年浪人して来年改めて高校に入学、というのも体面を何より重んじる母の性格を考えれば、ありえないのだと思う。大学で一浪生というは珍しくないけど、高校で一浪生っていうのは悪い方に目立つ存在だろうから。受験には失敗したけど、大検取得目指して奮闘中、の方がご近所への体裁も保ちやすいのかもしれない。
「ね、やっぱり大検がいいんじゃない?余った時間は、ボランティアとかそーゆーの好きでしょ。そーゆーのをやってみてもいいし。運動不足解消にもなるだろうし」
僕に今後への見通しなど何もない。何気なく父に視線を投げてみた。
「そう、だな。焦って決める必要もないけど、お前がそれでいいんなら、父さん応援するから」
寛容に構えつつも、その口振りはどこか同情の色を帯びているように感じられた。僕は場の空気に呑まれ流され甘えるように、母の勧めに従った。
今となってはどうでもいいことだけど、クラスメイトだったバスケ部員たちは、皆それぞれの希望高に合格していた。しかも見せかけだけのバスケ部員だと思っていた彼らは、あれこれ口出ししてくるうるさ型の顧問や先輩たちがいないという環境を逆手に取り、自分たちで独自の練習メニューを考案し、それが彼らの性格に上手く嵌ったようで、僕の中学校の運動部の中ではかなりの好成績を残していた。
街中で一度、それぞれの高校の制服に身を包んだ彼らが、バスケット用品を比較的多く取り扱っているスポーツ店から、わいわいがやがやと出てきたのを眼にしたことがある。別々の高校に進んでも俺ら仲間だよなーということを確認するために、色違いでお揃いのバッシュを高校入学記念も兼ねて買ったのだということが、中学時代と変わらない大音声でのお喋りから漏れ聞こえてきた。新調した学生服をさっそくだらしなく着崩し、喋り方も今時の若者そのものといった口調なので、傍目には眉をひそめてしまいそうな一団ではあるけど、その様子は一見してひどく楽しそうに見えた。本当にひどく、非道く楽しそうに。
僕はといえば、通信制の学校から送られてくる課題に一切のやる気を見出せず、全く手をつけなかった。母に勧められた地域の自然景観の向上という名目の雑草取りボランティアなどにも参加したが、投げやりにやっていたらあれこれ注意され、ただでさえ面倒な無料働きなのに文句まで言われてはたまらないので、二度と顔を出さないことに決めた。
家にいてもすることがないので、母には内緒でバイトをやってみることにした。漫画喫茶のバイト。面接でのねちねちとした質問の仕方から既に嫌な予感はしていたが、職場環境は最悪だった。暗く淀み、鬱屈した掃き溜めのような場所に僕には思えた。バイト初日の僕に対し、業務内容を教える態度は嫌々仕方なしに、何か疑問点を尋ねれば返答は常にため息まじり。こんなのもわかんないのかよ、何で俺がこいつの相手しなきゃなんないの?というのを隠そうともしない。こんな職場は珍しくもないのかもしれないけど、僕は一瞬で見限った、というか逃げ出した。嫌な環境に耐えるとか、嫌な環境に適応するとか、嫌な環境を少しでも快適なものへと変えていく、などの経験を一切してこなかったが故に、一か月分の給料だけをかすめ取るようにして、その後バイト先のある駅には近づきさえしなかった。
今まで興味を示していた本や漫画や映像に一切食指が動かないので、日がな一日、インターネットを閲覧して過ごした。あらゆる情報が洪水のように氾濫してたけど、楽しいと思えるものはただの一滴も見いだせず、暇つぶし時間つぶし程度にしかならなかった。あまりに暇だったので、普通に生活している人たちの些細な失敗や間違い、勘違いなどをあげつらい、こき下ろす書き込みが氾濫している掲示板を眺め、昼間っからこんなところに書き込みをしてるなんて暇なやつらだなー、と思いながら昼間の暇な時間を過ごしたりした
気がつけば、自分には何もなかった。あらゆることが面倒臭く、目の前のことへほんの一時すら集中できず、外界への興味を失い、経験もしないうちから決めつけて共感など皆無で、自分を防衛するために他人を攻め、他人には興味もないくせに他人と比較ばかりして自分を見失い、気がつけば自分というものがなくなっていた。そもそも自分というものがあったのがどうかすら思い出せなかった。元々、そんなものなかったんじゃないかとすら思える。それくらい、わが身を振り返ると何もやってこなかった。自分はこれをやってきたんだ、というものが何もなかった。そのくせ、周りの人間は何もやってないと決めつけ、自分はそれに比べれば何かをやっているのだと勘違いし思い込んでいた。ある晩、眠れないので壁に背中をついて体育座りでうずくまっていたら、その背中の薄っぺらさと中身の空洞感に寒々とし、心細さと頼りなさに崩れ落ちそうになった。
底が抜けてしまったようだった。あれこれと言葉をこね回してどうにか保っていたけど、自分を守るものが何もなくなり全てを剥ぎ取られ、剥き出しの状態になってみて、自分の弱さや愚かしさを突きつけられると、この先、とても生きていける気がしなかった。既に中卒という一歩も二歩も遅れた状態から挽回しなくてはならないハンデを抱えて、僕のような何もやってこなかった人間が、今現在、会話する相手すら事欠く人間がやっていけるとはとても思えなかった。
生きていて楽しいことは何もないのに、生きている辛さだけは自分の中に朝起きた瞬間から眠りに落ちる寸前までみっちり詰まっていた。外の世界のあらゆることに対して感覚機能が麻痺して薄ぼんやりとして何も感じないのに、自分の胸に巣食う鬱蒼感だけは常に痛いくらいに感じ取っていた。
死のうと思ったけど、死後に生じる世間体やら賠償責任やら迷惑料やらを言い訳にして、自殺という選択からも逃げた。生きることから逃げ出す、自殺という行為すら選べずに逃げ出してしまう人間なのだと、自分を恥じた。自分の馬鹿さ加減は死ななきゃ治らないなと思ったけど、死ねなかった。
その救いようのなさは救いがたく、大地震の復興が思うように進まず家族を失いながらも避難所で懸命に生きている人たちが多くいる中で、自分の住む地での大地震の到来を心待ちにしていたほどだ。大地震なら心置きなく死ぬことができる、そんな甘ったれた一縷の望みに縋っていた。
家族はこんな状態の自分に様々な対応を試みた。腫れ物に触るような繊細でデリケートな対応が響かないと見るや、一転して叱責や激励でやる気を引き出そうするが反応はなし。その無反応ぶりに苛立ちと腹立ちは限界に達し、罵言や罵倒、恫喝なども交えて自分たちの中に溜まっていたものをはき出すが、それすら届かないとなれば、もう途方に暮れるのみだった。どうしてこんなことになってしまったのか、その基点を探そうとするが、そもそも基点などないのだから無駄だった。いつの間にか、気がついたらこうなっていた、後になってからしかわからない、後の祭り。
食事もまともに取らなくなったので、日に日に痩せ衰えていった。病院にも拉致されたが、栄養失調という名目では入院までは叶わない。点滴と精神科のある病院への紹介状を土産にとんぼ返りを余儀なくされた。
何事にもやる気がないのだから、病院通いにも治療にもやる気などなかった。病院は治りたいと願う病人なら治すこともできるけど、治りたいと思ってすらいない病人を治すことはできない。だから僕は治らなかった。受動的な僕は、治らないことにかけてはアグレッシブだった。
とにかく自分の生命力が尽きるか、何か奇跡のような事故や災害が起きて寿命が尽きるか、それだけをひたすら祈り、願った。死にたいというよりは、生きたくなかった。自分が自分であるということに耐えられなかった。自分が自分でなければいい、自分でなければ立ち上がりやり直して生きていけるかもしれないけど、自分である限りは生きていけるとは思えなかった。生きていくには自分を変えなくてはならない。でも自分には自分を変えることは出来ない。他の誰かなら自己変革も可能かもしれないけど、自分のような人間にはそれは叶わない。他ならぬ自分だからわかる。やったこともないしやってもいないけどわかる。そもそもやるつもりがない。やるつもりがない時点で、自分には無理なのがはっきりしている。自分はどうしようもなく自分で、自分でしかありえず、自分である限りは生きていける気がしなかった。
手の施しようがなくなった息子に対し、父はどうしていいかわからず困惑するのみで、母はどうにかしようはあれこれ考えだけは巡らせるも、万策尽きてもう限界とばかりに、ため息をつくことしかできないようだった。家の空気は限界寸前まで淀み、濁り、籠っていた。
もはや歩くのすら面倒になっていた僕は、日がな一日、ほとんどをベッドの上で過ごし、そこが僕の定住地となっていた。とはいえさすがに排泄だけは部屋ではままならず、トイレの時だけは足を引きずるようにして部屋から出た。
トイレの前で、リビングから聞こえてくる声に足を止めた。どうやら僕のような状態になった人間を、一時的に強制入院という形で自殺などから保護してくれる施設を母は探し当てたようだった。強制入院という行為に、母は乗り気ではないものの致し方ない、というニュアンスが通話先の病院関係者との会話ぶりから察せられた。
僕はそれを聞き、寝間着代わりのジャージ姿のまま、サンダルをつっかけて音のしないようにそっとドアを閉め、家を出た。自分から家を出たのに、追い出されたような気分だった。
何で家から抜け出したのか自分でもわからなかった。筋肉も体力も衰え足が鉛のように重く歩くことすら億劫で、地面にサンダルが接地するたび肉が削げ落ち薄皮一枚貼り付いてるだけの骨ばった足裏に痛みが走る。
心も重かったけど、体も同じくらいに重かった。家に籠っている時から肉体の衰えは感じていたし、このまま順調に衰えていけば死ねると思っていたけど、一歩外に出てみるとその衰えは苦痛でしかなかった。体感速度としてはカタツムリにも追い抜かれてしまうんじゃないかと思うほどだった。
そんな状態で、なぜ家から遁走したのか。強制入院させられてしまえば、薬と点滴でとりあえずは生かされてしまうからだろうか。心に死を宿していながら肉体的には生存し、生き長らえてしまうことに耐えられないからか。
理屈だけを学び何でもわかった気になって何にもやってこなかった僕をもってしても、何もわからなかった。わかった気にすらなれないほどに、わからなかった。ただここにいてはダメだということだけが直感でわかり、脳からの指令というよりは心の命令に従って、心のおもむくままに足を動かした。脳からの信号ではなく、心からの衝動。当に死んでるはずの心に、衝き動かされた。
わからないままに歩みを刻み、ようやくその足を止めることを許されたのは、凪ぃの家の前だった。いつ以来だろう。もう随分と前のことのような気がする。昨日のことのような気は全くしない。とにかく随分と前に来た、随分と前に居た、凪ぃの家だった
僕は勝手知ったる手つきで鍵を開け、中に入った。とにかく疲れていたので、へたりこむように腰を下ろした。疲れ果てその場に崩れ落ちただけだったけど、座った場所は、なぜかいつも僕が座っている僕の席ともいえる場所だった。
改めて、部屋を眺め回す。見るまでもなく、僕の記憶に刻み込まれた、なじみ深い光景だった。掃除も換気もされてないはずだけど、空気が澄み渡っているように思え、息苦しさばかり感じていたのに、呼吸が心地よかった。
これからどうしよう。先の見通しなどここしばらく立てたことのない僕が、先のことを心配していた。このままここにいたら、いずれ母がやってくるだろうことは間違いなかった。母に捕まれば、たぶんそのまま強制入院の運びへと至るだろう。そうなれば死んだようになりながらも、とりあえず生命だけは保持したまま、生きさせられる。
生きていたくない僕にとって、生き地獄だ。
ここなのかもしれない。
もし僕が死ぬなら、
僕の死に場所があるとしたら、
ここなのかもしれない。
僕は、そんな風に、わかった気になり、よし実行しよう、と立ち上がろうとした瞬間、視界が揺らめいた。てっきり痩せ衰えた筋肉が踏ん張りきれずに、足元がぐらついてしまったのだと思った。
けど違った、揺れていたのは僕ではなく、凪ぃの家だった。僕の肩を揺さぶるように、しっかりして、ちゃんと目を覚まして、とばかりに凪ぃの家が揺れ、その震動を僕に伝えていた。
しばらくして、ようやく揺れが収まった。収まったとき、僕は机の下にいた。あれほど地震の到来を待ち望んでいたというのに、いざ起きてみると、凪ぃの家に山とある蔵書群が本棚から投げ出される勢いに気圧され、たまらず机の下に逃げ込んでいた。頭を抱え、体を丸め、恐怖に怯え机の下に潜り込んでいた。
結局僕は、死にたいのではなく、ただ生きていたくないだけなのだ。生きることに積極性がないだけで死ぬことに積極的にはなれない臆病者。その情けなさが惨めすぎて涙も笑いも出てこなかった。ただその場に蹲り、自分を抱え込むように頭を膝の間に埋めた。逃げ込んだ、凪ぃの机の下で。
僕が凪ぃの家にいる時、凪ぃは本や漫画を読んだり、チラシの裏に落書きしたり、詳しいことはよくわからないけど工作品や縫い物などの手作業をしたりしていたけど、基本的に僕の真向かいに座り、自分の机にいることはない。そこは仕事や大事な作業をするための机。僕がいる時間帯、凪ぃは仕事はしないので―おかげで僕はある時期まで凪ぃは仕事をしない人なのだと思い込んでいた―この机はいつも空席だ。
空席だけど机にはいつも凪ぃの座っていた痕跡があり、そこで何らかの格闘や奮闘がなされた残滓のようなものがわだかまっていた。走り書きされたメモ群とか、消しゴムのカスとか、筆圧が強すぎて机にうっすらと転写され刻まれた文字や絵の跡などが。凪ぃがそこを走り抜けた轍のようなもの。
だから凪ぃがそこにはいなくても、僕はそこにいつも凪ぃの存在を感じ取っていた。凪ぃはいつも目の前にいるけど、凪ぃの半身はいつもそこに残されているようだった。
咄嗟に僕がその机の下に潜り込んだのは、そんな理由もあったのかもしれない。何かに縋ろうと思った瞬間、そこに逃げ込んだのは必然ともいえる。縋れる相手などいないし、自分の中に縋るものがないのだから。
揺れが収まった後もしばらく、蹲ったまま現実を締め出すように目を閉じていた。部屋の様子を確認するのが怖いし、面倒でもあった。膝の間に埋めた顔をもちあげる気力もなく、恐々と瞼だけを押し開いた。
膝の間から見えたのは、一冊のノートだった。よくある大学ノートじゃなくて、幻想的にも妖しげにも蠱惑的にも禍々しくも見える、なんとも言えない紋様なのか古代呪術めいた文字なのか判然としない装飾がなされた、奇っ怪だけども魅力的なデザインのノートだった。ノートの表紙には「むっちゃん」と書かれていた。
僕はそこに書かれた「むっちゃん」の文字が、自分を指しているのだと気づくまでに時間がかかった。何せここしばらく、どれくらいの間か具体的にはわからないけど「むっちゃん」なんて呼ばれたことがなかったから。僕のことを「むっちゃん」と呼ぶのは凪ぃくらいだから。
もしそこに「むっちゃん」と書かれていなかったら、僕はそのノートを開くこともなかったかもしれない。一冊のノートの中身を確認することすら面倒に思えるほど、何にも興味を持てなくなっていた。
「むっちゃん」という表紙に書かれた文字が、僕を呼びかけてくるような、凪ぃに「むっちゃん」と呼ばれたような錯覚を引き起こし、ノートに手を伸ばした。何せ凪ぃに「むっちゃん」と呼ばれたのに無視しようものなら、かえってその後うっとうしいくらいにぶーぶー言われるだけなので、スルーするわけにはいかない。僕はそういう風に仕込まれていたし、僕の中でそういう風になっていた。自分に定着したフォームのようなものだろうか。
表紙を捲ると、目に飛び込んできたのは、漫画だった。たぶん凪ぃの自作漫画。次のページを捲ると、文章が描かれていた。小説の掌編のようだ。たぶん凪ぃの自作小説。内容や絵柄は、どこかで見たことあるようだけど、どこでも見た覚えはない。どこかで見たいと思っていたけど、どこにも見ることができなかった、そんな風にしか形容できないものが描かれていた。まるで僕の心の中にだけある物語や場面やキャラクター同士のやり取りやキャラクターの思いだったりが、描かれているようだった。体系や系統、順序や配列など関係なしにランダムに書き散らかされていて、思いついたものを取り合えず書いてみました、という印象だ。僕はそこに描かれている中身を面白く思ったけど、他の人が見てどう思うかはちょっとわからなかった。一般的に面白いというよりは、僕的には面白いけど他の人にはどうだろう、という類の内容だった。誰の中にだって、他人と共有しやすそうな好みと、他人とは分かち合い難そうな好みというのが併存しているはずで、「むっちゃん」と書かれたノートの中身は後者だった。
ふと、そこで僕は我に返った。面白い?僕が?何にも興味を失い、痛みや辛さ以外の感知機能を亡くした僕が、面白い?
今の僕が面白いと感じることなんてあり得るのだろうか。本当に僕はこれを面白いと感じたのだろうか?確認のためというより、残っているのかもしれないわずかな感覚を拾い集めるかのように、ノートを捲った。僕はこれを面白いと思っているのか?食い下がるように視線を這わせる。僕にとってこれは面白いのか?何度も何度も、自分に問いかけた。面白い?面白い?面白い?
面白いくらいに何度も何度も、問いかけた。面白い?面白い?面白い?
「面白い?」
凪ぃは、僕がいつもより熱中して漫画や本を読み終えると、決まってそう尋ねた。僕からすれば、ただ普通に読んでいただけなのだけど、凪ぃからは違って見えるらしい。熱中して読んでるときの僕は、眼に星屑が煌めいているのだと言って譲らない。対して熱中してないときの僕は、目がグレーに曇ってるのだと言う。ちなみにどっちでもない時は、地味な眼鏡キャラの眼をしているらしい。
当の僕からすると、面白いと思っている時は文字を追うのに必死でそれ以外の感慨を抱いてはない。読んでいる中身についていくのが精一杯、振りきられないよう、振りほどかれないよう必死で捕まってる、そんな感じだ。だから読み終えたり、一端中断して改めて振り返り、ああこの作品は面白いな、と遅れて理解したりする。
だから凪ぃに「面白い?」と問われて始めて自分が面白いと感じていたことに気づくこともしばしばで、特に読書を始めた当初はそんなのはしょっちゅうだった。
「面白いよ」
歳月を経るにしたがって、素直な自分の感情や好みを曝け出すことに羞恥やプライドが纏わりつくようになってしまい、ストレートに面白いと評することは少なくなった。揚げ足取りみたいな難癖をつけてみたり、持ち上げてるのかけなしてるのかよくわからないもって回った言い回しをしつつも、とりあえずは誉めている。そんな偉そうな物言いをすることが多くなったけど、中には「面白い」としか言えない作品だってある。「面白い」という一言でしか言い表しようのない作品もあるから、そういう作品に巡りあった時、僕は凪ぃにそう伝えた。
「そっか。なるほど、むっちゃんはこういうのが好きなのか。そっかそっかー」
そう言うと凪ぃは、その作品のどういうところが面白いと思ったのかと、僕の興味のありかを掘り進めるように探り当てていく。そこから派生して、じゃあ同じ作者のあの作品は?とか、似た作品だけどあれは?とか、多岐にわたる質問をされることで僕の好みは浮き彫りになっていき、自分でも言われて始めて気づくことがたくさんあった。自分はこういうのが好きなんだ、と改めて自覚させられたりした。
たまに凪ぃから、むっちゃん好みの書いてみたよ、と原稿を差し出される時もあり、それを読み、あれこれと感想を求められ、さらに波及して最近読んだ本や漫画、アニメやバスケ、日常生活のなかで面白いと思ったこと、興味を引きつけられたことを取り留めなく会話したりもした。
僕と凪ぃの会話はどこに収斂するのかわからないので、その会話が徹底的に掘り下げられたりはしないし、脱線してるうちに何の話だったかよくわからなくなったりするのが基本なので、そういう流れでなされた会話は、どこに繋がることもないまま流れていき、やがて立ち消えになっていった。
けど、この「むっちゃん」と表紙に書かれたノートの中身に描かれているのは、凪ぃが僕に「面白い?」と問うことで始まる僕との会話で得られた、だらだらとしたお喋りの中にちりばめられた「僕の好み」の傾向を、結晶化させて漫画や小説という形に結実させたもののように思えた。あの時のあの会話が、ここに描かれているものの中に繋がっているのではないか、ページを捲るたびに、そんな思いが僕のなかに湧き上がってくる。
どのページも面白く、どの物語もどの場面もどのキャラクターも、面白かった。僕の好みが凝縮されていたのだから当たり前だ。当たり前のように僕の好みがみっちり詰まっていたのだから。
凪ぃが僕との会話を参考に、僕の好みを炙りだし煮詰め丹念に灰汁を掬い取り、ようやく出来上がる、僕用のレシピ。
たぶんもっと冷静な状態で、まともな状態で読み返せば、ここはもうちょっとかな?とか、これはドストライクのように見せかけて微妙に外れてるかもしれないとか、いくらでも重箱の隅を突っつくことはできただろう。けど、面白いという感情に随分とご無沙汰していた僕にとっては、どれもが面白く、面白いかと問われれば、「面白い」としか言い表しようがなかった。
僕は夢中になってページを捲り、枯れていた泉から水が湧きあがるように、空洞だった心に感情が満たされていった。汲めども尽きぬ泉から水が湧きあがり溢れかえるようだった。
時間も我も忘れ、ページを味わい尽くすようにじっくり、読み込んでいった。じっくり読んでいるはずなのに、たちどころに自分の中に空間や時間やキャラクターが立ち上がって沁み込んでいく。ただただ面白く、面白いこと以外は何もわからなかった。
無我夢中でわけのわからないまま読み進め、最後のページへと辿り着いた。終わってしまったという寂しさを残し、ノートを閉じようとすると、ノートの裏になにか文字が書かれていた。
むっちゃん用、チーズケーキレシピ
そう冠されて、チーズケーキを作るための個々の材料やその分量、オーブンの時間や温度設定が、こと細かに記されていた。一般的なチーズケーキのレシピとの違いがわからないけど、わざわざレシピとして残されてるのだから、これも僕好みの味付けに一工夫なりひと手間なりがさかれているのかもしれない。
僕は何か心にもやもやを抱えた時、かならずといっていいほど凪ぃのチーズケーキを食べてきた。お茶の時間の少なくとも五割はチーズケーキだったけど、他のものに浮気することだってちょこちょこはあった。それでも、なにか心に靄ったものを患っているとき、かならず食べるのは凪ぃのチーズケーキだった。凪ぃはそれを心得ていて、いつもチーズケーキを常備していてくれたし、何も言わずにチーズケーキを差し出してくれることもあった。
ある時、雑誌の記事を見ていた凪ぃが言った。
「知ってるむっちゃん?ケーキって冷凍できるんだって?なんかケーキと冷凍って結びつかないよねイメージ的に」
「ケーキアイスとかじゃなくて?」
「それはアイスでしょ。そーじゃなくて、ケーキそのものを冷凍しておくことができるんだってさ。なんか冷凍ってすごいね。ケーキから精子まで保存できるんだから」
「……そういう括り方されると、冷凍したケーキは絶対に口にしたくないな」
「なんで?いーじゃん。精子は人間を構成する上で絶対に必要なものだし、ケーキだって人間を構成する上で絶対に必要なものって意味じゃ同じでしょ」
「しょっちゅうチーズケーキ食べてる僕が言うのものなんだけど、ケーキは人間を構成する上で絶対に必要なものではないでしょ」
「毎日のようにチーズケーキを食べておいて、どの口がいうかって話だね」
「仰る通りなんだけどさ」
「まーだからさ、ケーキ的なものが必要ってことだね、誰も彼もが。生きてく上でそれぞれ必要としてるものがあるんだよ、きっと。風呂上りの一杯のビールとかさ、縁側で飲む一杯のお茶とか、ワイングラスになみなみと満たされた美女の生き血とか。むっちゃんにとってはたぶんチーズケーキなんだね。そういうのって時間とともに必要じゃなくなったり、対象となるものが変化していったりするんだけど、今のむっちゃんにとってはきっと、チーズケーキがそれなんだね」
「そういうものなのかな?凪ぃにとっての愛すべき蔵書群みたいな?」
「そーなのです!」
それから凪ぃにとって、命の源となる蔵書群の数々のお披露目会が始まった。僕がお腹一杯で吐きそうになるくらいまで説明しつくすと、凪ぃは満足した顔になり、さりげなく見ていた雑誌の記事をメモしていた。
そのメモの中身が、チーズケーキのレシピの欄に記され、ベストな解凍時間と温度設定が書き足されていた。
僕は、凪ぃが残してくれたものを手繰るように、冷蔵庫の前に立ち、冷凍室を開いた。
鎮座していたのは記憶の深い部分に刻まれた、記憶の彼方に追いやられた、チーズケーキだった。
僕は記された時間と温度設定で解凍をセットし、解凍し終えるまで、再び「むっちゃん」と書かれたノートを読んでいた。オーブンの音と、紙を捲る音だけが部屋の空気を震わせていた。
ノートに没頭していると、チンという音が僕の集中にしおりを挟むように差し込まれた。
僕はオーブンの扉を開き、チーズケーキを取り出し、ケーキ用の包丁で、ワンピースだけ切り抜いて、皿に乗せた。この家での作法に倣うのならお茶を用意すべきだけど、そんなことに構う余裕は今の僕にはなかった。
凪ぃこだわりのフォークで一口分だけ切り、掬い取るようにして口に運んだ。
懐かしい味とともに、僕のなかで何かが漣のように広がり、幾重もの波紋が干渉しあうことで渦を巻き、やがて爆発した。
瞳に水が張られ、水位が増し、滴が膨らみ、溢れ出るように涙が零れ出た。あとからあとから、こらえようもなくこんこんとわき出てくる。
舌の上でチーズケーキが語りかけてくるようだった。
こーゆーの好きでしょ?みたいに決めつけるような押しつけがましさはとは異質な、こうゆう味付けなら美味しく食べてもらえるかもしれない、これくらいの舌触りなら口に入れた瞬間に優しくほどけるような口当たりで心地よく感じてもらえるかもしれない、この香りなら風味だけを残して刺激が強すぎないから程よく感じてもらえるかもしれない、このチーズケーキなら好ましく思ってもらえるかもしれない。様々な思考と実践による試行錯誤の繰り返し、その足跡が一切れのチーズケーキに刻み付けられていた。僕の好みにあうように、作り手が考えに考え、練りに練り、振る舞って示した反応を余さず感知し、感知したものをフィードバックさせては考え、練り、また振る舞う。その繰り返しの果てに辿りついたチーズケーキ。幾度となく僕が口にし、血となり肉となり、骨身になったチーズケーキ。
それは調理本に掲載されているレシピどおりに分量を量り、型紙通りに合わせて作るハンドメイドまがいのものとは一線を画していた。自分の想像の限りを尽くし、それを形にし、形にしたものを外部に試し、外の世界に晒された結果を真摯に受け止め、受け止めたものを次の考える材料にし、より良きものを自分の手で築き上げていく。
凪ぃが繰り返したであろう思考と実践と経験。僕の口に合うよう、子供の頃、甘いものをほとんど受け付けなかった僕の口に合うようにデザインされたチーズケーキ。僕のために、僕のことを祝福するようなチーズケーキ。僕はチーズケーキに、あなたは存在していいんだよ、この世界で生きていいんだよ、そう言われているようだった。
生きたくなんかなかった。けど、死にたいわけでもなかった。生きていたくないだけ。でも、本当は、生きていけないから生きたくなんかないってだけで、生きていけるものなら生きていきたかった。
けど、生きていけないから生きたくない、そんな甘ったれた考えに支配され、不貞腐れたみたいに何もせず、必死で生きようともしない自分が、生きていきたい、生きたい、なんて思うことは許されないと思っていた。生きようともしない自分が生きたいなんて思うこと、許されるはずもなく、だから、生きたくなんかない、そう思い込もうとして、ただ死ぬことだけを願った。自分勝手に。人のことなど考えず。
なのに、チーズケーキが、凪ぃが言ってくれた。生きていいんだよ。生きたいと思っていいんだよ。僕に息を吹き込むように、チーズケーキが内部から沁み渡るように語りかけてくれた。
僕はもう、自分の思いを否定できそうになかった。
外部から侵入した思いが内部で膨れ上がり、膨張したものが内部で一体化し、まるでそれが最初から僕のものだったみたいに馴染んでしまっている。生きていいんだよ、生きていいんだよ。
まるで自分で自分に語り聞かせでもしてるみたいだった。生きていいんだよ、生きていいんだよ。そんな風に言われたら、そんな風に自分で言ってしまったら、その思いは隠しようもなく透けて見え、こらえていたものをぶちまけるように曝け出されてしまう。
生きたい、生きたい、生きたい。
荒れ狂い、発火し、煮えたぎり、湧きたち、発現する。生きたいという思いが、生き場とぶつけ所を求めて暴れ回る。
行きついた先は、自分と、世界。自分と世界に向けて、全身全霊の想いで思いをぶつけた。
生きたい、生きたい、生きたい。
今さら自分のような人間がそんな思いを抱くことが許されるのか。わからない。けど少なくとも、チーズケーキだけは許してくれた。生きていいんだよ、と。
チーズケーキが発行してくれた許可状と免罪符を噛みしめて、僕は喰いしばった歯の隙間から絞り出すように、思いの丈をぶちまける。
生きたい、生きたい、生きさせてくれ。
やがて汲めども尽きぬと思っていた涙の奔流が収まり、乾き、枯れていった。涙に滲んだ視界が徐々に鮮明さを取り戻し、ずーっと幕を張ったように朧だった世界がクリアに晴れていった。
滂沱の涙のせいで汚れてしまった眼鏡を、凪ぃにもらった眼鏡拭きでひと磨きし、再び世界を見る。ピントが調節されたように、視界の解像度が上がって世界が見えた。今まで輪郭だけのぼんやりとした線でしかなかったものが、多方面からの力強い光で照射されくっきりと奥行きをもって立ち上っていく。
蘇っていく凪ぃの家の風景。懐かしいけど、生まれかわって初めて見るような風景。
その風景と共に、立体的に立ち上がる一つの像。風景を背景にしていくように、点から線、線から面へ、やがて像となって浮かび上がった。
「あー、めんどくせー」
そんな、気だるげな口振りで、後頭部からちょびっとだけはみ出ている襟足をガシガシと掻き乱しながら、目の前に、僕の前に立っていた。
「ったく、めんどくせーな。でもま、よかったじゃん」
君は誰?まっさきに聞くべき言葉が出てこない。風のように颯と目の前に出現した男の存在に、思考も理解も追いつかず、言葉も語句としてまとまらない。あ、とか、う、とか、原始のうめき声みたいな字句を発するのが精一杯。
「許されたんだろ。他人とまともに接触してないからだーれからも許してもらえなくて、自分すら自分を許せなかったのにさ、チーズケーキと、そのノートに描かれたものを通して、許してもらえたんだろ?生きてもいいってさ、息してもいいってさ」
そうなのだろうか?本当にそうなのだろうか?
単なる思いこみなんじゃないか。自分が腹の内でそう思っているからそう思えるだけなんじゃないか。でも、けど、それでも、そうだけど……そうとしか思えなかった。生きていいと言われたようにしか思えてならなかった。
「んで、許してもらえてはじめて、ようやく、生きたいって思えたってわけだ。心の奥底にはずーっとあったのに、心が曇りきって見えなくなってた本心が、ようやくはっきり、見たくなくても見えちまうんだから仕方ないってくらいにはっきりと、見えちゃったってわけだ」
否定しようと思っても、否定できないくらいにどっかりと存在感をもって僕の心の中心に居座っている思い。生きたい。
「んで、それがあったから俺が出てきたってわけ」
僕の心と会話するように、胸に湧く思いや考えに呼吸を合わせて会話を接いでくる目の前の男。
「君はだれ?」
ようやく、言うべき言葉が出てきた。
「俺か?俺は雲人。ただし実在はしない。俺はお前にしか見えない」