14話
凪ぃとバスケをしないようになって、どれくらい経っただろうか。僕にとってのバスケは、凪ぃと一緒にスタートを切ったので、凪ぃと二人でやるのが当たり前だった。だけれど急に凪ぃが姿を消したもんだから、僕は急遽一人でバスケをやる羽目になった。
凪ぃとのバスケと違い、一人でのバスケは練習の進み具合というでは流れ作業のようにスムーズにことが運ぶのだけど、どこか機械的にこなしているような味気ないものでもあった。
日々の練習を重ねるごとにバスケをプレイすることへの意欲が減退していくようでもあって、何度も今日はもうやめてしまおうかという思いが頭を掠めた。
けど僕にはマイナー漫画を馬鹿にしたバスケ部員に一撃を見舞わせるという目標もあったし、バスケをやめてしまえば、凪ぃとの接点が薄れていき、このままだと凪ぃとの繋がりがどんどん失われていくようで、しがみつくようにただ黙々と一人でのバスケを消化した。
専門的な指導のもと取り組んだものではないにしろ、ある程度の期間、学校のある平日は毎日練習を積み重ねたという事実は、僕にそれなりの自信を与えてはいた。何はなくとも自分はやってきたのだという、密やかな自信。
単に体を動かしてきただけではない。凪ぃの家にいる間、以前のように目を爛々と輝かせてというわけではないけど、バスケの漫画、個人技術や戦術などのマニュアル本、NBAの試合映像などには、ほぼ毎日何らかの形で触れてきた。凪ぃがいなくなって以来、自分の感受性や思考力、感情の襞が少しずつ錆びついていくようで、没入度合いは減退し、流し見るようなところもあったけど、それでも爪の先っぽを引っかけるようにして、接触するのをやめることだけはしなかった。ここを手放してしまえば、生きる上での縁がすべて失われてしまうかのように。
とにかく言えるのは、凪ぃと一緒にバスケを始め、一緒にバスケをやる凪ぃがいなくなっても自分はバスケをやってきた、ということだ。あくまでそれは自分の中でのことだけど、それでもやってきたという自負はある。
そして今日、その自分の中のバスケが外部に晒されることになる。僕は普段、体育の授業を心待ちにすることなど一切なく、授業の中身が個人競技だろうと団体競技であろうと、とにかく運動全般が苦手な僕にとって体育の授業は疎ましいものでしかない。小学生の頃なんかはよくお腹が痛くなったりしたものだ。最近は上手くやり過ごすというか、団体競技ではひたすら透明人間化したり、個人競技ではどうせ駄目なんだからと最初から自分に期待せず実際に駄目だったときへの予防線を張っておくなど、運動できない奴としての振る舞いを覚えたおかげで、体調にまで支障をきたすということはないけど、それでも憂鬱さが払拭されるわけではない。苦手意識は消えないし、嫌なものは嫌に変わりはない。
そんな典型的な運動音痴の僕が、体育の授業を待望とすらいえるような心持ちで向かえることになるとは、自分でも思いもよらぬことだった。積み重ねてきた自信、がそうさせたのだろうか。
今日からしばらくの間、体育の授業はバスケをやることになる。一年生、二年生時は屋内球技はもっぱらバレーボールだったので、僕にしてみればようやくというか、待ってましたというか、ある意味でナイスタイミングともいえた。バスケの練習に取り組んで、三年目ともなればいくら僕でも少なからずの自信は手にしていた。ひょっとしたら、バスケ部員とはいえおそらくほとんど真面目に練習などしていない彼ら相手なら、それなりにわたり合えるのではないかと思ってしまうほどに。
彼らバスケ部員たちが本当に真面目に練習に取り組んでいないかどうかはあくまで僕の推測でしかないけど、日々の生活態度や彼らの性格、漏れ聞こえてくるバスケに対する向き合い方、などから察するに、僕の見立てはそうそう間違ってないように思えた。であるとするならば、つけいる隙は十分あり、勝機もなくはないはずだ。
そんな僕らしくない意気揚々たる気分で体育着に袖を通し、体育館に足を踏み入れた。前半、授業の進行に沿って基本的なプレイを滞りなく行っていく。通常であれば、こういった基本の動きなどにイチイチもたつく僕だけど、今日だけは別だ。この程度は目を瞑ってもお茶の子さいさいとばかりに、何気ない風を装って軽やかにこなしていった。
そして後半は、自分にとっていよいよ本番だ。大袈裟にいえば勝負の時。自分のやってきことが試される。
いざ試合開始。
結果は散々だった。バスケど素人に比べれば、いくらか見れるものだったかもしれない。でも、バスケ部員たる彼らと比べれば、その実力差は明らか。それどころか比べるのもおこがましい、という有様だったと思う。
周りからは、意外とバスケ上手いんだねとか、バスケ部員でもないのにやるじゃん!とか、中途半端な誉め言葉をもらったりもしたけど、何の慰めにもならない。勝手にライバル視していた当のバスケ部員たちからは、俺ら本職とは違って独特な動きで結構面白かったよ!とかどこか見下したような権高なご感想を賜わることになった。
他人の言葉をねじくれて受け止めすぎかもしれないけど、正直周りから何を言われても関係ない。他ならぬ自分が一番よくわかっている。始めは凪ぃと一緒に、途中からは一人で、モチベーションや集中度、効率性や有意性に浮き沈みはあっただろうけど、それでも平日は毎日のように身体と頭でバスケと触れ合ってきた。にもかかわらず、日々の生活の中でバスケに一切触れることがないど素人と比べればマシ、本腰いれて練習しているとは思えないチャラいバスケ部員には鼻であしらわれてしまう程度。自分のやってきたものはそんなものなのだ。どんなに自分はやってきたとプライドをもっていても、そんなの周りと比べてしまえば埃のように軽く吹き飛んでしまうものにすぎない。
実際、運動神経に優れたバスケど素人のサッカー部員あたりの方が、いいプレイをしていたかもしれない。結局、才能ない奴がどんなにやってみても、才能ある者には敵わないのだろう。比べてしまえば月とスッポン、天と地ほどの差があり、そんなことはやる前からわかりきっていて、であるならば最初からやる必要もなく、やらない方がいい。
それでも、最後っ屁でもかますみたいに、やけくそでアンブロッカブルシュートを放ったら、バスケ部員にあっさりとブロックされて、僕はその場に立ち尽くした。
自分の出番が終わり、茫然とコートを眺めていると、ピーッという試合終了の笛。重なるように授業終了のチャイムが鳴った。
その音は音叉のように僕の脳髄にキーンと響き、記憶を揺さぶった。
「やっぱり向いてないのね、あなたには」
そんなこと、母に言われなくてもわかっていた。
毎年、前日どころか二週間前くらいから憂鬱な運動会。本番前にさんざ練習やリハーサルなんてものまで行うので、自分が出場する競技における自分の立ち位置というか、どういう結果が待っているのなんて本番前からわかりきっている。のだけど、実際の本番で結果を突き付けられると、それなりに落ち込んでしまうのは、諦めているはずなのにひょっとしたら……なんて見苦しくも甘い期待をどこかでしてしまっているせいだろう。運動会は毎年そんな調子で、二週間程前から憂鬱と諦めに支配され、本番では諦めつつもよせばいいのに性懲りもなく幽かに期待をしてみて、結果として散々に打ちのめされて予想通りに失望し失意に暮れる、みたいな流れになる。
今年もおおむね、例年通りの流れに沿って進行していったわけだけど、少し違ったのは全員リレーという文字通り全員参加の競技でのことだった。
どの種目も苦手なことにかわりはないけど、全員リレーは全校生徒が参加するので、場合によっては自分が走る時に一緒に競って走る相手が下級生ということもありうる、僕にとっては厄介極まりない競技だ。競って負ける相手が上級生なら問題ないし、同級生であっても仕方ないけど、それが下級生となると事情はかわってくる。ただでさえ走るのが遅く、走行フォームも運動苦手なのがひと目でわかってしまうくらいなのに、下級生と並んで比べられてしまうとみっともなさが倍増しになってしまう。だから僕は毎年願う。全員リレーで下級生とぶつかることのないようにと。けど今年は願い空しく、下級生と相まみえることが決定済み。となると運動会本番の日に学校に隕石が墜落しますようにとかそんな大それた願いはもうさすがに諦めたけど、何とか下級生相手に格好つくくらいにはさせてほしいと願ってやまない。ちなみに練習とリハーサルを含めた通算成績はゼロ勝五敗。五戦して、抜かれること三回、差を広げられること二回。
もう半分諦めきってるけど、それでも本番ではなにが起こるかわからない。だから、傍から見ればみっともない走りっぷりで見苦しいのかもしれないけど、自分なりに精いっぱいやってみた。
運はよくなかったと思う。僕にバトンがまわってきたとき、状況は一進一退のデッドヒート。リレーという競技は大差がつけられた状況でバトンを託されると気楽なのだけど、競った状態だと荷が一気に重たくなる。
そんな気持ちも足取りも重くてしょうがない状況で、僕はわずかに鼻先ほどのリードという場面でバトンを受け取った。歯を食いしばり、とにかく抜かれないようにという思いで駆け抜けた。全力どころか、自分の中では死力を尽くすくらいの勢いで。
結果は、周りからどう見えたのかわからないけど、自分なりに手ごたえを感じられるものだった。抜かれることはなかったし、気のせいかもしれないけどほんのわずかながら差を広げられた、ような気がする。きっとそうだ。そうだといいな。
何より、自分の足で走った経験の中で、今日の走りが一番速く走れたような、そんな気がしていた。きっとそうだ。そうってことにしておこう。根拠のない勘違いは明確にせず曖昧なままそっとしておくに限る。
午前の部最後の競技である全員リレーを無事に終え、無難にこなせれば御の字と考えていたのが思いもよらず好結果で終えることができ、誇らかに両親が昼ごはんを携えて待つ観客席へと向かった。シートを敷き、座っていた母が開口一番、僕に言った。
「あの一緒に走ってた背の小さい子、下級生でしょ?体育着の色も違ったし。下級生相手に抜かれるんじゃないかって冷や冷やしっぱなしだったわ。下の子相手に抜かれたら、正直ちょっと恥ずかしいものね」
冷や水でも浴びせられたかのように、僕は硬直した。
「やっぱり向いてないのね、あなたには」
他と比べてしまえば、ぱっとしない、見栄えのしないものかもしれないけど、それでも僕は僕なりに、自分の中では精いっぱいの限りを尽くした。けれども母からすれば、そんなのは何の足しにもならないもののようだった。
「まあ別に運動できないからといってどうということもないしね。向いてないものにこだわることもないし、あなたはその分、勉強で挽回すればいいわよね。そっちの方が向いてるってことでしょ」
勉強に向いてるかはともかく、運動に向いてないのは確かだと思う。けど、向いてる向いてないに関係なく、自分のなかでは自分なりに向き合って自分なりに取り組んだ。それを足蹴にされた気分だった。
キーンコーンカーンコーンという間延びしたチャイムの音が、疲れた体にズシリと響き、その音は少し先の記憶に響き渡った。。
「おつかれ」
運動会も終わり、鳴り響く学校の鐘の音に押しつぶされるように肩を落として帰路につく僕の背後から、労いの言葉が投げ掛けられた。
「きてたの?」
礼を尽くすのであれば「きてくれたの?」と言うべきだろうけど、凪ぃ相手だと気恥ずかしいし何よりそんな気分でもなかった。
「うん、ちゃんと見てたよ」
自分の手を双眼鏡のように形作り、目の部分にあてがって僕の方へと向けてくる凪ぃ。
「気づかなかった」
うそぶいてはみたものの、凪ぃの声はちゃんと届いていた。面はゆくなってしまうくらいにむっちゃんむっちゃんと叫ぶものだから、気づかずにはいるのは不可能だろう。凪ぃだって僕がすっとぼけているのはわかってるだろうけど、それには触れようとしない。
「そっか。気づかなかったってことは、脇目も振らず一心不乱だったってことかな」
そこまで熱中していたかはともかく、必死だったのは確かだ。ただでさえ運動神経のない僕が、余裕こいてたら見れたものではないだろうから。
「実際よくやってたもんね、今日のむっちゃん。特にリレーときたら、ちょっぱやでびっくりした。下級生の子に抜かれそうとかため息ばっかついてたからどーなることかと思ってたけど、全然よゆーだったじゃん。抜かれるどころかリード広げてたし」
誰からも指摘されなかったので、差を広げたというのは自分の願望がもたらした錯覚なのだとばかり思っていた僕は、まるで新しい発見をしたかのように目を見開いた。
「まー抜かれる抜かれないとか関係なく、ハイスピードむっちゃんだったよ」
「速くなんかないよ。ギリギリ下級生に抜かれないくらいなんだから。同級生と比べたら全然遅いし」
卑屈になりすぎない程度に、僕は自嘲した。
「そんなの関係ないよ。むっちゃん自身がどうかって話なんだから。周りと比べてなんかじゃなくてさ。今日のむっちゃん、むっちゃんの中で史上最速むっちゃんだったもん。あんなにスピードに乗ったむっちゃん見たの、わたし初めてだよ。あんなにもアクセルべた踏みノンブレーキな顔つきのむっちゃん。自分のなかの最大速度を出すんだって顔が語ってた。スピード違反なんかくそ喰らえ!って」
ギアを最速にしてたのは事実だけど、それはあくまで僕の中の最速であって、傍から見れば安全運転を心がけすぎて逆に危なっかしいくらいの速度だったはずだ。
「そんな顔してたのに、空回りしてるみたいな速度しか出てないんだから、さぞ周りからはみっともなく映ってたんだろうね」
口端を歪めて、吐き捨てるように言った。
「周りと比べてとか、周りから見てとか、関係ないよ。むっちゃん自身はどう感じてたの。自分としてはどーだった?手応えあったんじゃないの。むっちゃんの体感速度はどうだった?自分史上、かなりの速度だったんじゃないの?」
手応え。体感速度。走り終わった直後、確かにそれは僕の中にあったような気がしたけど、昼休みあたりから、指の間からさらさらと砂が零れ落ちていくように自分の中から失われ、白昼夢のように朧げな記憶になってしまった。経験なき者にありがちな根拠のない勘違いにすぎず、願望が見せた錯覚にすぎなかっただろうとしか思えない。
「どうかな……わかんない」
初めっからそんなもの嘘っぱちだったのか、あるいは確たるものとしてあったのにかき消されてしまったのか。ほんの少し前のことだけど、遠い過去の出来事のような気もして、僕自身よくわからなくなっていた。
「ったくもー、しょーがないな。周りと比べたり、周りからどう見えてるかばっか気にしたり、周りばっか見てるから自分のことが見えなくなっちゃうんだよ。自分をちゃんと見てあげなきゃダメだよ、むっちゃんはむっちゃんを見る目が、む雲っちゃってるよ」
僕は自分を見るとき、どんな風に見てただろうか。色のついた眼鏡をかけて見るように、誰かの眼を通して自分を見てしまってはいなかっただろうか。けど、等身大の自分を見つめるためには自分を客観視する必要もあるだろうし、主観だけではかえって過大もしくは過小に自分を歪めてしまうことだってある。
「他の人からどう見えているか、っていう意識は持ってるに越したことないけど、自分が自分自身をどう見て、どう感じているかは、絶対に忘れちゃだめだよ。そこを置き去りにしたら、自分が自分であることすら忘れちゃって、しまいには自分という存在をないがしろにしちゃうから」
僕は凪ぃが僕の眼鏡を手に取り、曇りを拭ってくれるのを予感して、待ち構えてすらいたのだけど、一向にその気配を見せない。
「ここはむっちゃんの曇りを拭きとってあげたいとこなんだけど……ふふふ、今日はその必要もないのだよ」
含み笑いをする凪ぃ。話の行先が見えてこない。
「眼鏡拭きなんて必要ないよ。だってこれを眼にすれば、むっちゃんの曇りは吹き飛んじゃうからね。自分が傍からみてどんな風に見えてたか、これを眼にすればあの時あの瞬間、周りから云々じゃなくて、他ならぬむっちゃんがどう感じてたのか、一目瞭然ですな」
でもなー、どーしよっかなー、これわたしだけの宝物にしておきたい気もするんだけどなー、などともったいつけながら、いつもなら眼鏡拭きを取り出す胸ポケットから、一枚の写真を切り札のように僕に差し出した。
「……なるほど。よくできた合成写真だね」
つとめて冷静に、僕は言った。もしかしたら喉は引き攣り気味で、声は上擦り震えてたかもしれない。なにせそこに映っていたのは、小さいながらも、目立たないながらも、控えめながらも、遠慮がちながらも、申し訳程度ではあるけど、確かに拳をぎゅっと握り締めているリレー直後の僕の姿だったのだから。怒りの拳を握りしめているわけでもなければ、ジャンケンしているわけでもない。それは間違いなくガッツポーズに他ならなかった。
「わたし、むっちゃんをからかうために努力は厭わない方だけど、さすがにこの短時間で合成写真を作るほどではないよ」
「そりゃそうだろうけど、これ本当に僕?」
この冴えない眼鏡の人物は、毎朝うんざりするくらいに鏡の前で見慣れた、僕でしかありえないのだけど、僕がガッツポーズみたいな感情を露出する姿を晒していることが信じられない。それこそキャラじゃない。けれども、そのガッツポーズがどこか様になってないあたり、非常に僕らしい。僕であって僕でない、僕でなくて僕でしかない。そんな決定的瞬間を切り取った写真だった。
「むっちゃん以外にこーんな地味ぃーで、ちんまいガッツポーズする人いないでしょ。むっちゃんらしいとしかいえない、むっちゃんなりのガッツポーズだね。むっちゃんポーズと名付けてしんぜよう」
僕をからかうために努力を厭わないだけあって、凪ぃは僕のからかい所をピンポイントに攻めてくる。
「よし、この写真を来年のわたしの年賀状に使おう」
この人、僕をからかうことに関しては天才かもしれない。
「そんなことになったら再来年は確実に喪中だね。僕の」
冗句めいた口調で、冗談ぬきに僕は言った。
「えー、それはさすがに困るっていうか可愛そうだから、泣く泣く諦めざるえないね。でもさ、ちゃんとわかったでしょ自分の気持ち。自分があの時あの瞬間、周りじゃなくてむっちゃんがどう感じてたか」
これを見せられては、袋小路に追い詰められ逃げ場を失った取調室の犯人のごとく、認めざるをえなかった。
「……どうだったかな」
往生際の悪い小悪党のように、すっとぼけた。
「うーむ、ここにきてまだその態度ですか」
腕を組み、しょうがないなぁという顔の凪ぃ。
「でもまー、それでこそむっちゃん!っていう気もするからしょーがないか。痛し型なしだね。ここで素直に認めちゃったら、むっちゃん形無しっていうか、むっちゃんの名折れって気もするしね」
僕ってどんな奴なんだ。周りからどう見えるかではなく、凪ぃの眼にどう映っているのか、気になって仕方ない。
「しかしあれだね、記録よりも記憶っていうけどさ、記録の中に込められた記憶ってのもあるんだね。わたしさ、この写真のむっちゃん、一生忘れないと思うな。だから、こうやって記録に残しておくことも大事だね」
「一刻も早く抹消してほしいんだけど」
「運動会ですらこうなんだから、もしむっちゃんがさ、自分から一生懸命打ち込むものとかを見つけて、それに臨む晴れ舞台、なんてのがあったらさ、もう写真どころじゃなくて映像で記録しなきゃだよね」
「勘弁してよ。そんな時がくるとは思えないけどね」
受動的で飽き性の僕が、自分からとか、一生懸命打ち込むとか考えられないし、晴れ舞台に臨むことなんてありようもない。
「いやわかんないよ。その人にとっての晴れ舞台だから、そんな大げさなもんじゃなくてもいいわけだし。でも、それがむっちゃんにとっての晴れ舞台なら、わたしはいの一番に馳せ参じるし、映像に記録して記憶にも焼き付けるし、紙吹雪まき散らしてお祝いしちゃうな、きっと」
「随分と忙しい一日になりそうだね」
「疲れて、次の日寝込んじゃうかもね。けど夢見はよさそうかな」
「何か僕も、今日は疲れたな。運動会だからしょうがないけど、凪ぃと喋ってたら余計に疲れたよ」
さっきまではタールのような澱が全身にまとわりつく疲れだったけど、なぜだか今は夏休みのプール直後のような疲れだった。
「んじゃ、うちに帰ってお茶にしよう」
僕にとって、凪ぃの家は行くところであって正確には帰るところではないけど、訂正もせずに頷いた。
夕焼け小焼けのチャイムが鳴り始め、その音が僕を記憶から帰らせた。
凪ぃの家の庭。夕焼け小焼けをBGMに、夕日を背景にしてゴールがそそり立っている。平日、欠かすことなく続けたバスケの練習。今日は夕暮れ時まで何の練習もせずに、ただこうやってゴールの前に佇んでいた。
「もういいか、いくらやったって無駄だし。なんか面倒くさい」
持っていたボールを空き缶を捨てるみたいに後ろに放り投げた。
ボールを掴んでいた僕の手は、力なく握りしめられて、それはかつてしたような記憶がかすかにあるガッツポーズとは似ても似つかない、なんの手応えも感じないものだった。