10話
マイナーバスケ漫画を足蹴にしたバスケ部員に、バスケで一撃見舞う、という目標を立てて以来、僕のバスケ漫画やNBAの試合映像観戦に対する態度も変わっていった。
バスケ漫画に関しては読む機会自体がすっかり激減し、お気に入りのシーンを読み返して練習のモチベーションを高める以外には、手に取ることもなくなっていた。どこかしら、やる気のガソリンを注入するためだけに読んでいるようなものだった。細かなエピソードやバスケにはあまり関係ない幕間的なエピソードもかつては楽しく読んでいたけど、今では見向きもせずページを飛ばした。
NBAの試合映像では、僕の眼から見て、使えそう、と思えるものだけに反応するようになっていた。NBAの選手は、世界最高峰リーグというだけあって身体能力の飛び抜けた選手ばかりで、実際に日本人の中学生が彼らのプレイを自分の中に取り込むのは相当難しい。それでもそのあまりの煌びやで華麗なプレイっぷりに眼を奪われてしまうのだけど、最近の僕は彼らのプレイに興奮したりすることはなくなっていた。ただそれが自分にとって有用かどうか。あとは用いられている戦術の解析や分析を自分なりにしてみて、バスケという競技への理解をひたすら深めていこうと試みていた。それは目の前のプレイのひとつひとつにのめり込むのではなく、一歩下がって俯瞰から物事を見るような態度だった。それが自分のプレイを高めることになり、結果として目標に近づくのだと自分に言い聞かせた。けど、時間と我を忘れるほどに没頭していたNBAの試合を、待ち侘びたり待ち遠しかったりすることは、すっかりなくなっていた。ただただ、監視カメラでチェックするような日々だった。
凪ぃは未だ帰還せず。なもんだから学校での僕の休み時間もただただぼんやりと過ごすのが当たり前になりつつある。そうしてると嫌でも耳に入ってくる、周囲の喧騒。特に休み時間ごとに飽きもせずダベっている、バスケ部員たちのひときわ喧しい話し声。
「これまじおもしれーから」
バスケ部員の声のトーンが一オクターヴくらい跳ねあがって聞こえたので、僕の視線も思わずそちらに向いてしまった。横目で窺うと、彼らの一人が漫画を片手に力説していた。
「俺の兄貴の本棚にあった古いバスケ漫画なんだけど、マジやばい。主人公が元ガンマンって設定でさ、超早撃ちで伝説となってるわけ。で、殺伐とした世界に疲れ果てて田舎に引っこんで隠遁生活を送ってたんだけど、なんだかんだでバスケやることになって、バスケは素人だから下手くそなんだけど、シュートだけは超速モーションの激早撃ちでおまけに百発百中なのよ。これがもうすごいのなんのって。んで、そのど素人の元ガンマンがバスケの世界で強敵たちをばったばったと薙ぎ倒してのし上がっていくのがもうサイコーで最凶なわけよ」
「なんかとんでも設定っていうか、完全に色物じゃね?っていうか、なんだかんだでバスケやることになったっていう『なんだかんだ』の部分が気になってしょうがないんだけど」
不覚にもバスケ部員と琴線に触れるポイントがかぶってしまった。
「そこはね、謎っぽい感じで引っ張っておいて、そのまんま放置されっぱ」
「ありがちだわな。つーかそのマンガ、本当に面白いわけ?」
「もうね、バスケとか関係なく面白い。むしろバスケ設定いらないかも。とにかく読みゃわかるって、いーから読め!」
バスケ部員の一人が強引に押し付けられて、渋々漫画を捲り始めると他の部員もそれに倣う。ようやく静かになってくれるのかと思いきや、マジうけるナンだよこれ!とか一人が騒ぎ始めると、波が広がるように昂奮が伝播していきあっという間に仲間内で盛り上がっている。
彼らの読んでいる漫画は、古今東西のバスケ漫画を一通り浚った自負がある僕をしても、見たことも聞いたこともない漫画だった。最近は何故だか本や漫画、バスケの試合映像など何を見ても興味がもてないのだけど、彼らのあまりのテンションの高さに、引っ張られるようにわずかに食指が動いた。何より、僕の知らないバスケ漫画を彼らが知っていてそれを楽しんでいるということが、悔しいというか気に障った。
ただ、彼らの話から漏れ伝えられてくる内容を聞いた限りでは、僕の好みとはかけ離れているし、遠目から確認できる漫画の絵柄もアクの強い劇画調で、どちらかというと苦手なタイプものに見えた。何より、バスケ部員たちと僕の好みが被るとは思えない。被りたくもない。
耳と目を彼らから逸らし、さっさと次の授業の準備でもしようと努めるのだが、どうしても気になってしょうがない。元ガンマンなんて荒唐無稽な設定、自分が楽しめるとはとても思わないけど、バスケ漫画という一点だけがフックとなって僕の心に引っかかってしまう。
最近は何を読んでも楽しくないし、興味をわずかに魅かれるだけでどうせあの漫画も面白くはないだろうけど、念の為にタイトルだけは確認しておこうと目を向けると、漫画の表紙に描かれた元ガンマンのものと思わしき寂れた銃が目に映った。その銃が僕の脳のトリガーを引くように、古い記憶を撃ちぬいた。
「あなたはこういうのには興味ないでしょ」
何歳のだかは覚えてないけどその日めでたく誕生日を迎えた僕は、何でも好きなものを買っていいわよとの母親の言葉に浮かれ、ルンルン気分ででおもちゃ屋を回遊していた。何を買ってもらおうか、熟練のハンターのような目つきで店中のおもちゃを見て回った。
何でもと言われるとかえって目移りしてしまいあれもこれもとなる中で、ふと目に留まったのは、灰褐色に煤けつつもメタリックに底光りする禍々しい雰囲気を纏っていた、一丁のエアガンだった。妙に気になり、あまりこの手のものに興味を持たない僕だけど、この時ばかりは別だった。縫いとめられたようにその場から足が動かず、自然と手が伸びた。
「そろそろ決まった?」
少し離れたところから母の声が届いた。
「なに見てるの?あらっ、あなたはこうゆうのには興味ないでしょ?ここのコーナーは全体的にあなた向きのもの置いてないみたい。あっちのコーナーにレゴとか並べてあったから、好きでしょそういういうの?あっちに行きましょう」
母に片手を引っ張られて、僕はレゴコーナーへと連れて行かれた。確かに僕は、これまで銃とか剣とか武器の類のおもちゃにあまり関心を示してこなかったし、レゴだって嫌いじゃない。周り、というか主に母親からレゴ的な健全?なおもちゃ類に興味をもつように導かれてきた傾向もなくはないのだけど。
だから多少あのエアガンに好奇心をくすぐられたとしても、おもちゃ屋の明るいムードとはかけ離れた寂れた雰囲気が気に留まっただけで、気の迷いというか気のせいに違いない。ほんのわずか、ちょっと興味をもっただけで、気に留めるようなことではない。
僕は自分の心に蓋をするように言い聞かせ、結果的にその年の誕生日プレゼントは母推薦のレゴブロックと相成った。
下りのエスカレーターに乗りおもちゃ屋を後にした僕は、手が触れる寸前まで近寄ったエアガンが自分から遠ざかっていくのを、視界から消えるまで見つめ続けた。
エアガンのメタリックな光が、自分の胸のあたりを突き抜けるように貫き、その光が、また別の記憶を貫いた。
「ばきゅーん」
背後から突然、穏やかじゃない擬音で撃ち抜かれ、慌てて僕は振り返った。
「何っ?」
犯人はもちろん凪ぃだった。わかりきってたことだけど。
「驚いた?」
何故だか得意げな凪ぃは、不細工な出来の割り箸鉄砲を逆手に持ち、その引き金とおぼしき箇所に小指を引っかけている。
「ふふふ、かっちょいいでしょ」
立ち昇る硝煙を息で吹き消すような気取った仕草を、僕は氷点下の眼差しで見つめた。
「何なの一体?」
今時の子供が見向きもしないようなお手製のおもちゃを片手に、芝居がかったアクションをする凪ぃを、僕は訝し気に見つめた。
「これだよこれ」
凪ぃは待ってましたとばかりに懐から漫画を取り出した。表紙にはむさっくるしい男がオネエキャラみたいに小指を立て、そこに鋼鉄の馬鹿でかい銃を引っかけている。どうやらその漫画の影響を受けたらしい。
「そういうの好きだったっけ?」
「全然。絵柄もわたし好みじゃないし、ドンパチものも基本は守備範囲外なんだけど。あっ!そーいえば、Drフロイトっていう有名な詐欺師が言ってたけど、銃は男性器のメタファーらしいよ。だからドンパチものに魅かれる人っていうのは……」
ぷっつりと言葉を切り、固まったまま動かない凪ぃ。
「どうしたの?」
「いや、止めないのかなって。この話の流れをこのまま進めてもいいのかなって。いつものむっちゃんなら絶対にストップかけてくれるから、安心してわたしはこの話をしてたのに、一向に止める気配を見せてくんないから」
自分の喋った内容に、今さらながら恥ずかしさを覚えたようで、凪ぃの頬がピンクに染まっていく。
「話してから遅れて恥ずかしくなるくらいなら、言わなきゃいいのに」
「だって急に思いついちゃったし、その瞬間は言いたくてたまなかったんだもん。でも言いながら、きっとむっちゃんがこの辺りでストップかけてくるだろうなーとか思ってたのに、むっちゃん一向に止める気配なくてスルーって感じだったから、うわっこれこのままいったらどーなるの?って思ったら急に羞恥心がこみ上げてきて」
更に桃色がかる凪ぃのほっぺ。いい加減、かわいそうになってきた。
「ごめんごめん。なんか今日はいっそのこと放っておくとどうなるのか見てみようじゃないか、みたいな気分になっちゃって。悪かったよ。で、そういう類の漫画、凪ぃの好みじゃないんでしょ?」
ご要望通りにいつもの流れに軌道修正。
「そうそう。あーよかった。無事に戻ってこれて。でね、この漫画の全体のイメージとしては確かに好みじゃないんだけど、表紙のこの絵だけは妙に惹かれるものがあったから、あんま期待しないで試しに見てみたの。したらこれがまーズッキュンズッキュンわたしのハート撃ちぬいてくれちゃってさ、もはや虜?ってなくらいだよ。むっちゃんも読んでみ、絶対に面白いから」
自分の言葉に乗せられるように凪ぃの昂奮が勢いを増していく。
「いいよ。僕もあんまりそういうの好きくないし」
凪ぃの熱に冷や水をかけるように、つれない口調でやんわりと断った。
「そっか。でもさ、わかんないよ。わたしだってこういうの好みじゃないけど、この表紙を入口にして足を踏み入れたら、今や底なし沼に嵌っちゃって、抜けるに抜けだせなくなっちゃったほどだから。強制する気はないけどさ、むっちゃんにもこの漫画の面白さを分かってもらいたいっていうか、分かち合いたいんだよね。だからさ、なんか一部分でもいいから興味もてそうなとことかない?ヒロインのツンデレぶりががむっちゃんの萌えセンサーのど真ん中に引っかかってるとか、主人公の幼馴染の妹ちゃんがむっちゃんのロリ魂を刺激してやまないとか」
「僕の好みをねつ造するのやめてよ。まあでもそこまで言うなら、流し見でよければ」
「全然よいよ。どんどん流しちゃって」
気乗りはしないものの、言われるがままにとりあえずページをパラパラと捲り進めていく。やはり絵柄は受けつけ難いし、内容もドンパチしつつその合間合間に大袈裟なギャグシーンとこれ見よがしなお涙ちょうだい展開を差し挟むという、好みじゃないというかむしろ嫌いな部類のもののようだ。細かく読んだわけじゃないから断定はできないけど、細かく読む気にとてもならない。凪ぃには悪いけど、興味をもてそうにはなかった。
やっぱりな、と嘆息しながら漫画を閉じようとした時、ふと視界の端っこを横切った一コマが、僕の動きを止めた。そこに描かれているのは、どうみても脇役どころかやられ役の小太りキャラが持っている、一丁の拳銃。その銃が、遠い記憶の片隅にひっかかるようにして残っている、手が届きそうで届かなかったあのエアガンと瓜二つだった。
「あれっ、なんか気になるとこあった?」
ページを捲る手が止まったのを見逃さず、凪ぃは横からそのページを盗み見る。普通なら気にも留めないシーンだからだろう。はてな?みたいな顔をして僕の横顔を覗いている。
「いや、特には」
言葉を裏切るように、僕の眼は小太りキャラ愛用の銃から目が離せない。どうせこの小太りキャラはこの後あっさりやられて漫画から退場していくだろうし、記憶の中の銃とそっくりってだけでこの銃にさしたる愛着があるわけでもない。少し気になるってだけの話だ。こういう不憫な小太りキャラに秘かに頑張ってほしいと心の隅で思ったりなんかもしていない。でもこういう不憫キャラがどこかで報われたり意外な活躍を見せる展開は嫌いじゃなかったりする。もしかしてそんな展開が待っていたりするのだろうか。完全に萎んでいた興味が、少しだけ膨らみつつある気がしないでもない。凪ぃの漫画の好みは僕と一部重なるところもあるし、その凪ぃに割り箸鉄砲を自作させるまで影響を与えたというところにも、惹かれるものがないでもなかった。
「……やっぱいいかな。僕の分野じゃないっていうか、領域外って感じだし」
仄かに灯った興味の光を打ち消すように、僕は漫画を閉じようとした。
「ウソだね」
閉じていく漫画を無理やりこじ開けるように、凪ぃは語気を強くした。
「嘘じゃないよ」
「ウソだよ。だってむっちゃん、いま悩んでたじゃん。ほんのちょっとの間だけだったけど、一瞬だったかもしんないけど悩んでたよ。悩みもせずにハイ終了ーじゃなくて、十秒にも満たないくらいだけど悩んだ末に、やっぱいいやだったでしょ?ってことはさ、悩んだってことは、小指の先っぽくらいには興味をそそられるとこがあったんじゃないの?」
図星を指され、僕は決まりの悪さを覚えた。
「確かにほんのちょっとくらいは気になる部分もあったけど、ほんとにちょっとだよ。ないに等しいくらいのほんのわずか。そんなのにいちいち立ち止まってたら、時間がいくらあっても足りないよ。これは凪ぃが買った漫画だけどさ、ちょっと興味をもったくらいでいちいち買ってたら、お金だってもったいないし」
「そんなことないよ。ちょっとでも興味を持ったんならまず触れてみるべきだって。そのために使うんなら時間もお金ももったいなくなんて全然ないよ。むしろ時間とかお金はそのためにあるんだから。実際に触れてみた結果、じんましんとか出ちゃったりするかもしんないけど、それも一つの経験だもん。触れないより全然いいよ」
子どもの頃から皮膚の弱い僕の背中をばしばしと掌で叩くような、力強さを宿した口調だった。
「あっ、これもちろんものの例えだよ。むっちゃんの皮膚は過敏だから、むやみやたらと触れたらダメだからね。でも、触れてみて拒絶反応を示すっていう経験を重ねなきゃわかんないことがあるのも、事実っちゃ事実だよね。こーゆうのに自分の皮膚は反応しちゃううんだ、だったら今度から気をつけなくちゃ!みたいにさ」
「つまりどっちなの?触れた方がいいの?触れちゃ駄目なの?」
「危なそうなのとか、苦手そうな分野に無理に触れることはないんだけど、ある程度に気心が知れた人とか信頼できる人に勧められたとか、何故だか気になってしょうがないとか、そういうなにかしらのきっかけがあったらとりあえず触れてみた方がいいと、わたしは思うな。ビクンビクン感じちゃってるんなら、触れないよりはさ。んで、その中で少しでも興味を持てたんなら、素気無く見限っちゃわないで、とりあえずお付き合いしてみてもいいんじゃないかな。そーゆう時間はきっともったいなくも無駄でもないと思うよ」
無駄なお喋りばっかりしてる凪ぃの、実感のこもった言葉だった。
「それで、もったいない結果に終わったってことないの?」
「もちろんあるよ。ありまくりだよ。思い切って大盤振る舞いしたのに、十連続で外れくじ引かされたことなんて両手じゃ足りないくらいあるもん。特に人に勧められたの買って大外れ掴まされた時なんかはもう、怒りの拳の落としどころが見つかんなくって自分のほっぺにめり込ませてやったよ」
僕の頬に柔らかく握った拳をそっとあてがう凪ぃ。うりうり、と軽くねじこんでくる。
「でもさ、自分の好みなんて他人はもちろん自分でも案外わかってないとこあったりするし、好み自体もその時々で万物流転みたいだったりもするからね」
熱と力が籠っていた凪ぃの口調が緩みほどけていくみたいに、穏やかなものへと移っていく。
「触れるチャンスがあるなら、触れてみるのもいーんじゃないかな。どんなに恋焦がれても、抱きしめたいくらいに触れたくても触れられないことだって、山ほどあるからね。人生ってやつにはさ」
下りのエスカレータに乗った僕の視界から、ゆっくりと遠ざかりやがて消えていったエアガンが、胸をよぎった。
「チャンスの神様が釣り糸垂らすみたいに前髪垂らしてくれてるんだ、と思ってさ、ぎゅっと食いついちゃえばいいんだよ。いざ釣られてみたら、ブラックバスよろしくキャッチ&リリースされちゃったりもするかもしんないけどさ」
わかるようでよくわからない例えだけど、凪ぃの例えはいつも適当だから厳密さなど期待してもしょうがない。それでも僕には漠然としたイメージだけは伝わってくるので、それで問題ない。それが僕と凪ぃの間柄というか関係性というやつなのだろう。
「もしむっちゃんが本当のほんとーに、一ミクロンもこの漫画に興味が持てないんだったら、勧めたわたしとしては残念だけど……それでもわたしの勧めにとりあえず乗っかって流し見してくれたことには感謝だよね。結果として興味もてないものを勧めて、申し訳ないことしちゃったけど」
ごめんごめんと、右目を瞑り片手拝みをするみたいに右手を挙げ、軽く謝る凪ぃ。
「そんな殊勝なキャラじゃないでしょ」
「うん、申し訳ないって気持ちは、正直一ミクロンも一ミジンコほどもないんだけど」
ぺろりと舌を出して凪ぃは言ってのける。
「そこまでないと、いっそ清々しいね」
「でもさ、本当はほんのちょこっとだけ、消える寸前の蝋燭の灯りみたいに幽かだったとしても、気のせいなのかもしんないけど興味をもってくれたんならさ、結果としてもったいない想いとかしたくないって理由でスルーしちゃわないで、時間もお金も手間も無闇に惜しんだりしないでさ、とりあえず触れてみたほうが絶対にいいと思うな。あくまでわたしの持論でしかないんだけど、どーせ面白くないからとか、もったいないからとか、面倒くさいからとか、自分らしくないからとか、そういうあれやこれやの理由で流してばっかいたらさ」
一呼吸置いて、噛み含めるように凪ぃは言った。
「む雲っちゃうよ」
その言葉に連なる一連の動作はお手の物。淀みない凪ぃの所作はつつがない。
「油断したね」
えっ?と思う間もなく
「バキューン」
僕のこめかみに、割り箸鉄砲から発射された輪ゴムがパチンと被弾した。
「痛っ!」
突然の痛みに僕はこめかみを押さえ、目をしばたたかせる。
「むっちゃん、駄目だよー。ガンマンはさ、いつ如何なる時でも、散髪屋で髭そりされてる時でもさ、油断しちゃだめだよ。いつでも銃は抜けるようにしとかなきゃ」
ふぅーっと立ち昇る硝煙を吹き消す気取った仕草が心底憎らしい。西部劇でのガンマンの作法なんて僕は知らないし、押しつけられても困る。とはいえ、やられっ放しじゃ腹の虫が収まらない。目には目を、歯には歯を。僕はさっきまで凪ぃが読んでいたであろう工作図鑑を本棚から引っ張り出し、超高速で凪ぃに負けず劣らず不細工な割り箸鉄砲を制作し、いざ出陣!とばかりに凪ぃに殴り込みをかけた。血で血を洗う容赦なき銃撃戦は白熱し、もはや凪ぃお勧めの漫画は部屋の隅っこにほっぽり出され、僕も凪ぃもその存在すら忘れていたけど、僕が手にしている不細工な割り箸鉄砲は、僕の頭の中では幼き日に魅了されたエアガンへと変換され、木製だけどメタリックに底光りしていた。
その光が、過去を貫き現在へと突き抜けていく。
気がつけばぼんやりと時間が流れ、流れるままに学校での時間を過ごし、いつものように凪ぃの家に僕は腰を落ち着けていた。ぼやけた視界の霞を払ったのは、凪ぃの蔵書棚に収められた一冊の漫画。奥の方に眠るように仕舞われていたのだろうけど、最近になって僕が凪ぃの蔵書棚を乱してしまったせいもあって、ひょっこりと顔を覗かせていた。
その漫画は、バスケ部員たちが手に汗握って絶賛していたあのトンデモ漫画と同じ画風に見えた。僕はわずかに目を見開き、思い出したように制服のポケットをまさぐった。ぼんやり状態で機械的にメモを取った、バスケ部員お墨付きの漫画のタイトルが、そこには殴り書きされていた。
間違いなく、同じ漫画のようだ。凪ぃのテリトリー外のもののように思えるけど、元ガンマンの小指だけ伸びた爪とか銃の早撃ちを模した変則的な構えとか、何かしら惹かれるものがあったのかもしれない。
最近は何を読んでも面白いと感じたりはしないし、読む気にもあまりならない。けど時間は有り余っている。読んでみてもいいし、メモをとったということは、興味がゼロってこともないのかもしれない。読んでみようか。
バスケ部員のうざったいくらいにうっとうしい情熱的な語りが蘇る。
「いいや別に。どうせたいして面白くもないだろうし。読んで後悔するのも馬鹿らしいし」
読まずに後悔することを打ち消すように一人ごち、僕はそこにあった漫画を通り過ぎていった。