警笛
「解せねえ……」
「勝手に私を自分の女扱いしたんだから当然よ。助けてもらったのには感謝してるけど、私はそんな安い女じゃないわ」
涼馬のボヤキを聞いた少女は、憤然とした態度で言い返してくる。随分気の強い女だ。
少女は追われているということで、成り行きで仕方なく今は涼馬の家まで戻ってきていた。少女の為にそこまでする義理は無かったが、あそこで助けておいて、後は放っておくというのもなんとなく寝覚めが悪い。少女は改めて居間を眺めるとはーと声を出した。
「アンタ、お坊ちゃまって奴? こんな豪邸に一人で住んでるの?」
「……あんたには関係のないことだ」
涼馬は少女の前に静かに茶を置くと、突き放すように言う。
「……ふうん。ま、助けてもらった手前、あまり詮索するのはマナー違反よね」
少女は察したように言うと、手近にあった純白のソファーにどかりと腰を下ろす。
「それにしてもアンタ、さっきはすごかったわね。体格は断然あっちのほうがデカいのに、それをモノともしないでのしちゃったじゃない」
少女は出されたお茶を手に取ると、唐突に話題を変えてきた。さっきのとは、路地裏での一幕のことか。
「ああいう荒事には慣れてるからな。大したことじゃない。それより、いつまでもお互いあんた呼ばわりもなんだ。名前くらいは教えておこう。――俺は日本涼馬。こう見えて二十八歳だ」
「ぶっ!?」
その紹介を聞いて、お茶を飲んでいた少女の口元からはしたない音が出る。
「アンタ、その風貌で日本人!? ていうか、二十八歳は流石に盛りすぎでしょ! 私と変わらないくらいじゃない!」
「事情が色々込み合っててな。まあ信じるかどうかはお前の自由だ」
「信じるも何も、そのこれでもかっていうブロンド髪で言われても信じられるわけないじゃない……」
確かにな。少女の言い分に涼馬は納得する。涼馬が逆の立場でも全く信じないだろう。
「まあ俺の事はとりあえずいい。それで、あんたは? あんたも見たところ日本人だろ?」
「も、ってところに若干ツッコみたいけどまあいいわ……。私の名前は藤堂留美。確かに生粋の日本人よ。それにしても涼馬、よく私が日本人って分かったわね。イスカン人にはよく中国とか韓国とかと合わせて東洋人ってことでごっちゃにされるんだけど」
少女――留美は感心したように言う。
現在のこの時代において、中国や韓国という国は既に存在していない。涼馬が生きていた二○一六年までに成立していた国のほとんどはイスカン帝国により滅亡、又は隷属扱いになった。現在、イスカン帝国の他に地球に存在している国はヨーロッパのEU連合と、欧米の新生アメリカ帝国くらいのものだ。
そして、戦争に負けた国の民の扱いなどどこも変わらない。イスカン帝国に住む地球人のほとんどが、今は公然と奴隷や家畜として市場に出回っているらしい。
この街にいる留美についてもそれは例外ではない。おそらく彼女が逃げ回っているのは、そうした事情もあってのことなのだろう。
「同郷ならだいたいは判別つくだろ。そもそも、今だってこうしてお前と日本語で話してるんだぞ」
「あ、それもそうね。……同郷って言うのはにわかには信じがたいけど」
藤堂は納得したようにうなずく。だが、やはり同郷という所は信じられないようだった。
「まあ一晩だけの付き合いだ。信じてもらわなくても構わねえよ。――藤堂。あんたに何があってどんな状況なのかは詮索するつもりは無い。聞いたところで、面倒をみるつもりもないしな。だが、勝手に助けておいてあとは知らねえって放っぽりだすのも無責任だ。だから今日の夜は家に泊めてやる。この意味、分かるな?」
「……分かってるわよ。明日の朝になったらここを出ていく、それでいいわね?」
「ああ」
理解の早い藤堂に、涼馬は少し肩透かしを喰らった気分になる。大抵こういう時は助けてほしいとごねられるものなのだが、藤堂は歳のわりにしっかりとした娘らしい。おそらく、今まで生きてきた境遇がそれを彼女に身に付けさせたのだろう。
涼馬は頭を振る。面倒を見るのは今日だけと決めた。これ以上首を突っ込んで厄介ごとに巻き込まれるのは現時点で好ましくない。
「……シャワーを浴びてくる。お前も入るか?」
涼馬が問うと、留美は自分の体をかき抱き、露骨に警戒心を寄せる。
「……なに、まさかアンタ、今日助けた礼に一晩抱かせろとか言うの? 言っておくけど――」
「私はそんな安い女じゃない、だろ? そんな事言わねえよ。今日一日は面倒を見ると言ったんだ、それ相応にもてなしはする。これからはいつ入れるかも分からねえんだろ。なら、入れるうちに入った方がいいんじゃねえか?」
涼馬がそう言うと、留美も冗談だったのか、すぐに表情を柔らかくした。
「分かっているわよ。……そうね、それじゃお言葉に甘えようかしら」
「なら先に入れ。俺は後からでいい」
「紳士ね。ありがとう」
留美は微笑むと、涼馬が指示した浴室へと消えていく。居間に涼馬一人になると、やがてシャワーの音が聞こえてきた。一人になったことで、改めて涼馬は先ほどから胸の内に燻ぶるモヤモヤした気持ちを自覚し、舌打ちする。
「……チッ、胸糞悪ぃ」
涼馬は引き出しから煙草を取り出す。一本取り出し、火を点けると、慣れ親しんだきつめのニコチンの風味が鼻腔を満たし、やがて肺にまで行き届く。
久しぶりに吸った煙草に充足感を覚える涼馬だったが、しかし胸のわだかまりまでは煙草の煙のようにはなかなか消えない。
涼馬の心の閊えになっているのは、勿論留美のことだ。転生してから初めて会った日本人だからだろうか。涼馬は、出来る事なら彼女を助けたいと思い始めていた。それは、考えてはならないと律すれば律するほどに、心の中で肥大化していく。だが、彼女の事情を聞いてしまえば後には退けない。身体もまだ万全では無い以上、無用な争いは出来るだけ避けたかった。
「こんなことなら助けなければ良かったぜ……」
心中の葛藤に悪態を吐き、涼馬は短くなった煙草を灰皿に乱暴に押し付ける。そのタイミングで家のインターホンが鳴った。
「客? こんな時間に?」
涼馬が時計を見ると、時刻は九時を少し回った頃だ。涼馬がこの身体になってから、この家への訪問者など皆無であったため、今のタイミングでの訪問者というのに、涼馬はきな臭さを感じる。
涼馬は、訝し気に備え付けのカメラから玄関の様子を見る。そして画面に映る男を見て確信した。こいつは堅気じゃない、と。
黒のスーツを身にまとった糸目が特徴のその男は、柔和な笑みを浮かべてじっとこちらの反応を待っているが、その瞳の奥にある眼光の鋭さを涼馬は見抜いていた。あれは話し合いの類をする者の眼ではない。獲物を追いかける狩人の眼だ。そして、一見して無手のように見えるが、不自然に盛り上がる腰横の膨らみの形状には見覚えがある。日本でも散々見た、あれは拳銃の形だ。
再びインターホンが鳴らされる。時間がない。相手の戦力も分からない以上交戦は危険。そう判断した涼馬は居間の端に置いてある、大きめの引き出しから躊躇なくそれらを取り出す。一つは拳銃、もう一つは細長の得物、日本刀(ポン刀)だ。どちらも、カリラの置いてあった倉庫から持って来ていた物だ。それらを持つと、今度は足早に浴室へ向かった。
未だ水の跳ねる音と共に、扉に浮かぶシルエットが艶めかしく動いているが、事は急を要する。涼馬は覚悟を決めると、勢いよく湯煙の広がる部屋への扉を開いた。
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