12 その男ノブナガにつき、よろしく。
酒場の騒ぎが外の通りへ移ると、店の軒下では店主がほっとしたようにして息を漏らす。
店主が見守る先を辿ってみれば、野次馬を加え数を増し大きくなった人集りがあり、見物人達の熱が一段と近い輪の中心では、頭一つ高いところにて重厚な鎧を纏うフルプレートの男が横になってジタバタしていた。
挑んた相手からバンザイ状態で持ち上げられる鎧男はガシャガシャと金属音を鳴らし空を仰ぐことしかできないでいる。
そうこうしている内に鎧男は、牙を剥き出しにして吠えたアレクの頭上よりも更に上の宙へ高々と舞った。
怒声と歓声がわっと湧き上がってすぐ、落下してくる鎧男を避けようと人の群れが動き路地が硬い地肌を見せる。
するとそこに空を見上げる大きな人影が一つだけ残った。
袖のない上着を着こなす筋肉質な大男。
拳に丈夫そうな革のグローブをはめ、片方の手首に金属製の幅広い腕輪を身に着ける武闘家を装う男は、成り行きのままに降り掛かる物体をガシと受け止める。
重量感ある落下物を平然と支えた丸太の如き太いの両腕では、鎧男がお伽話で見る王子に抱えられる姫のようにしてすっぽりと納まっていた。
「男を抱くなんて……のは、勘弁したいクチなんだがよお」
「か、カンフーマスターノブナガっ!?」
青年としては憚られ壮年としては若い大柄な男の軽口に、鎧男がうわずった声で反応した。
そして、称号を冠に呼ばれた名は辺りでくすぶっていたどよめきを一気に広げていたが、当人は周りから口々に漏れる己の名に大して気にする風でもなく、『おう』とだけ短く発し鎧男を地面へと置いた。
そこから、ずい、と前へ歩み出る足はそのままアレクへ近づいてゆくのであったが、足の運びは彼の歩幅で数歩とない距離を残したところで止まる。
気に掛けるべきは対面の男のみといったノブナガの眼差しに釣られるようにして、周囲のそれも人集りの真ん中で陣取るアレク一点へと集まる。
「着いて早々見つけられるたあ、俺はツイているぜ。ま、この通りにお前のような風体の野郎がいるってこたあ、聞き込みで知ったけどよー。喧嘩してる以外どういう状況かさっぱりだが、ここで会ったがなんとやらだ。てめえとのケジメ、きっちり取らせてもらうぜ」
ノブナガが、にっと広角の上がる顔で口上を述べた。
分厚い胸の前にてガツンと両の拳がぶつけ合わされると、黒いマントがひらり翻る。
アレクが背を向けたのである。
反転したアレクが新たに見据えるところでは、両膝を地面へつけながらココアを抱くエリの姿があった。
「おいクサコ。今俺の前に、いかにも俺を探していたような口ぶりで筋肉ダルマが現れたのだが、誰だこいつ」
「誰って、ええ……」
眉をひそめアレクが尋ねれば、エリもまた眉をひそめた。
しかし同じ悩める顔であって、そこには呆れや驚きを孕む。
「おい聞こえてんぞ、ボンクラっ。たく、とぼけやがってよお。先刻の話でもう俺の顔を忘れたとか言うつもりかっ。はんっ、いざお礼参りに来られたら、ビビったってクチかよ」
「忘れるも何もお前のような暑苦しい顔なんぞ、俺の記憶に覚えはない。しかしながら、俺に喧嘩をふっかけようとしている愚か者の顔だということで覚えてやらんこともないぞ」
「嬢ちゃん達の手前、詫びの一つでもすんなり言ってくれりゃよお、考えなくもなかったが……とことんイラつく野郎だなてめえは。かっ、けどよそれならそれで上等だ。気兼ねなくぶちのめせるってもんだからなっ」
野太い声とまた翻る黒きマント。
対峙する男達から取り囲む見物人達が再び騒ぎの匂いを嗅ぐその中にあって、頭上で電球が点灯したかのようにエリが顔を明るくした。
「あ、そっか。アレクってば背中を蹴飛ばして走り去ったから、ノブナガさんの顔を見てないんだ……って、きっとそのことを怒っててアレクを探してたんだろうなあ……うう、ごめんなさい」
後ろからの場にそぐわない緩い発言に、アレクが三度反転する。
武闘家から給仕、給仕から武闘家、更に給仕へと向き合う相手をころころ代えたアレクの顎に手が添えられる。
ない髭が撫でられることしばし。
「む、アレか。クサコの言う俺が背中を蹴飛ばした話は、少し前の並木道で俺がなんとなく蹴り飛ばしたくなった奴を蹴飛ばした時の話か」
「その言い方には素直にうなづけないけど、そうだよ、そこのノブナガさんは魔物から私やココアちゃんを助けようとしてくれた人だよ」
す、とエリの視線が動く。
ペコリとお辞儀される向こうでは、ノブナガがエリとアレクの話の終わりを待つように腕を組んだ。
「そうか、そこの筋肉ダルマはあの時の奴だったのか……」
「そう言えば私、ノブナガさんって名前、どこかで聞いたような……」
「つまりこの筋肉ダルマがここにいるということは――ぬがっ」
「ふぎゃ」
「ココアも、ぬふんぎゃ」
アレクの突飛で大仰な喚きにエリがびくっと体を震わせると、その腕に捕まる幼女も真似て奇声を上げる。
一連の流れの大元であるアレクと言えば、今度は体の回転を首の回転へと変えキョロキョロと周りをうかがっていた。
「え、え、突然何々? どうしたのっ、何かいるの!?」
「どうしたの」
「くそ、俺としたことが迂闊だった。街へ入ってしまえば問題ないと踏んでいたが。こうも早くにあいつの連れと出くわすとはっ。おいそこの筋肉ダルマっ」
「ああ? と、つい返事をしちまったが。俺をんな呼び方で呼ぶんじゃねえよ。そこの嬢ちゃんも言ってたろ、俺にはノブナガつー名前が」
「あの気持ち悪いヤツはどこだ、どこに潜んでいるっ」
「ちっ、人の話は最後まで聞けよ。あの気持ち悪いヤツだあ?」
「お前、あいつの連れだろっ」
一人慌てふためき言われたアレクの『あいつ』に思い至ったのか、つい今しがたのエリの時と同じくノブナガの頭の上でも電球が点灯したようだった。
「俺の連れで気持ち悪い……あーな、アーサーのことか。確かに、見方によっては女みてえで男らしさには欠けてるあいつの面は美形過ぎて、野郎からすりゃー気持ち悪いと言えなくもねえわな。ま、お前のその面じゃ妬んで当然か。かっかっか」
笑い皮肉めくノブナガの物言いからは、挑発の意図が感じられなくもない。
「俺を変な呼び方するわ、口の聞き方を知らないわ、お前には俺を苛つかせる要素満載だからよお、別に質問に答えてやる義理もねえ訳だが、ノブナガさんがタイマンも張れねーような臆病モンと思われるのは、癪だしなあ……」
「ふむ。見た目通りの脳筋だからか、どうにもこいつとは話が噛み合いそうにもない。クサコっ。こんなところでこんなわけのわからん筋肉ダルマとゴタゴタやっている暇なんぞない。とっとと行くぞ」
アレクの急かす声が届くエリへ、いつものように首根っこを捉えようとする手が伸びた時である。
エリが見上げるアレクの背後に、一回り大きな人物が重なっていた。
無論、気配を殺し迫っていたのはノブナガであり、その手がしっかりとアレクの革の肩当てを掴む。
「おいおい、『とっとと行くぞ』じゃねーよ。悪いが背中の一発の借りを返させてもらうまで、どこにも行かせるつもりはねえ。それによお、俺の話はまだ途中だ。最後まで――」
「きゃ」
ノブナガがすべての不服を告げる前に、エリから短く驚きの声が漏れた。
風切り音が鳴った場所では、アレクが条件反射とも言えるような速さで振り返ノブナガへ殴り掛かっていた。
上方にある顔面を的に打ち抜かれるはずだったアレクの一撃。
その豪腕が、暑苦しいと謳われた男の涼しげな顔の鼻先で停止する。
「ぬぬぬ、なんだ、びくともせんぞ」
突き出すアレクの腕はノブナガから掴まれ、がっちりと固定されていた。
「相変わらずの不意打ちだな。ま、仕方ねえよな。この程度だからこそ不意打ちでもしなけりゃ使えねーからよ。まだ二十六の俺が言うのもおかしいが、お前の拳、若い割には大した剛力とそれに見合う鋭さはある。けどよ、二流だ。体の使い方がなっちゃいねー。俺のお師さんが言ってたぜ。研磨という努力を怠った拳は本物じゃねーってよ」
「ええい、キサマの御託なんぞどうでもいいっ。さっさと俺の腕からこの手を離さん――か!?」
利き腕の手首を捕まれたままのアレクが逆の手を腰の武器へ伸ばした瞬間、すこんっと軽快な音が鳴ったかの如く、アレクの足元がノブナガの足によって払われた。
そして、どしんと尻餅をつく鈍く重たい音が続く。
言われた通り掴んでいた腕を離すノブナガは、見下げる相手へ立てよと言わんばかりにクイクイと手招く仕草を見せた。
「俺に倒れている奴を相手にする趣味はねえからよ」
ノブナガの煽りに男達を取り囲む観衆がどっと湧く。
「そんでよ、さっきの続きだが、余計な詮索は必要ねえ。俺の仲間は今クリスタ自治会から招かれて忙しいし、俺はあいつらに何も言ってねえからよ、この喧嘩に加勢はねえ。思う存分サシで勝負り合おうや。けどま、そうは言っても俺も人格者のつもりだ。武闘拳技でノしてやるのはだけは勘弁してやらあ」
「ならば俺は、俺流免許皆伝奥義剣術を使わずして、キサマをギッタンギタンにしてやろう」
「……よくもまあ、地べたに転がったままで堂々と負け惜しみを言えたもんだな。呆れもするが、ちとばっかし感心もしちまうぜ」
「ふん。俺は座りたい気分だからこうして座っているだけだ。それはそうと、キサマの後ろに見えるあれはなんだ」
言い訳がましいことを口にしたアレクの人差し指が虚空を指す。
ビシっと伸びた指先を追うようにしてノブナガが横顔を見せれば、エリやココアを含めた観衆の顔も一斉に同じ方向を向く。アレクが周りの注視を促したのであった。
そうして刹那、ノブナガに黒い影が襲う。
「たく、古典的過ぎんだよっ」
ノブナガは吐き捨てるように言って、身を捻りざま突いた。
風圧を起こす高速の正拳突きは黒き影を難なく捉え、その真っ直ぐに繰り出された拳にはアレクが羽織っていたマントが絡みついた。
「ちっ、フェイクか小賢しいっ。けどてめえの行動なんざ読めてるぜ。後ろかっ」
マントが巻き付く腕がブンと唸りを上げる。
ノブナガは自分の背後へ向け、手の甲を相手へぶつける旋回打撃の一撃をお見舞いした――がしかし。
「気配はあるのに、いねえだと!?」
「だははは、惜しかったな。もっと下だ馬鹿者め」
ノブナガの屈強な下半身に潜むようにして屈むアレク。
アレクは人差し指を合わせ組む両手を突き立てる構えであった。
「さらばだ、筋肉ダルマ。伝説の指技をとくと味わって逝け」
「ぐはらっぷッ」
悶絶といった叫びは、武闘家の臀部に戦士の指が食い込む光景の中にあった。
「きゃはは。カンチョーだ、ムキムキおじさんが、カンチョーされた」
「ほう、チビコのくせにこの秘技の名を知っているとは、そこそこ大したチビコだな」
「チビコじゃないよ、ココアだよ」
何やら楽しそうなココアとアレクの脇では、痛みを堪えるようにしてノブナガが臀部を抑えうずくまる。
「て、てめえ。ふざけたことしてくれたじゃねえか。くぐう、ちょっとだけ待ってろっ、今度は手加減なしでてめえを」
「だはははは、俺に倒れている筋肉ダルマの相手をする悪趣味はない。負け犬ならぬ負けダルマはそこで勝手に苦しみ悶てろ。そして、この技の真骨頂は三年以内に必ず痔になるところだ。クククっ、俺と戦ったことを存分に後悔するがいい」
アレクは地へ落ちるマントを拾い上げ、バサっとはためかせ元の場所へと装着する。
それは勝者の凛々しい振る舞いであった。
「さて、それはそうとクサコは何を辛辣な顔で呆けている」
「険しくもなるよう……アレクってばまたノブナガさんにヒドいことしちゃったんだから」
「よくわからんが、筋肉ダルマがどうなろうと関係ないだろ。気にしたところで一ルネも得はないぞ。それよりいつまで膝をついている。さっさと立て。ここから――」
「そこのお嬢さん方、その男から離れて下さいっ」
不意に発せられた鋭い声が、アレクとエリの会話を遮る。
声の主である若者は駆け、ココアを抱きかかえるとエリの元へ近づきその背に少女達を隠す。
「団長っ、一般人の隔離問題なしですっ」
「良し。魔術団員は『拘束の鎖』を発動」
「了解です」
人集りの場に、若者を始め蒼い紋章を刻む布を巻く者達の伝達が響く。
団長と呼ばれた中年男性の指揮の元、展開された数名の手の者によってアレク並びにノブナガが包囲された。
エリが何事かと若者の影からアレクをのぞけば、地面で複数の発光する”円”がクルクルと回っており、マジックスペルを内包するそこからは光る鎖が飛び出していた。
「クリスタの自衛団か。状況からして、飲食街で暴れる輩を取り抑えに参上したってところか。野郎がふん縛られるのはいい気味だがよお、ちっ、俺も拘束しやがるとは。だが、初手の判断としちゃ間違っていねえわな」
「ふんぬうっ、うんぬうっ」
「無駄だ。そいつは地属性の魔法の鎖で、力任せに引き千切れるようなただの鎖じゃねえよ」
顔を真っ赤にするアレクと親切にも忠告するノブナガの体には光る鎖が巻きつく。
”円”から生える鎖は並以上の強さを誇る男達を地へと縫いつけるようにして縛った。
アレクは棒のように立ち、ノブナガは臀部に両手を添えた状態で地面へ抑え込まれていた。
「騎士団員は二班に分かれ各班で暴漢どもに制裁を加えろ。抵抗するなら腕の一、ニ本は折ってやれ。『拘束の鎖』の効果時間はそう長くはない。迅速にやれ」
「おうおう、荒っぽいことで。さすが冒険者でごった返すクリスタの自衛団だけのことはあるな」
「ふごおおおお」
動揺はなく余裕があるのか、ノブナガは不格好のまま軽口を叩く。
一方でアレクは鼻息を荒くし、更に顔の赤色を濃くした。
「だからよお、諦めろよ。『拘束の鎖』は魔力を扱える奴や、俺のような武闘拳技の類を使える奴じゃねえと太刀打ちできねえ代物だつってんだろ……!? て、おいっマジか。どういうこった!?」
ぐっとノブナガの眉根が深くなる。
「ふんがああっ」
アレクに絡みつく光る鎖の一部が、光を失い鉄色のそれへと変化していた。
次の瞬間。ガラスが割れたような金属音とともに、パーンと『拘束の鎖』が弾ける。
「だだだ団長っ。若い戦士風の男の拘束が解けましたっ」
「狼狽えるな。騎士団員は戦士の男を牽制。魔術団員マジックリンどういう事だ。あの暴漢が魔法を扱える戦士だったのか」
「いえ、あの者が魔術式を唱えた様子はありませんので、その可能性は薄いです。恐らくあの者が羽織る黒いマントが原因ではないかと」
「マントがか」
「はい。マントに触れた部分の『拘束の鎖』から魔力が失われた節が見受けられます。何かしらの魔法効果を有する装備ではないかと」
「く。魔法付加アイテム持ちか。しかし、一時は拘束できた。次だ。順次『拘束の鎖』を放つことで対処する。魔術団員は戦士風の男へ向けて魔術式を唱えよ」
「うぬぬぬ、お前らまた鬱陶しい鎖の魔法を使うつもりか」
クリスタ自衛団の動きに辟易するような態度を露わにしたアレク。
そのアレクの先には見覚えのある鎧男がおり、有無も言わせず持ち上げられ魔法を詠唱する魔術団員らへ向け放られた。
「ぎゃあああ、鎧男がこっちへ飛んで来るるるる」
魔術団員マジックリンの悲鳴を皮切りに、アレクの側へいた冒険者達が次々に宙を舞った。
「頼みます、受け止めてええ」
「ムリムリムリ。いやああ、来ないでっ」
「何をしている、早く魔法であの者を拘束し、ぐがっ」
投げられた者とぶつけられた者の嘆きの連鎖が阿鼻叫喚の有り様へ着々と誘いつつある人混みの中、クリスタ自衛団の若者が不格好な様の大男を見て目を丸くする。
「その、貴方ノブナガさん!? アーサー様御一行のノブナガさん!?」
「おう、そのノブナガだ。俺は逃げも隠れもしねえから、安心しな」
「――っ!! 団長、団長っ。戦士風の男が見当たりません」
「痛、なんだと。各団員、戦士の男が逃亡したっ。追え、追ええ!」
号令が響き渡った路地の一角。
冒険者と野次馬、更にクリスタ自衛団が加わり騒いだそこからアレクの姿はとうに消えていたのだった。
読まれた方には感謝しかありません。
かなり間が空きましたが、一読ありがとうございました。




