1 少女エリ
ありがとうございます。
作者判断ですが、R指定するまでもないと思い年齢制限なしにしています。
けれども、作中少なからず刺激的に思える部分があると思います。
不快なく楽しい読み物になれるよう、かんばりたいと思います。
、
太陽が高く昇る頃、雑木林を分け隔てのびる山道にて横たわる荷馬車があった。
木板造りの大きな荷車をここまで引いて来た馬の姿はとうになく、積み荷であった若い娘達はその内の一人である少女エリをのぞき、蜘蛛の子を散らすようにして走り去った後だった。
土塊で足をつまずき、一人逃げそびれた茶味を帯びた髪の少女エリ。
倒れ込む山道では荷車とエリの他に、ダガーや手斧で軽武装をしていた男共も転がる。
再び起き上がることも叶わなくなった男共は、戦士の出立ちである若者の手によって、斬り伏せられ薙ぎ倒されていた。
ぺたりと座り込むエリが見上げる先では、無造作に肩へ担がれた肉厚な刀身のロングソードに、獣の皮を幾重にも重ねた革の胸当て。
誰もが地へ伏せる中にあってデタラメな強さを誇った男だけが悠然と立つ。
「お前ら乗っていた連中は奴隷か」
惨状となった辺りを見回していた戦士風の男の鋭い目が、エリの手元へと向けられていた。
縄で両手首を縛られ簡素なボロを纏うエリである。身なりだけでも奴隷だと察するのは容易いが、エリの右手の甲に施された猛牛を思わせる焼き印こそ、何よりも確かなものであろう。
焼き印は奴隷の証であり、世間で広く認知されている。
「あの……助けていただき、ありがとうございました」
「うむ。俺への感謝はいつでも歓迎だ。しかしだ。助けていただきとはどういうことだ? 教えろ」
「ふい? その、どういうこと? っていうのが、どういうことなの状態の私なんですけれど……はて」
当然のように述べた感謝の理由が問われ、エリは素っ頓狂な反応を示し困惑する。
奴隷として売り飛ばされようとしているところへ突如として現れ、自分をさらった男共の手から解放してくれた。
このエリのくりっとした目から映る光景は、傍から見てさして理解し難いものでもない。
大陸では『奴隷商』と呼ばれる商いが日常的に行われており、エリのような娘達が荷馬車で運ばれている様など珍しくもない上、運搬中の荷馬車が襲われることもしばしば目にできた。
望んで奴隷となる者は稀である。
焼き印を持つ者のほとんどは、対価の代わりに差し出されたりさらわれた者であり、愛する家族を逃がそうとする者や自由という名の正義を掲げた者が荷馬車へと剣を振るうのだ。
だが、奴隷商から解放される奴隷は少ない。
奴隷商に属する者は盗賊や山賊、果ては海賊まで冒険者と同じく戦いに長けた手練れが多く、並みの武力では、返り討ちに合うのが関の山である。
死人を拝みたければ奴隷馬車の後ろを歩け、との皮肉が生まれるほど、奴隷商の手から奴隷を逃がすことは困難かつ危険がつき纏うものであった。
しかし今、エリを囲っていた奴隷商の猛者達は沈黙している。
子供ですら理解できる明らかな千載一遇の逃げる機会を手にしたエリであるが、それでも男は現状の説明を強く求めてくる。
普段のハツラツとした表情は影を潜め、訝しげな顔になるエリの鼻先では、恩人に当たる男が早く話せと言わんばかりに、精悍な面立ちに凄みを効かせて睨んでいた。
「ええと……、たぶん私、近々どこかへ売り飛ばされて、正式に奴隷として一生を送る予定で、嫌だと思っても奴隷商の人がそれを許してくれなくて。でも戦士さんがその人達を倒してくれて。おかげ様で、私も自由の身になれそうですから、その……助けていただきありがとうございました、なんですけれど……私、変かな」
「ほうほう、そうかそうか。お前ら奴隷は、俺がぶっ倒したこのいかにも山賊をやっているような髭面野郎から逃げたかったのだな。だから、他のヤツらは俺の前からいなくなったのか」
「はい、ですね。先に逃げた娘達も、この人達から追われることもなくなったわけですし、バンバンザイですよ。なんならこのことを、荷車で一緒だったみんなに追いかけて教えてあげたいくらいです」
「顔も知らんヤツらのことなんぞどうでもいい。それより、お前も奴隷だろ、なぜお前はそこでのんびりくつろいでいる。奴隷はコイツらから逃げたかったのではないのか」
「あはは……くつろいではいないんですけれど。戦士さんが騒ぎを起こしてくれた時に、私も一応、他の子達と同じように逃げようとはしましたよ。しましたけれど、その……コケちゃって。それで足を痛めちゃって……えへへ」
「ふーん。お前、鈍くさいな。どんクサコだな」
「うう、そこですか。私、鈍くさくない……はずです」
多少自覚があるのか、エリの言葉尻は小さく、クサコへのボヤきまでは至れず。
一方で、先刻から寝転がる奴隷商の男をロングソードの切っ先にてツンツン突っついていた戦士風の男は、握る武器を腰に収めれば、
「うーむ、仕方がない、口を利けるのがコイツしかいないからな」
今度はゲシっと奴隷商の男を足蹴にして、エリの元へのしのしと歩き寄る。
男のぞんざいな振る舞いを見て取るエリの眉間は自然と渓谷を刻んでいた。が、その後なだらかなものへと変化した。
エリが不快な気持ちから脱した原因は、戦士の風貌に相応しくゴツゴツとした手の平を自分へ見せた男の仕草にあった。
未だ大地へ腰を下ろすエリは、男から手を差し伸べられたのである。
自分を立たせてあげようとする行為を大きな瞳でまじまじと眺めたエリは、男から感じた粗暴さは戦士ゆえの気性の荒さなのだろうと考えを改め、その優しさへ素直に応えた。
「おい、何してんだ」
「ほえ? 何って、ご厚意に甘えて手につかまってみたんですれど、きゃう」
「ええいっ。なぜ俺がお前みたいなクサコと好き好んで手を繋がなにゃならんっ。俺の手が掴むのは金だ。そうだな、一万だ。さっさと俺に一万ルネよこせ」
戦士風の男は掴む手ごとエリを振り払らうと、再度手の平を差し向けた。
デコボコのある地面をころり回転したエリは、思わぬ展開に体の痛みを味わう余裕もなく唖然とし、動揺も収まらぬまま自分より一回り大きい男へと膝立ちで向き合う。
「あの……はい?」
「クサコだけあって察しが悪いのか。面倒なヤツだな。いいか脳みそが不足気味のクサコ。どうやら俺はお前を髭面共から助けたようだ。ならば、俺に報酬を差し出すのがスジだろう」
キョトンとした表情を浮かべるエリの顔に変化が起きる。小さな口がパクパクと開閉する。
「なななんで、お金、お金取るんですか!? その、そのなんでお金取ろうとするんですか! 報酬ってどういうことですかっ。助けられた私が言うのもなんなんですけれど、なんかそれ違うような気がします。人助けでお金を要求するなんて、そんなの、そんなのナシですよ絶対っ」
「俺はありだぞ」
「はい、はいっ そのアリは道徳的に問題アリだと思いますっ」
座る少女が、ぴょんぴょん器用に飛び跳ねる。
「創世神アマンテラスの教えにも、お金じゃ買えない何かが大切ってありますし、そのアリはナシですよ」
「お前のありなしルールなんぞ知るか。そもそも俺は”ドウトク”とやらを知らんし、教会なんぞ行かん。俺はもうお前から金を巻き上げると決めたのだ。潔く金を出せ」
「ああっ、今巻き上げるって言った、言いましたよね。それってもう、追い剥ぎですよ。はっ、もしかして初めから私を助けるつもりなんてなかったってことですか!? きっとそうだ。そうなんだ。そうなんですか!?」
「ええい、うるさい女だな。アレだ、さっきのは言い間違えた。本当は謝礼の金をもらうと俺は言いたかったのだ」
「一緒だよう。言い方変えただけで中身一緒だよう」
エリは言って、その顔に後悔の色を見せていた。
戦士風の男の異質さに気づき、今更ながらにこの場から逃げおおせていない自分を悔やんだのだろう。
そして、それは現実味を帯びてエリを襲う。
すらりと抜かれたロングソード。手にする男の引き締まった顔が、数々の修羅場を乗り越えた戦士のそれになる。
「クサコの相手も、いい加減面倒に思えてきた。早くこの茶番を終わらせたい俺は、ウジウジするお前のために選択肢をくれてやろうと思う。俺に金を払ってバッサリ切られるか、金を払わずにザックリ切られるか、さあ、選べ」
「どっち選んでも終わるよう……私の人生が終わるよう」
エリの力なき声。
「そうか、クサコは金を払わずにザクザク刺される方を選ぶのだな」
「ままま待って下さい、お金を払うことに納得できない、とかじゃなくて、そうじゃなくて、私払いたくてもお金持ってないんですよ。私の格好を見て見て。もうほんとボロボロで見るからに見るからにっ、お金持ってなさそうですよね!? ですよねっ。さらわれた時に身ぐるみ剥がされて無一ルネですから。本当ですからっ。だから早まらないで下さいっ、刺さないでぐださいよう……うぐ」
エリは縛られたままの両手で頭を抱え込み、全身を亀のように丸して濡れる瞳をぎゅっと瞼で覆った。
「だろうな。例外もいるが、俺は経験からガキと小汚い格好のヤツは金を持ってないと知っている。おい、クサコっ」
「ひゃん」
「だからだ。うぬぬ、なぜ俺はお前のようなルネなしを助けたのだ」
「うぐ、うぐ……知りませんよ」
エリが恐る恐る腕の隙間からのぞいて見れば、照りつける陽射しが遺憾なく腕を組み仁王立ちで構える男を映し出す。
エリの中で振り上げられていたロングソードは腰へ携えられ、男は目を閉じ何やら考える様子であった。
手入れが行き届いてないボサボサのざっくばらんな髪を伸ばす男は、鋭い眼光がなければ若者らしいあどけなさが垣間見える顔。しかし、その佇まいと風格は歴戦の勇士の如き堂に入ったもので、隙だらけにも関わらず、エリを留めておくには十分な威圧を秘めていた。
しばらくして、男の目がパっと開き、口角を上げた。
男はエリにとって不気味以外の何者でもない笑みを浮かべ、そこからのぞかせる白い歯に獣の牙と見間違うような尖る八重歯を混ぜる。
「そう言えば、お前は若い女だったな。うむ。良かったな、俺から貧乏人のお前にピッタシの言葉をくれてやる」
「は、はい?」
エリの生返事の向こうで、男の上顎から生える牙が剥き出しになった。
「なら、金は体で払え」