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瀬野さん  作者: 琴井
1/4

ロッカー

 旧校舎はどこを見渡しても古くて、汚くて、とてもじゃないがここで授業を受けたいと思うような場所ではなかった。

 窓は薄汚れて白く濁っているし、壁にも変な染みがあちこちに出来ている。空気もどこか埃臭くて、普段あまり使われていないことはそれだけで感じ取れた。

 だが実際に使われていないのかというと、そうでもない。

 資料室や用具室、技術や家庭科の教室など、普段使うことのない教室はこの旧校舎に集中している。

 頻繁に使わない教室や、使われない物は旧校舎に押し込まれている、と言ったほうが正しいだろう。

 前田は辺りを少し嫌そうに見渡してから、隣にいる瀬野へと話しかけた。


「ねぇ、瀬野さん。社会科資料室の場所知ってる?」

「ええ、二階の右端のほうよ。右側の階段から上がって、二番目の教室」

「じゃあ結構近いんだ。よかった、四階だったらあんな重い物運びながら一階に下りるだけで大変だし」

「そうね。ただでさえ地球儀と地図は重いものね。それに埃もかぶってるだろうから、あんまり持っていたいものでもないし」

「ほんと、先生がやればいいのに」

「仕方ないじゃない。そのかわりちょっと授業に遅れても、きっと先生怒らないと思うわ」


 口元に微笑を浮かべながら言う瀬野に、前田は同じように笑って頷いた。

 同じクラスというだけであまり話したこともなければ、瀬野はクラスの隅っこでいつも一人じっとしているような子なので、どんな子かもよく知らなかった。

 教師が二人に社会科資料室から地図と地球儀を持ってくるように言わなければ、きっと学年が終わるまでこうやって話すことはなかっただろう。

 だがこうして話してみると、ちょっとでも人と喋ればおどおどするような『いつも一人でいる子』とは違い、落ち着いてきちんと喋る。それにどこか大人びていて、笑った顔も十分可愛らしい。

 正直それを意外に思ったが、それ以上に感じのいい、友達になれそうな子だったとわかって喜んだ。もともと前田は交友関係が広く、他学校にまで友人がいる。明るくて、基本的には誰にでも声をかけるタイプだ。

 嬉々として前田は話しかけた。


「でも旧校舎の教室なんてよく覚えてるね? あたし、家庭科室しか覚えてないや」

「私だって全部覚えてるわけじゃないけど。ただ、あそこはね」


 そう言ってちょっと苦笑する。

 あそこというのが社会科資料室だと言うのはわかったが、そこがどうしたというのだろう。

 不思議に思って聞き返そうとしたとき、不意に瀬野の足が止まった。


「ここよ」


 立ち止まったのは、剥がれかけた白い塗装に汚れたすりガラスの窓がついている扉のひとつだった。入り口の右上に一応教室の名前を書いたプレートを入れるところがあるが、そこには何もなく、他の空き教室とまるで区別がつかない。

 多分瀬野がいなければ気づかないで、職員室まで戻り、先生に場所を聞く羽目になっていただろう。

 瀬野が先生から受け取った鍵を差し込むと、正解だとばかりにかちゃりという音が辺りに響いた。


「うわぁ、すっごい埃臭い! それにむわってする」

「だってずっと閉め切っていたんだから、暑いに決まってるじゃない。

 それより地図と地球儀を探さないと」

「うん」


 少しばかり入るのがためらわれたが、瀬野が一人さっさと入っていくので、前田もしぶしぶそれに続いた。

 普通の教室と違い、ここには机や椅子の類は一切なく、資料を保存しておくためのロッカーが列になって並んでいる。隅には埃をかぶったダンボール箱がいくつか積み重なっていた。

 当然のように埃臭く、長い間閉め切ったままの教室内は廊下より確実に暑い。また資料が焼けるのを防ぐためか、厚いカーテンが閉めっぱなしにされており、部屋の中は昼間だとは思えないほど薄暗かった。

 もともと大きく、入り口の近くにあった地球儀はすぐ見つかった。

 だが地図の方がまったく見当たらない。広げれば黒板の半分くらいの大きさだから十分大きなものではあるが、普段は巻かれており、ぱっと見つかりにくい。


「先生はダンボールに立てかけてあるって言ってたけど……」

「こっちにはないみたい。奥にもダンボールがあるみたいだから、こっちかも」

「あたしはあっちのほう探してみるよ」


 まるで図書室の本棚のように何列にもなってるロッカーの向こうへと、前田は回りこんだ。

 ダンボールの数はそう多くはないが、なにせ物が多く、ダンボール自体がロッカーの陰や資料の奥に置かれているものもある。

 しかも蓋が閉まっているものがほとんどで、少し見ただけではどれに入っているのか、さっぱりわからなかった。

 うろうろとロッカーの隙間を覗き込んだり、見つけたダンボールをかき回したりしてみるが、地図らしきものさえ見つからない。


「ねぇ、瀬野さん。そっちに――」


 こん


 声をあけようとしたとき、不意に自分の後ろから何かをノックするような音が聞こえた。

 思わず後ろを振り向く。

 しかし自分の後ろに広がっているものはロッカーで出来た壁だけで、瀬野が来たらしい姿さえなかった。そもそも自分がいる場所はひと一人通るのがやっとの狭い通路だ。後ろに誰か入り込める隙間などない。

 何か蹴ってしまったのかと自分の足元を見るが、それらしいものなど何も落ちていなかった。


 こんこん


 今度は二回。はっきりと聞こえた。

 自分の目の前の、ロッカーの中から。

 ロッカーの中の資料が崩れて音を立てたのかと思ったが、それなら何度も聞こえるはずがない。一回きりのはずだ。

 なんだろうと首をかしげたとき、またロッカーが音を立てた。


「っ!」


 あがりそうになった悲鳴を、喉で飲み込む。

 ぞわりとした悪寒が体を下から上まで一気に駆け上がった。

 ありえるわけがない。さっきまでこの教室の鍵は閉まっていたのだ。誰かがいたずらで入り込むことなんて出来るわけがない。それ以前に、このロッカーの幅は三十センチあるかないかだ。人が入り込むのは無理だろう。

 猫か何かが閉じ込められたわけでもない。なぜならさっきのノックは動物が音を立てたとは言いがたい、リズムの取れた音だった。何よりそれなら鳴き声のひとつ、聞こえてきてもよさそうなものだった。


 こんこんこんこんこんこん


 前田が気づいたことに、『何か』も気づいたのだろうか。

 規則正しい音がロッカーの中から休むことなく鳴り始めた。

 リズムよく、こんこんとまるで狂ったかのように、ロッカーの中の何かが音を立て続ける。


「なに? ねぇ、だれ?」


 引き攣れた震える声に答えることなく、ロッカーの音は鳴り続けた。まるで出してくれと言わんばかりに。

 目の前のロッカーを凝視したまま、前田は恐る恐るそのロッカーへと震える手を伸ばした。

 中に、何かがいる。何かがある。それだけは間違いない。

 こんこんこんこん鳴り続ける音を聞きながら、その手がロッカーの取っ手に触れようとした、そのときだった。


「前田さん。見つけたわ」

「瀬野さん!」


 いつ来たのか、すぐ横に巻かれた世界地図を抱えて瀬野が微笑んでいた。


「せ、瀬野さん。あの、今――!」


 こんこん


 瀬野が来たことで一瞬鳴り止んだロッカーが、また音を立てた。

 その音に思わずびくりと肩を震わせた前田だったが、瀬野はロッカーに視線をやることもなく、微笑んだまま前田の手をとって歩き出した。


「行きましょう」

「え、でも」

「あれがあるから、覚えていたの。気にしないで。大丈夫。開けなければいいのよ」

「瀬野さん――」


 あそこになにがあるか知ってるの、と聞こうして口をつぐんだ。

 聞こうとした瞬間に、瀬野が地球儀を手渡してきたからだった。


「開けちゃだめよ」


 言いくるめるでも、怒るでもなく、たった一言、それだけ言って瀬野は歩き始めた。

 慌てて前田もそれに続く。

 教室の鍵を閉める直前、またこんという音が聞こえてきたような気がしたが、瀬野は気にせず何もなかったかのように鍵を閉めた。




 先生に頼まれたって、この教室に来ることは二度とないだろう。

 そしてこの少女に前田から声をかけることも、きっと二度とないだろう。

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