仕組まれた真実
いったいどのくらい寝ていたのだろうか。
目覚めた場所は小汚い路地裏ではなく、牢屋でもなく、真っ白なシーツにふかふかな毛布の清潔感溢れるベッドの上だった。
そんな快適な環境に疑問を覚えることなく発した一言が「腹減った」だった。
起き上がると、ベッドの側には綺麗に折り畳まれた学生服と大量に並べられた料理が。
「制服ってことは……まぁ裸のわけないか」
毛布をめくると、見覚えのないバスローブ姿だった。
一昔前のラブコメじゃあるまいし裸のわけがない。裸に気づいた少年の前に突如美少女が現れて悲鳴を上げる。ありきたりだな。それよりも気になるのは料理の方だ。まるで俺のために用意されたみたいじゃないか。食べたいという好奇心はあるが、毒入りかもしれない。毒はなくとも、俺ではない誰かの食事用に準備されたものかもしれない。
それでもそんなことは一切気にせずに口に詰める。結局は空腹に逆らえなかった。これで死ぬなら結構。一生分の幸せを感じながら入るだけ突っ込む。飲み物で胃に流し込む。
そして、もう一度同じことを繰り返しながら――
「ここが天国かぁ~……」
「なに馬鹿なこと言ってるのよ」
「うっ、ぐっ!」
食道を通過しようと喉元でおしくらまんじゅうをしていた料理が、突然背中に打撃攻撃を感知して口外へと緊急退避を始めた。
お前ら! 逃げるな! 戦え!
必死に押し止めようと喉を抑えながら転げ回る。
「死ぬ! 死ぬって! ――んっ……はぁぁぁあ……って、REALLY?」
「質問するのはこっちよ。私の意に沿う答えではなかった場合、即刻あなたの首を切り落とします」
後ろから冷たくて硬いものが首に当てられる。声の主には戸惑いや焦りといった感情は含まれておらず、きっと俺が逃げ出そうとしようものならためらいなくやってのけるだろう。
冷汗が背筋を伝うのが分かる。。
「ちょっ、な……」
「まず一つめの質問。あなたとあなたの両親の名前を答えなさい」
「……城勇人。親父が城雅之《 まさゆき》で母親が城七恵《 ななえ》だ」
「二つめの質問です。あなたの父親が常日頃から言い続けたことはなんですか? 」
こんなことが質問で聞かれるとは。確かに口癖みたいに言っていたな。そして、両親がいなくなる直前にも言っていた。両親がいなくなってからもこれだけは鮮明に覚えている。
「迷ったら前に進め。退けば同じ道を通らなければならないし、グタグタしてればなにも変わらない。なら前に進めばいい……だっけ?」
父親ぶってそれらしいことを言ってた記憶がある。聞き流してたつもりだったけど案外覚えてるものだな。
「以上、質問に対する回答ありがとうございました。あなたを城勇人本人であることを確認し、私たちは『Peace・Overlock・Balance』、意味は秩序と監視と均衡、略称『POB』が保護します。そんなことでよろしくね」
首に当てられていたものが離れるのが分かるが、俺はいまだに首元の冷っとした感覚が抜けないでいた。ぎこちない動作で後ろに向き直ると、腰まで伸びた栗色のストレートヘアーに、透き通った深紅の右目が特徴的で物腰が柔らかそうな少女がいた。これは個人的なことなんだが、首を傾げながらの笑顔が可愛い……。
まぁ、美少女が現れたところまではラブコメ通りだったんが、悲鳴を上げたくなったのは俺の方だったというわけだ。
「私の目を気にしてるの? これは……今は気にしなくても大丈夫。君と同じとだけ言っとこうかな?」
「同じって……グラインダーのことなのか?」
「なんだ、もう知ってるんだね。なら話は早い。そっ、私も原石。詳しいことは彼から聞いてね」
「彼?」
彼女が振り向くと、入口から誰かが入ってくる。
それが俺の見知った顔だと気づいたとき、嬉しさと脱力感が一気に襲い掛かる。
「よっ、勇人。いろいろあったみたいだな。お疲れ様」
三年間、父親の代わりに俺を支えてくれた神谷志星だ。親父の親友だそうだが、年齢三十代後半に見える。いったいどういう行き先で親友になったものか知りたいものだ。
暗い茶で染まった髪が若さをかもし出しているのだろう。見慣れたグリーンのジャケットにボロボロになったジーズンがとっても懐かしかった。
「神谷……さん? なんでここに?」
わけが分からずただ呆然とするばかり。
驚きを隠せない俺を不思議そうに見つめる神谷は、やがて彼女に問い掛ける。
「朝燈、お前……説明してないのか?」
「はい! 組織名まではしておきました。しかし、ここはやっぱりPOBのリーダーである神谷さんが説明するべきだと思いまして」
「お前なー、めんどくさいことだけ押し付けやがって……。そういえば、なんでそんなにオシャレしてんだ? それにいつもよりもなんだか元気みたいだグボハッ!」
「気のせいですよ、気のせい。そんなことよりも早く説明お願いしますよー、もう」
笑いながら、やれやれといった感じで首を振る。
本当に気のせいだったのだろうか? 朝燈と呼ばれた少女が残像付きで動いたように見えたんだが……。鳩尾を押さえながら地面にうずくまる神谷は見てないことにしておこう。
「ふぅ……まあいい。よく聞いてくれ。俺はわけあって政府から追われる身にある。朝燈もそうだ。原石はもう知ってるんだったか? 以前はお前の父親と一緒に勇人みたいな原石を世界中で集める仕事をしてたんだ」
「ちょっと待ってくれ、神谷さん。あんた、俺が原石だってこと知ってたのかよ」
「まぁな、お前の父さんから直接聞いたよ。詳しくは知らないけど素質はあるってな。だから漆原高校に通ってもらったんだが……まさかあんなことになるとは思わなかった。すまん」
「漆原高校ってただの高校だろ? なんであんなことが起きたんだよ」
あんなこととは俺が体育館で目撃したあの光景のことだ。
「漆原高校では昔から政府には秘密裏に原石の研究がされていた。やっていたのは普通の授業だったが、それらはすべて原石としての能力を覚醒させるためのものだったらしい。本当に効果があったのかは謎だったけどな。でも今回政府に襲撃されたということは効果が出ていたんだろう」
普通の高校生と何ら変わりないと思っていたのが間違いだったのだ。入学したての俺たち一年はまだ効果が出ていなかったのかもしれないが、もう少し高校生活が続いていたらどうなっていたことやら……。
「じゃあ俺もナイフを操ったりできるのか?」
「その可能性は低いな。素質はあくまで可能性であって絶対ではない。実際に原石として開花するかは本人次第だ。意識してれば能力を使えるようになるかもしれないし、何かきっかけがあれば突然覚醒する場合もある。もちろん一生何も起こらないこともなくはない。少なくとも勇人には覚醒の兆しはいまだ見られないけどな。お前の父親は言っていた。自分の息子には才能があるってな」
「父さんは俺にそんな重大なことを隠していたのかよ」
「黙ってたんじゃない。言えなかったんだ。その頃の俺達は政府の命令で動いていた。だから他言無用、秘密主義は当たり前のことだった。もちろん身内にもな。でもそれは昔の話で、今ではフリーだ。それどころか逆に追われる立場だけどな」
神谷が密かに国の命令で動いていたことは意外だったが、それに父親が関わっていたことでなお驚きだ。
すっかり冷めてしまった料理を複雑な心境で見つめる。
「漆原学校を襲った男の名前は新庄敦史。世界の紛戦地を無傷でくぐり抜ける化け物だ。彼に勇人の父親は殺された。俺も命からがら逃げて今がある。……おっと失礼」
父さんが殺された? 事故だと聞いてたのは間違いなのだろうか?
そんな疑問で頭の中が埋め尽くされる。
聞きたいことがいっぱいある。しかし、俺の探究心を邪魔するかのように、音の間隔を一定にしてループさせたシンプルな着信音が鳴る。神谷は音源を探るようにポケットを漁ると、スライド式携帯電話を取り出した。
「あぁ? 聞こえねって……トラックが何ィ? 突っ込んできただって? それは囮だ馬鹿野郎! 警戒レベルAだ! 原石との交戦が予想される。周囲を警戒して見つけ次第全員で足止めをしろ! 牽制するだけでいい。準備が完了したらまた連絡する。朝燈、勇人を連れて裏口に回れ。そこに迎えを送っとくからここを離れろ」
「了解」
慌ただしく携帯電話をしまうと、俺と朝燈に指示を出して部屋を出ていく。
「えっと……」
「私は朝燈御紗《 みさ》。そんなことよりついて来て。侵入者は間違いなく君を狙ってる。私達はあなたを守るために戦う。時間は無駄にできないわ。行くよ!」
一見見とれてしまいそうな容姿の彼女だが、腰に差した二本の刀が何とも言えぬ静かな恐怖を感じさせた。そんな彼女は、取っ手を使えばいいのになぜかドアを蹴破って廊下に出る。
「時は金なり。さっ、走るよ!」
彼女は可憐な外見に似合わず意外と大胆だった。俺は侵入者の意味がよくわからなかったし、ここがどこなのかすらさっぱりだった。しかし、彼女の走りに生半可な速さではついていけず、一心不乱に彼女の背中を見つめながら走り続ける。
息を荒げながら走った先は何百台も止められそうな広い地下駐車場だった。そして、そこには先客がいた。
「見つけたぜ。俺は逃げろって言ったんだ。こんなところに隠れるのはルール違反じゃねーのか?」
ポケットに手を突っ込みながら柱に寄り掛かる男、俺に大量殺人犯の罪をなすりつけた張本人、新庄敦史だ。
「勇人、下がってて」
いきなり呼び捨てかよ……まぁ、そんな状況じゃないぐらい分かってるんだけども。
何も言わずに睨み合う朝燈と新庄はお互いに仕事道具を構える。朝燈は二本の刀、新庄は相変わらずの十本のナイフだ。
「その右目、お前も能力を……。だったら少しは楽しめそうだ」
「楽しむ余裕があれば……だけどね」
売り言葉に買い言葉。それ以上なにも言うことはないようで、構えたまま動かない。相手を視線で殺す。そんな雰囲気が空気を通してピリピリと伝わって来る。
先に動いたのは新庄だった。
「まずは腕試しってとこか?」
一本のナイフが朝燈の顔に迫るが、それを軽く刀の柄で地面に叩き落とす。二本三本と投げ続けるが、次々と弾かれる。
それを見越していたかのように余裕そうな表情をする新庄は、不意に人差し指を天井に向ける。釣られて上を向いてしまいそうだが、俺は次に何が起きるのかを知っている。
「飛んで来るのは投げたナイフだけじゃない! 下だ!」
「警告が少し遅いぜ?」
叩き落としたはずのナイフが跳ね上がって朝燈を狙う……が、神谷を一瞬で沈めたときに見せた驚異の動きで、ナイフを紙一重で避ける。
新庄がはやし立てるように口笛を鳴らす。
「なかなかいい動きするじゃねーか。俺も三割ぐらいだしてやるよ」
両手に持っていた残りのナイフを全て宙に放る。一見無謀にも見えるその行為は、手元から離れてなお操ることのできる新庄には関係なく、逆にどれが飛んで来るのか予測不能の攻撃。
ナイフを視界に捉え、どこから飛んできても反応できるように身構える朝燈。上昇を終え、万有引力の法則に基づいてナイフが落下を始めた時、新庄が仕掛けた。
宙で無作為な回転を続けるナイフが、切っ先を朝燈に向けて一直線に放たれる。それも一本ずつではない。全て一斉にだ。俺には目で追うのがやっとのナイフを、朝燈は刀の刃でナイフを撫でるように触れさせて軌道をそらす。
俺は心底驚嘆させられた。
一本ですらそんなことをするのは大変だというのに、それを数本のナイフ全てにやってのけたのだから。
ナイフの脅威を取り除いた朝燈は新庄に向かって一直線に駆け出す。一方丸腰になった新庄は素手のままで挑発のポーズをとる。
いくら実力に自信があるからって二本の刀に素手で挑むはずがない。おそらくは隠し持ったナイフで……。
新庄の顔を狙って突き出された左手の刀は、先程朝燈が見せた受け流しと同じく顔の左にそらされた。しかし、それに驚くわけでなく、その先を読んでいた朝燈は左手の刀と右手の刀で新庄の脇腹を挟み込むように切り裂こうとする。本人は完全に殺る気だ
そして俺はさらなる驚愕に包まれる。
二人の動きが止まった。
おかしい……どう考えても刀を指で挟んで止めてるようにしか見えない。
新庄は腰を落とし、両手をクロスさせてそれぞれ右手で左の刀を、左手で右の刀を人差し指と中指で挟み込んで止めていた。
「キヤッ!」
一瞬の間の後、新庄の回し蹴りによって朝燈が女の子らしい悲鳴を上げながら吹き飛ばされた。柱に激突し、ぐったりと地面に横たわる彼女に、俺は急いで駆け寄って抱え上げる。そんな俺たちを新庄は見向きもせずに、メロディーが鳴り続ける携帯電話を取り出す。
「チッ、少しだけ邪魔するぜ」
こんな時に電話かよ。
俺はそんな新庄に少しいらついた。なぜいらついたのんだろう? よく分からない。でもいらついたからって俺がとやかくできる場面ではないのは確かだ。
「はいはい、ちーっす……は? いや、これは俺の独断だ。何ィ? 俺に命令すんのかよ。あぁ、オーケーオーケー。わぁかったよ、たくっ……うっせんだよバーカ!」
電話を切る直前に吐いた捨て台詞に少し親近感が湧いたのもつかの間、すぐに気の抜けない臨場感に戻される。
「こんな俺でも女の子斬るってのは目覚めが悪いんだぜ? 俺がここにきた目的をズバリ言ってやるよ。スカウトだ。おまえら二人をスカウトしに来てやったんだ。俺は強いやつが好きだ。おまけに逃げずに戦う強い精神力があるならなおさらだ。だからおまえら……俺の仲間になれよ」
「「……はぁ?」」
一呼吸置いてからの疑問符。
どうして自分の父親を殺した男と仲良くなれようか? そもそも自分は戦ってすらいないし、第一俺はゴミも同然、雑魚だ。朝燈ならまだ話がわかる。強いし美人だ。それに度胸もありそうだしな。
「あなた、自分が何したか分かってるの? 私は覚えてる。三年前のあの日を」
ダメージから復活したとは言い難いが、上半身を何とか起こした朝燈が刀の切っ先を新庄に向けて睨む。彼女の痛がり方から、肋骨が数本逝ってるかもしれない。
「三年前? 悪いけど覚えてねぇな。でもこれだけは言えるぜ。過去は忘れろ。過去に囚われちゃ何も出来やしねぇ」
親父の口癖と同じだ。それでも言ってることは同じでもやってることは正反対。それに三年前といえば両親が死んだ年だ。それと何か関係あるのだろうか? まぁ、関係あろうがなかろうが、最初っから俺の意思は決まっている。そして俺はそれを言う必要はない。なぜなら俺と朝燈の意思は同じで、朝燈がすでに叫んでいたからだ。
「なるわけないでしょ! 人殺しの仲間なんてごめんよ!」
「やっぱしな……まっ、いっか」
返答は予想していたものとは違い、案外軽いものだった。
「今度会ったら話してやるよ、俺の真の目的を。そろそろ何か楽しそうなことが起こりそうだしな」
最後に高笑いをしながら近くに停めてあった車にナイフを投げつけると、車は爆発を起こし、激しい爆風が俺達を襲う。目を開けるのもやっとで、収まった頃には新庄の姿は消えていた。
「お前ら! ここで何があった! どうしてそんなに傷だらけなんだ! とにかく車に……あれ? 俺の車がねぇぞ?」
遅れてやって来た神谷は現状を全く理解出来てない様子で、おまけにド派手に吹き飛んだ車は神谷のだったらしい。
「神谷さん、新庄なら来ませんよ。少なくとも一週間は……。それよりも彼女は怪我をしています。早く手当てを」
「やっぱり新庄が来たのか……。車は後で探すとして朝燈の怪我を……」
「私なら平気。それよりもあいつを追ってください! あいつは私たちの敵……雅之さんの仇だから!」
朝燈は叫び声にも似た声を上げ、下を向いて黙り込んでしまった。
今、朝燈の口から父親の名前が飛び出したような気がした。俺はすっかり意気消沈してしまった朝燈に直接聞くだけの鈍感さは持ち合わせていない。そうなると何の気兼ねもなく聞けるのはこの場に一人しかいないということになる。
「まぁ待て、新庄の居場所を掴んだとしてもこちらからはどうすることも……」
「神谷さん、三年前に何があったんですか? 父さんに何があったんですか?」
平静を装っている俺だが、胸の中では好奇心の嵐が荒れ狂っている。もちろん新庄の居場所を掴むことも大事だが、今は親父のことを知るチャンスでもある。逃したくはない。
「二人ともまずは人の話をだなー……分かったって」
俺たちの心中を察してくれたのだろう。神谷は何かを悟ったように頷く。
「こっちの世界に来てしまった勇人にもう隠す必要もないか。じゃあ手短に話すとしよう。だが、その前に朝燈を……」
「怪我なら本当に大丈夫ですから。そんなことより私も一緒に聞きたい!」
「――分かった」
神谷は手短に済ませると言いながら近くに転がっていたタイヤに深々と腰掛け、タバコを咥えなが静かに語り始めた。