――残光――
ある冬のこと。家の外は大吹雪。部屋には暖炉があり、とても暖かい。
脇には薪が高く積まれ、いつでも暖炉に薪をくべることができる。暖炉と家族がいるだけで、アリスは心が温まり幸せな気分になった。
暖炉の炎の色はルビー。
真っ赤で元気が出る色、ルビー色。
「誕生日おめでとう。」
父は娘にリボンの箱を渡した。
母も笑顔でその情景を見ている。
「お父様、お母様、ありがとう。」
アリスは飛び跳ねるほどうれしかった。
母は急かすように「開けてみなさい」と言った。
アリスは張り裂けそうなぐらいドキドキしていたが、さっと包装紙を取り、箱を開けてみた。
クマのぬいぐるみ、テディベアだ。
首には大きなネックレスがついていて、きらきらとしていた。
ありがとう。
アリスはそう思いながら、クマのぬいぐるみを抱きしめた。
父は言った。
「テディベアには昔話があるんだよ。」
「どんな昔話なの?」
父はロッキングチェアに腰掛け、パイプに火をつけた。
とおい遠い昔。まだ人間が生まれていない頃の話だ。
母ぐまとこぐまがいたのさ。
その年は例年に比べて木の実やどんぐりが取れなかった。
困り果てた母ぐまは、川で魚を取ることに決めた。
だが子ぐまを腹いっぱいにさせることはできない。
ついに母ぐまは湖に飛び込み、魚を捕まえだした。
それでも魚は取れない。
水に濡れて、母ぐまはぐったりしている。
子ぐまは心配そうに母の周りをウロウロしながら鳴いていたが、母ぐまの様子が戻ることはなかった。
次第に雪が降ってきたが、子ぐまもその場にうずくまり離れることはなかった。
彼らは星になった。
それが北極星であるポラリス。
北極星は揺るがない。
父と母はアリスにこの話をすると、吹雪いている外に出て、ポラリスのある方向を見つめ、静かに拝んだ。
数年後、世界は困窮していた。
各地で戦争が起こり、食糧難が何年も続いている。
それでもアリスと両親は何とか健康だったし、父の会社も何とかやれている様子だった。
我が家では、食料がどうにかこうにかやりくりできるぐらいだ。
具のないスープ。
硬いパン。
大好きな木の実のジャム。
これだけだったが、食べられない人達のいる中では贅沢だった。
木の実のジャムは、母が無理をして砂糖を手に入れて作っている物で、木の実を鍋で煮詰めている時のきらきらを、いろいろな人達に届けたいとすら思いを巡らせていた。
母のジャムは本当に美味しかった。
食料があった頃、家にはいろいろなジャムがあって、どれも瓶の中は宝石を詰めたような色で輝いていた。
忘れられない思い出だ。
その日の夕暮れは特に綺麗で、今日の日のキラキラを暗闇が食べてしまうようだった。
ブルーベリーのように蒼黒く染まった空には、星々が瞬いている。
蒼色暗闇サファイア。
私の暗闇を食べてくれるサファイア。
いつも世界が混沌とする時は急だ。
時として人間は愚かで、光の有難さや優しさなどとは無縁の生き物になる。
遠くで虫のような羽音が聞こえてくる。
ブーン。
ガラッ、ガラガラッ。
エンジンが今にも止まりそうな飛行機が上空を旋回して、湖の方向へ飛んで行った。
ドーン。
就寝中のアリスや両親たちも目を覚まし、父親が部屋に飛び込んできた。
「ケガはないか?」
そう尋ねると同時に、勢いよく玄関の戸を叩く音がする。
「旦那!旦那いますか!!工場が大変だ!!」
母が部屋に入ってきて、アリスの部屋の窓を大きく開けた。
丘を越えた林の向こうの空が赤い。
母は覚悟していたかのように言った。
「アリス。これがどういう状況かわかるね?約束していた通り、あなたは船に乗って叔父のところに行くのよ。いいわね?」
そう言うと、トランクケースの中にアリスの洋服を詰め込み始めた。
「お母様、まって!」
そう言ったが、母の手の止まる気配はない。
「いいから着替えるのよ!!」
虫の羽音のような音が、また聞こえる。
かなり近い。
母は部屋から飛び出し、急いでどこかへ行った。
まさにその時。
ドーンッ。
バァアアアン。
炸裂した音が耳をつんざく。
その衝撃でアリスは壁に吹き飛ばされ、しばらく動けなかった。
霞んだ眼の先に炎が見え、部屋が燃えている。
部屋に帰ってきた母は、腕をけがしていた。
パジャマが半分焦げていた。
「アリス!アリス!」
母の叫び声が聞こえる。
私は気を失った。
目を覚ました時には馬車に乗っていた。
運転しているのは工場の若者だった。
「止めて!!母達はどうなりましたか?」
若者は無言で馬に鞭を入れる。
「ハイヤァ!!ハイッ!!」
馬車はさらに加速していく。
そんな中、またあの羽音が聞こえてくる。
アリスは怖くなって馬車の中で身を屈める。
ヒューッ。
爆弾の音だ。
何個も落とされ炸裂する音がする。
馬車の小窓からふと外を見ると、真っ赤に燃えた建物が見える。
空の向こうには星が光っている。
足元を見ると自分のトランクがあった。
アリスは我に返り、自分のトランクを開けてみた。
中には洋服とテディベア。
それにジャムが入っている。
それを見て涙があふれた。
船の汽笛の音がする。
ヴォオオオオオ。
ボオオオオオ。
何度も鳴らしている。
これは港も無事ではないようだ。
若者の横顔は未だ眼光鋭く馬に鞭を入れている。
アリスは冷静になって考えた。
私が出来る事をしなくてはいけない。
泣いてる場合ではないし、戦わなくちゃいけない。
甘えてる自分自身に震えていた。
港につくと建物は焼け、未だに炎が煌々と立ち上り黒い煙を上げている。
「アリス様!!港についたら走りますよ!!」
ぶっきらぼうにそう言い放つと、馬車が止まり問答無用にドアが開いて手をグイと引っ張られた。
痛い。
そう思ったのもつかの間、民衆が暴徒化していく。
我先に食料や衣料品、それに薬局に押し込んでいる。
アリスが立ち尽くした瞬間、体が馬車に当たった。
恰幅のいい女性に突き飛ばされたのだ。
若者は構わず長鞭を女の顔めがけて振るう。
シュパッ。
恰幅のいい女は顔を埋めしゃがみ込んだ。
「さぁ!!」
また手を掴まれ走り出した。
ガレキを超えるのは容易ではなかった。
港につくその手前でまた鞄を掴まれた。
若者は拳で抵抗したがトランクは取られてしまった。
他の民衆に馬乗りになられ、何度も何度も殴られている。
「アリス様!船が出ます!構わず走って!!」
アリスは一旦躊躇したが走り出した。
無事だろうか。
振り向かず走り続けた。
ヴォオオオオオオオオオオ。
低い船の汽笛がまた響く。
兵士が何十人かいて、暴徒化する民衆から船を守っていた。
銃口は向かってくる民衆に向かっている。
ポンッ。
一人の兵士が照明弾を上げ、閃光が夜空に灯る。
「止まれ!!」
アリスはいった。
「この船に乗船するものです!!」
兵士は続けて言った。
「乗船切符はあるのか!!」
「それが……」
その時だった。
「おーい待ってくれ。」
眼光鋭い若者だ。
ベストは破けていて、シャツも顔も血だらけだ。
アリスは言った。
「よく来てくれたわ!」
そう言うと若者はチケットを兵士に渡した。
アリスと若者は無言で船に乗り込んだ。
船に乗ると飛行機は船には攻撃してこない。
この気を逃すまいと、船は全速力で港を離れる。
するとその時、誰かが叫んだ。
「おい!教会の塔が崩れるぞ!」
爆撃され、教会の塔の片側には大きな穴が開いていて、その穴からは黙々と煙が噴き出していた。
ズシャー。
ガラ―――ンガラ―ン。
という音とともに教会は崩れ去った。
アリス達はどうする事も出来ず、離れていく景色に呆然としているほかない。
溢れそうになる涙をぐっと堪えて、アリスはハンカチを出し聞いた。
「あなたお名前は?」
「ハリーです。」
ハンカチを手渡すと、スカートを破いて包帯代わりにハリーの腕に強く巻き付けた。
同時にアリスは涙があふれ泣き崩れた。
海は真っ黒い絨毯のようにすべてを受け入れていた。
暗い場所にいた。
黒い。
手が見えない。
寒い。
落ちている。
何でこんなことになっちゃったんだっけ。
みんなどこ行っちゃったんだっけ。
お父さんお母さん…。
ハリーさん恰好よかった…。
光だ。
眩しい。
赤い。
真っ赤だ。
暖炉。
ああ、暖炉だ。
何かが静かに花を咲かせた




