一話 ”麒麟児”
立ちはだかる門を前に足を止めた。
ガラス張りの尖塔群が跳ね返した陽の光に視界を刺され、思わず目を細める。
やたらと近未来的だ。もっとファンタジーな学園を想像してたんだけどな。
自動ドアに、ドローン。雰囲気なんてどこへやら。
熾国魔導学園。僕は今日からここの生徒だ。
要塞みたいな壁に沿って感情のカケラも見せない黒服が並んでいる。
ホログラムの掲示板には、『来賓 国王 ラファエル・バビロニア』の文字。
門の内側は受付。
「事前にお送りした学生証をご提示ください」
鞄から学生証を取り出し、黒服に渡す。
黒服はチラリと目を通した後、キーボードをカタカタと叩き、情報を入力していく。
モニターとなるホログラムは輪郭しか見えない。こちらからは見えないように細工してあるのだろう。
「ロイ・アルミュール君ですね。照合が完了しました。お進みください」
促され、門をくぐった。
ふと視界の端に、人影が引っ掛かる。
壁際で別の黒服と話し込んでいた男が、急に振り向いたからだ。
ライトグリーンの帽子にジャージ。清掃員だろうか。
男は話していた黒服に「ちょっと行ってくる」とでも言うように手を振り、こちらへ駆け寄ってきた。
「やぁやぁロイ君。初めまして」
男は細身の老人だった。目が細すぎて、しわと判別がつかない。
「私はハンネス。教頭だ」
「何か御用でしょうか」
なんだか失礼なことを考えていたような気もするが、忘れることにしよう。
「首席の君には新入生の挨拶をやってもらおうと思ってね」
「……それって、事前連絡しておくものでは?」
「台本を読むだけだよ」
そういう問題ではない。
「わかりました。引き受けます」
「これが台本だ」
蛇腹に折られた一枚の紙を渡してきた。
受け取り、パラパラと中を確認する。
“本日、春の息吹が眠れる血を呼び覚ますこの日に、私たちは熾国魔導学園にて、名を刻みます。”
一通り読んで、そっと台本を閉じた。
「この文章、誰が考えたんですか?」
「15年前に先代の学園長が考えたものだよ」
先代学園長……ただ者ではないらしい。正常な大人にこの文章は書けない。
ポリポリと頭を掻くと、教頭は柔らかく微笑んだ。
「毎年毎年、首席ってのは得てして目立ちたがるものなんだがね」
「離せ!!」
後ろから怒声が聞こえた。
一人の少年が、黒服に取り押さえられていた。
「おっと」
異変を察知した教頭はすぐに駆け寄った。
何事かと気になり、僕も後ろを追う。
「新入生だよ!」
「嘘つけ! 制服を着ていないじゃないか!」
新入生を自称する少年は大胆に肩を露出させたタンクトップを身にまとっていた。
寒いだろ。
「おやおや、ルーク君じゃないか」
「……教頭。ちょっとこいつら引っぺがしてくれよ」
教頭が少年と知人であることを理解すると、黒服たちは少年から離れた。
少年は立ち上がりざまズボンの裾を軽く叩き、警備員たちを睨みつける。
「教頭先生、最近は変身魔術とやらも開発されているのです。制服を着てこないのなら……」
「まあまあ。とにかくこの子はルーク君で間違いないよ」
ルーク――確か今年の次席だったか。
「助かった」
「あぁ。次からは制服を着てくるんだよ」
「嫌だね」
口調といい態度といい、自身に満ち溢れている。
「てかコイツ誰だ?」
騒ぎも収まり、会場へ向かおうと歩き出した僕を指さして、ルークは言った。
「この子はロイ君だよ。今年の首席だ」
「フン、こんな雑草が首席? ウチの馬の方がよっぽどマシだ」
見下したような目でルークが煽る。
「その馬、入学式に制服着てこれそうだな」
そういう幼稚なノリは僕も大好きだ。
「口だけは元気だな。首席だからって調子乗んなよ」
「肩書きならお前も持ってるだろ。“次席”ってやつ。
ありゃ、僕のより一個格下だったか?」
「コイツ……雑草は口が減らねぇなぁオイ」
「まあ減らない口と頭があるだけマシだろ」
徐々にヒートアップする煽り合いに、教頭がやれやれといった感じで割り込んできた。
「まぁまぁ、その辺にしといてよ」
「コイツが悪い」
機嫌を損ねてしまったようだ。
「分かったから。早く会場に行きなさい」
チッ、と大げさに舌打ちをかましたルークは、ポケットに手を突っ込んで歩き出した。
「――それじゃあ、ロイ君も。期待しているよ」
教頭に背中を押され、僕も会場へ向かうことにした。
◇◆◇
「迷った!」
教頭と別れた後、ルークを追うように歩いていた。
会場の場所を把握していなかったからな。
僕に気づいたルークはあからさまに歩行速度を上げた。
僕が速く歩けば、向こうはさらに速く歩く。
しまいには強化魔術を使われ、あっという間に見失ってしまった。
大通りを少し歩いたところに、学園の案内図があった。
入学式会場となる建物に印が打たれていて、場所はすぐに分かった。
建物と建物の間に細い抜け道が一本。指でなぞってみると、そこを抜けた方が近道だと気づいた。
……で、今こうして迷ってるってワケ。
数分前まで絶好調で口喧嘩していたのが嘘みたいだ。
学園は妙に静かで、木々の揺れる音すら聞こえない。
大通りは?
どっちが北で、どっちが南だ?
そもそもここはどこだ?
ここが学園の敷地内なのかすらあやふやになってきた。
腕時計を見る。針はとっくに開始時刻を過ぎていた。
「どうしたもんか……」
ぼやきながら、角を曲がる。
さっきからずっと勘で歩いている。
いつか会場に辿り着けると信じて。
その時だ。建物の隙間、肩幅二つ分くらいの狭い道の先から、まばゆい光が漏れているのが見えた。
よし、やっと大通りに出られた――。
足を踏み出した瞬間、視界が開けた。
中庭だった。かなりの広さがある。
高級な絨毯のように整えられた円形の芝生。その上を、石の通路が十字に走っている。
その中心。
学園にある建物の中でもひときわ高い尖塔が、空に突き刺さるようにそびえている。
中枢管理塔。この学園を象徴する有名な建造物だ。
これ一つで敷地内のあらゆる場所に魔力を供給しているという。
――誰も居ない。
国王も来るっていうのに、中庭には人影が一つもなかったのだ。
会場の周りと入り口付近にしか警備を配置していないのだろうか。
「……なんだあれ」
塔のふもと、違和感のある影がひとつ。
気になって、恐る恐る近づいていく。
樽だった。小さなワゴンに乗せられたまま、運搬の途中で放り出されたように。
こんな場所に、こんなふうに放置されているのはおかしい。
なおさら人が居ないことに違和感を覚える。
樽の側面には焼き印があった。
Rubedo port。
見覚えがある。義父さんがよく飲んでいるワインだ。
夜、家族の揃ったリビングでグラスを揺らしながら嗜んでいる姿が目に浮かんでくる。
義父さんは、どれだけ酔っぱらっても分けてくれることはなかった。未成年だから、ってな。
――だからこそ、余計に飲んでみたくなる。子供の目には妙に美味そうに映るんだ。
念のため、魔道具を耳に装着する。
酔ったとき、解毒するために。
準備完了。
僕は注ぎ口を捻り、掌に受ける。赤黒い液体がとろりと落ちて、甘い香りが立った。
舐めるように口に含む。
甘い。
砂糖みたいに軽いものじゃない。煮詰めた果実の、濃くて重たい甘さだ。
「不味いな」
飲み込んでも、残った甘みがネチネチと喉の奥を撫でる。
不快だ。何が美味いのかさっぱりわからない。
「……?」
突然足から力が抜けた。
気づけば、地面に倒れ込んでいた。
息が荒れている。胸を灼けるような痛みが襲った。
……なんだこれ。
視界がぐにゃりと歪む。焦点から遠いものほど輪郭がぼやけて、認識が難しい。
「ぁ…………!!」
声が出ない。出したつもりが、喉の途中でつぶれて消えた。
立ち上がろうとしたが、脚も腕もどこにあるか分からない。
次に僕を襲ったのは吐き気だった。胃が持ち上がって、すぐそこまでせりあがって来るのに、何も出ない。
強烈な酸味だけ下の根元にこびり付いたまま、波のように引いては押し寄せてくる。
涙があふれる。
苦しい。
――これは、毒……!?
「……っ、ぐ……」
ピアスにありったけの魔力を流し込む。
解毒魔術を発動した。
ほんの少し、身体から毒気が抜けた。症状は消えていない。
これほどの毒はさばききれなかったらしい。
でも、腕は動かせる。
寝ころんだまま、ポケットをまさぐる。
教頭から受け取った台本を地面に広げた。
親指の先を噛んだ。
そうして流れ出た鮮血を、ためらいなく台本の上へと垂らした。
震える指先で円を描いていく。揺れる視界の中で、線だけを必死に追い続けた。
台本の上に、より強い解毒魔法陣を描いた。
ちゃんと働くかはわからない。線が歪み、二重に見える。ないはずの線まで、幻覚みたいに浮かんでくる。
……起動してみれば分かる。
台本の上に手を乗せ、魔力を流し込んだ。
次に目が開いた時、視界に飛び込んだのは青々とした芝生と石造りの通路――そこに“歪み”は存在していなかった。
「……生きてる」
喉がカラカラで、くしゃくしゃの紙みたいだった。頭痛は残ってるし、腹の奥はまだじりじりと灼けるようだ。でも、さっきまでとは明らかに違う。
酒樽を睨む。
台本に描いた解毒魔法陣を拾い上げ、再び魔力を流す。すると、魔法陣が薄く発光した。
今度の対象は自分じゃない。この樽だ。
陣に共鳴するように、酒樽にも微かな光が灯る。そして、徐々に二つの光は消滅していった。
樽に残っていた毒はきれいさっぱり消えた。代わりにアルコールもごっそり持っていかれたが。
そのとき、どこからか硬く、深い音が僕の鼓膜を揺らした。
時計の針のように規則正しく一定のリズムを刻んでいるが、余韻が長すぎる。
――足音?
背筋が凍り付いた。
足音の場所は、中枢管理塔の中だろう。
姿は見えない。こっちも気づかれていない――はずだ。
迷わず、僕は駆け出した。中枢管理塔の裏へと身を滑り込ませ、息を殺した。
次第に足音は大きくなる。それに伴い、反響は短く乾いたものへと変わっていく。
――そして、ふっと途切れた。
塔の影から姿を現したのは、樽の載ったワゴンを押す、スーツ姿の男だった。
ワックスで固められた金の短髪に、折り目のくっきりしたズボン、よく磨かれた革靴。
服装だけならここの教員のようだ。
常に何かを睨んでいるかのように目つきが鋭い。
「ふぅ……先にトイレ行っとくんだったな」
男はそう呟き、ワゴンを押しながら中庭を抜け、建物の隙間に消えていった。
運搬していただけ――か?
疑問はいくつも残る。毒を盛った犯人自らここまで侵入するとは考えづらい。
――追うか。
「それ以上動くな」
脳みそまで凍りつかせるような声だった。
背筋に鋭い何かが押し当てられている感覚があった。
「何をしていた?」
鼓動が急く。
その冷たい声は、より一層僕に焦りを与えた。
「迷ってしまって……」
「嘘はよくないな」
ぴしゃりと被せられた。
迷ったのは本当なんだけどな。
「舐めてたよ。警戒を怠った……子供だからってな」
「狙いは国王か?」
「クク、ガキの発想は単純だな」
こういう時、相手からすると僕に打つ手がないように見えるんだろうか。
案外向こうもビビってたりするのかな。
「さっさと殺せばよかったのに」
「あ?」
「背中、気をつけろよ」
「…………?
……っ!!」
一瞬でも気が散れば、相手の動きに対して致命的な遅れが生じることもある。
僕の振り抜いた裏拳は、敵のこめかみを掠め、空を切った。
咄嗟に後ろへ飛びのいて躱したようだ。
教員を装っているのだろう、男の服装はスーツ。
無表情の顔に宿る人殺しの目は、底知れぬ冷光を放っている。
こうなってしまえば負け筋は無い。
ピアスに魔力を流す。属性は“風”――。
『嵐弾』
「……悪いな。
お前と魔術戦はNGだ」
男が手のひらほどの魔道具を示した瞬間、空気が軋んだ。
ゆっくりと薄い膜のように膨張していく。
それが半球状に中庭を覆った瞬間、僕の掌の中で嵐弾は霧散し、消滅した。
「チッ」
結界か。内部では魔術が使用できない……そんなところだろう。
……思ったより周到だな。
心の中で愚痴を漏らしつつも、深く構えた。
男はおもむろに腰に携えたもう一本の短剣を抜いた。
一方を放り上げた瞬間、空中のもう一方が滑り込むように手の中に戻る。
二本の短剣が空間を踊った。
「なに遊んでんだよ」
「……良いことを教えてやろうか」
煽るように僕を見つめる。
「俺の狙いは“入学式会場”にいる」
「だろうな」
それ自体はよく考えるまでもなくわかることだ。
要人は会場に集まっている。
「お前は間に合わない」
……?
毒なら解毒した。コイツも、それを目撃したから僕に襲い掛かったんだろう?
――そうか。
てっきり、毒入りのワインを国王のような要人に飲ませようとしているのだと思っていた。
少し考えればわかることだったのだ。
毒見も無しに飲むわけがない。
あのワインには別の目的がある――――。
コイツをどうにかできるのは今、僕しかいない。
この膠着状態を崩さないまま時が過ぎるのを待っていては、知らぬ間に人が死ぬかもしれない。
逃げるか?
――論外だな。自殺に等しい。
こうして思考を巡らせている間にも、僕は奴の術中にはまっているのかもしれない。
“最悪”を防ぐなら、動かないと意味が無い。
コイツを瞬殺して会場に向かう。
脳が状況を理解したとき、既に体は動いていた。
低い姿勢のまま、ただ突進していた。
次の瞬間、奴は空中の短剣を取り去り、投げつけてきた。
予想外の動きに反応が遅れる。短剣は僕の鼻先めがけて飛来した。
避けきれず、刃は僕の頬を薄く切り裂いた。
敵は既に次の行動に移っている。左手は弧を描き、短剣が僕の喉元を狙った。
――避けられない。
肉が断たれる音とともに、鮮血が宙に散った。
僕は咄嗟に右腕を盾にしていた。
痛みは感じない。
否、感じられるほどの余裕は今、僕の脳には無い。
敵は刹那の硬直を見せる。
同時に、僕の足は地面を蹴った。
敵は僕に刺さった短剣を手放し、防御態勢に入ろうとした。
両腕を交差させ、互いの隙間に滑り込ませようとする――その途中で、僕の拳が先に顔面へと到達した。
頬骨にめり込み、皮膚がひきつる感触が拳へと伝わる。
敵のかかとは地面を離れ、上半身は弓なりに反った。
直後、僕は更なる一歩を踏み込む。
体を捻り、肩の向きを変える。そのまま下に向かって拳を振り抜いた。
ガンと鈍い音がして、敵は頭から地面に叩きつけられていた。
数秒の沈黙ののち、結界は粉々に砕け散った。
ガラス片のような光が宙に舞い、空気に溶けていく。
敵は――倒れたまま起き上がらない。
僕はピアスに魔力を流し、治癒魔術を発動した。
眩い光に包まれると、裂けた右腕は徐々に癒えていく。
でも血の跡は消えない。今から式に参列したら騒ぎになるだろうな。
「おおロイ君。こんなところで」
突如、場違いな軽い声が耳に届いた。
「ハンネスさん」
「ここらで不審な魔力が検知されたそうでね」
「ああ、多分僕の魔術です。不発に終わりましたが」
声の主は教頭だった。
教頭はそばに倒れている男に目をやると、顔色を変えた。
「サイラス……」
「……そいつを知ってるんですか」
「導国に雇われている殺し屋集団の一人だ」
固まる僕に、教頭は続ける。
「ロイ君。何があったか話しなさい」
「それより、今は……!」
「……わかった。私はサイラスを拘束するから会場に向かいなさい」
教頭は眉間に皺を寄せ、会場の方向を示した。
とんでもない推察力だな。
「ルートが分かりません!」
「屋根の上から行けば、この方向へまっすぐだ」
ハンネスの声に押されるように、僕は走り出した。
◇◆◇
来賓席は壇上の斜め上、すべてを見下ろせる位置に構えられていた。
熾国魔導学園――外見の派手さも去ることながら、その内装もまた遠慮がない。
ドローンが飛び交う空中では、光が校章を象っている。
来賓席の最上座。俺が腰を下ろしているこの席は、特に派手と言える。
学園側の趣味だ。俺が望んだわけではない。
「陛下!」
ふいに呼びかけられた。
警備員である黒服の一人だった。
「中枢管理塔付近の中庭で、不審な魔力反応です」
「ドローンは?」
「会場警備に全機投入しています」
めんどくさいな。
よくある魔力探知機の誤作動に過ぎないだろう。
「ハンネス、行けるか」
「承知しました」
警備は動かさない方が良い。下手に動かせば会場側のセキュリティが脆弱になってしまう。
ハンネスは席を立つと、杖を突きながら中枢管理塔へと向かった。
「良いんですか? あのご老人一人で。もし何かあったら……」
「あの人なら大丈夫だ。大抵何とかなるさ」
『続いて、学園長のお言葉』
司会の声が会場に通ると、一人の女性が立ち上がった。
彼女は壇上へと降り、マイクのスイッチを入れた。
オルフェウス・ヴァシリアス。この学園の長であり、俺の姪っ子だ。
俺の姉である初代学園長が亡くなったことで、若くしてその座に着いた。
黒を基調とした簡素な正装。長い髪はきっちりとまとめられ、耳元の小さな装飾だけが目立つ。
王族にふさわしい鋭く落ち着いた目としなやかに伸びる背筋は、場の乱れを許さない。
数分の祝辞のあと、オルフェウスは自分の席へと戻っていった。
『それではただいまより、来賓の皆様による祝杯を以て、新入生の門出を祝いたく存じます』
もうじきこの式は終わりを告げる。司会の言葉により、固まっていた場の空気が綻んだ。
「……おい」
ざわつき始めた会場の声に紛れるように、来賓席の端から声が聞こえた。
「酒、まだ来てなくないか?」
……確かに遅い。
例年なら、とっくに運び込まれているはずだ。
そのとき、突如として会場を割るほどの重い音が鳴り響いた。
ドン、ドン、ドン。
源は来賓席の端――そのさらに奥。
会場中の視線が一気にその場所へと流れる。
現れたのはスーツ姿の男だった。肩の上に樽を担いでいる。
この男は確か……ハンターと言ったか。
「お、お待たせしましたァァ……!」
ハンターはドシンと樽を置くと、膝から崩れ落ちた。
服装はスーツで、ワックスにより固められた金髪が強く主張している。
とりあえず、目つきが怖い。どこか間の抜けた獣のようだ。
息も絶え絶え、額から滝のように汗を垂れ流し、破裂しそうな心臓を抑えて苦しんでいる。
滑稽で、哀れですらある。
「何をしていた?」
「ちょっとトイレに寄っていまして……」
「“ちょっと”……?」
「……いえ! すいません、まあまあです。
……いや、かなり」
口元に作りものの笑顔を張り付けたオルフェウスの問いに、ハンターはたどたどしく答えた。
「酒が悪くなるだろ。抱えて走るな」
「あっ……すいません」
ハンターは適当に謝罪すると、酒を杯に注ぎ分け始めた。
「何をしているんだ。毒見がまだだろう」
「……」
堪えきれなかったのか、周りからクスクスと笑い声が聞こえた。
なんでこんなのに大事な酒の運搬を任せたんだ。
これはオルフェウスの責任でもあるぞ。
この酒は俺が用意した酒……ゆえに、こちら側の人物に毒見を任される。
俺の秘書官であるセレスが、無言で前へ出た。
呆れたような顔だが、口角が若干緩んでいる。
セレスは杯の一つを手に取り、酒を注いだ。
香りを確かめ、色彩も観察すると、それを舌先に落とした。
沈黙ののち、セレスはちらりとハンターを見た。
――ふふっと、微かに笑った。
それだけで十分。
不安になったのか、ハンターはうるうるとした目で周囲を見渡している。
「問題ありません」
毒はないようだが、振り回したせいで味が落ちているんだろう。
「何をしている、早く注げ」
「は、はいっ」
オルフェウスに促され、ハンターは再びそれぞれの杯に酒を注ぎ分けた。
白磁の杯が順に手元に届いた。
全員に渡ると、俺の方へと視線が集まる。毎年のことだ、祝杯の号令は俺が唱えることとなっている。
俺は杯を指先でつまみ、静かに立ち上がった。
「――新入生の門出に、乾杯」
号令とともに、来賓たちが一斉に杯を傾けた。
俺も同じように喉に落とす。
「……?」
違和感があった。
妙に軽い。
水っぽいのとは違う。薄いというわけでもない。
ただ――喉の奥を焦がすような刺激が、いつまで経っても来ない。
周囲を見渡す。
来賓たちは、儀礼通りに飲み干し、杯を置いた。
気づいていないのか、あるいは――。
「……どう思う?」
俺は杯を置きながら、隣に座る男に問いかけた。
男は微動だにしない。ただ一点を見つめるように、静止していた。
「発注ミスはありえん」
「……」
男の名はカーディナル・レヴナント。
俺による王政の裏に長いこと立ち、支えてきた“影”だ。
表舞台で喝采を浴びることは無い。だが、このバビロニアが大国へと化けた理由を一つ挙げるなら、俺は真っ先にこの男の名を挙げる。
「酒を振り回した程度でアルコールが完全に抜けるはずも無い。……どう見る?」
「暗殺」
一言、カーディナルはそう呟いた。
「毒見がいるにもかかわらず毒を盛り、その上誰かにバレて解毒されたと?」
「違う」
言い切るカーディナルが杯の縁に指をかけて傾けるたび、杯は落ち着きなく揺れた。
「そもそも、第三者がどうやって毒を発見するんだって話だろ」
「そうだ。もしこの酒に毒が盛られていたならば、それはあり得ない」
「……!? 無毒の酒に解毒を施したとでも……?」
何が言いたい。
そんな謎すぎる行動には一片の意味も感じられない。
「毒の有無ははっきり言って関係無い。
“この酒に誰かが解毒を施した”重要なのはその事実だけだ」
「……暗殺者が仕掛けたブラフだと?」
「それは無い。リスクとリターンが見合っていない」
味方陣営によるもの……ということか?
……なるほどな、そういうことか。
この酒が無害なものだったとしても、“暗殺”という単語を連想させられる……。
カーディナルは、この酒こそが解毒を施した誰かによるメッセージだと言いたいのだ。
とはいえ、根拠は薄い。
イタズラとかの線がまだ濃いのでは……。
「極めつけは……見ろ」
その瞬間、俺の中ですべてが繋がった。
カーディナルが指を差したのは、今年の首席が座るはずだった椅子だ。
それは今日、この式を無断欠席した者だった。
ハンネスは言っていた。けさ正門で確かに会った、と。
居るはずの人間が居ない――それだけで十分に作為の臭いがする。
偶然にしては筋が良すぎる。
その席の二つ隣。不躾な座り方をする新入生の一人が、ふと天井を指さした。
「それだ」
次席、ルーク・ラングリッジ。
彼が示したものは天井ではなく、学園のドローンだった。
そのとき、確かに感じた。それが発している微かな魔力を。
俺はすかさず指先に魔力を灯す。
次の瞬間、ドローンは粉々に砕けた。
残骸を風魔術で薙ぎ払い、あたりを見渡す。
誰もいない。不審な魔力も感じられない。
ドローンを操るには、中枢管理塔でプログラムを書き換える必要がある。
先程の中枢管理塔付近で感知された魔力も……。
「念のため避難させた方が良い」
隣から助言が聞こえる。
確かに、最優先だろう。
「オルフェウス、生徒たちを安全な場所へ連れていけ」
「……了解」
学園長は何がなんやらという感じだったが、有無を言わず従った。
続けて俺は立ち上がる。
「新入生全員に告ぐ! 教員の指示に従い、速やかにこの会場を離れろ!」
◇◆◇
「すみません、遅れました!」
生徒も教師も来賓も、よくわからないところに集まっていた。
会場に辿り着いた時には新入生はどこかへ消えていて、警備員が数人残っているだけだった。
その一人に案内される形で入った場所は、教室だった。
「……何をしていた?」
この人は――確か学園長。
制服の一部、血の付着してしまった部分は破り捨てた。
今の僕は片腕だけ裸だ。
「道に迷ってしまって」
「フッ」
ラファエルが鼻で笑う。
さんざんな目にあったってのに怒られると萎えるんだが。
「後でゆっくり聞かせてもらうとしよう」
学園長は鼻を鳴らすと、生徒たちの向く方を示した。
そこに居たのは、ルークだった。
「次席が代わりに新入生代表の挨拶をすることになったぞ」
ルークは僕を睨むと、ポイッと台本を投げ捨てた。
「おい雑草。次は俺が勝つ」
それだけ言うと、ルークは来賓に一礼し、新入生の列に戻っていった。
一度でもルークに勝利した記憶はないんだが。状況がつかめない。
ラファエルは顔を覆い隠すようにして肩を震わせ、学園長はルークに対しブチギレている。
大半を上流階級が占めるこの空間は無駄に整っているのに、僕の気持ちは不揃いのまま、距離感だけが鮮明だった。




