第19章 「灰脈の印(Ken: Background)」
――灰脈祠の扉が内へ沈み、冷えた空気が肺を洗った。
外の御狩宣の喧騒が、石の壁で薄皮みたいに遠くなる。
「二時間でここも露見する。先に片づけたい仕事がある」
Kenは胸の内ポケットから灰誓護符を取り出した。火口紋の端に、細い爪痕のような裂け。
「護符が割れたままじゃ、民兵の追跡紋に引っかかる。灰脈の印を刻み直す」
UIが震えた。
《Background Quest:灰脈の印(Ken) 》
目的:灰脈殿(Vein Shrine)で灰誓護符を再刻し、追跡紋を無効化
手順:灰幕儀(Ash Veil Rite)を完遂/三相(熱・冷・灰)の位相を整流
報酬:KenのTech Skill進化/パーティ隠蔽バフ/偽流抵抗↑
制限:御狩宣の追跡強化下(時限)
「隠蔽バフ、欲しい。Yo、今の私ら、赤点滅しまくりだから」
「俺が払う。……付いてきて」
***
祠の下、灯のない回廊。
床下で冷脈が低く唸り、壁面に古い灰紋が彫り込まれている。
観測鈴の音が上でチリと鳴り、御狩宣の網が狭まる気配。
「Ken、灰誓ってさ……何で立てたの?」
トレイが背を押さえながら問う。
「個人の好悪を外へ出さないためだ。火は熱で歪む。裁きに私情を混ぜない鎖が必要になる」
Kenは言葉を選び、短く続ける。「……昔、姉が裁きに敗れた。俺は槍を持ちながら何も言わなかった。言えば燃えるからだ。――だからこそ、証拠で殴る術だけは磨いた」
「……ごめん、聞いた」
「言うのは任務外だ。だが、君らは俺の任務だ」
Kenは前を向き、石段の最後を降りた。
回廊が開け、地下の小堂に出る。
円形の床に三相の盤――赤(熱)/青(冷)/灰(中性)。中央に古びた祭壇、上に灰誓護符を置く皿。
「回路解析は君。俺は灰紋で風味を整える。Guideは拍を合わせろ」
「任せろ」
祭壇が低く起動し、盤の三色が薄光を帯びる。
壁の溝から燠の温が滲み、天井の霜が落ちる。
《儀式開始:灰幕儀(Ash Veil Rite)》
条件:赤→灰→青を逆拍で同期/外乱(偽流)に合わせ補正
注意:Pain Sim(中)/失敗時、追跡紋が強化される恐れ
「偽流、来るよ」
ヤエは風UIを切り、頬で気流を拾う。
白線が指に落ち、回路解析:初段のNOT/AND/ORが鍵盤みたいに並ぶ。
「1(待)・2(赤)・3(待)・4(灰)/1(待)・2(青)――Now」
ヤエの指が逆拍で鍵を打ち、Kenの灰紋が床に灯る。
三相が合う瞬間、祭壇が低く鳴った。
――カン。
空気が揺れ、偽流のノイズが横から差し込む。
風向が反転、青が遅れ、赤が先走**る。
「画面切る。耳!」
トレイが拍を刻む。「1・2・3・4……ズレを半拍に圧縮」
ヤエはORに短絡を作り、ANDの遅延を灰で中和。
Kenの指が印を重ね、床の熱が一度落**ちる。
《補正:偽流偏位→灰軸補正(小)》
《進行率:66%》
「最後、灰を軸のまま赤青を同時」
「同時はYo、嫌い」
「好き嫌いは後。今、同時」
赤と青がかぶさる。
Adaptationが白線を二重に描き、斜角で衝突を逃がす手順が出る。
ヤエは息を止め、鍵を落とした。
《儀式完了:灰幕儀》
《灰誓護符:再刻》
《副産物:追跡紋—遮蔽(中)/偽流耐性(小)》
祭壇の皿で護符が鈍く光り、裂け目が埋まっていく。
UIに新規が走る。
《KenのTech Skillが進化!》
灰紋制御・弐(Ash Sigil Control II)
・灰幕(Veil):半径中の隠蔽領域を3拍生成(露出トラッキング低下)
・偽流検知:風位相の反転を予告(微)
・燠鎖予告:炎鎖/燠噴射の位相を数式でヒント表示
CD:28s
《パーティバフ:灰幕共鳴/掃討隊の索敵を減退(短時間)》
「ナイス進化。Yo、ステルスは正義」
「礼を言うのは俺の方だ」
Kenは護符を握り、ほんの少し肩を落とした。「追跡紋が切れた。しばらくは匂いが薄い」
ヤエは祭壇の側面に刻まれた小さな名前列に目を止めた。
灰に刻まれた文字は、熱で少し溶けて歪んでいる。
「誰?」
「民兵が儀式で名前を置く。――失った誰かの代わりに」
Kenの指が、一つの名前で止まった。
言葉は続かない。灰幕が静かに広がる。
***
祠から上へ戻る途中、石壁のひびから赤が滲む。
御狩宣の包囲が縮む音。観測鈴が連続で鳴った。
「灰幕、起動」
Kenが床へ印を刻む。灰が細かい粒になって立ち、三人を薄膜で包む。
足音、槍の触れ合う金、通報台の起動音――全部が半歩遠**くなる。
「Now、抜ける。配電孔・残路へ」
トレイが先へ走り、ヤエは息を整えた。
(死ぬの、嫌だ。――でも、止まれない)
石段を駆け上がると、蕎麦屋の裏口で赤い影がよぎった。
市民が通報端末を握り、こちらを指さす――が、灰幕に目が滑る。
端末は空を指して赤を点滅、民兵が別の路地へ走っていった。
「効いてる」
「三拍。次が来る前に移動」
***
段丘の陰路を伝い、Access Corridorの脇に出る。
検問は赤、炎鎖の簡易柵が二重。
Kenが灰紋を二重に重ね、トレイが配電盤の蓋を開ける。
「灰幕→二拍、燠遅延→一拍。君は逆拍で飛べ」
「Yo、了解――」
ヤエがショートホップに入ろうとした瞬間、空が赤く閃いた。
火口紋のホログラムが街全体に投影され、銅鑼が二度、三度と鳴る。
御座は見えない。だが、声だけが澄んで降りた。
「――公示」
火帝の声。
「外来者、名をYae-Yae Jenkins。灰廷の礼式を妨げ、伝統を穢し、処断を拒む。
Hoshidenに対する敵である」
《炎告(City-wide Broadcast)》
議題:外来者の敵性認定/御狩宣の範囲拡張
名指し:Yae-Yae Jenkins(Protagonist)
共犯:民兵離反者 Ken/外来ガイド Trey
市令:庇護・通報遅延・黙認は同罪/即時処断
報奨:階級点↑/火紋加護(暫定)/金銭
(※大審闘は予定どおり挙行)
通りのざわめきが一段深く変わる。旗が翻り、鈴が激しく打たれる。
幇の目が赤く光り、子供まで端末を握る。
「Yo……、フルネームで刺してくるの、エグい」
「これで市が敵になる。灰幕は延長する。君は走れ」
Kenの声は静かで熱い。「名前は奪えない。君が自分で持っていけ」
ヤエ=ヤエは奥歯を噛み、拳で胸を叩いた。
「持ってく。――敵でも主人公でも、私は私だ」
灰幕が再び立つ。
炎鎖の影が三拍で沈む。
ショートホップIIが角を掴み、三人は検問の網を斜角で抜けた。
背後で放送が終わり、火の都が狩りの息を吸い込む。
鍵門は下に、証拠は今に。
そして名前は――彼女のまま、燃えずに残った。
――Ken: Background クリア/逃走続行。
次章、配電孔の残路を潜り、鍵門の現場を押さえる。
敵と宣告されようとも――手際で道を開け。
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