第1章 「起動(Loading)」
――ニューヨークの夕暮れ。
16歳のヤエ=ヤエ・ジェンキンス(Yae-Yae Jenkins)は、部屋のベッドに寝転がりながら、スマホの通知を親指で払った。
「Yo、見た? 今いちばん来てるRPG。『オーバードライブ計画(Project Overdrive)』」
チャットアプリに、友だちのニアからリンクが飛んでくる。
「マップ広いし、アップデート神。PvPも熱いってさ」
「へぇ。……ふーん、トレーラー良すぎ。BGMもクールじゃん」
ヤエ=ヤエはニヤリと笑い、すぐに購入ボタンを押した。
「即買い、即プレイ。――行くでしょ?」
ダウンロードバーが走る。
《インストール完了》
起動音。ヘッドセットを被ると、視界に鮮烈なロゴが躍った。
――Shinseikoku。
ネオンとホログラムが編む、未来都市のパノラマ。チュートリアルを軽く流し、ヤエ=ヤエは指を鳴らす。
「OK、軽く触るだけ。システム見て、街見て、あとは――」
「――PvP行こ」
Domain 1:Tekunai。
娯楽と交易が交差する巨大メトロポリスの一角、PvPクラブのホールは観客の歓声で震えていた。リングの外周には、プレイヤー同士のトレード掲示、ランキング、スキル演算の立体パネル。
ヤエ=ヤエは初期装備のまま、軽く数戦をこなす。反応速度、視点切替、間合い。
「ふむ。操作は滑らか、ラグなし。……やれる」
三戦目。相手は黒い外套のプレイヤー。名前は伏せ字、バフ構成は攻撃寄り。開始のゴング。
踏み込み――フェイント――一拍置いてカウンター。
ヒット。続けざまにコンボが決まる。
《KO!》
歓声。チャット欄がざわつく。
相手がボイスチャットを開く。低い声が割り込んだ。
「……調子に乗るなよ。遊びでやってねぇ。俺、本当に“やる”からな」
ヤエ=ヤエは肩をすくめる。
「はいはい。そういう脅し、聞き飽きたって。I’m not tryna hear all that. 次、どの部屋?」
相手は何か言いかけ、回線が切れた。
「切ったし。……ま、GG」
ヤエ=ヤエは戦績を保存し、ログアウト。ヘッドセットを外す。
台所。インスタントのカップに湯を注ぎ、レンジの残り時間を指で弾く。
「勝ち飯、うま。……てかあの人、ガチで怒ってたな。メンタル鍛えろっての」
鼻歌交じりに椅子へ戻ろうとした、その時――。
ガチャン。
玄関のチェーンが弾ける金属音。ドアが荒く開く気配。
心臓が、ひとつ跳ねた。
「……ちょ、待って。誰?」
返事の代わりに、硬質な足音。視界の端に黒い影。
冷たいものが彼女の背筋をなでた。
次の瞬間、乾いた破裂音。
世界が、ふっと遠のく。床が傾いたように感じ、テーブルの角が流れていく。
(ウソ。ここ、私の部屋……だよね?)
音が引いていく。色も、匂いも、重力も。
暗がりの奥で、微かな光だけが残った。
――そして。
ピン。
視界の上辺に、細長い通知バーが浮かび上がる。
《Loading…》
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耳に風が入った。鼻腔をくすぐるオゾンの匂い。
目を開けると、そこはネオンと立体広告が重ね塗りされた街路――Tekunaiのメインコンコース。空には走路のような光の帯、遠くでホログラムのアバターが笑っている。
彼女の目の前に、もうひとつのウィンドウが弾けた。
《Welcome! Level 1 player!》
ヤエ=ヤエは口を半開きにした。
「……What the hell(は? 何これ)……」
風が髪を揺らし、UIが指先の動きに合わせて微かに揺れる。
現実の部屋も、台所の湯気も、銃声も――すべてスクリーンの向こうに置き去りにされたまま。
物語は、彼女を**主人公**として起動したのだった。
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