合理的自殺
この文章では自殺に関して肯定も否定もしておりません。ご了承の上お読み下さい。
自殺は刺激に対する「正常」な応答なのだろうか?
合理的な自殺は存在するのだろうか?
今ここに自殺を考える人がいるとする。その人の自他境界が明確だと仮定すると、その人自身にとって
1 私が正常、他者が正常
2 私が正常、他者が異常
3 私が異常、他者が正常
4 私が異常、他者が異常
の4パターンが考えられる。
1の私から見た他者からの正常な刺激に対する、私の正常な応答により自殺が発生する。これが真なら人間が絶滅していると予想されるので偽である。2の私から見た他者からの異常な刺激に対する、私の正常な応答により自殺が発生する。これは頻繁に見かけるパターンである。外部からの何らかの圧力により、私の受容できる器に変化が生じたり、壊れたりする。そのことで正常な判断が難しくなり、自殺に近づく。よってこれは真である。3の私から見た他者からの正常な刺激に対する、私の異常な応答により自殺が発生する。外部(他者)に理想を置き、現実(私)のかけ離れた溝にやられる。果てしない距離にめまいを覚え絶望する。よってこれは真である。4の私から見た他者からの異常な刺激に対する、私の異常な応答により自殺が発生する。異常な刺激に異常な反応していると認識しているならば、自殺しないのではないか。よって偽である。1,4はあるにはあるかもしれないが2,3に比べて登場頻度が極めて少ないと考えられるため今回は無視して偽とする。
このように私が正常で他者が異常なパターンと、私が異常で他者が正常なパターンがある。つまり私と他者との認識のずれが自殺を誘発するといえる。そしてずれが閾値を超えると破綻するという訳だ。
冒頭の問いに戻れば、2のパターン、私が正常で他者が異常なパターンであれば正常な応答であると言える。また、3のパターン、私が異常で他者が正常なパターンであれば異常な応答であると言える。自殺が合理的なのは、1,4のパターンである。しかし、他者からも私からも肯定されている状況下においてその選択をするとは考えづらい。おそらく合理的ではないだろう。また、狂った他者と狂った私が何をしようともはやそこに理はない。結局狂気に身を委ねるしかないのだ。2,3のパターンが合理的な自死に向かうには致命的なずれを是正する必要がある。そのためには、周辺の環境を異常なものから正常なものに変えるか、異常を異常として認めるかである。
自他境界が曖昧だと仮定すると、
a 何かもが正常
b 何かが異常
c 何もかも異常
の3パターンが考えられるが、上記とほぼ同様であるため割愛する。
固有のずれを解消すること。さもなくばそれを受容すること。くれぐれも舌を引っこ抜かれないように。それでも自殺したいならりんごと閻魔様にお伺いを立てることだ。