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第7章:高橋哲哉教授とエイアル・シヴァン氏の対談(1)

 高橋教授:

「・・・映画『スペシャリスト』を製作された、エイアル・シヴァンさんにお話をうかがいたいと思います。

 シヴァンさんは、1964年に生まれておられるんですね。つまり、アイヒマン裁判が終わってからの、生まれた世代ということになるんですけど、アイヒマンの名前を、最初あなたが、どのような形でお知りになったのか・・・そのことを、お聞かせいただけますか?」


 シヴァン氏(フランス語):

 「・・・いつ、初めてアイヒマンの名前を聞いたかと考えますと、たぶん、学校の中庭で遊んでいたときに、もうその名前を使っていたような気がします。

 『アイヒマンの墓に入ってしまえ』だとか、『アイヒマンのように意地悪なやつ』などと、友達同士で、罵詈雑言ばりぞうごんを吐いていました。

 ・・・アイヒマンは、われわれにとっては『絶対的なあく』でした。野蛮やばんで残酷な、『連続殺人魔』のような人だと思ってました。

 アイヒマン裁判のことは、学校で教えられます。イスラエルの社会の、記憶の基盤にあるのです。公の歴史の一部になっています。

 アイヒマン裁判の目的のひとつは、イスラエルの若者に対する、『教育』だったのです。

 裁判は・・・『記憶の形成』を目的としていました。それは・・・『ニセのアイヒマンの肖像しょうぞう』をくことです。

 検事が言っていたように、『おそろしい怪物』『野獣のような人物』を引き出してきて・・・犠牲者の前に立たせるのです。

 1961年に裁判が行なわれたとき、その目的は、はっきりとしていました。つまり、国際社会に対して、イスラエルは、『犠牲者の社会』であることを示すことでした。政治的にも、道義的にも、『イスラエルは、けっして攻撃してはならない』『保護すべき国家である』と、示そうとしたのです。

 ・・・ですからアイヒマン裁判には、アイヒマン自身はほとんどいない状態になってしまいました。

 しかし、アイヒマンの言葉を聞いて、彼が、どのように、システムの中で変化していったかを考えると、『記憶』ではなく、『歴史』を見ることになります。

 アイヒマンが犯罪を犯したのは、『従順じゅうじゅん』だったためです。そのことが重要でした。

 ・・・私は、『記憶』や『神話』ではなく、『本当の歴史』をきたかったのです。

 ただし、この映画はもちろん、『歴史』ではありません。『裁判のドラマ』です。一度も使われなかった記録映像を使って、そこに記録されたものが、『裁判の記憶』とは全く異なるものであるということを示したかったのです。

 イスラエル国家は、アイヒマン裁判を道具のように使って、『記憶の操作』をしていました。そして、その作られた『記憶』を、『歴史』に書き込もうとしましたが・・・それは、『歴史そのもの』ではなかったのです。」

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